「おー、すっげえ人」
古びた石鳥居の周囲が、人でごった返しているのを見て、思わずそんな言葉が漏れた。
ここは近所の神社。家から徒歩五分ほどの場所にある、ザ・最寄りの神社である。
小高い丘の上という最悪な立地をしており、本殿に向かう手段は天高くそびえる階段を登ることのみ。そんな造りをしているからか、普段は閑散としていて参拝客もまばらだった。大半の人は、麓に設置されたこの石鳥居にお参りをして帰っていく。
では、なぜそんな神社がこうも人で溢れているのかという話になるが、理由は単純だった。
そう、夏祭りだからである。
吊るされた提灯が地獄の階段を朧げに照らし、頭の上のスピーカーから音質の悪い祭囃子が聞こえてくる。華やかな浴衣に身を包んだ人々が参道を練り歩き、道脇に並ぶ露店が彼らの財布の紐を緩めていく。典型的な夏祭りの姿がそこに広がっていた。
そして俺がここにいるのも、祭りを楽しみに来たうちの一人だからだった。
邪魔にならないよう端に逸れ、腕時計で時間を確認する。
「十七時二十分……か」
夏の陽は長い。
もう八月も終わろうかという頃合いだったが、こんな時間でも空は淡い瑠璃色に染められていて、夜の
時計から顔を上げて、再び鳥居の方へ視線を向ける。時間的にそろそろだろうかと思っていると、見覚えのある紺色が視界に飛び込んできた。
「お、来た来た」
彼はこちらに気付くと、パタパタと小走りで近寄ってきた。
「ごめん、待った?」
「いや、今来たとこ」
何万回と繰り返されてきたようなやり取りをして、彼の姿を今一度確認する。
青いボーダー柄のTシャツに膝下くらいまで丈が伸びた半ズボン。肩から掛けられた赤いボディバッグのショルダーストラップには地元球団のキャップが通してある。見慣れたよそ行きの格好そのものだ。
頭のてっぺんから足のつま先まで眺めて、再び上の方に目線を移す。そこにあるのは幼いながらも整った少女の顔。
まあそうだよなあ、と声には出さず心の中で呟く。
フウと会うのは彼が女の子になった日以来だったので、もしかしたら男に戻ってたりするんじゃないかなんて思っていたのだが、そんなことはなかった。いやまあ、夏祭りに誘われた時に電話で話したから戻ってないのは分かってたんだけどさ……。
「シャア……どうかした?」
まんまるな目をぱちくりさせながら、キョトンとした表情で彼が尋ねる。いかんいかん、つい見すぎてたか。
「いや、なんでもない。ほら、行こうぜ」
「えっ、ああ、うん」
強引に誤魔化して階段の方に向き直る。
うわぁ、あれ登るのか……。
◆
なんとか階段を登り終えた俺たちは、露店を冷やかしたりしながら参道を進んでいった。
その道中でいくつか食べ物を購入。フウがこの間のお礼だと言うので、フランクフルトを奢ってもらったりした。あいつ自身も結構買ってたけどあんなに食べられるんだろうか?
「さて、と……」
レジ袋を抱え、人の波の隙間から辺りを見渡す。どこかに腰を下ろせる場所はないだろうか。そう考えていると、下から声がした。
「あっ、あそこが良いんじゃない?」
彼の指差す方向を見てみると、ちょうど二人が座れるくらいの大きさのベンチ……というか、岩があった。
まあ、結構平らになってるし座れないことはないだろう。
「だな」
そうと決まれば早速移動しよう。
と、そこまで考えた時、あることに気付いた。
……フウ、大丈夫かこれ?
参道の狭さもあるだろうが、想像以上に人が密集している。以前ならともかく、今の小さなフウでは人の波に簡単に飲まれてしまうのではないかという考えが頭をよぎる。
『唯兄を一人にしたらダメだよ』
ふと、仁奈の言葉が思い返される。
多分こういう物理的な意味で言ったんじゃないだろうけど。
「……よし」
短く息を吐き、レジ袋を持ち替えて片手を空ける。
「フウ、行くぞ」
「え?」
返事するが早いか、彼の手を取る。
しかし、そのまま歩き出そうとしていた俺の右足はその場で硬直することとなった。
……は?
思わず口をついて出そうになった声をすんでのところで押し留める。
なんだこれ? こいつの手、こんなに柔らかかったか??
いや、別に男の時のフウと手を繋いだことがあったわけじゃないけど、こんなだったか???
