『────チッ、クソどもが。どいつもこいつも嘗めた真似しやがって』
ある日、自分を嵌めた不良の何人かを返り討ちにした刃が近くの階段に腰掛ける。口元に垂れた血を拭っていると、階段の下の方で座っている人物に気付く。
『アイツは………』
前に見たことがあった。子供と老人を庇うように不良相手に痛めつけられながら、土下座をしていた同級生の青年だ。その時は不良を全員連れていき、自分の前で不愉快なものをみせたと言う名目で徹底的にぶちのめした。
少しだけ、彼に興味があった。弱者でありながら他の人のために自分を差し出す覚悟すら見せた奴。口に出すだけでまともに改善させられない馬鹿とは偉い違いだと一目置いていた刃は、己の興味に従い、青年に近寄った。
『………よぉ』
『え?────わ、わぁ!?』
あまりにも人相が悪すぎたからか、振り返った青年は明らかに驚いていた。そんなに驚くかと思ったが、不良やチンピラをぶちのめして回る暴君として知れ渡っている自分の顔を見れば、普通驚くかと納得した。
『悪かったな、驚かせるつもりはなかった。少し前に、テメェに遭ったことを思い出して、声をかけようと考えたんだが』
『前に?…………あ、もしかして!君ってあの時助けてくれた人!?』
感謝をしようと立ち上がったハジメに、刃は突き出した手で制する。フン、と鼻を鳴らし、険しくした顔つきで睨み返した。
『勘違いすんじゃねぇ、あの屑どもがムカついたからだ。テメェなんぞ助けるつもりで割って入ったんじゃねぇよ』
『そ、そうだよね………えっと、ごめん……』
『………………いや、助けようとは少し思った。こっちこそ、余計なこと言った。謝る』
どうにも、素直になれない。あまり馴れ合うと自分が、暴君としての自分が甘く見られるかもしれない。不良として周りの相手を潰して来た刃からしたら、こうやって対面して相手と話すのは久しい感覚であったのかもしれない。
いつのまにか、気が抜けていたのだろう。
『っつーか気になってんだけどよ、いいか?』
『え?ど、どうしたの………?』
『お前、何読んでだ?それ、面白いのか?』
自然な様子で、ハジメが読んでいたものに興味を覚えた。両手に持って静かに読んでいたその本に目を向けていた刃に気付いたハジメは、隠すこともなく話し始めた。
『う、うん………これ、ライトノベルって小説でさ、最近アニメが出てきたばかりで、一巻を読み直してたんだ』
『ふーん、文字ばっかなんだな。俺、本とか漫画とかもあんま読んでなくてなぁ。こういうのって、飽きねーのか?』
『そんなことないよ!文章だけでも世界観が分かるし、普通に動きも想像できるから………本当に面白いんだよ!』
『…………そんなに、面白いのか………』
そういうものは縁がなかった。娯楽なんてもの知らず、不良との喧嘩や特訓、孤児院のサポートに明け暮れていた自分にとっては、創作物だのの娯楽は到底触れたこともない未知のものであった。
本当に気になるのか、チラチラと興味本位の視線を向ける刃。そんな彼に気になったのか、ハジメはふと聞いた。
『………あの、読んでみる?』
『は?いや、お前読んでるんだろ?途中で借りるのはちょっとな』
『いや、僕は全部読んでるし、読み直してるから大丈夫だよ。それに、読んだ方がいいよ。面白いんだから!』
『そっか、じゃ読んでるぜ』
ここで遠慮するのは返って失礼、と律儀なところを見せた刃はハジメから渡されたライトノベルを開き、静かに読み始めた。最初は文字の多さに辟易としながら読み進めていたが、途中から楽しそうに震えながら口を開き出した。
『───おい、おいおいおい、何だよこれ。面白ぇじゃねぇか、序盤からこんな風になってくのかよ!これってヤバくねぇか!?』
『そうだよね!?ここまでするなんて思わなかったら、僕も最初はドキドキしてたんだ!』
『それによ、まさかコイツが黒幕とは思いはしねぇーだろ!ホントにビックリしたぜ!よくこれだけで見抜けたもんだな、コイツも!』
『うんうん!実はね、少し前の話でもそれを指摘されてたんだよ!………ほら、ここら辺。主人公との戦いで話されてたこの文章もね………』
