Flos qui in fine vanitatis floruit 作:霜山美月
後のことは考えていません
ビルとビルとの隙間を抜けていく涼しげな秋風が裾を揺らし、外壁に反射する暖かな太陽光が私たちを照らす。
道路脇に立ち並ぶイチョウの木々は、もう数週間もすれば黄色く色づき、この季節の象徴として姿を変えていくことだろう。
それほど見てわかりやすい変化ではないにせよ、私だって変わっていくという一点において負けるつもりは毛頭ない。
スコルピウス――愛用しているサブマシンガンの弾倉に9x19mmパラベラム弾が装填されていることを再確認。替えの弾倉も十分にある。
銃を構えながら上着のフードを深く被り直して、二メートルほどの高さの塀を見上げた。
向こう側に立つのは、写真で見た通りの四階建てのビル。正面口以外はコンクリートの塀に囲まれていて、私たちのような招かれざる客を威圧している。……が、その割には経年劣化によるものかところどころ欠けており、そこを取っ掛りにして飛び越えるのはさほど難しくないようにも見える。
高さがあるのは事実なのでその先の景色はわからないが、作戦によればちょうどこの直線上に位置する窓が監視カメラの死角とのこと。そんな格好の侵入口の前で、今回の作戦に参加するメンバー六人は集っていた。
「最後にもう一度作戦を確認しよう」
立案者であるサッちゃんは、メンバーの顔を見渡しながら小声で言う。
陸八魔アル、浅黄ムツキ、鬼方カヨコ、伊草ハルカ……そして私。視線を交わした各々が、了承の意を頷きで示した。
「今から、私と姫がそこの非常階段を上って屋上に飛び移る。目的地に到達すれば、間もなく警備が集まって銃撃戦が始まるだろう……その音が合図だ。残りのメンバーが窓を焼き破って侵入、手薄になった階段を上がって目的地周辺を左右から奇襲。債務を回収できたら即座に撤退だ」
「了解。向かって左側の階段は私とムツキ、反対側は少し距離があるけれど、カヨコとハルカにお願いするわね」
「アル様のお役に立てるよう頑張ります……!」
「サオリは携帯の通話を起動しておくのも忘れずによろしく。突入班の状況は常に把握しておきたいから」
「くふふっ、メンバーも増えたし楽しいことになりそうじゃん?」
ある者は冷静に、ある者は誠実に、ある者は愉快げに。
それぞれが多種多様な反応を返し、便利屋68新体制の作戦行動が開始された。
「姫、行こう」
「了解」
踵を返したサッちゃんの後ろに続き、あちこち錆びている非常階段を上っていく。周囲の人々――特に目的地の敷地内の警備員に怪しまれないよう、大きな音は立てずゆっくりと。
目標の半分ほどの高さまで来て改めて辺りを見回してみれば、もう既に地面は遠く離れていた。
心配なのかじっとこちらを見上げているアルや、ハンドガンに弾倉をセットしサイレンサーを取り付けているカヨコ、緊張しているのかショットガンを抱えたまま微動だにしないハルカに、所有者の体つきも相まってより大きく重そうに見えるバッグを後ろ手に持ったムツキの姿も先程の位置にある。私を迎え入れてくれた彼女たちを失望させないためにも、初めての任務で失敗するわけにはいかない。
「あれは……」
目標の高さへ近づいていくにつれ、四階建てのビルの屋上が迫ってきた。先行していたサッちゃんが小さく声を上げたので、私も彼女と同じ方向を見やる。
「……ヘリポートなんてあったのか」
接近するにも人目を避けて裏路地を通ってきたし、ほぼ真下から見上げる分にも見えようがなくて気付かなかったが、ビルの屋上には一台のヘリコプターが鎮座していた。真っ白に塗装された機体が、陽の光を反射して煌めいている。
側面にドアガンが取り付けられているあたり、軍用であるのは間違いない。こんな代物を企業で所有しているだなんて、さすがはゲヘナ自治区……と言ったところか。
「撤退にはあれを使ったら? 私、乗ってみたい」
「駄目だ。第一キーがないし、奪えたとして操縦できる者がいない。上空だと逃げた方角も見えるから追跡されやすくなる」
「……わかってる。冗談で言ったのに」
「……そうか……」
マスク越しでもじとっとした視線が届いたのか、彼女は決まりが悪そうに口をもごつかせる。
相変わらず、サッちゃんは冗談が通じない。それを知りながら振った私にも非はあるのだけれど。
今は無理だけどいつかは乗せてあげよう、とか……そんな上振れた甘い回答が返ってくることをほんの少しでも望んでしまった私は、俗に言う面倒臭い子なのかもしれない。
「……と、とにかく。私が先に行くぞ」
想定していた高さの踊り場に辿り着くと、サッちゃんはわざとらしく咳払いをして、後ずさりながら更に垂直に位置する階段を五段ほど上った。
束の間の沈黙に息を呑む。
五段の段差と踊り場を合わせて最大でも助走はわずか二メートル強、乗り越えなければならない手すりの高さ一メートル強、ビルとの距離は目測約五メートル、それを見越しつつ踊り場の位置の都合もあって着地点との高低差は……これも五メートルくらいだろうか。
一般人なら足の竦む挑戦かもしれないが、例外があるとすれば私たちのような訓練を積んできた人間だ。現にその代表たるサッちゃんは、私が軌道を計算するより早く駆け出し、手すりに足を乗せ――躊躇いなく、跳んだ。
タァン――ッ!!