単純に手が小さくなっているだけじゃない。なんか肌がすべすべしてるし、ありえないくらい柔らかい。少しでも力加減を間違えたら壊れてしまいそうな、そんな感覚だった。
「……シャア?」
「っお、おお!!」
フウの声で固まっていた意識が戻る。やっべえ、手汗出てないよな?
「あそこだったな! よし、行こうぜ!!」
「うん……?」
鼓動が高鳴るのを感じながら、改めて一歩踏み出す。心の中の雑念を振り払うようにして人の波をかき分けていく。俺から離れまいと繋いだ彼の手に、時折力が入る度に変な汗が出そうになる。
「っはぁーっ……着いた……」
ようやく岩の元へ到着した頃には、移動距離に見合わない疲労が全身を包んでいた。
倒れるように座り込み、肺の中の空気を全て出すように息を吐く。そして、まだ感触の残る右手をぼんやりと眺め――。
……女の子の身体って、ほんとに柔らかいんだな。
そんなことを考えた。
◆
「うう……」
「だから言ったのに……」
十数分後、俺の隣にはお腹を抱えて苦しそうにしている幼馴染がいた。
俺の予想通り胃の方も縮んでいたらしく、たこ焼きを半分ほど食べたところであえなくノックアウトしてしまった。
「まあ、あれだ。まだ慣れてないんだからしょうがねえよ」
「ありがとう……」
この間の焼き飯の時も結構苦しそうにしていたことを思い出す。あの時はなんとか食べ切っていたけども。
「じゃ、残りは貰っちまうぞ」
「うん、ごめん……」
彼からたこ焼きのパックとイカ焼きを受け取り、テンポ良く食べ進める。ベビーカステラは……まあ、後でいいか。
「……ん?」
ふと視線を感じ、目だけを横に向けてみると彼がこちらを見ていた。その表情はどこか上の空で、そしてひどく悲しそうだった。
「……っ」
思わず、ズキリと胸が痛む。
やめろ。そんな顔をするんじゃない。俺はお前のそんな顔は見たくないんだよ。お前には笑顔でいてほしいんだよ。
……でも、どうすればいいんだろうか。
フウを支え、守る。その決意は揺るがないが、彼がなんでも一人でやろうとする理由は未だに分からない。それがひたすらに心苦しい。
ぐるぐると思考を巡らせながらもたこ焼きとイカ焼きを食べ終えた俺は、自分のレジ袋から焼きそばとフランクフルトを取り出した。
「……」
フランクフルト。
この間のお礼だと言って、あいつが俺に奢ってくれたもの。
……この間。
『――その……ごめんね、色々と』
そうだ、あの時も。あいつは俺に謝っていた。
なんで謝った? 俺を手伝わせたからか?
じゃあ今日は? 今日はなんで謝った?
少しずつ、ピースが埋まっていく。
あいつは誰かに頼ることを極度に避けていた。そして、あいつがあの顔をするのは決まって俺が手伝った時だった。
……もしかして。
そういうことなんだろうか。
――フウは、誰かの手を煩わせることを恐れている?
そんな結論が、俺の中で生まれた。
一度たどり着いたそれは驚くほど綺麗に疑問の型にストンとはまり、納まった。確かにそうだ、とすこぶる合点が行き、胸中で何度も頷く。
だとしたら……俺のすべきことも、決まっている。
◆
「――ふう、食った食った」
フランクフルトと焼きそばを食べ終えた俺は、もっともらしくポンポンと腹を叩いた。
「シャアほんとごめん。助かったよ」
申し訳なさそうな調子で彼が言う。その様子にまた胸が痛んだが、なんとか堪える。
「良いって良いって。当初の通り、お前にご馳走になったことにするよ」
親指をグッと立てて、思いっきり歯を見せて笑う。
「ぶっ」
一拍置いて、彼が吹き出す。
よし、決まった!
「ちょ……シャア……のり、青のりが……くふふっ……!!」
――俺のすべきこと。
それは、言葉にして伝えることだ。もっと誰かを頼って良いんだ、そんなに一人で頑張らなくて良いんだと。染みついた自己評価の低さは簡単には変えられないかもしれないが、それでもだ。
とはいえ、あいつがあまりにも悲しそうな顔をしてたもんだから、まずは気分を上げるためにも笑わせようと思ったんだけど……なんか思った以上にツボってるぞ??
「ちょ、笑いすぎだろ!!」
「あはは、ごめん……だって……ふふっ」
「おい!!」
……ああ、でも。
良かった、笑ってくれて。さっきみたいな顔は本当に見たくなかったから。本当に――
「……良かった」
途端に、彼がキョトンとした表情になる。
「良かった……って何が?」
……え?
マジで? 声に出てた? 嘘だろ??