『マジか!そういうことかよ!普通に読んでたけど、真相知るとスゲー面白ぇじゃねぇか!』
それから、本当に楽しい時間を過ごした。自分の知らない創作の世界、こんな面白いものに今まで触れてこなかったのか、と彼は少し複雑であった。後悔はなくても、これらの作品を知らなかった事実が口惜しい。
『あー、面白れー。ホントにサイコーな作品だぜ、もっと早く知ってても良かったなぁ………』
『実はね、これ続きがあるんだよ。ライトノベルの方も、十巻以上出ててさ………』
『ハヘ!?マジかよ!?あークソ!ホントに飽きさせねぇじゃねぇか!…………でも、流石に今は金足りねぇし、読みてぇけどよぉ』
ここまで親しく接するのは刃自身も予想すらしてなかった。本人が思う以上に、彼への信頼があったのだろう。自身の懐事情に困った顔で項垂れる刃に、ハジメは心配しながらも声をかけた。
『じゃ、じゃあ家に来る?一応僕も全巻持ってるから、読めるし』
『ま、マジか!?初対面の相手にそこまでするとは───お前、いやもうお前なんて呼べねぇ!ダチと呼んでいいか!?』
『だ、ダチかぁ………』
流石にその呼び方に思うところがあったのか、苦笑いするハジメ。ん?と刃は疑問を覚えた。自分を慕う珍しい不良は友達のことをダチと呼んでいた。だが、合わないのかもしれない。
そう思っていた刃は、特に不満を見せる様子もなく、代わりの呼び名を思いついた。
『じゃあ親友でどうだ?俺にここまで優してくれた奴は他にいねぇし、恐れなかったのもお前くらいだ。もう、唯一無二っつってもいいしな』
『親友って、僕でいいの?』
『お前以外、そう呼べる奴はいねぇさ。むしろ俺みたいなのが親友になって迷惑じゃねぇか?』
『ううん、迷惑だからって友達を選ぶつもりはないよ。こんな僕でいいなら、親友になっていいかな?』
『当たり前のこと言うなよ、親友』
ハッ! と狂暴な笑顔で笑う刃。しかし彼の笑顔には敵意はなく、むしろ嬉しそうな感情に染まっていた。手を差し出し合う互いの手を握り、二人は自身の名を名乗り合う。
『────俺は刃。黒鉄刃だ。これからよろしくな』
『う、うん。僕は南雲ハジメ。よろしくね、黒鉄くん』
『これからは刃って呼んでくれよ?親友!』
それが、刃にとって唯一無二の親友の出会いの記憶だった。
◇◆◇
「─────ぅ、ん」
目覚めた刃の視界には、白の世界が映る。それが天井だと気付いた彼はゆっくりと体を上げた。自身に掛けられた毛布を下ろし、ベッドから降りようとした瞬間、
「───ッ…………っぁ───」
刺すような痛みが腹から響き、思わず呻く。自身の着込んだ白い服、おそらく病人の服装と同じものを開き、腹部を覗く。腹の部分には包帯が何重にも巻かれてあった。そこから黒っぽい赤が少しだけ滲んでおり、掌でそっと触れてみると、激痛が脳を支配した。
冷や汗が浮かび、全身を気持ち悪い感覚が覆う。口をガタガタと震わせ、今まで経験したことのない痛みに堪えていた刃だったが、突如部屋に誰かが入ってきた。
白い服の女性、恐らくは医療関連の人間だろう。彼女は驚いた様子で走り去っていく。開け放たれた扉を見ていた刃は、ベッドから降りて部屋を後にした。
足が上手く動かない。よろけるように壁を歩き、彼は前へと進む。自身が気を失った後どうなったのか、全てを知りたかった。這うように進む刃は前を見据え、ただ必死に力を込めて歩く。
「…………クソッ、何日寝てた………?」
「────三日だ。もう昼を過ぎている」
よろけながら歩く刃の前に、誰かが立っていた。見知った剣士の男が、目を細めながら見下ろしている。
「重傷なのに動くとは、感心しないな。………俺が言える話でもないが」
「ハヤテ、団長………っ」
「そこら辺で休め。お前の知りたいことを伝えてやる。エリュシオンから任された訳だしな」
そう諭され、施設内の広間にある椅子に腰掛ける刃とハヤテ。痛みを和らげる薬草を渡され、苦い顔をしながらそれを食んでいた刃に、ハヤテは事後報告を伝えていた。
