妹ノ下雪乃さんとのラブコメは間違っていない。   作:kuronekoteru

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雪ノ下雪乃はそうして彼に出会っていた。

 

 それは、私がまだ小学校に上がる前の頃だった。

 

「……雪乃ちゃんはお姉さんとは違って、子供らしい素直さで良いね」

 

 社交場で父の影に隠れていた私に掛けられた言葉を、私は素直に受け取って頷いていた。その人の顔は今でも思い出せる。柔和な笑みを浮かべる優しそうな初老ぐらいの男性だった。

 姉に比べて不出来と言われることが多かった私は、そのことが嬉しくて母に帰るなり報告をしていた。それを聞いた母は黙って私の頭を撫でてくれたけれど、直ぐにソファーから立ち上がって父の部屋へと足早に向かっていく。

 どうして行ってしまうのか分からなかった私は、こっそりと父の部屋の前まで歩いて聞き耳を立ててしまった。

 

「無理して雪乃をああいう場には連れて行かない方が良いと思いますよ」

 

 愚かだった私は、母のその声色で漸くあの言葉が褒めていなかった事に気付くのだった。この日、この時から、私は段々と他人が怖い存在かもしれないと認識をし始める。

 小さかった私には相手の何を信じれば良いのかが分からなかった。表情も言葉も声色も、何もかも上辺だけは取り繕われているかもしれない。そう思うと、日ごとに臆病になっていく。だから私は知り合いと会うことでさえ極力避けるように変わっていった。

 

 私が父に連れて行かれることを拒否をするようになると、代わりに姉が外出する頻度が更に多くなった。姉はきっと多くの人に愛想を振る舞い褒めてもらうのだろう。ただでさえ差のあった私と姉の評価は、従前よりも顕著に現れるようになってしまった。

 

 そんな時だった。父が私にだけ知り合いの家に暫く泊まるように言ってきたのは。

 

 何かあった時の為にと父から渡された子供用携帯電話を手にして向かった家には、優しそうな女性と怪しげな男性の夫婦、そして大きな歳の差は無さそうに見える兄妹が待っていた。

 

 何かあったらすぐに連絡するように念を押すと、父は私を運んできた車に乗って去っていく。耳に残っていたのは父の言葉よりも、私を置いて行った車の大きな排気音。これから私はどうしたら良いのだろうか。

 

 黙って見送った道路の端には、巻き上げられた落ち葉と砂埃が言葉にも出せない私の不安のように積っていた。

 

 

 ここで暫く過ごして欲しいと案内された部屋は、自分の部屋よりも幾分か狭く感じた。兄妹の部屋は二人で一つだそうで、私は机とベッドが用意された場所に一人で佇む。

 

 そこで遂に我慢出来なくなり、貸し与えられた部屋で私は一人で静かに泣いていた。きっと私は姉とは違って不出来だから捨てられてしまったのだろうと。室内には私の小さな泣く声だけが反響し、誰にも届くことなく消えていく。それがまた一段と私の心を削り、独りぼっちになった悲しみを一人で慰めるしかなかった。

 

 だが、静寂も一人の世界も長くは続かなかった。

 

「おーい、でてこいよー」

 

 扉の外から私を呼び掛ける男の子の声がした。歳が近いから遊んで来いなどと両親に言われて嫌々やって来たのだろう。

 けれど私は彼の到来を挽回するチャンスだと思い込み、服の裾で涙を拭くと扉の方へとゆっくり歩いた。携帯電話はあるのだから、頑張ったことを父に伝えたら帰れるかもしれないなんて淡い期待を胸にして。

 

 臆病な自分を抑えながら扉を開けると、身長は殆ど変わらないのか、私の目の前には自分より少しだけ大人びた彼の顔。そして何が可笑しいのか分からないけれど、男の子が私に得意げに笑い掛けてくる。私も彼に合わせようと意識をして笑顔を作ろうとしていた。

 

「おお、やっとでてきたな……。えっと、どうかしたのか?」

 

 彼は私の顔を見るなり、みるみると分かり易く笑みが失われていく。また何か失敗をしてしまったのだろうかと不安になった私は、押し込めた筈の涙を一粒落としてしまった。

 

「おい、だいじょうぶかよ。なぁ、……ぐすっ、どこかいたいのか?」

 

 目の前の男の子もどうしてか涙し始める。彼の涙声を聞いている内に堰を切るように止め処なく流れてしまう大きな粒がフローリングを叩いていった。止めなくてはいけないのに、私の身体は言うことを聞いてはくれない。

