トレーナー君はおしまい!–タキオンの薬で『女の子』になった男トレーナーが担当ウマ娘にお世話される話– 作:カンヌシ
「トパーズちゃん、そろそろお朝食に行かない? 私、とってもお腹すいちゃった!」
キラキラの宝石の様な笑顔でサトノダイヤモンドは双子の妹のサトノトパーズ(トレーナー)に呼びかける。その声で彼はハッと我に帰り、柔らかいほっぺを数度揉んで気合いを入れ直す。
(ダメだ! 気をしっかり持て、俺! 俺はダイヤのトレーナーだ! それは間違いないんだ、間違いない……はずなんだ……)
トレーナーの心に一瞬不安がよぎる。もしこのまま戻れなかったら……とネガティブな方へ思考が傾いてしまう。
(そうだ……とにかく、今は食事だ。脳に栄養を送れば何か現状の打開策が浮かぶかもしれない。少なくとも、このままではネガティブな事しか考えられない)
「うん、朝食……食べよう。えっと、どこに行けばいいんだ? ダイヤ」
「もう、今日はずっとそのトレーナーさんの振りで行くの? まあいっか、一緒に行こ♪」
ダイヤはトレーナーの手を取って歩き出し、そのまま2人は連れ立って部屋を出ていく。トレーナーが背後をチラリと見ると、4人のメイドたちはお辞儀をした姿勢のまま見送っていた。使用人が居る生活などしたことのないトレーナーは、その光景を見てなんだかむず痒くなるのだった。
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サトノダイヤモンドはサトノトパーズの手をしっかり握ったままパタパタとスリッパ音を鳴らして廊下を進む。
ダイヤが一瞬振り返ると、彼女の『双子の妹』が物珍しそうに廊下の壁や天井の装飾品を見上げながら歩く姿が見えた。
彼女はクスッと微笑むと、進む方向である正面を向き直って……
(計画通り……です!)
物凄く悪い笑顔を浮かべた。某漫画の新世界の神になる男ばりの悪人ヅラである。
(本当にトレーナーさんが私そっくりに変身した時は驚きましたが……この貴重な機会を1秒たりとも無駄には出来ません。先立ってサトノグループの子会社に協力を要請しておいて大正解でした!)
当然だが、トレーナーは異世界に来たわけでも、サトノトパーズなるウマ娘に憑依したわけでもない。アグネスタキオンの発明した奇怪な薬により『気絶する寸前に強くイメージしたものに変身した』だけである。
(ふふふ……全てはサトノの未来、そして私の悲願を叶えるため……『トレーナーさんサトノ化計画』の成就にまた一歩近づきました!!!)
そう、サトノダイヤモンドの願い、それはトレーナーと婚姻を結ぶことである。だがそれは、彼女の所属するチームの他3人のウマ娘も同様であった。
『シンボリ家』のシリウスシンボリ、『メジロ家』のメジロアルダン、とある国の『王家』のファインモーション……敵対するにはあまりにも強大な相手である。
権力、財力、コネクション……サトノがいかな巨大企業グループでも、いずれでもかの三家には劣ってしまう。しかし、サトノにはサトノにしかない武器がある。
それはテクノロジー
最先端の科学技術と、それを扱える頭脳と設備をサトノグループは有しており、サトノダイヤモンドはそれらを『使える』立場にいる。
先のダイヤがトレーナーに見せた映像群、あれらは勿論、まだ世に出ぬサトノの映像音声合成技術によって作り出されたものである。一般人には一目では決して合成だとは見抜けない。
だが、そこで活きるのがトレーナーがウマ娘化しているという事実。映像は疑えても、神経の通った肉体を疑うのは難しいのだ。古来より、嘘を信じさせるコツはそこに真実を混ぜる事とよく言われる。トレーナーが女性でもあるウマ娘に変わってしまったならば、その強固な事実の上に塗られた嘘も多少の真実味を帯びるものだ。そして、それはトレーナーの心を揺さぶるのに十分な効果を発揮した。
(サトノのゲーム開発部門の方々が一晩でやってくれました! 後でボーナスを与えるよう社長さんに言っておかないと♪)
そして、サトノダイヤモンドの計画はこれでは終わらない。このプライベートアイランドという場で外部の情報を遮断するのは当然として、彼女はこの島に居る全てのサトノに従事する者たちに『トレーナーをサトノトパーズとして扱う』よう指示していた。
しかも、『仮にサトノトパーズという妹が存在した場合』の文庫本1冊分のシナリオを構想し、全ての使用人がそれを暗記している。そしてこの島に居る使用人たちは全て諜報活動の特殊訓練を受けており、自己暗示レベルの演技が可能である。むしろボロを出す可能性が1番高いのがサトノダイヤモンドなのだが、彼らのフォローは完璧なため心配する必要はほぼ無い。
(ふふふ……この3日間、ここでトレーナーさんに私の妹として過ごして貰い、深層意識に『自分がサトノ』である事を植え付ければ、他のメンバーには目もくれず彼の心はサトノ家に惹かれ続けるはず! そうして行く行くは本当にサトノに成るのです! 完璧なプランです!)
