TS少女が自分の恋心に気付いていく話   作:雪澤

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幕間その② 親友の決意

「ただいま……」

 

 力なく自宅の玄関をくぐった俺は、ほとんど吐息のような声で帰宅を知らせた。

 

「あら隼人、おかえり」

「ウス……」

「……唯ちゃん、どうだった?」

 

 リビングから顔を出した母さんが神妙な面持ちで尋ねる。

 昼間、母さん経由でフウの母さんに状況を知らせたので、ある程度あいつの身に起きたことは伝わっていた。

 

 ……ただまあ、俺も混乱してたから相当めちゃくちゃな説明をしてたと思う。『フウが女になったから来てくれ』なんて、絶対もっとマシな説明あったよなあ……。

 

「電話の通り。理由はさっぱりだけど女になってた」

「……そう」

 

 実際のところ、こう伝えるしかなかった。

 フウ自身も心当たりはないようだったし、原因らしい原因はついぞ判明しなかった。性別を変えるだけにとどまらず、身体ごと作り替えてしまうような事例は検索してもヒットしなかった、とフウの母さんも言っていた。

 

「まあ、さっきあいつの父さんも帰ってきたから大丈夫だと思う」

 

 黙り込んでしまった母さんを安心させるように告げる。

 

 フウの父さんはかなりの切れ者で博学な人だったが、それ以上にとんでもなく子煩悩でもあった。表面上は髭が似合う渋いイケおじなのに、内面はもうデレッデレの激甘なのである。中学の入学式の時なんかそれはもうすごかった。あの人三脚構えてたし。

 

 話が逸れた。

 

 兎にも角にも、そんな彼が帰ってきたのなら問題はないだろう。きっとあの両親は一人息子が一人娘になったとしても変わらず愛を注ぎ続けるはずだ。長年二人に実の息子のように良くしてもらった俺が言うんだから間違いない。

 

(とおる)さんが……なら、確かに大丈夫そうね」

 

 母さんの顔に安堵の色が広がる。

 そして「あっ、そうだ」と何かを思い出したかのような声を上げる。

 

「今日の晩ごはんなんだけど、オムライスと親子丼どっちがいい?」

「あー……ごめん、今日はいいや」

「……食欲ない感じ?」

「まあそんなとこ」

 

 半分は嘘だった。

 食欲がないわけではなかったが、何かを食べたい気分でもない。というより、本音を言えば現状を自分の中で整理する時間が欲しかったのである。

 

「あんたも無理はしないようにね」

「へいへい」

 

 俺は母さんの言葉に背中で答えながら、フラフラとした足取りで階段を登って行った。

 

 

 

 

 自室にたどり着いた俺は、特に着替えもせずにそのままベッドに倒れ込んだ。

 半開きの目で天井を眺めながら短く息を吐く。投げ出した手足から力が抜けていくのを感じ、思っていたよりも疲れていたことに気付く。

 

「まーだ信じらんねえ……」

 

 静かな部屋に声が響く。

 季節は夏真っ只中。夕飯時になっても、窓の外に覗く景色はまだぼんやりと明るい。俺はそれに胡座をかいて、電気も点けずにいた。考え事をするにはこのくらいがちょうどいいのである。

 

「……信じらんねえ、けど」

 

 仄暗い部屋の中で自分の手を眼前にかざす。

 確かに髪を結んだんだよなあ、と感慨深げに指を擦り合わせる。指の腹には彼の綺麗な髪の手触りがまだ残っていた。

 だから、これはどうしようもなく現実であると認めるほかなかった。

 

 目を閉じて今日の記憶を巡らせる。瞼の裏に映るのは、コロコロと表情を変える彼の顔。ここしばらくは暑さでぐったりしてたから、あんなに挙動不審になっているのは久しぶりだった。

 

 そうこうしていると、ある一つの記憶に行き当たった。

 昼食の時、小さな背中をさらに縮こまらせて謝罪を口にした彼の姿。そして、その彼に何もしてやれなかった自分。

 

「……なんて言ってやれば良かったんだろうな」

 

 右腕で両目を覆い、眉間に皺を寄せる。

 あの場面、俺は親友としてどんな言葉をかけてやれば良かったのか。そのことだけが頭の中を支配する。

 慰め? 同情? それとも励ましだろうか?