「まず一つ、お前が壊滅させた暗殺者の捕縛は完了。そしてイレギュラーたる侵入者もお前が撃退した。お前達の言う、愛子先生とやらは無事だ。傷一つない」
「それ、なら………!」
「極秘作戦は成功。捕縛した刺客から教会によるものだと自白させた。これを期に、王は教会を追い詰めることが出きる」
良かった、と安堵を漏らす刃。しかし隣で彼を見ていた刃の顔色は嬉しそうなものではない。複雑そうな顔で黙っていたハヤテは静かに口を開く。
「これはお前に伝えるべきか悩んだ話だ」
「………?」
「お前が倒れたその日、勇者達───お前の仲間達が帰還した。大迷宮で四魔王の一角、魔王ガイアドゥームと遭遇したらしい」
魔王の存在を座学で聞いていた刃は驚きを隠せなかった。そんな中、まだ刃にとって聞き逃せない話が続いた。
「死者は少なくない。騎士団からは騎士五名が死亡。問題はこれから─────お前の仲間達の一人が大迷宮の奈落に落下し、行方不明となった」
「────まさか」
「……………行方不明になった者は、南雲ハジメという名前らしい」
思わず椅子から転げ落ちる。飛び出そうとして、激痛に痛み足を取られたのだ。それでも前に進もうとする刃を、ハヤテが呼んだ。
振り返り、椅子に座った剣士の男を見据える。しかし男は止める様子すらなく、何なら早く行けとでも言うように薬草を投げ渡し、淡々と答えた。
「ここから歩けばお前達の休む施設まで時間は掛からん。真実を確かめたいなら、自分の眼で確かめてこい。その間、ヒナ達のことは俺が止めておいてやる」
「…………ありがとうございますっ、ハヤテ団長」
素直ではない恩師に頭を下げ、刃はその場から去っていく。彼が向かう先は、遠征から帰ってきた仲間達の元であった。
◇◆◇
ハイリヒ王国王宮付近の外宿宮。外来の客を泊める為のその施設は、今は異世界から招かれた生徒達の安らぎの場となっている。
その広間に、全員が集まっていた。迷宮攻略から三日が経ち、魔王の襲撃とハジメの奈落への落下という事件を経た彼等はあまりにも活気からかけ離れていた。
魔王の圧倒的な絶望感とクラスメイトが奈落に落ちた事実が、彼等の心に重くのしかかっているのだ。自分達は選ばれた人間であると思っていた彼等の期待を裏切る現実を前に、無力感に苛まれている者が大半だった。
しかし、例外的な存在もいる。一番やる気に満ち溢れている光輝であった。
「───皆、気持ちは分かる。大迷宮で出会った魔王はあまりにも強かった。そこで受けた挫折も恐怖も、相当なものだと思う。けど、俺達が今もこうしている間に、多くの人が苦しんでいる。いつまでも俯いている訳にはいかないんだ」
強く、全員の心に響かせるように話す光輝。広間にいるクラスメイト達に語りかける彼は、このままではいけないと落ち込んでいた皆に声をかけていた。
しかしカリスマも高く、人気者であった彼の言葉はそう簡単に皆の心には響かない。それほどまでに、今回受けた心の傷は大きいのだ。
「…………いい加減にしろ、光輝。お前はもう少し言い方を気を付けろ」
「咲夜───けど、事実だろう。俺達が戦うことを決めた以上、何もしない訳にはいかないんだ」
「………戦うことを決めたのはお前自身だ。皆にその責任を押しつけるな」
低い声で光輝に反対を示す咲夜。いつも冷静沈着である彼にしては目の隈も酷く、苛立ったような様子であった。ピリピリとした空気を放つ咲夜に、光輝は悔しそうしながらも、言葉を紡いでいく。
「咲夜、南雲を助けられなかったことが悔しいのは分かる。けど、こんな場所で立ち止まってちゃ駄目だ。南雲だって、そう言うはずだろ!?」
「ッ!ふざけるな!どうしてそんなことを平然と言える!?お前は、お前は!!人の心を持ってないのかッ!?」
「委員長!やめてッ!」
「光輝も落ち着け!それは流石にダメだろ!?」
諭すような言い方の光輝に、激昂した咲夜が殴りかかろうとする。そんな咲夜を雫や遠藤が押さえ込み、光輝を宥めるように龍太郎が前に出た。
あまりの混乱がずっと続いている。不安そうなクラスメイト達をずっと案じ、一人ずつ相談し、穏やかに宥めた咲夜の心境は複雑なのだろう。
