妹ノ下雪乃さんとのラブコメは間違っていない。   作:kuronekoteru

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妹ノ下雪乃さんとテニスの王子様。

 

 気付けば月を跨ぎ、新緑眩しい季節がやってきた。燦々と降り注ぐ太陽からの視線が初夏の気配すら感じさせている。

 その暑い青空の下で行われる体育授業、その種目が陸上からテニスへと変更になった。我が校の体育は3クラス合同の選択希望制であり、今回のもうひとつの選択可能種目はサッカーである。残念ながら、前回の相棒であった材木座はサッカーの方へと吸収されてしまったようだ。希望者が偏り、じゃんけんという名の真剣勝負に負けてしまったのだから仕方あるまい。

 

 俺としてもペアを組んで打ち合う相手を失ってしまったので、今日からは顔馴染みの壁さんにお世話になるしかあるまい。体育教師の厚木(あつぎ)を何とか言い包め、俺は一人コートから外れていった。

 これは正に、漫画の描写でもよく見る、延々と壁打ちをしている主人公の光景になるだろう。全く同じ場所に打ち返し続けて、ボール1個分の跡しか残さない。

 当初はその高みを目指そうかとも思っていたが、実際に打ってみても跡なんて殆ど見えることはなかった。

 

 そんなこんなで、何故か見ていて愛着が湧く壁さんとラリーをしていると、突然と何処からかボールがひゅいっと飛んできた。それを拾いに近付いてきたのは、茶髪にヘアバンドをしている男。由比ヶ浜曰く、『とべっち』だったろうか。

 

 そのボールは足元近くに転がり落ちたので、俺は手で拾って投げ返してやる。すると、難無くキャッチした彼は、如何にも軽そうな口調と態度で話し掛けてきた。

 

「めんごめんご〜、……ってヒキタニさんじゃん」

「ヒキタニって誰だよ、俺は比企谷だ」

 

 俺は何度も口にしたことのある訂正の言葉を無心で放った。実際、読み方が複数ある萩原、渡部、我妻のように読み間違いを強制する苗字もあるので、ある程度は仕方がない。特に我妻は本当に酷い、高確率で間違えちゃう。

 

「……あれ、そうだっけ? まぁ、あだ名ってことでよろしゃす!」

 

 あまりに軽すぎる言動にずっこけそうになったが、これは由比ヶ浜の所属しているグループでは当たり前の対応なのかもしれない。彼女も三浦も呼び方に『ヒキ』までしか使ってくれてないしね……。それに呼び間違いを愛称とするのは鉄板ではあるので、この男を責める気には到底なれなかった。

 

 その後、とべっちは手刀のポーズで感謝と謝罪を笑顔で振り撒きながら、元居たコートの方へと足早に戻っていった。彼の周りだけ重力が弱いんじゃないかと思う程に色々と軽々しかったが、何だか憎めない不思議な男である。

 

「さっきのマジで魔球っしょー!」

「あはは、あれは取れねーわー」

 

 何だかやけに騒がしい声がしていたコートは、奴が居た場所だったらしい。騒がしいも特徴に追加しよう。

 そこでは、あの如何にも好青年代表みたいな男──葉山も楽し気に笑っていた。彼の周りには多くの人が群がっており、その中心でラケットを握り込んで周囲に何かを教えている。顔も良ければ性格も良いらしい。

 

 俺にしては珍しく他人を気に掛けているのだが、それは決して僻みから来るものではない。では何故か。理由は簡単、ぐうの音も出ない程のイケメンで、雪乃の知り合いだから……。

 

 お兄ちゃんは、誰であろうと、絶対に、許しません。

 

 そんな憎悪とも呼べる強い気持ちを込めて、俺は壁に渾身のサーブを繰り出していく。この時、俺は初めて壁に綺麗なボールの跡を残すことが出来たのだった。

 

 * * *

 

 後日の昼休み、またしても俺は略奪者である由比ヶ浜に雪乃との時間を奪われていた。遠くでは、先月までは行われていなかった女子テニスの自主練習が行われている。その光景と爽やかな風がもたらす葉擦れの音に癒されながら、俺はゆったりと愛妹弁当に舌鼓を打ち鳴らしていた。

