トレーナー君はおしまい!–タキオンの薬で『女の子』になった男トレーナーが担当ウマ娘にお世話される話– 作:カンヌシ
高級リゾートの宿泊室のような一室で、鏡の前に立つトレーナーはサトノダイヤモンドの言葉に衝撃を受けていた。
「サ……『サトノトパーズ』……?」
「そうだよ、トパーズちゃん。私たち、たった2人の姉妹じゃない♪」
トレーナーはワナワナと震えて再び鏡の中を覗き込む。どれだけ受け入れ難い事実でも、鏡はありのままの現実を写すだけだった。
トレーナーに見えるのは、やはり色違いのパジャマを着た『2人』のサトノダイヤモンド。こんな可憐な少女たちを見れば普通なら微笑ましくなるのだろうが、いかんせんその内の1人は彼自身なのだ。驚きと混乱しか湧いてこないのは仕方のない事だろう。
トレーナーは鏡の前で手をグッパグッパし、そっと自分の顔に触れた。彼は指先でプニプニとしたハリと弾力のある瑞々しい『乙女の柔肌』を感じ、鏡の中の自分も全く同じ動作をしているのを見た。
「お……俺は、どうしてしまったんだ……」
「……ねぇ、トパーズちゃん」
理解不能な事態に慄くトレーナーをサトノダイヤモンドは正面から優しく抱き締めた。
「本当にどうしたの? 怖い夢でも見ちゃったの? 言葉遣いも男の人みたいにして……私に何でも言って欲しいの……トパーズちゃん」
「えっ、あっ、ダイヤ!? なにして……うぅ!?」
トレーナーは自分に密着した暖かく柔らかいとした感触に戸惑った。何よりも自分も同じ身体をしているのだ。2組の『ふわふわ』がぶつかり合って大変な事になっていたが、ダイヤは構わずギュッと抱き締めてくる。姉妹ならばこれは普通の事なのだろうか。
トレーナーは何とかダイヤを引き剥がして、その両肩に手を置いた。
「ダ、ダイヤ……本当なんだ。俺はトレーナーだ。お前を担当してきた……トレーナーなんだ!」
「……トレーナーって、トパーズちゃん……」
ダイヤは困ったような顔で言う。
「『私たち』のトレーナーさんなら、ここには居ないわよ。多分、今もトレセン学園に居るとは思うけど……」
「えっ……?」
トレーナーはダイヤの言葉を訝しむ。
「『私たち』のトレーナーって……どう言う事だよ、ダイヤ!?」
「えっ……だって私たち姉妹で同じチームに所属してるじゃない。だから、トレーナーって『トレーナーさん』の事よね? 何でトパーズちゃんが自分を『トレーナーさん』だって言うの?」
トレーナーは更なる追い打ちに困惑した。何故ならダイヤが『トレーナー』という存在が他に居るかのような言い方をしたからだ。
「もしかして何か新しい遊びのつもり? うーん、だったら……私たちのアルバムと、映像も少しならあるから一緒に見よっか」
ダイヤはどこからか取り出したリモコンを操作した。すると……
ヴーーーーーーンッ……!