「ふふっ、ふふふふふ♪」
サトノダイヤモンドはしっとりと微笑んだのだった。
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「わぁっ、海がとっても綺麗だね、トパーズちゃん! まるで宝石が散りばめられてるかのようにキラキラと輝いてて」
「う、うん……そう、だね」
コテージとは名ばかりのお屋敷で朝食を済ませた2人は、この島のビーチまで歩いてきていた。2人は日除けのためのワイドブリムハットを被っており、その見た目はセレブのお嬢様そのものだった。
白い砂浜に青い海、燦々と輝く太陽という高級リゾート地のようなロケーションが贅沢にも貸し切り状態である。
朝食の時にトレーナーはダイヤから聞いたのだが、この島はサトノグループのリゾート実験施設も兼ねているらしい。なので歩道は整備されており、少し離れた市街地エリアには職員が利用できる商店やゲームセンターも設営されているとのこと。その島の様子はまんまハワイのような雰囲気だった。
「ってか、ビーチどころか島が丸ごと貸し切り状態みたいなものなんだよな……流石は大規模コンツェルンだ……」
トレーナーが庶民との格の差を見せつけられていると、びゅうぅ!と強い風が吹いて、スカートが捲り上がりそうになる。
「ひゃあ!」
「ふふっ、今は私しか居ないんだから恥ずかしがらなくてもいいのに。うーん、潮風も心地良い……」
帽子を片手で押さえ、ワンピースを風に靡かせ目を細めるサトノダイヤモンドの姿は、正に絵画に描かれた一場面のようだった。
トレーナーは同じ顔、同じ身体でも自分ではああも絵にはならないだろうと確信していた。
(うう……しかし、何でスカートってこんなに心許ないんだ! 歩いてる時もずっとスースーして落ち着かないし、トレセン学園のウマ娘たちはよくこんなもの着けて生活できるな……感心するよ)
トレーナーがグイッとスカートの裾を直してボーッと海風の吹く先を見ていると、ダイヤが振り向いて彼に尋ねる。
「トパーズちゃん、どうしたの? そんなボーッとしちゃって。あっ、やっぱりさっきのお朝食で人参グラッセ食べ過ぎたからでしょ? いくら美味しくても、朝に5回おかわりは食べ過ぎだよ?」
クスッと妹を嗜める姉の様な顔でダイヤは言った。
「いや、それは……おっしゃる通りで……うぅ」
トレーナーは10数分前のことを思い出して恥ずかしくなる。
〜〜〜〜〜
着替えが済んだ後、2人は豪華なダイニングで朝食を取ったのだった。きっちりと揃えられた食器を前にして、トレーナーは庶民の出の自分では色々と粗相をしてしまうのではないかと危惧したが、結果としてそんな事はなかった。
何故なら、チームメイトのウマ娘たちが彼を色んな場所へ引っ張り回そうとすることもあり、彼女たちによってテーブルマナーはきっちりと仕込まれてしまっていたからだ。
カチャカチャと最小限の音を立ててお上品に朝食を食べるトレーナーの姿はまさに『お嬢様』そのもの。そんな自分にトレーナーはまたアイデンティティを失いかけて、人知れず心の中で嘆いていた。
トレーナーはフォークで皿に乗っている大きな人参グラッセを刺した。ナイフを添えるとスッと力を入れずとも切れる。そして、それを何となしに口まで運んだ。
口の中で、人参グラッセを噛む。その瞬間、トレーナーの口から脳にかけて電撃が走った。
「〜〜〜〜〜っっっ!?♡♡♡」
この世の物とは思えない美味しさに、トレーナーの目の中にハートマークが灯った。
トレーナーは別に人参が好物というほどでもなかった。好きでも嫌いでもないと言った感じだ。好きな食べ物は魚料理全般、特に美味い寿司とビールがあれば優勝して幸せな気分に浸れる一般男性である。
だが、この瞬間……彼の中の『好きな食べ物ランキング』の1位がこの人参グラッセに切り替わった。
いや、『切り替えさせられてしまった』
「ふふっ、サトノのシェフが作る人参グラッセは久しぶりね。トパーズちゃん、この人参グラッセ……『大好きだった』もんね?」
「はっ!?」
気づいた時にはトレーナーの皿の上から人参グラッセが消えていた。夢中になり、一瞬で平らげてしまっていた。
(こ、これは……ウマ娘の身体で食べる人参がこんなに美味いなんて……)
「おかわりもあるわよ?」
トレーナーの隣にカラカラとサービスワゴン(レストランとかにある食事を載せるカートみたいなやつ)がやってくる。使用人がその上に乗っている銀のクローシュ(料理に被せる大きな蓋みたいなやつ)を開けると、そこには大量の人参グラッセが……
「…………ゴクリ」
「ふふふ、おかわり……したいよね?」
トレーナーはウマ娘の肉体の欲求に抗う事は出来なかった……
〜〜〜〜〜
(うぅ、食欲に屈してしまった。俺が好きなのは寿司とビールのはずだ……なのに、今はそれよりも人参の方を求めてしまう自分が居る……!)
トレーナーは己が塗り替えられていく恐怖を紛らわせるように、ワイドブリムハットのつばを掴んで深く被り直した。その姿は食い意地を張った姿を見られて恥ずかしがる乙女のようだった。
だが、真実は違う。彼の自己同一性の危機はまだ去っていないのだ。
「トパーズちゃん、私このビーチを見てたらなんだか泳ぎたくなっちゃった。少し早いけど、そろそろ更衣室に行こうよ!」
ダイヤがトレーナーの手を取って再び走り出す。トレーナーも引っ張られるままに駆け出してしまう。
「え……更衣室? それって、うわぁ!」
グイグイと遊ぶのを待ちきれない様子でダイヤは進む。
トレーナーの試練は、まだまだ続く……
(一部の界隈で)よく『男性の脳は女性の快感に耐えられない』って話を聞きますが、『男性の脳はウマ娘の食べる人参の味に耐えられない』説も提唱するスタイルで行こうと思います。