 

「……分かんねえなあ」

 

 分からないから情けないのだ。

 あいつの支えになろうと決めた矢先にこのザマだ。ただひたすらに自分が不甲斐ない。

 

 言い方は悪いが、これが他の誰かであればここまで思い悩むこともなかったのだろう。そこまで深い交流があるわけでもない相手であれば、その場では寄り添って話を聞くことはあっても、それを家にまで持ち帰るなんてことはしない。

 周りのみんなは俺のことを優等生だとかなんだとか誉めそやすが、残念ながらそんなことはなかった。幼馴染とその他大勢を平等に扱えるほど俺はできた人間ではない。

 

 生まれた時からそばにいる幼馴染というのは、気付けば自分の中で相当な割合を占める存在になっていた。

 だからこそ彼には悲しい顔をしてほしくなくて。でも結局俺にはあの顔をする理由は分からなくて。

 

「あー……ダメだ」

 

 脳がクソになっている自覚がある。こういう時はどれだけ考えても答えに辿り着かないことは経験的に分かっていた。

 

 右腕を顔から引き剥がし、数回瞬きした後部屋の中をぐるりと見回す。窓の外はすっかり暗くなっていて、枕元の時計を確認すると短針は七と八の間を指していた。随分長いこと物思いに耽ってしまっていたらしい。

 

「腹は……減ってないな」

 

 ベッドから起き上がり、服の上から腹に手を当てる。昼の焼き飯がそれなりに多かったこともあり空腹感は感じない。

 が、しかし。

 

「喉乾いたなこれ」

 

 晩夏の蒸し暑い部屋で窓も開けずに横になっていたせいか、俺の身体は水分を欲していた。飯は一食くらい抜いても死なないが、水分は摂らないと死ぬ。これマジ。脱水状態って自分で気付かないのよ。

 

「……汗もひでえなこりゃ」

 

 全身を生ぬるい嫌な熱気が包んでいる。特に背中の寝汗がひどい。Tシャツが張り付いていて不快感が半端ない。

 確か冷蔵庫に昨日買ってきたサイダーがあるはず。それを一口飲んでから風呂に入ろう。

 

 そう決めた俺は、部屋の窓を全開にして廊下へと歩を進めた。

 

 

 

 

「――あ"ぁ〜、さっぱりした」

 

 風呂から上がった俺は、首からタオルをかけ、縁側に腰掛けて夜風に吹かれていた。

 

「……ん、……っぷはァ!!」

 

 右手に握られたサイダーを勢いよく流し込む。上気した身体によく冷えた炭酸が染み渡る。美味い。

 

 しばらくの間、風が頬を撫でる感覚に身を任せていると、「お兄ちゃん」と俺を呼ぶ声があった。

 

「ん……ああ、お前か」

 

 振り返ると、そこには二歳下の妹である仁奈が立っていた。

 お前とはなんだと言わんばかりに仁奈は頬を膨らませ、ドカリと俺の横に豪快に腰を下ろす。

 

「お兄ちゃん」

 

 真剣な眼差しの仁奈と目が合う。

 

「どうした?」

 

 思わず姿勢を正し、緊張した声音で聞き返す。

 

唯兄(ゆいにい)のこと、なんだけど」

「……母さんに聞いたのか?」

 

 仁奈は、「うん」と小さく首肯する。

 

「それで、唯兄は……」

 

 彼女の瞳は変わらずこちらを真っ直ぐに見つめていたが、その中には微かに戸惑いのようなものも存在していた。

 

 ……無理もないことだ。

 炎開・風谷両家が家族ぐるみの付き合いをしていく過程で、俺たち三人は実の兄妹のように育った。フウのことを『唯兄』と呼ぶほど懐いていた仁奈からしたら、その兄が突然姉になったという話はとても信じられないのだろう。