 

「ぐすっ、ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 嗚咽交じりに謝る私を小さくて細い、けれど温かい腕が包み込んでくれた。そして私の耳元には泣いている彼の嗚咽が煩い程に響き始める。私も彼の身体にしがみつくように腕を回し、掻き消されてしまう程度の泣き声をあげていた。

 

 煩かった彼の声を有難いと思えたのは、泣いてしまう私を分かってくれて、それでも尚受け入れてくれて、感情表現の苦手な私の分まで補ってくれた気がしたから。

 

 

 そのまま泣き疲れて寝てしまった私たちは、彼の両親に部屋のベッドへと一緒に運ばれていた。後から聞いた話だけれど、私たちはどちらも手を離そうとはしなかったらしい。

 私が痛みを感じて目を覚ました時、目の前にある男の子の顔に驚くよりも先に、彼の目元が酷く腫れていたことを嬉しく思っていた。

 

 この人は表情も言葉も声色も、涙だって本物かもしれないと。

 

 暫く彼の顔を寝転がったまま眺めていると、不意に男の子の瞼が開いた。彼は起きると目を大きな丸にしたが、すぐに私の目元に優しく触れて言葉を紡ぐ。

 

「いたそうだけどだいじょうぶか、……えーっと、ってまだじこしょうかいをしてなかったな。そっちのなまえは?としは?」

「名前は雪乃で5才、こういう時は自分から言うものでしょ」

 

 私は可愛げもなくそんな風に返していた。けれど彼は気にすることなく、嬉しそうに私の名前を何度も呼び始める。

 

「ゆきのか、おれは6さいだからおにいさんだな。それとゆきの、おれのいもうとのなまえもかわいいんだぞ!」

 

 彼は結局自身の名前を明かさずに大きな声で話し始める。そして、その声に共鳴するように扉の外からはバタバタと騒がしい足音。私は何事かと怪訝な顔を浮かべたけれど、彼はその音を聞いて嬉しそうに笑い始めた。

 

 間もなくして、バンと勢い良く扉は開けられた。そこには彼に似た顔をしている小さな女の子の姿。

 

「おにいちゃん、もうおきてるー?」

「おー、小町!」

 

 小町と名前を呼ばれた彼の妹は、相も騒がしく私たちの下へと早足で駆けてくる。そのままの勢いでベッドに登ると、兄の身体の上にまで乗っていく。最終的には彼を下敷きにしてうつ伏せに寝転がった。

 二人にとっては特段珍しいことではないのか、彼は気にすることなく妹の頭をわしわしと撫でて甘やかす。その光景が私には眩しく見えた。

 

 普通、兄妹とはこんなにも寄り添った関係なのだろうか。もしかしたら、自分も姉に素直に甘えても良かったのだろうか。眼前で触れ合っている筈なのに自分には遠い光景に思え、枯れたと思っていた瞳がまた潤みそうになる。

 

 二人を直視出来なくなった私は次第に俯いていくと、突然に頭部に軽い衝撃を受けた。

 

 何事かと伏せていた視線を上げると、私の頭上で手を動かす彼の笑みが見えた。今思えば、丁寧でも優しくでもない撫でまわし方だったけれど、私がその時に最も欲していたモノだった。

 

「……まだ、全然足りない」

 

 だから、その手が止まってしまわぬようにぽしょりと言葉を零す。余りにもへたっぴな、私なりの甘えるような言葉を。

 

「おう、まかせとけ」

「ずるいー、こまちもなでてー!」

 

 我が儘な少女たちの言動で彼は笑って両方の腕を必死に動かし始める。その腕は、息を切らせて彼が根を上げるまでずっと動き続けてくれた。

 疲れ果てて妹さんに顔パーツ弄りを無抵抗でされる彼に、私は最後に言葉を伝える。今回ばかりは搔き消されないようにはっきりと。

 

 その横顔を見詰める眼差しには、もう涙する気配もありはしないから。

 

「…………ありがとう、お兄さん」

 

 彼がにこりと笑ったのを見て、私も久し振りに自然と頬が緩む。それは、ずっと忘れていた感覚。その時、私は彼がどうして泣いてくれたのか分かった気がした。

 

 

 夏の終わりも近かったある日。

 私は初めて彼に出会い、そして──兄に甘えることを覚えた。

 

 




短いけれど過去のお話でした。
登場人物に悪い人は1人もいません。

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