その空間は、多重音に満ちていた。
コンソールの上を踊る華奢な指先による軽快な音、操作に求められた答えを掲示する規則正しい電子音、その合間を縫うのは桜色の唇から洩れる呼吸音だ。
淀みなく乱れなく滞りなく繋がる空間を震わす連鎖は、不思議と耳に障らず心地良い。
子守唄ではないが、目を瞑り気を静めていると眠りに誘われそう。
それがこの音域による慰撫だからか、それとも彼女が近くに居るから安らぐのか。
あるいは、その両方か。
「ふふっ、眠いの?」
穏やかな声音に揺すられ、ぼやけていた意識が少しずつ色を戻す。
もう少し眠りたい欲求に抗い難いものを覚えるが、視界に収めた女性の貌を、微笑みを認めれば起きなくてはと思う。
このまま眠りに就いても彼女は怒ったりせず、気分を害しはしないだろう。
余程の度を過ぎなければ、自分を許すだろうことも知っている。
何時も「仕方ないなぁ」と付いて来てくれる、自分を見つめてくれるヒトだ。
ジオン公国軍の主力兵器、モビルスーツのコックピットに座るアンリエッタ・ジーベル大尉へと視線を置きながら、そのコックピットハッチ縁部に背を預けていたメルティエ・イクス中佐は自分が微睡んでいた事に気付いた。
霞が掛かった頭を振るう。確かMS-09、ドムの微調整があるという事で同機種を扱うメルティエの意見を聞きたいと呼ばれたのだと思い出す。
「……ん」
はて、此処は何処か。
アジア中東方面軍に属する軍事拠点の一つ、自分達が活動する為の仮の拠点。そのモビルスーツハンガーである、筈だ。
開かれたコックピットに入り込むのは、整備班の声と機械が噛み合い、反発した金属音だ。僅かに漂う溶接の臭いが、鼻孔の奥で不快に広がる。おかげで、というのもおかしいが意識を浮上させる一助になった。
しかし、知らない間に疲れが蓄積しているのか、堪える間もなく「墜ちる」とは。
自身の体調に違和感を抱きつつも、彼は僅かに口角を上げて応える。
「ああ。少し、少しだけだ」
メルティエは無意識に、背の半ばまで流れる蜂蜜色の房へと手を伸ばした。
さらり、と梳いた指先から広がる感触に目元が緩む。
作業をしている彼女はされるがままで、柳眉を下げて円らな碧眼を軽く閉じる。
嫌ではないけど、少し困る。そんな表情が見て取れた。
「あっ、と。それで、何処の調整をしている?」
完全に意識が覚醒した彼は勝手に動いた腕を戻し、照れが現れたのか少し早口で尋ねる。
アンリエッタは近くに在った傷だらけの手櫛を見送ると、快調にはほど遠い顔色をその瞳に映し、続いてメインコンソールの上に身を乗り出した。
焼けた赤銅色の頬を大切なものを扱うように優しく包むのは、僅かな冷たさとその奥にある暖かみを示す、女の手。指先が触れて体温が自らの中に混ざり合うまで、男は反応を起こさなかった。
メルティエは彼女の姿が視界を占めるまで、その動きを眺めていた。
ただ、ぼんやりと。
「メル、調整の手伝いはまた今度で良いからさ。ちゃんと休める所で横になった方が」
「ん、ああ……そうだな――――ッ」
焦点が今合った、とでも言うのか。生返事を呟いた後に瞬きをして、漸く視界内の情報を精査し始めた。何時もと違うメルティエの様子に、アンリエッタは無言で灰色の瞳を覗き込む。
蒼い獅子と呼ばれるモビルスーツパイロットは、居心地が悪そうに身を揺すろうとして、その動きを殺した。
顔色から始まり、脈拍や心拍数を診始めたアンリエッタの邪魔をする気はなかった。軽装の上、胸元を開いていたのは好都合とばかりに直に胸に手を当てた時は流石に焦りもしたが、遊びの欠片も無い彼女の表情から真剣さが伝わったから、抵抗することなく身を任せる。
