妹ノ下雪乃さんとのラブコメは間違っていない。   作:kuronekoteru

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妹ノ下雪乃さんが昼休みにやって来てしまった。

 

 今朝の校門で起きてしまった事件の影響を心配していた八幡だったが、彼のクラス2-Fでは特に話題に上がってはいなかった。誰かと話した訳ではなく、ただ周囲の会話を盗み聞きしていただけなのもいつも通り。

 一瞬の出来事だったから、それほど多くの人数は見ていないから、そんな理由で自分を無理矢理にでも納得させたのは心の平穏のため。噂が広がるのに少しラグがあることなんて、彼が考えれば直ぐに分かる筈なのに。

 

 

 午前中の授業が終わり、教室に昼休みの開始を告げる鐘の音が鳴り渡る。粛々としていた室内の空気は一気に温度を上げ、クラス中の人間が各々の目的のために動き始めた。

 

「っべー、めっちゃ腹減ったわー」

 

 教室後方でヘアバンドをした男が声を大にすると、その周囲では笑い声が連鎖する。八幡はその声に内心ながら同意をし、大切な弁当の入った包みを持って席を立とうとした。彼の胃袋も愛する妹たちの手作り弁当を欲して、ぐーぐーと叫んでいる。

 

 その時、教室内で笑い声とは程遠いどよめきが起こる。

 

「……おい、あれって」

「……こっち側に来るなんて珍しい、誰かに用事があるのかな」

 

 それもその筈、2-Fの教室に雪乃が突然と来ていたのだから。

 彼女の見目麗しさに男子だけでなく、女子までもが注目をする。それはカースト最上位の人物も例外ではなかった。

 

「……雪乃ちゃん、か」

 

 陽キャと呼ばれる、明るく目立つ人物が集まるグループの中心の一人、このクラスのリーダーとして認識されている葉山隼人が独り言を呟く。

 隣でその言葉を聞いてしまった、もう一人の中心人物である三浦優美子は酷く苛立ちを覚えた。そして、文句を言うべく雪乃に向かって歩き始める。明らかに怒りの籠った足音に気付いた葉山も彼女を制止するために焦り顔で追従した。

 

 一方、雪乃は八幡の後ろ姿を見つけると嬉しそうに微笑んだ。そして、こっそりと音もなく移動を始める彼の背中を逃がす訳もなく、足早に近付いて背中を軽くパンチ。

 

 雪乃とは対照的に苦い顔をしている八幡は振り向くこともできない。振り向けば最後、平穏な学校生活は終わりを告げる可能性が高いのだから……。

 

 雪乃は反応なしの振り向かない背中を横から覗くと、彼の手に大事そうに抱えられている弁当箱の包みが目に入った。

 

「ねぇ、お昼に行くのなら一緒に食べましょう?」

 

 当たり前のように誘い掛ける彼女の言葉に、またしてもクラス内がざわめく。

 

「おい、雪ノ下さんが男子をお昼に誘ってるぞ」

「……まじかー、死にてー」

 

 そんな男子の苦しみの声で溢れる最中に、派手な化粧と明るい金髪の少女、三浦優美子が雪乃の前に到達してしまう。彼女は不満気な表情を隠すこともなく仁王立ち。

 

「ちょっと、あんた人のクラスに来て騒がしくするのやめてくれない?」

 

 雪乃はその声の大きさと、威圧するような物言いにビクリと震え上がった。怒りの声に反応して八幡も否応なしに振り返り、雪乃のすぐ横へと回り込む。

 

 この時、優美子は隣にまで来ていた隼人──想い人に気付き失敗したなと思っていた。理由は想い人に醜い自分を見せてしまったこと。

 そしてこの状況ならば、目の前の雪乃が簡単に想い人に縋ることが出来てしまうから。

 

 直情的になってしまった彼女だったが、決して頭が悪い訳ではない。墓穴を掘り、敵のアシストをしてしまったことが悔しくて唇を浅く噛んだ。

 

 だが、雪乃はちらと心配そうにしている八幡だけを見やると、すぐに優美子に真っ直ぐに向き合った。そして、申し訳なさそうに口を開く。

 

「その、ごめんなさい。悪気はなかったのだけれど、彼に用事があったから……」

 

 優美子は噛んでいた唇をぽかりと空ける。

 

 彼女は自分が嫌な態度を取っていることは分かっていた。だからこそ、口論になるか、隼人に助けを求めるかを予想していたというのに。

 