着地の衝撃が生んだ破裂音が、所狭しと並ぶビル街に響き渡る。
華麗に五点着地を決めた彼女は、その勢いのまま立ち上がり、振り向いて私を見上げる。
常人離れした技術を見せつけたところで、肩を張ったり表情を変えたりすることはない。
――次は姫の番だ、と……そう促しているだけだ。
四階建てのビルの屋上が五メートルほど下に見える高さというのは、地上から測れば一体何メートルになるのだろう。失敗すれば大怪我を負うのは免れない。
真下は路地裏だが少し外へ歩けば人通りもある。急に空から指名手配犯が降ってくるなんてことがあったら、明日にはクロノススクールの特ダネとして大々的に報道されてしまうことだろう……なんて。
物事を悲観的に捉えることでいつでも最悪のケースに対策を打てるように準備しておくのは、作戦行動を取る上で有用な心構えだと、昔、サッちゃんに教わったけれど。
少なくとも今はその時じゃない。許されていない失敗を犯した場合の言い訳ほど、考えて無駄なものはないのだから。
息を深く吐き、身体の重心を確認する。
そして私も彼女と同じように、階段を五段上から斜めに駆け下り――手すりに飛び乗って、両足で前方へ、跳ぶ――。
飛距離は十分。
推定五メートルの高さから落ちることによって生まれる衝撃は――両足の着地から間もなく脹脛へ、太腿へ、上半身を捻って背中へ、逆側の肩へと順番に接地するように転がり――そのすべてを地面へと逃がす。
膝を立てて立ち上がり、足先をふらふらと動かしてみる。……うん、身体も銃も、平気だ。
「……姫、大丈夫か?」
「もちろん、昔サッちゃんに教わったから。できるってわかってたから、私を突入班に選んだんでしょう?」
「それは……そうだが」
「先を急ごう。大きな音、立てちゃった。不審に思われてるかもしれない」
「ゲヘナではこれより耳障りな銃声が日常茶飯事らしいがな……」
私が無傷をアピールするように先導して歩くと、サッちゃんもやれやれといった声色でついてくる。
さて、次の問題は屋上のドアが施錠されているか、だが。
「最悪、ドアノブごと破壊すれば――」
「開いてる。入れるよ」
時計回りに捻れば確かにノブは回る。作戦会議で彼女が言っていた通り、屋上からの侵入者なんて警戒していないのだろう。
それでも用事がないなら施錠くらいしておくのが普通かもしれないが、そうなっていないのは戦闘用ヘリが駐機されていることから、それなりに出入りがあるためとも考えられる。
黙り込んで首肯した彼女に軽く頷き返し、私はゆっくりと扉を引いた。
すると、今浴びている陽の光が窓からしか射し込まない、明度差で暗いすら感じる白い階段の空間が現れる。
扉を後ろ手に閉め、音を立てないよう忍び足で階段に足をかけた。一歩、二歩と下り、踊り場に到着すると、銃を構えながら壁を背に向こう側を覗き見た。
そこにあるのは垂直方向に直結する廊下のみ。警戒を緩めずにまた数段降りていき、室内の明るさに慣れてきた目でまずは右側を確認して――、銃を持っていない左手を後ろに突き出した。
「姫、様子は?」
「意外と手薄みたいだけど、一部屋だけ、扉の左右に警備員がふたり。多分、あそこだと思う」
「装備は?」
「ふたりともアサルトライフル一丁だけ。でも、ちょうど窓からお日様が入る角度だからかな……ちょっと、眠たそう。……あ、かくんってなった」
小声で問うてくるサッちゃんに、囁くような声量で廊下の状況を伝える。警備は厳重だと前もって聞いていたのに、あの気の緩みようは一体。監視カメラやコンクリートの塀など外側の守りは堅かったのに、中に入ってみたらこの様子とはあまりに拍子抜けだ。
「……今がチャンスか。姫、援護する」
「うん。行くね」
なら、ここは鍵をかけずに病人を残して出かける先生と同じくらい、セキュリティ意識の薄い相手に甘えるしかない。お昼だから眠くなるのもわかるけれど、仕事に戻れるよう私が目を覚まさせてあげよう。
「3……2……1……」
グリップを強く握り直し、トリガーに人差し指をかける。
標的に意識を集中させ、大きく息を吸って――、
「突撃――!」
――ダダダダダダ――ッ!