彼からしてみれば、情を交わした相手が心配してやってくれているのだ。身にこそばゆい感覚が這うが、それも心中を満たす嬉しさを加算するだけのもの。
僅かながらも俯き加減で赤面しているのは、何も背中に刺さる視線だけのものではない。互いに肌を重ねた間柄とは言え、異性が呼吸の味さえ分かるほど近くに居るとなれば、顔が熱くなるのは仕方がない事であった。
「ん。おかしな所はない、かな」
唇から洩れた吐息が口元に掛かり、続いて畏まっていた嗅覚が離れる女の体臭に焦がれ始めた。
自重せよ、とメルティエは口の中で唱えながら解放された身を起こす。覚醒する前に違和感のあった身は、芯が入ったようにしっくりくる。この状態になるまで時間を要していた、という事は確かに疲労がある証左だろう。
アンリエッタに目を向ければ、立ち上がる動き、姿勢すらチェック項目だったのか様子をつぶさに見ていた。
極自然に口元に刻まれた苦い笑みは、抜け目無い彼女の態度にか、それとも気を遣わせた我が身に対してか。
「少し怠い程度だ。……あまり、心配するな」
「ダメだよ。もうメルの身体は自分自身だけのものじゃないんだから」
問題ないだろうと手を振れば、下がっていた柳眉を逆立てて物申される始末。
強い調子では無いから反論し辛く、事実だと耳に入った時点で認識してしまっては否定する事は出来ない。
メルティエ・イクスはジオン軍が誇る異名を持つエースの一人であり、特務遊撃大隊を率いる長であり、内外への影響が決して少なくない人物である。
ただのパイロットでは無く、身命には既に部隊員二七〇余名の責任を負い、討たれれば寄る辺としている将兵の士気が落ちるだけに止まらず、敵軍の士気高揚にすら利用されるだろう。
少し唸った後に、呼気を肺から吐き出した。
「前線で飛んだり跳ねたりしてる方が、向いてると思うんだがなぁ」
「……だから、心配なんだよ。バカ」
――――力無い拳が、胸を打つ。
身体は完全にメルティエの下にある。微動だにせず、そのまま繰り返し打たれるのも彼が良しとしているからだ。
確かにメルティエは重心が移動する音を機材越しに感知していたし、アンリエッタの打突に向いていない拳を目で追ってもいた。胸に到達する前に零れた言の葉も、鼓膜を震わせた。
そうであるのに、男は女の行動を止めも咎めもしない。
責められている身をそのままにして、相手の心を浸透させようと一打一打を大事に受け取ろうと、普段らしくはない酷く穏やかな笑みを浮かべて。
――――何時からだ。
その表情を消し去りたくて、彼女は抵抗の代わりとでもいうように拳を振るう。
アンリエッタは、かつて暴漢から我が身を救った少年を男に重ねる。
灰色がかかった黒髪が、心労による為か完全に灰一色に。気にはならない程度の小さな傷が首や胸元に新たに刻まれ、軍服の下もそうなのだろう。不変であるのは灰色の瞳、いや、愚直に前へと進む意志を称えていた、彼の溌剌としたものが濁りのようなものにいつしか侵されている。
――――このヒトは、何時から悲鳴を上げていた。
命のやり取りで疲弊し始めたのは、何時からだ。
ブリティッシュ作戦、地球降下作戦、カリマンタン侵攻戦の、どれからだ。それともそれらが今まさに浸食しているのか。
心理的圧迫というものは、何も珍しい事ではない。アンリエッタ達も同様に様々な葛藤を抱えて前線に立っている。それらに陥らないのは生粋の戦闘狂か、いくさ狂いの輩であろう。
何らかの理由で戦う事を決めたとして、それがそのまま結果を甘受するものと直結する事は無い。