いち早く戦いに出向こうと、仲間達の心を考えようとしない光輝に咲夜も爆発寸前であり、さっきのように激情するのも何度目かの事だった。
その時だった。
彼等のいる広間の扉が大きく開け放たれる。全員の視線がそちらに向き────全員が大きく目を見開いた。
「…………刃」
「…………はぁっ………はぁっ……」
包帯を何重にも巻かれた腹を押さえながら、青い顔で荒い呼吸を整える刃。王国に帰還した彼等は、刃が先生を狙う侵入者と交戦し、その結果腹を抉られる重体となったことも知っている。最強と思われていた彼が意識不明となったのも、クラスメイトの何人かが戦意喪失した理由でもあった。
そんな彼が意識を取り戻したことに、何人かの顔に笑顔が浮かぶ。安堵した彼等であったが、すぐに言葉が出なくなることになった。
「─────ハジメは?アイツは、何処だ?」
「…………ッ」
「いるんだろ?ウソだよな?アイツが、行方不明って、奈落に落ちたって────そんなワケ、ねぇよなッ!?」
必死に、全力で否定するように叫ぶ刃。誰もが彼の言葉に頷くことは出来なかった。答えられない、答えられるはずがない。
咲夜自身も怒りが消え去り、その場に立ち尽くしていた。歯を噛み締めた唇が切れたのか、血が滲んでる。刃程ではないが、ハジメと親しかった二人も言葉が出ないのか、黙っていた。
虚しく響く刃の言葉。それに答えたのは、意を決したように口を開いた光輝であった。
「南雲は────奈落に落ちた」
「……………っ」
「俺達を、皆を逃がすために、魔王を足止めしようとして、突然現れた魔物に襲われて奈落に引きずり込まれたんだ。すまない、俺に力が足りなかったから────」
言葉は続かない。
歩み寄ってきた刃が、光輝の胸ぐらを掴み、壁に叩きつけたのだ。止めようと動いた雫達を、咲夜が制する。沈黙を貫き、その様子を見届ける姿勢でいた。
「テメェ…………どォいう、ことだァ?」
「………う、くっ」
「皆を、救うんじゃなかったのか?全員を元の世界に返すって!偉そうに宣言してたじゃねぇか!!ハジメはどうしたァ!?何も出来なかったのかよテメェはァ!?アイツは、全員の中に入ってなかったってかァ!?」
激情し、光輝にそう怒鳴る刃。分かっている、彼に当たるのは無責任だ。本当に責任があるのは、責められるべきは自分自身であるとよく理解している。あの時、王様の頼みを断っててでも一緒についていけば、何か変えられたかもしれない。
絶望にうちひしがれたのか光輝に怒鳴っていた刃の声は小さく、掠れていき、静かになっていく。胸ぐらを掴む力が緩み、彼はその場に膝をつくように座り込んだ。
そんな刃に、光輝は辛そうな顔で肩に手を添える。肩を掴んだ光輝は、刃を励ますように口を開いた。
「すまない、黒鉄………いや、刃。君の親友を、南雲を死なせたのは俺の責任だ。俺が強ければ、俺がもっとちゃんと動けていれば、南雲を死なせることはなかったんだ」
「…………」
「でも、安心してくれ。もう二度と、こんな事を起こさせない。俺は皆をちゃんと守ってみせる。死んだ南雲も、きっとそれを望んでくれてる。だから、刃、一緒に力を合わせて戦おう」
落ち込んだ刃を慰めるような光輝の言葉。それを聞いた刃は震えながら顔を上げ、
「……………………………………………………………………………………………………は、?」
信じられないようなものを、見る目をしていた。
長い沈黙を経て、絞り出した声がそれだけだった。蚊が泣くようなか細い声。弱々しくも現実を受け入れられない青年の姿がそこにあった。
いや、違う。現実を受け入れられないのではない。彼は純粋に、理解ができなかったのだ。
「本気で言ってるのか?本気でハジメが、死んだと?」
「…………あぁ、そうだ。だからこそ、俺達が彼に報いるように戦わなきゃ───」
「いや、違う…………待て、そういう意味じゃない」
再び覚悟を口にする光輝に、刃は否定を口にする。そして光輝の言葉から感じられた違和感。ある矛盾を、言葉にして確かめた。