背をくっつけていた壁から身を翻した直後、胸の前に構えたスコルピウスが火を噴いて唸りを上げる。
「ぐあぁっ!?」
「なっ、なんだ!? 敵襲!? あいつか!?」
全弾命中した片割れが怯み、鼻提灯を割ったもうひとりがこちらへ銃を構える。
思ったより反応は早かったけれど……同数の勝負で先手を打てたのなら押し切るのは容易だ。
私は反撃を顧みず引き金を引いたまま駆け出し、相手との距離を詰めていく。
銃口を向けられていることをものともせず迫ってくる犯罪者ほど恐ろしいものはない、と――最近、ヴァルキューレの取材番組で目にしたことがある。特に慣れていない新人だと、迎撃しなければやられると脳では理解しているのに、焦って照準が合わないせいで更にパニックに陥り――ろくにダメージを与えられないまま、一方的にやられてしまうのだそう。あれはヴァルキューレの視点でしか見ていなかったけれど、実際に相対する側に立ってみれば、その様子もなるほどわかりやすく読み取れた。
「うおっ、何、何だ!? と、とりあえず、迎撃――」
「――視野が狭いな」
弾倉を撃ち切った私はそのまま前に滑り込みながら伏せ――直後、ダダダダダダ――ッ!
上着のフードに掠るかというほどの絶妙なタイミングで、サッちゃんの放つ銃弾が、頭上をすり抜けてもうひとりの胸元へ降り注いだ。
「があああっ!?」
彼女のアサルトライフルは私のスコルピウスよりも威力が高い。その連射を受けただけで、彼は銃を手放して倒れてしまう。
対して、私の銃弾を受け切ってもなんとか腹を抱えながら持ち堪えている方は。
「なっ、もうひとり――っ!? け、携帯っ、増援を――」
「ごめんなさい、ちょっと眠ってて」
相当焦っていたのかもう眼前まで迫っている侵入者を放置しながら携帯を探し始めたので、私は太腿のホルスターに手をかけ――抜き取ったX26 TASER――スタンガンを、立ち上がりざまにその腹に押し当ててやった。
「ぐあァ――ッ!」
「……まぁ、これだけ騒げば増援はすぐに来ると思うけど」
気絶したらしく力の抜けた彼をそっと床に倒してあげながらぽつりと呟く。
今、サッちゃんのポケットの中の携帯は、アル、カヨコのふたりの携帯と通話を繋いでいる。最初の銃声が作戦開始の合図だと示し合わせていたから、もう事は動き始めているだろう。
話に聞いていたものが嘘だと思うくらい杜撰な警備体制だ。駆けつけてくる前に目的だけ果たして撤退できれば一番楽なのだけれど……さすがに楽観的すぎるか。
扉の前で倒れたもうひとりも両手で引っ張って端に避け、代わりにそこへ立ったサッちゃんの顔を見上げる。あとはこのまま目の前の扉を開けて部屋を制圧し、増援を便利屋68のメンバーが片付けてくれれば、任務達成はすぐそこに。
「――突入する」
サッちゃんがドアノブを回し、蹴り開けながら手に構えるアサルトライフルの銃口をその先へ。すかさず私も横に並びながら、マスク越しに覗いた部屋の中には。
「おや……?」
「ちょっと、急に何!? 誰!?」
ストライプのスーツを身に纏った小太りのターゲットのほかに、もうひとり。
黒髪のツインテールと赤い瞳が特徴的な、どこかで見覚えのある生徒が。
スクールバッグ片手にこちらを振り返って、驚きの声を上げていた。