であるからこそ人間は、戦争参加者は免罪符を欲する。
正義を声高に叫び、正当性を訴える事で自らを守り敵を強かに討つ事が出来うるのだ。
古来と違い、敵の顔を視認して矛を交える戦争は現代ではほぼ無いと言っていい。互いに距離を取り機械越し、兵器越しに戦争に加わる事が精神の抑圧を緩和している。人間とは想像する事が出来うる生物だが、現実に直面しなければ個体差もあれど然程ダメージを受けないものでもある。
ならばこそ、断末魔の声と形相を一度刻まれれば、戦争の狂気に呑まれる。
そして、生物は視線や気配というものに敏感である。
最前線で正面から敵の死線を受け持ち、背には味方の期待を背負うとしたら、果たして
戦闘中であれば、極度の興奮状態や高揚感で誤魔化す事は可能であるとして、平時はどうやって受け流すのか。
ストレスという誰にでも訪れるものが、生物に必ず内包されるものが彼を襲う災禍の名であり、蝕む正体であった。
強固な意志力は自らを踏み止まらせる事に関して、強力なアドバンテージを秘める。
メルティエ・イクスはこれを武器に、心身を酷使して戦い続けて来た。
それがストレスを隠匿する隠れ蓑となり、今回に限って言えば裏目に出ていた。
当然の事ながら、個人個人が自己を確立しない限り他の将兵も苦しめられるものだ。
その苦しみから逃れる、離れる方法は多種に分かれるが、特に多いのは他者に委ねる事だろう。
責務を、権利を他者に委ねる事で己を保守する。
統率者、先導者、先駆者。呼び方は変われど、人を束ねて連れ行く者が居るから将兵は良心の呵責をある程度緩和し、付き合う事が出来る。
例えば特務遊撃大隊ネメアに所属する隊員達は、寄り掛かる大樹が多く存在した分だけ身に掛かる負担が軽減されている。
部隊指揮者であるダグラス・ローデン大佐、戦闘部隊にシーマ・ガラハウ中佐、ケン・ビーダーシュタット中尉等が在籍し、各班にも中核を担う人材に事欠かない。
その彼らも、部隊名の由来である獅子が
では、結果として部隊全てを双肩に担う男は、誰と重荷を分かち合えれば良いのだろう。
色褪せない記憶にある、少年はこう言っていた。
――――「今度こそ、友達を守れたんだ」と。
守るために、身を盾にして、それでも倒れず爪牙を振るう。
――――何時から、その呪詛は彼を蝕んだのだろう。
かつて少女だった時分に、彼を軍人の道へ
いや、覇気の無い少年を見知っているからこそ、それは正解ではないと悟る。
あの時の少年は、救出する少女越しにダレカを見ていた。
敢えて酷な言い方をするならば、過ぎし日の囚われたアンリエッタ・ジーベルを救出したのは、行動理念を形成中のメルティエ・イクスにとって、予行練習のようなもの。
己の手で誰かを拾い上げる事が、果たして出来うるのか。
無自覚な打算による悲鳴を契機にした刹那の行動が、只々実を結んだだけ。
当時は養父らの援軍が到来した事で可及的速やかに”敵勢力”は排除されたが、もし到来が遅れたとしても銃弾で体を穿たれたまま嬲られて終わっていたのか。
知人を守る為とはいえ、至極簡単に他人を轢き捨てる男が、其処で止まるだろうか。
――――何処で、彼はソレを植え付けられたのか。
灯された火が、薪をくべられ一層激しく燃えるのと同じく。
知らぬ間に方向性が定まっているからこそ、ただ強くあろうと。
無意識に強者であることを、己に課したのだ。
でなければ、人生に一度の青春時代を自己研鑽に費やし続けられはしない。
でなければ、血反吐で身を拭い自傷行動にも似た試行錯誤を繰り返しはすまい。
でなければ、他者に自らの道を定められて黙って居られる性分の男ではない。