「ハジメは……落下したんだろ?迷宮の底に落ちただけだろ?何で死んだ事になってんだよ?見たのか、あいつが死んだ姿を……………」
「………………」
「誰も見てないのに、誰も見てないのに死んだって事になってんのかよ………?おかしくねェかそれ!?」
刃は思わず叫ぶ、信じられないといった様子で叫んだ。そのまま顔を歪め、カチカチと歯を鳴らした。光輝は静かに目を伏せる。クラスメイトの死は、不良の彼でも受け入れられないものだと。
しかし、全く違う。そもそも前提が。彼が恐れているのは、目の前の現実ではなく、目の前にいる幼馴染みの青年だ。
「……………オマエ、イカれてるよ」
彼が歯を鳴らしていたのはハジメが死んだと認めたからではない。目の前にいるこの男はこうも簡単に仲間の死を受け入れた。いや、ハジメの死を受け入れた。あまりにも、簡単に。
その顔から、まるでハジメが死んで心から良かったと思っているように感じた。喜んでるように見える光輝に、刃は怯え恐怖したのだ。
「お前の話が本当なら!クラスメイトが死んだんだぞ!お前の目の前で!なのに何故だァ!?何故そんな平然としてやがる!!」
「平然、だって!?俺がそんな風にしてる訳ないだろ!俺だって悔しかった────」
「じゃあなんで、勝手に決めつけてんだよ!!悔しいんなら、助けに行くだろ普通!!なんで何もせずに平然と帰ってきてんだよォ!!!
なんでそんな呆気なく死んだって!認めてんだよ!?」
それが、刃のよく知る光輝という青年だ。自分勝手な馬鹿だとは思っていたが、その正義感だけは嘘をつかないと信じていた。彼がクラスメイトの喪失を簡単に受け入れて、諦めるような人間ではないと。
嫌いではあったが、心の中では微かに信じていた。天之河光輝という青年が、自分とは違い大勢の人を救い、幸せに出来る人間だと。
だから、剣道を辞めたのだ。だから、好きだった彼女への想いを諦めたのだ。彼なら、きっと彼女も────雫の恋心に応えてくれる、と。
迷宮攻略に参加しなかったのも、ああ口では言っているが、ハジメの事を助けてくれると信じていた。ずっと、彼がそう言っていたから。彼の正義感を、最後の最後まで信用したのだ。
それが、幻想だったと理解させられた。これが、彼という人間の本質なのだろう。彼はきっと、心の奥底でハジメが死んで喜んだはずだ。彼が好意を持っていた香織の近くにいる邪魔者が消えたのだから。だからこそ、普通は仲間の事を諦めたりしない光輝が、ハジメの死を受け入れたのだ。こうも、簡単に。
失望が、彼の心を覆った。彼がどれだけ嫌っていても、信用し続けていた幼馴染みは、自分の親友の死を望むように受け入れたのだ。
ふと、光輝が力なく項垂れる刃に声をかけようとする。そんな彼が伸ばした手を凄まじい力で払い除けた刃は、憎悪に満ちた眼で彼を睨む。
言葉が出ない幼馴染みを強く睨みながら、彼は告げた。
「────オマエを信じた、俺が馬鹿だった」
本当の意味での決別を。幼馴染みという理由だけで、彼の正義感を信じていた自分の愚かさを打ち切るように、彼を背を向けて歩き出す。
「ハジメを助けに行く。まだ奈落の底で生きてるはずだ」
「だから南雲は────」
「────黙れ、もう何も聞きたくねェ」
殺気を放ち、光輝を黙らせた刃はその場から出ていった。腹部の痛みを感じさせないような、決意に満ちた眼で彼は前に進む。
彼は、諦めてすらいない。
親友を助けるという意思を固めた彼の歩みは軽いものでありながら、強い足取りであった。
◇◆◇
「………刃は、何を考えているんだ。こんな時、皆で力を合わせないといけないのに」
「────本気で言っているのか」
信じられないといった様子で悔いるように呟く光輝に、咲夜は細めた眼で睨みながら言う。不安かつ心配そうな生徒達を解散させ、リーダー同士で広間に残っていた二人は今後の方針を語ることにしたのだ。
「それより、咲夜。香織は大丈夫なのか?」
「────今、王宮で休ませている。ヒナ団長曰く、精神的に不安定な状態だ。当分休む必要があるとのことだ」