 だが眼前でぽつりと最後に残っているのは、偶然にも雪乃とお昼を食べられない日のみに存在するようになったプチトマト。それを嫌々咀嚼をして、綺麗に空となった弁当箱を閉じていく。雪乃と二人で食べる時は、最初から最後まで幸せたっぷりなのにね……。

 

 俺がしみじみとトッポに通ずる感傷に浸っていると、後方からパタパタと二人分の足音が近付いてきた。一つは元気で快活さを感じる音。もう一つは聞き間違える筈もない、愛らしい足音。

 

「わぁ……、本当にこんなところで食べてるんだ」

「おい、俺のベストプレイスを馬鹿にしたか? 取り敢えず表に出ろや」

「残念ながら、ここが既に表よ」

 

 冗談交じりに喧嘩腰になると、愛する雪乃から気持ちの良いツッコミが入る。俺は満足気に振り返ると、そこにはやはり雪乃と由比ヶ浜が立っていた。

 仲睦まじい二人は、海側へと戻っていく風に髪とスカートを手で押さえながら隣に寄ってくる。比較的長めの雪乃ですら不安なのに、由比ヶ浜の短さでは不意に見えてしまうのではないかと心配にもなった。

 

「ちょっと暑くなってきたから、風が気持ちいいねー」

「だな、……ってか何か用事か?」

「由比ヶ浜さんが飲み物を買いに行こうって言うから、序でに色々と確認をね……」

 

 そう口にすると、雪乃は俺の顔から手元の弁当箱までをざっくりと眺める。彼女の言う確認とは、まさか生存確認だろうか。流石に一時間程度で干からびるにはまだ気温が足りていない。というか、雪乃と小町を置いて簡単にはくたばらないぞ。

 

 そのような他愛もない話を三人でしていると、テニスコートで練習をしていた女テニの子が、校舎側へと向かって来る様子が視界に入った。由比ヶ浜はジャージ姿の彼女を知っているようで、稚さを感じる明るい嘆声を漏らすと、話し掛けるために一歩前へと足を踏み出していく。由比ヶ浜は見るからに小顔なのに、とても顔が広い。

 

「さいちゃん、テニス部の練習おつかれさま!」

「ありがとう、由比ヶ浜さん」

 

 ショートカットに中性的な顔立ち、そして華奢で色白。そんな美少女と言って差し支えない彼女は、首に巻いたタオルできらりと輝く汗を拭きながら労いの礼を告げていた。

 明るく声を掛け合う二人の様子を共に見ていた雪乃は、頬に手を当て場にそぐわない訝し気な表情を浮かべている。その表情のまま、自身を疑うような声色でそっと言葉を漏らした。

 

「……ノーマークだったわね、どうしてかしら」

 

 妙な言い回しが気になりはするが、恐らく雪乃は彼女を知らなかったのだろう。部室に初めて来訪した由比ヶ浜のことは当たり前のように知っていたので、よもや同学年の全生徒を把握しているのかと思っていたのだが、流石にどうも違ったらしい。

 

 見覚えのない庇護欲を誘うような顔立ちをぼんやり眺めていると、さいちゃんと呼ばれていた子は不意に俺の方へと視線を移す。そこには屈託のない微笑が添えられていた。

 

「比企谷くんだよね。前から格好良いと思ってたけど、テニスも上手で憧れちゃったよ」

「お、おう……どうも?」

 

 珍しく真正面から他人に褒められ、少しばかり照れてしまいそうになる。それにしても、現在女子は体育館での授業の筈なのに、まるで見ていたかのような口振りに違和感を覚えた。

 

 湧いて出た疑問に首を傾げていると、サボンの良い香りが急に強くなる。隣を見やれば、いつの間にか肩が触れてしまいそうな距離に雪乃が座っていた。そして、世界一可愛らしい横顔から、平時よりも一層に真剣な声を発する。

 

