あれから僕とシャアは家の中に入り、僕の部屋で向き合って座っていた。
……あ、ズボン脱ぎ捨てっぱなしだった。
まあ、いいか。
部屋の端で放ったらかしにされたズボンを見ながらそんなことを考えていると、シャアが口を開いた。
「正直まだ混乱してるんだが……お前が言うには、朝起きたら
「うん」
「っは……マジか……マジでそんなことあんのか……」
彼は額に手を当て、天を仰ぐ。
そりゃ僕だって信じられなかった。こういうのは創作の中のお話で、実際にこの身に降りかかることになるなんて、思ってもみなかったのだから。
しかし、現実として僕は女の子になってしまった。
これは創作などではなく、揺るぎようのない
「その……なんか心当たりとかはないのか?」
「心当たり?」
「ああ。今日起きてそうなってたんなら、昨日寝る前とかになんか違和感とか……なかったか?」
違和感、と言われ少し考え込む。
だが、昨日は特に変わったことはなかった。
シャアと別れて学校から帰ってきた後、普段通りに家で過ごしていたが、まったくもって異常はなかった。ご飯も美味しかったし。
「いや、特にないかな」
「そうか……」
そもそも、原因なんてあるのだろうか。
朝起きたら性別はおろか、骨格レベルで身体が変化しているなんて、あまりにも荒唐無稽すぎる。なにか超常的な力が働いたとしか思えない。
なんらかの病気の線も考えたが、それだったらもっとニュースになっていてもおかしくないはずだ。人体を丸ごと作り替えるような奇病が報道されていないとも考えにくい。
……僕が最初の発症者だとすると話は変わってくるけども。
結局あれこれ考えても結論は出ず、僕が性転換してしまったという漠然とした事実だけが目の前に横たわっていた。
◆
「そういえば、フウの母さんはどこだ?」
彼が思い出したかのように言う。
「それが……町内会の集まりに行ってるらしくて」
「あー、あれか。そういえばウチもそんなこと言ってたような……」
僕とシャアの家は隣同士。当然町内会も一緒であるため、こうして互いの親が家を空けることはこれまでにも多々あった。
そんな時は、どっちかの家に行って遊んだりしていたものだ。
「どうする? 電話するか?」
彼が提案する。電話して、この状況を知らせよう、ということだろう。
現状を鑑みると、限りなく完璧に近い答え。だが――。
「あー、それなんだけど」
「なにかあるのか?」
「僕、お母さんの電話番号知らなくて……」
「……マジかお前」
そう、僕は自分の親の電話番号を知らないのである。もちろんお父さんのも。
元々、僕には電話で用件を伝えるという習慣がなかった。仮に電話をかけることがあったとしても、そういう時は家の番号にかけるのが大半であり、結果として僕は電話というものにほとんど縁がないままこの歳まで生きてきた。
目の前の彼はあり得ないものを見るような目でこちらを見ている。
……さすがにちょっと凹むぞ。
彼は目頭に手を当てて何か考える仕草をした後、短くため息を吐き、立ち上がった。
「俺の方から母さんに連絡するからさ、電話借りるぞ」
「あ、うん」
助かった。何はともあれ、これで僕の置かれた状況をお母さんに知らせることができる。
電話している彼を眺めながら、僕は小さくなった手で胸を撫で下ろした。
◆
シャアが電話してから約十五分後。玄関の方から、何やらドタバタとした音が聞こえてきた。
その音はだんだん近づいてきて――。
「唯っ!! あんた大丈夫!?」
母が血相を変えて部屋の中に飛び込んできた。
髪は乱れ、息も上がっている。この暑さの中走ってきたのだろう。僕のことを心配してくれたことを嬉しく思う反面、少し申し訳ない気持ちにもなる。
「……」
母は息を整えながら、無言で僕のことを見つめている。……あっ、目が合った。
「あはは……」
そんな気まずさを紛らわそうと、僕は困ったように笑う。
すると、母は何かに気付いたのか、一瞬目を見開きこちらに近づいてきた。そして、僕の肩に手を置いた。
「……うん、やっぱあんたは唯だわ」
「っ……! 分かるの……?」
「当たり前よ。親なんだから自分の子供のことくらい分かるに決まってるでしょ?」
そう言われた瞬間、なんだか救われた気がした。