「香織………どうして香織がこんな目に…………咲夜、香織は何処にいるんだ?せめて俺が話せば落ち着いてくれるはずだ」
「馬鹿を言うな。その香織を不安定にさせた張本人が何を言っている」
淡々と光輝の言葉を切り捨てる咲夜。魔導本を読みながら答える彼の様子は冷淡に近く、あまりにも感情を見せないものである。
途中まで読んでいた本を閉じた咲夜は一息吐き出し、正面から光輝を見据えた。
「…………光輝、昨日の続きだ。もう一度理由を聞かせろ」
「理由?何を───」
「何故檜山を庇った。俺を納得させる理由を、説明して見せろ」
先日から、いやハジメが奈落に落とされたその日から、咲夜はハジメが奈落に落ちたのは人為的であり、その原因を担っているのは檜山だと、光輝に主張していた。
しかし光輝は、何度も檜山を庇った。同級生が、クラスメイトがそんなことをするはずがないと、強い意思で信じ込んでいるのだ。
「何度も言ってるだろ。南雲は魔物に襲われたんだ。魔物を操って南雲を殺したって証拠はないのに、檜山を疑うのはあんまりだろ?」
「殺したという言い方は止めろ。正確には奈落に落としたんだろう。…………確かに、魔物に関しては確証はないな。だが確実なものはある。檜山は一度、ハジメを狙って魔法を撃っている」
「あの時の事なら、それこそ確証はないはずだ!皆が魔法を一斉に撃ってたんだ!南雲に当たってもなかったし、そうだとしても事故の可能性はあるだろ!?」
「真後ろで軌道を変えた魔法が誤射?事故だと思うか?」
何より、魔法を防がれた瞬間に戸惑った檜山の態度が咲夜にとって確信ともなる答えであった。おそらくは、あの魔物も檜山が動かしたのだろう。だが、彼一人で魔物を操れるとは思えない。何か、大きな存在の影が隠れていると彼は考えていた。
「俺の理由は変わらない。────檜山はそんなことしない。仲間を間接的に殺すなんて、考えすぎだ。咲夜も、辛いのは分かるけど、南雲の死を大層な陰謀と考えるのは───」
「─────分かった、もういい」
バッサリと咲夜が鋭い声で切り捨てた。そのことに光輝は思わず、分かってくれたかと安堵していたが、実際は違う。
光輝を見る咲夜の眼は絶対零度のように鋭く、凍てついていた。先の言葉自体の意味を理解しない光輝だが、咲夜はとある事実を向けて言い放った言葉である。
「光輝、香織は俺達が守る。お前にはもう託せない」
「ッ!香織をどうする気だ!」
「分からないか、あの娘は絶対に落ち込むだけじゃ済まない。あの子にとってハジメはどれだけ大切な人だか分かるか? きっと精神的な負担は大きい。それなのに自分勝手な都合で無茶をさせる気なら、ここで安静にさせた方がまだいい」
声を荒立てて怒鳴る光輝に、咲夜は冷静に反論する。愚者と賢者、その二人を表すのには相応しい意味だと思う。最も、愚者という言葉が比喩ですらない事実が目の前にあるのだが。
それ以上の言葉を呑み込んだ光輝。実際に咲夜の言葉が正論だったからだろう。否定ばかりではなく、黙り込むしかなかった。彼を見た咲夜は広間から出ようと扉に手を掛ける。その直後、振り返らずに口を開いた。
「言っておくが、香織を励ますとか言って来るなら追い払う。どうしてもお前に会わせるつもりはない。香織には、もう二度と声をかけるな」
轟音が炸裂した。勢いに任せて掴みかかった光輝が薄い光の壁に弾かれたのだ。魔力によるバリアを展開した咲夜は冷徹な目で睨み付ける。
「じゃあどうする?出会った時に、なんて声をかけるつもりだ?また『俺も苦渋の選択だった、南雲が死んだのは仕方なかった。けど香織も、南雲の死も乗り越えるべきだ』とでも抜かす気か?………あの娘がどれだけ傷つくと思っている」
「そ、それは────」
「理解しろ光輝。俺は今のお前に、着いていきたいとは思わない。それは香織も、同じだろう」
動く事は出来なかった。最後まで咲夜の顔、理解出来ない物を見るような異質なもの。彼の顔には並々ならぬ敵意が滲み出ていた。
◇◆◇
扉を介して、咲夜は王宮のとある部屋へと転移した。彼が学んだ魔法の一つであり、転移魔法の上位の魔法である。