とした音がして、壁が開いて中から巨大なスクリーンが登場した。金持ちがやりそうな無駄にハイテクな収納のようだった。ここがサトノの屋敷ならこれくらいは普通なのだろうが、庶民であるトレーナーが驚くには十分過ぎた。
トレーナーが目をぱちくりとさせてスクリーンを見ていると、ヴォンと起動音が鳴り、続けてダイヤの操作によってフォトアルバムが開かれた。それを見てトレーナーは既視感を覚えた。それらの中のいくつかは仕事用のパソコンにも共有保存されている写真だったからだ。
だが……同時に違和感も覚えた。
「あ……れ? 何で、ダイヤが2人……」
そう、それらの写真にはチームメンバーの皆と本来の自分が写っていた。しかし、そこには自分の記憶にないもう1人の『ダイヤ』も一緒に居た。
2人のダイヤは色違いでお揃いの耳飾りを付けていた。1人は右耳に、もう1人は左耳に。誰がどう見ても双子の姉妹だった。
「あった! 数ヶ月前の走行フォーム確認の為に撮って貰った動画」
ダイヤはある動画にカーソルを合わせて再生させる。動画の中で2人のウマ娘が並走トレーニングをしている。彼女たちは走り終わるとトレーナーの元へ駆け寄っていった。
『トレーナーさんっ! どうでした、私の走り? 以前よりもずっと凄く調子が良くなってると思いませんか?』
『ああ、ダイヤはペースが乱れなくなってきたな。その感覚を忘れるなよ』
トレーナーはこの会話は覚えていた。数ヶ月前のことだが、担当ウマ娘の成長過程を忘れる事はプロとしてあり得ないからだ。だが……
『トレーナーさん、トレーナーさんっ! 私は私は!? 私は褒めてくれないんですかっ!?』
『トパーズは末脚に磨きがかかってきたな。キレが段々良くなってきているぞ』
『えへへ〜』
「!?」と、トレーナーは驚愕の表情になる。映像の中の自分がもう1人のウマ娘に『トパーズ』と呼びかけ、そのウマ娘は無邪気な笑顔を浮かべていた。それは彼の記憶の中に存在しない場面だった。
「あ……え……?」
「他にも……これとか、これとか!」
ダイヤは続けて数本の動画を再生する。そのいずれにもトレーナーは覚えはあったし、記憶との相違は無かった。ただし、一点『サトノトパーズ』というウマ娘の存在を除いては……
「ねっ、トパーズちゃん! これでも自分がトレーナーさんだって言うの?」
ダイヤは自信に満ちた声でしたり顔で言った。トレーナーは己の存在そのものの危機を感じて足元がふらつく。だが、そこは天下のトレセン学園のトレーナー魂で踏みとどまる。ウマ娘と……特にあのロイヤリティーズと過ごす中で鍛え上げられた精神力と根性は伊達ではない。
「で、でも、これは合成された映像かもしれないっ! サトノグループならそれくらいの技術力を持っていてもおかしくないだろ!? これがCGで作られたものじゃないって証明出来るのか!?」
「……………………むぅ」
ダイヤはぷくっと頬を膨らませると、徐ろにトレーナーに近づいた。そして……
ムンズッ!と彼の『耳』を掴んだ。
「ひゃうっ!」
「この耳も……」
彼の『尻尾』を掴んだ。
「ひぅんっ!」
「この尻尾も……」
彼の2つの『膨らみ』を掴んだ。
「ひゃわあああああ!!!」
「この胸も……全部CGだって言いたいの? トパーズちゃん、往生際が悪いよ」
ふにふにふにふに、とダイヤは揉み続ける。
「ひゃぅ!! ま、ストップ!! ちょっと待て、ダイヤっ!! あぅぅ!!」
ドサッと、トレーナーは膝から崩れ落ちる。無意識に女の子座りになり、胸を両腕で庇っている。
「ううぅ……」
「さぁ、もう『トレーナーさんごっこ』は終わりにして着替えよう? トパーズちゃん」
トレーナーは差し出されたダイヤの手を取って、ゆっくりと立ち上がる。顔を赤らめているが、その瞳からはまだ闘志は消えていなかった。彼は諦めの悪い性格だった。だからこそ、チームのウマ娘たちをまとめ上げられたのだ。
「うぅ……まだだ……俺は直接この目で確かめない限りは認めないぞ! 本当にお前の言うトレーナーが居るのか確認しなくてはならない! すぐにトレセン学園へ行こう!」