「急にごめんなさい、私は雪ノ下雪乃。あなたのお名前を聞いても良いかしら?」

「うん、僕は比企谷くんたちと同じクラスの戸塚彩加(とつかさいか)です。雪ノ下さんのことも勿論知っているよ」

「……えっ、すまん、クラス替え直後だからか知らなかった」

「えっと、一年生の時も同じクラスだったんだけどなぁ……」

 

 ボクっ娘にテンションが上がって話に割り込んでしまうと、戸塚はあからさまに落ち込んだ様子を見せる。由比ヶ浜も「そもそもクラス替え直後じゃないし」とドン引きの言葉と視線を俺へと向けていた。今回は完全に俺が悪いので、何とか良い感じの言い訳を見繕い、直ぐさまフォローを入れようと試みる。

 

「あー、……クラスの女子で認識してるのは由比ヶ浜と三浦くらいなので」

「あはは、僕男の子なんだけどなぁ……」

「……なるほど、それなら知らなくても無理はないわね」

 

 俺はあまりにも非現実的な真実に絶句しているのだが、雪乃は雪乃で不穏なことを独り言のように呟いている。これが俺のことを言っているのであれば、女子しか認知していない不埒な男でないことを早めに訂正しなければならないだろう。だがきっと、自身が知らなかったことを言ってるだけって信じるからね……。

 

 そんな願うような視線で雪乃を見つめていると、今更ながらに肩が触れる程の距離感だと気付いた様子。顔をそっと赤らめ、ほんのばかり座る位置をずらしていく。可愛い。そうして拳一つ分の距離を作ると、彼女は戸塚に向かって、綺麗な艶めく長い黒髪を垂らすように頭を下げた。

 

「戸塚くん、さっきは失礼な物言いをしてごめんなさい……」

「ううん、別に失礼だとも思わなかったし気にしてないよ」

 

 男と分かっても尚、いや寧ろ可愛く見え始めた戸塚が身振り手振りを添えて対応している。雪乃の物言いが失礼だったかは分からないが、完全に失礼だった輩に心当たりがあったので、俺も便乗して頭を下げていった。

 

「俺は間違いなく失礼だったわ、すまん」

「本当だよ、もう。……さいちゃんごめんね? あっ、あたしたち奉仕部って部活をしてるから、もし困ったことがあったら言ってね。お詫びってわけじゃないけど協力するよ!」

 

 由比ヶ浜も一緒に頭を下げて謝ってくれていた。その姿、行動はまるで母親か姉のようである。

 彼女の時折見せる大人びた表情や、相手を畏まらせない気遣い方などから年上感を抱くことはあるのだが、こうして第三者も交えて行動されると実感が凄い。あと横から見える包容力と母性の塊みたいな物も本当に凄い。

 

「……えっと、それなら頼んでもいいかな?」

 

 その言葉を口切りに、戸塚は我が奉仕部にある依頼をもたらしたのだった。

 

 * * *

 

 次の日の昼休み、俺たち奉仕部は戸塚と共にジャージ姿でテニスコートへと来ていた。不幸にも道中で拾ってしまった材木座もおまけ付きで。

 

 戸塚の依頼は、簡潔に言えば『テニスが上手くなりたい』というものだった。自身の為よりも部全体としての未来を憂いての願いだったことから、昼休みも返上で協力することになっている。

 お弁当は空いた時間にささっと食べられるようにと、由比ヶ浜と戸塚の分も合わせて雪乃が色鮮やかなサンドイッチを作ってくれていた。本当に天使。戸塚も天使に見えることもあるし、由比ヶ浜も割と女神寄りな気もするので、此処は天上かもしれない。嘘です。天井もありはしません。

 

「やばっ、ゆきのんのサンドイッチほんとに美味しい!」

「わ、我にも一口だけ頂けないでしょうか……」

「多めに作ったから、一つくらいなら別に構わないわよ」

 

 あんな酷い小説を読まされたというのに、雪乃は意外にも材木座に対して好意的に接していた。何なら、「また書いて欲しい」とすら口にしていたのだから驚きである。俺と一緒に読んでいた時は結構辛辣なことを言っていた記憶があるんですけどね……。