 勘違いをしていたのだ、自身の有名さを理解している癖に人のクラスにずけずけと入り込むような肝の太い人間だと。それに、雪乃からは隼人を狙っている気配など微塵も感じることはない。

 

 だからこそ、雪乃の対応が彼女の胸に響いた。

 

「…………可愛い。じゃなくて、あんた隼人と知り合いなんでしょ?」

 

 本音が溢れてしまったせいで、訊かないつもりだった質問まで口から零れ落ちる。

 

「ええ、一応親が知り合いだから会ったことはあるけれど」

「なんか特別なことがあったり……」

 

 一度零れてしまえば、漏れ出る不安を止めることは出来なくなっていた。隣に立つ隼人に聞かれているとは分かってはいるけれども。

 優美子は自分から喧嘩を吹っ掛けた癖に伏し目がちに答えを窺う。

 

「いいえ、特別なことなんて彼とくらいよ、ね?」

 

 雪乃はキッパリと答えを否定をすると、隣に立つ八幡を軽く指差して見やると嬉しそうに微笑んだ。高嶺の花で有名な彼女が特別だと言い張る男を優美子は訝しげに見つめる。

 

「んで、あんたは誰?」

「ふふっ、同じクラスなのにあなたは知られていないのね、流石だわ」

 

 その事実が可笑しくて、雪乃はくすくすと笑う。矛先を向けられた八幡は引き攣ったような顔。

 

「いや、クラス替え直後なんだから仕方ないだろ。こちとら()()()()()みたいに有名じゃないんだよ」

 

 微笑んでいた雪乃の口元には分かりやすい弧が描かれる。そして、刃のように鋭い視線を彼へと突き刺した。理由があろうとも他人行儀な呼び方を彼女は許してはくれない。

 

「……比企谷八幡だ、そのよろしく」

「ふーん、……私は三浦優美子、一応よろしく」

 

 二人のやり取りを見て、確かに唯ならぬ関係なのが伝わりはしたものの、何が雪乃をそこまで惹き付けているのかを優美子は理解出来ずにいた。それでも二人が気になってしまうのは、彼らを繋いでいるモノに彼女が求めている関係性があるような予感がしていたから。

 

「雪ノ下さん今日はごめん。まぁ……その、いつでも来ていいから」

「……ええ、ありがとう三浦さん」

 

 優美子は雪乃の感謝の言葉を聞くと、満足そうに自席へと戻っていく。その軌跡が奏でる、軽やかで爽やかな小気味良い足音を隼人は聴き届けた。

 そして誰も傷付くことなく、平和に解決した光景を前に思わず声を漏らす。

 

「…………すごいな、君たちは」

 

 称賛の声を上げた彼は二人に手を差し出す。顔見知りなど関係なしに、二人をもっと見ていたくなっていたから。

 

「比企谷君と雪乃ちゃん、良かったら一緒にお昼はどうだい?」

 

「いや、飯は誰にも邪魔されずに一人で食べるつもりなんで」

「あら、そんなに私の作った――」

 

 八幡は続く言葉が火薬であることを即座に察し、急ぎ彼女の口を手で抑えることに成功()()()()()()。「何を言おうとしているんだ」と文句を伝えようとした彼に向けられたのは、周囲からの奇異の視線。

 

 状況を飲み込めずにいた彼の手に、薄い艶やかな唇から熱い吐息が鋭敏に伝わる。

 突然に唇に触れられ、口を無理矢理に抑えられた雪乃は丸くなった目を次第に細めていった。

 

 言葉を閉じ込めることで、より大きな爆弾を投下したことに漸く気付いた八幡は、ゆっくりとその手を雪乃の口から離していく。

 

 隠されていた彼女の頬はすっかり朱色に染まっていた。

 

「…………八幡のえっち」

 

 雪乃の消え入りそうな微かな声が、八幡の耳朶だけを確かに震わせる。

 そのまま雪乃がこほんと軽い咳払いをすると、彼女の上気した頬の熱は彼へと移動していた。

 

「私は『彼』と二人で食べるから、ごめんなさいね」

 

 妙に意識して三人称の言葉を発音すると、雪乃は八幡の腕を掴んで教室を出ていってしまった。

 手を差し出していた隼人は、珍しく苦笑いを浮かべて二人を見送る。

 