 

「仁奈、落ち着いて聞いてくれ」

 

 だから、なるべく仁奈を動揺させないように慎重に事実を伝えていく。

 ペットボトルを脇に置き、彼女に向き直る。

 

「あいつは……確かに、女になった」

「……!」

 

 仁奈が大きく目を見開き、瞳が静かに揺れる。その視線が、何か言葉を探すように飛散するが、彼女の口は噤まれたままだった。

 そして、しばしの沈黙が二人の間を包む。

 

「……」

「……」

 

 何も言えなかった。

 いや、これ以上言いようがなかったのである。

 あいつは女になった。原因は全くの不明で、症例も存在しない。分かっていることはそれだけ。仁奈を落ち着けようにも、これではどうにもならない。

 

 ――しかし、沈黙を先に破ったのは仁奈の方だった。

 

「……お兄ちゃん」

「お、おう」

「唯兄……どんな感じだった?」

「……どんな感じって?」

 

 あいつの容姿のことか?

 いや、この状況でそんなことを聞くとは考えにくい。となると、あいつの様子のことだろう。

 

「あいつは……」

 

 見た目こそ変わっていたものの、言動や雰囲気は以前のままだった。

 軽口も叩き合ったし、これといって気になる点は……。

 

 記憶をたぐり寄せるのに時間がかかって答えあぐねていると、仁奈が口を開いた。

 

「唯兄は……今、すごい不安定なところにいると思う」

「……不安定?」

「そう。性別が突然変わるなんて、当たり前だけどとんでもないことじゃん?」

 

 それは、そうだ。

 少なくとも世間一般で言うところの常識からはかけ離れている。

 

「だからさ、自分が受け入れてもらえるのかとか、この身体は治るのかとか、色々考えて……不安で押し潰されちゃうかもしれない」

「……」

「お兄ちゃん、もう一回聞くよ。唯兄はどんな感じだった?」

「えっと……」

 

 あいつは、いつも通りで……。

 特に違和感なんて――。

 

 

『――その……ごめんね、色々と』

 

 

 ……あ。

 

 

 突如として、俺の脳裏に彼の姿がフラッシュバックした。

 消え入りそうな声で、小さな背中をさらに縮こまらせて、申し訳なさそうに謝る彼の姿が。

 

 あれか。

 あれが、そうなのか?

 

 あいつが自罰的なのは知っていた。

 だから、いつもみたいに気にし過ぎてるんだろうって思って。

 

 ……でも、今日のあいつの言葉にはそれ以外の感情も含まれているような気がした。自分を嘲るような、自分に絶望しているような。

 あれが、今のあいつの不安定さの片鱗だったのだろうか。

 

 

「……お兄ちゃん?」

 

 沈んでいた意識が、仁奈の声によって呼び覚まされる。

 ハッと顔を上げ、彼女の方に視線を向ける。

 

「……ああ、悪い」

「それで? どうなの?」

 

 ……あいつの様子は、あいつの今の心は――。

 

「……仁奈の言う通りかもしれない」

 

 答えになっていないような答えだった。

 

 だけど、仁奈はどこか納得したような表情をして、うんうんと頷いている。

 そして、身を乗り出して俺の顔をしっかりと見据えてきた。

 

「じゃ、お兄ちゃんは私が今から言うことを守って」

「……なんだよ急に」

「いいからいいから、ね?」

 

 そんなに難しいことじゃないから、と笑いかけながら彼女は言う。

 

「唯兄を一人にしたらダメだよ」

「…………分かった」

 

 単純明快な指令。

 だから、それの持つ意味はすぐに理解することができた。

 

 グッと拳を握り締め、力強く頷く。

 

 俺があいつを支えるんだ。

 俺があいつを守るんだ。

 

 それが、今の俺があいつにできることだから。

 

 

 秋の匂いが混じった夜空の下、自分に言い聞かせるように、そう決意した。

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