 

 まぁ、今のところは執筆に対するモチベーションが上がるばかりで、雪乃に対して妙な行動を取ったりはしていないので見逃している。先程も戸塚に対してデレデレだったし、単純に可愛いに対しての耐性が低いのだろう。

 俺は世界一可愛い妹たちとひとつ屋根の下で過ごしているので耐性は世界最強レベル。最近は日々可愛いが更新される雪乃にボコられている気がしなくもなくもなくはないが。

 

「では、そろそろ特訓を始めましょうか」

「うん、よろしくお願いします」

 

 テニスという競技において、どうすれば上手く強くなれるのか。その答えは人によって異なるだろう。だがしかし、間違いなく共通している部分もある。それは『筋力』だ。お願いマッスルと祈るのが手っ取り早い。

 だから、初日は戸塚の実力を測りつつ、足りていない筋力を鍛える手筈になっている。筋肉を付けることでダイエット効果が期待できると聞き、由比ヶ浜と材木座も一緒に腕立て伏せを始めていた。材木座は兎も角、由比ヶ浜に必要は無い気がする。

 

 何だか艶めかしい声が聞こえる気もするが、それを無視して今後の練習メニューを相談するために、雪乃と二人で木陰へと向かっていく。それにしても、蛍光グリーンの正直ダサいジャージですら可愛く見える雪乃は本当に国宝級の造形美。

 

「この調子だと、そう簡単にはいかなそうだな」

「そうね。……けれど私だって筋力はないのだし、動きだけでも身に着ければ上手くはなれると思うわ」

 

 確かに雪乃も筋力は無いのだが、それを補って余りまくる程の圧倒的なセンスが備わっていた。大抵のことは三日もあればマスターしてしまうし、漫画のようなテクニックすら彼女の前では不可能にはなり得ない。無論、光る球や「滅びよ……」みたいな技は出来ないけどね。あれはテニヌであって、テニスではない。

 

 自信に満ちている愛らしい横顔を信じたい気持ちは勿論あるのだが、ことスポーツに於いては感覚の違い過ぎる者への指導は難しいだろう。特に天才とそうじゃない者とでは、並大抵以上の努力か愛でもないと埋めることも出来ない、大きな溝があるのだから──。

 

 そんな拭えない不安を抱えたまま、俺は別箱に用意されていたサンドイッチをぱくりと口に含む。雪乃謹製の調度良い塩気の効いたベーコンレタスサンドに舌鼓を打ち、溢れ出る感情を言葉として漏らしてしまった。

 

「……美味い、毎日食べたいくらいだ」

「ふふっ、兄さんには毎日作ってあげてるじゃない」

 

 下手をすればプロポーズのようにも聞こえてしまう言葉に、雪乃は嬉しそうに微笑んで応えてくれる。本来であれば、『毎日味噌汁を作って欲しい』だろうが、これは実際に毎晩雪乃が作ってくれているので今後も使うことが出来ない。一生大切にするも、世界で一番愛しているも、今と何ら変わりはないので不適当であろう。そのような生産性のない、馬鹿げたことを考えてしまうくらいには浮かれてしまっていた。

 

 隣に座る彼女も、自身の弁当箱からトマトの挟まったサンドイッチを取り出して、その小さな口で少しずつ頬張っていく。特段に気を使って会話をする必要もない、極めて穏やかな時間。依頼を請け負っている最中の忙しい昼休みではあるが、木陰で並んで食事をする時間が取れるのであれば文句はある筈もない。

 自然と口元を綻ばせて、俺はもう一つのサンドイッチを手に取った。柔らかな白いパンの間には、ぎっしりと卵が挟まっている。これもどれも大好物だ。

 

 二日振りとなった雪乃との昼食は、やはり最後まで──幸せだけが一杯に詰まっていた。

 




戸塚の依頼編の前編でした。次回は後編になります。

また、多くの感想と評価を頂き誠にありがとうございます!
お気に入りも気が付けば1000を超えていて驚きでした……。
今後とも、感想等頂けると嬉しく思いますのでよろしくお願いします。

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