気恥ずかしさが怒涛の勢いで俺に襲いかかり、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜて視線を足下に逃す。
いや、逃げられない。ああもう言うしかねえなこれ。
意を決して、彼の顔をじっと見据える。
「フウが、笑ってくれて」
「……僕が?」
「ああ」
彼はよく分からない、といった表情で首を傾げていた。
だから、そのまま畳み掛けるように続ける。
「さっき、さ」
「うん」
「俺がお前のたこ焼きとか食べてる時……気付いてないかもしんねえけど、すごい悲しそうな目してたんだよ」
「……えっ」
俺の言葉に彼は目を白黒させている。やはり自覚がなかったようだ。
「それで、また気にし過ぎてんだろうなって思ってさ」
「……」
「だから笑わせようとしたんだ」
彼の淡い翠の瞳が静かに揺れる。何かに耐えるように口を噤み、眉がハの字に下がる。膝の辺りで組んでいる両手にはどれほど強い力が込められているのだろうか、純白の肌はその白さを増していた。
俺の胸を容赦ない痛みが突き刺す。お前はもっと笑顔でいるべき人間なんだと、誰に向けるわけでもない傲慢な怒りが腹の奥を焦がしていく。
「ほら。その顔だよ」
「……へ?」
俺は、ほとんど無意識のうちにフウの肩に手を置いていた。
「その思い詰めたような顔。フウってさ、昔からよくその顔するよな」
「……それ、は」
答えかけて言い澱み、視線を逸らす彼に対し、肩へ置いた手により一層の力をかける。
逃がさない、という言外の意味も込めて。
肩を強張らせた彼と真正面から視線がぶつかる。小さな身体を傷付けない限界ギリギリの力で捕え続ける。
「その、もっとさ……頼ってくれても良いんだぜ? ……それとも俺、そんなに頼りないか?」
「……そんなわけない!!」
彼が立ち上がり、悲痛な叫びを上げる。
「だってシャアは優しくて……こんな僕にも寄り添ってくれて……頼りないなんて、そんなはずないよ」
先程までとは一変して、勢いよく捲し立てる。目元には涙が滲み、耳朶や鼻の頭は赤く染まっていて、あとちょっとでも押したら決壊してしまいそうだった。
「だから……」
「……ああ、分かった。だったらさ、これからはもっと頼ってくれよ?」
言葉に詰まり俯いた彼の顔を下から覗き込み、あやすように語りかける。
「……で、でも」
フウは嗚咽混じりの声でなんとか言葉を絞り出そうとする。
――しかし、言わせない。フウより早く口を開き、彼の言葉を遮る。
「迷惑なんかじゃない。……いや、迷惑でもいい」
彼の両手に自身の掌を重ね、しっかりと言い切った。
確実に伝わるように。間違えてしまわないように。
「……どっちだよ」
「お前になら迷惑かけられてもいいんだよ。むしろどんどんかけて欲しい」
「ええ……」
彼は心底訳が分からないといった表情で「なんだそりゃ」と呟いた。
まだ分からなくてもいい。これから、少しずつ理解していけばいいんだ。
お前に頼って欲しいんだ。
これは俺だけの気持ちじゃない。他のみんなだって、きっと同じはずだ。もう一人で全部抱え込むのはやめにして、周りに助けてもらいながら生きていけばいいんだ。
困ったようにでなく、心の底から笑えるような、そんな風に過ごして欲しいんだ。
しばしの沈黙の後、目を伏せて、ギュッと一文字に結ばれていた彼の口角が不意に持ち上げられた。
「……良いんだね?」
慎重に、手繰り寄せるように彼が尋ねる。
その声に先程までのような震えはなかった。
「ああ」
だから、俺も迷いなく答える。
短いけれども力強く。
「後から取り消しても遅いからね?」
「今更そんな水臭いこと言わねえって」
そう告げた時、俺の掌の下に重なった彼の両手から力が抜けていくのを感じ取った。
見上げると彼は頬を緩めてふにゃりと笑っていた。細めた目の端に光る涙に、悲しみの影はもうない。
「……ふふふ」
笑みを抑えるように口元に手を当てているが、堪え切れずに漏れ出している。
ひとしきり笑い終えた彼は、ひとつ息を吐いて呼吸を整え「うん、うん」と二回、首を縦に振った。そして、今度は彼の方から俺の手を取って――。
「ほら、シャア行こっ?」
そう言って駆け出した彼の足取りは、暗雲を吹き飛ばすように軽やかだった。
幼馴染くん視点はこれで終わりです。
本編の書き溜めができたらまた更新再開します。