「……まさか、雪ノ下さんに彼氏が居たなんてねー」

「…………まじかー、死にてー」

 

 無事、一部始終を見ていたクラスメンバーの殆どが誤解をしていた。

 

 その中でただ一人、雪ノ下の振る舞いをキラキラとした尊敬の瞳で見つめていたのは、明るい髪色をしたお団子頭の少女だけだろう。

 

 * * *

 

 雪乃に連れて来られた場所はベストプレイスと呼んでいる特別棟の一階、保健室横の心地良い風が吹く憩いの場。と言うか、俺が普段から昼食を取っているコンクリートで固められた段差だった。

 

 何で知っているんだよと思ったが、その前に雪乃にはキツく言わねばならないだろう。

 

「おい、間違いなく雪乃との関係が誤解されちまったぞ」

「あら、別に誤解ならいいじゃない。事実がバレてしまうことを恐れているのだから、誤解が広まる分には構わないでしょ?」

 

 雪乃は一体誰に似たのか、屁理屈にも思える理論を淀むことなく喋る。

 

「それに、元はと言えば兄さんが悪いんじゃない」

「いや、だって雪乃が自分が作った弁当とか言おうとしてたから」

「それは事実でしょう」

「だからバレたら困るんだろうが……」

 

 俺のお説教モードを易々と切り抜け、雪乃は横に置いておいた俺の弁当の包みを空けていく。蓋が外されると、色とりどりの美味しそうなおかず達がお見えになる。

 そのまま丁寧な所作で箸入れから黒いプラスチック製の二本一対を取り出し、右奥に座している売り物のように形の綺麗な卵焼きを掴んだ。

 

「それはバレても困らないわよ、別に一緒に住んでいなくても同じ弁当を食べている人たちだっているのだから」

「いや、バレる可能性だってあるだ――」

 

 俺の言葉を遮るように、甘い出汁の匂いが漂う卵焼きが口元に触れていた。

 

「はい兄さん、卵焼き、……あーん」

 

 反射的にあむりと口を開き、それを受け入れる。美味い、美味すぎる……。

 だがしかし、美味しい卵焼き如きで絆される俺ではないので、よく味わうように咀嚼をしてから再び口を開いた。

 

「……あのな、俺は雪乃に平穏な学校せ――」

「はい兄さん、唐揚げもどうぞ、……あーん」

 

 文句は口を塞がれて言うことが出来ない。

 妹の『あーん』に逆らえる兄など千葉には存在していないのだから。

 

「……うめぇ」

「ふふっ、私お手製だもの。ご飯も食べる?」

「自分で食えるっての」

「私からでも食べられるでしょ、……はいあーん」

 

 嬉しそうに微笑み差し出される一口分の白米、それを躊躇なく口に放り込んでもらう。

 こんな調子じゃ会話も碌に出来ないんだよなー、なんて悪態も出てこないのはお腹が空いていたからに違いない。

 

 * * *

 

 結局、お昼休みギリギリまで食べるのに時間が掛かってしまった二人は、今後の対応策を何も練ることが出来なかった。

 八幡は手に持っていた雪乃の箸と空になった弁当箱を包みに戻し、自身の弁当箱と重ね合わせて腕に抱え込むと口を開く。先程までの行為に今更ながら襲い掛かる羞恥心と戦いながら。

 

「今日も最高に美味かった。で、誤解させた件だけど……」

 

 彼の目に入ったのは、海側へと戻っていく暖かな風をくすぐったそうにする雪乃の姿。彼女はそのまま特別棟の方へと歩を進めると、スカートを棚引かせながら振り返る。

 

 そして、昔から変わらない稚い笑顔を彼に見せた。

 

「――兄さん、私が待ち望んでいた学校生活は平穏じゃなくて、こんな風に一緒に過ごすことだけなのよ」

 

 雪乃の最後の最後まで可愛らしい唇を塞ぐ行為に、八幡は返事も出来ない程に言葉を失っていた。「また放課後に会いましょう」と口にし、楽しそうに教室へと戻っていく彼女を追うことも出来ない程に。

 

 今回、残念ながら雪乃の思惑から外れてしまったのは、ただの一点だけ。

 

 最後の一手だけは、彼の口をしばらく閉ざすことができなかったのだから。

 

 




結構とんでも設定ですが、受け入れてくれる方が多くて嬉しかったです。
またご感想頂けると嬉しいです!

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