「えっ……」
ダイヤは途端に、とてもとても悲しそうな表情になった。
「トパーズちゃん……それ本気で言ってるの?」
キュッと手を胸に当てて、ダイヤは俯いた。その様子にトレーナーはちょっぴり悪い事をしてしまった気持ちになる。
「……トパーズちゃん、こっち来て」
ダイヤがトレーナーの手を引っ張って、ベランダの方へ移動した。カーテンをガラス戸を開けて、そのまま外へ出る。
「…………わぁ」
その光景にトレーナーは思わず声を漏らした。ただのベランダだと思っていたそこは、テニスコート4つ分くらいの広さのあるオープンテラスだった。そして、テラスの外に目を向けると、自然豊かな緑と美しい白い砂浜が見えて、その先に青い青い水平線がどこまでも続いていた。まるでハワイを思わせるような、常夏の島の景色だった。
「って、えええええええ!? どこだ、ここ? 何でこんな場所に!?」
「ここはサトノグループが所有するプライベートアイランド、毎年ここにキタちゃんも一緒に遊びに来てたじゃない。今回は予定が合わなくて残念だったけど」
「プ、プライベートアイランド……そんな……」
「……もう、そんな大事な事まで忘れたフリするの? トパーズちゃんのイジワル……」
ダイヤはトレーナーの手をがっしりと掴んで離さなかった。
「最近はレースと他のお仕事続きで、ずっとずーーーーーっと休暇なんて取れなかったでしょ? だから頑張ってスケジュール調整して、やっとの思いで3日間のお休みを頂けたじゃない。こんなの本当に久しぶりで……せっかく2人で……姉妹水入らずで過ごせると思ったのに……トパーズちゃんはトレセン学園に戻りたいの……?」
ウルウルとダイヤの目が揺れる。トレーナーは言葉に詰まってしまった。
「……そっか、ごめんね。楽しみにしていたのは、私だけだったんだね……トパーズちゃんの気持ち、私分かってなかった……」
「うっ……」
トレーナーの心が罪悪感で染まっていく。彼は実際、サトノダイヤモンドがレースとサトノ家としての役目を両立する為に多忙な日々を送っている事は知っていた。彼にとってはこの状況は異常でしかないが、ダイヤにとっては久々に姉妹と過ごせる貴重な時間だったようだ。彼は迷い思考を巡らせる。そして……
「……分かったよ。3日間は……ここで過ごす。そしたらトレセン学園に戻るんだろ? だったら……良い」
ぱあああっ……とダイヤが輝いた笑顔を見せる。彼女の心の底からの嬉しそうな表情に、トレーナーも安心した。笑顔が似合わないウマ娘なんて居ないのだ。
「良かった! いっぱい、いーーーーーっぱい楽しもうね、トパーズちゃん! ところで、まだそんな男のヒトみたいな喋り方するの?」
「これは、その……この方が今は落ち着くから……」
ふーん、とダイヤは目を細めるが、すぐに元の笑顔に戻る。
「ま、いっか! トパーズちゃんは変な事をするのはいつもの事だもんね! じゃ、部屋に戻ろっか。私、お腹空いてて早くお朝食を取りたい気分なの」
サトノダイヤモンドは『双子の妹』の手を引いて部屋へ向かって歩き出す。トレーナーもつられて歩き出した。
(……俺はトレーナーだ。それは間違いないはずなのに……この状況が、何よりもこの身体がそれを容赦なく否定してくる……)
トレーナーは後ろの一瞬振り返る。そこには変わらず青い水平線が見えるだけだった。再び前を向いて、下を見るとパジャマの下から突き上げる『膨らみ』が歩くたびに揺れていた。それを見て彼は顔を赤くさせる。自分が『女の子』の身体になっていると、嫌でも自覚させられる。
(これが今の俺の身体……もしも、本当にもしもだが……これが本当の現実で、トレーナーをしていたのが夢だったのなら……俺は……)
ゾクリとトレーナーの背筋を冷たいものがなぞった。彼は不安を振り払うように顔をブンブンと振ると、ダイヤと一緒に部屋の中へ戻るのだった。
この先果たして自分はどうなってしまうのか、彼には全く想像もつかなかった……
おやおや、トレーナーさんの様子が……