咲夜が辿り着いたのは、小さな小部屋だった。机や椅子だけ、そして一つの扉────それを守るように左右で立っていた二人の男女、広大と雨音がいた。
突然現れた咲夜を見て安堵した二人に、咲夜は聞いた。
「…………香織は?」
「まだ起きませんよ。それも仕方ないですけど……」
奥の部屋で、香織は静かに寝かされていた。精神的に不安定な状態であった彼女は咲夜によって寝かされ、その後医療騎士団による治療を受けた。
それでも彼女は目を醒まさずにいた。不安に思う人が多い中、咲夜は仕方ないと考えていた。想い人が、目の前で奈落に落とされたのだ。それを助けられなかったと知れば、どれだけ錯乱することか。
目を伏せた咲夜は静かに、二人に呼び掛けた。
「二人に伝えておく」
「どうした?」
「何か?」
「ハジメを奈落へ落とした火球。俺はアレを打ったのは檜山だと考えている────いや、確信している」
そのことを聞いた二人の反応は各々別であった。
「流石にそりゃねぇだろ………イジメてたって、クラスメイトを殺すなんて………」
「いえ、確かにありますね。檜山さんのアレはただの嫉妬ではないです。彼なんかいなければ───そんな感じの悪意がありました。あの混戦に乗じて事故を装って殺そうとするのも有り得なくはありません。彼は前々から、ハジメさんに好意を持つ香織ちゃんを狙っているようでしたし………」
「…………クッソォ!!」
納得したように呟く雨音の言葉を受け止めたのか、広大は悪態を吐き捨てるしかなかった。頭を抱えた広大はすぐさま立ち上がり、叫ぶ勢いで言う。
「咲夜!俺もハジメを助けに行きてぇ!黙っている訳にはいかねぇんだ!!」
「それは私もです。彼は良い人です、あんな風な扱いは許されていい筈がない。あの奈落の奥底で苦しんでいるのも、見過ごせる訳がありません」
「二人とも落ち着け。探しに行きたいのは俺も同じだ」
今すぐにでもハジメを助けに行こうとする二人を落ち着かせる咲夜。彼等三人は、ハジメの死を疑ってすらいない。信じているのもあるが、その言葉は何故か確信的である。
まるで彼が生きている証拠が存在しているのか、彼等の言葉に迷いはなかった。
「
「………けどよ」
「彼を信じろ。俺達には、俺達のやることがある」
完全には納得出来ない広大を諭すように、咲夜は言った。
「檜山は香織に好意を持っていた。彼女が好きだからこそ、ハジメにあんな事をしていた。今度は香織に手を出す可能性もなくはない。その場合、俺達が守るんだ」
「…………間接的に人を殺すような奴だぞ。俺達にどうにか出来んのかよ………」
「だからこそ覚悟を決めろ。クラスメイトを護りたいのであれば、たとえ誰であろうと──同じクラスメイトでも、皆を傷付けるなら殺す覚悟を持て。さもなくば誰も守れない。それがこの世界だ」
賢者の言葉に、二人は覚悟を決めたように頷いた。皆を死なせずに元の世界に生きて連れて帰る。その目的を果たすために、同じ仲間を疑い、場合によっては殺す覚悟を。
没ネタで咲夜がハジメを落としたのは檜山かもしれないと刃に伝えて怒り狂った刃が、檜山を殺そうとして光輝に止められるというものがありました。
没にした理由は皆がいる場で咲夜が皆を混乱させるような事をわざわざするかと思ったからです。確信はしてますが、皆の心境を考えて黙ってるみたいな。
清水の今後について
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生存その1(生き残るけど戦えない)
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生存その2(護衛組の一人として戦う)
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死亡(無慈悲に死ぬ。全員曇る)
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意識不明の重体として途中退場