朝から感じていた不安が胸の内から晴れていく。僕という存在が認められたような気がして、全身の緊張が解けていく。
これから先、誰かに会う度にこうして僕が僕であることを証明していかなければならないのだろうか。
そう考えると、心暗くなる。
……でも。
だからこそ、受け入れられたことがものすごく嬉しかった。
「――隼人も連絡ありがとうね」
「え? ああ、うん」
「唯には電話番号を覚えるよう言っておくから」
「はは……」
うん。電話番号、覚えよう。
今回ばかりは僕もそう思った。
◆
その後お父さんが帰ってきて、大体お母さんと同じ反応をして、またすぐに会社に戻って行った。
「唯。帰ってきたらしっかり話そうな」
「うん、わかった」
まるで側にいられないことを詫びるかのような声の調子だった。申し訳なさでいっぱいになる。
「さて、と……」
目まぐるしい展開が一旦落ち着き、僕は辺りを見回す。
お母さんはパソコンの前に座り、何やら調べ物をしている。側には保険証や健康手帳が並べられていた。
机の横に置いてある食器棚をはじめとした家具たちは、やはり以前より大きくなったように感じた。
大雑把に測ってみたところ、僕の身長は大体百四十センチほどになっていた。数値にして約十センチもの減少だ。
元々それほど身長が高いわけではなかったが、こうも縮むとやはり精神的にクるものがある。
「十センチがこれほど大きかったとは……」
肩を落としてふと横を見ると、窓に映った自分の姿があった。
「……」
先程色々と観察したとはいえ、やはり見慣れない。未だに夢でも見てるんじゃないかとすら思える。
小さな身体に長い髪。顔立ちも整っていて、贔屓目に見ても美少女の部類だと思う。
中学生というには少し幼すぎる気もするが、つい目で追ってしまうような。
――そんな女の子が今の僕だった。
容姿が優れていることに対して、悪い気はしなかった。
ただ、これまでの自分がどこかへ行ってしまいそうな気がして。
もしもこの先、僕が受け入れられなかったら。僕が風谷唯であると認めてもらえなかったら。
――僕が僕であることを否定されたら。
……その人の中から、僕は消えてしまうんじゃないかな。
そんな気がして。
ただ、恐ろしかった。
◆
夜になった。
少し早めにお父さんが帰ってきて、それと入れ違いになるようにシャアは帰って行った。
今日は本当に彼に助けられた。今度、何かお返ししないとな……。
玄関先で彼を見送ると、僕はリビングへと戻り、両親と向き合って座った。
「さて、状況を整理するぞ」
「うん」
少し緊張して背筋が伸びる。
「まず学校だが、これについては既に父さんが話をしておいた。と言っても、本当に話だけだが……」
……話って、何を話したんだろう。
まさかそっくりそのまま状況を伝えたんだろうか。いや、でもそれ以外に言いようがないし……。
「そして、明日は一応病院へ検査に行く……で、良かったな?」
「うん」
あの後色々と話し合った結果、念のため病院に行くこととなった。
とは言え、こんな症状では何科に行けば良いかも分からない。なので、様々な科がある近隣の大学病院へ向かうことにした。
……正直、不安はあった。
朝起きたら女の子になってました――なんて、そんな嘘みたいな理由で病院に行って大丈夫なんだろうか。ふざけるんじゃない、と門前払いにされたりしないだろうか。
まあ、体調的な面での心配もあるし行かないという選択肢はなかった。
僕自身としては特に不調を感じているわけではなかったが、表面的には大丈夫でも身体の中ではどうなっているか分からないから、と言われ、納得した。
確かに身体が根本的に作り変えられたことで、臓器などが何らかの異常をきたしていても不思議ではない。それが原因で重大な疾患を引き起こしでもしたら、目も当てられない。
――
――
「――じゃ、明日のこともあるし早めにお風呂入っちゃいなさい」
小さくなってしまった自分の手足をぼんやりと眺めていた僕は、母の声でハッと顔を上げた。
……なんだか不穏なワードが聞こえた気がする。
「あ、ごめん。なんて?」
聞き間違うわけがないと分かっていたが、問い返す。
もちろん返ってくる答えは変わるはずもなく――。
「お風呂。先に入ってきなさい」
……ちょっとだけ、顔が引き