その道が最短であると、表層意識は拒んでも本能で悟るからこそ、だというのに。好意を抱いた相手が、手痛い目に遭わせた張本人が「人を殺すことが商売」に進ませた認識による拒否反応が、裏切られたと受け取る心境があったのは確か。
それだけは、本能が望んだものだとしても。其処だけは、折り合いをつける時間を必要とした。
――――故に。
つまりは、遅かれ早かれ同じ結果に収まるのだろうということ。
彼は世間から認められる強者になり、
根強い
その呪いの恩恵を受けて救われたアンリエッタ・ジーベルは、愚直な男を見続けた賢しい女は、そんなヒトだから何時も味方であろうと決めたのだから。
「本当に、バカだよ」
女が繰り返し打つ度に、男は欲張りな自分に餌をやる。
様子を窺おうにも彼女を隠す蜂蜜色を、彼女の色彩を眼下に収めながら。
「ごめんな、性分なんだ」
あやすように紡がれる優しい声音を、好きな声であるのに、今だけは聞きたくはなかった。
胸に置かれた手に重ね、灰色の男は自覚し掲げた願望に、胸を暖かく満たす愛しい人の体温に、背を向け無い事を改めて宣誓する。
――――ネメアの獅子は、
嗚呼、それなのに。
男の脳裏を横切る在りし日の兄妹は、何も語ってはくれなかった。
◇
「はぁ、高い所で何してんだか」
モビルスーツハンガーに訪れたシーマ・ガラハウ中佐は畳んだ扇子で肩を軽く叩き、呆れからの溜め息を出してやった。
背に広がる艶のある緑がかかった黒髪が動きに合わせて波打ち、比べて肩に引っ掛けた硬い軍服はユラユラとみせる。釣り目がちである髪と同色の瞳は、蒼と橙の
シーマが靴音を鳴らすハンガー内はドム以外の機体も並べられており、陸戦仕様のザクやグフ、水陸用モビルスーツのズゴックが整備を受けている。現行主力機がほぼ全て集結している様相は、パイロットやメカニックマンからすれば圧巻の一言だろう。
新型の試験運用も部隊に課せられた任務とはいえ、それも加えるとここまでヴァリエーションに富んだ所属機で固めている部隊も珍しく、また用いる戦術に頭を捻るに違いない。
軍事行動を執る際に気を配るのは単一の突出した戦力では無く、多数の平均的なものだ。優れた個は確かに能力だけを見れば成程、重用に値するかもしれない。しかし、戦争は狭く限れらた範囲で行うものではない事は明らかだ。
戦力は点では無く面で、一角だけではなく多角的に用いるのが正しい戦争の仕方である。
異なる性能の機体を混在させた愚連隊は、同一行動に向かない。
見ればすぐに判る事だが、まず機動性の違いが如実に表れる。であるなら、同等まで下げれば行動できるだろうと思うだろう。
だが、それは間違いである。
満足に性能を発揮できない配置は、戦力の無駄以外の何物でもない。
等しく同じ性能で固め、適切な戦力配置が戦争を勝つ条件である事は古代から通じるもの。最強の戦力を用意できたとして、それ一つで戦争に勝利する事はできはしない。
現代兵器最強の座に君臨した、このモビルスーツもそうだ。
主力兵器がモビルスーツに移ろうとしても、空挺部隊等による偵察、戦車を中核とした陸戦隊による拠点制圧、更にはこれらを維持する補給部隊が損なわれば戦闘継続なぞ、夢のまた夢である。
一ではなく十の、十よりも百による部隊の連携が勝利の鍵であり、戦場の趨勢を有利に進める上での鉄則であった。
「ウチの隊も、漸く元通りになりそうだね」
下がる一方の気分を仕切り直そうと、着々と揃えられるモビルスーツに意識を投じた。
型はMS-06、ザクではあるが用途に応じたタイプの機体が彼女の瞳に映り、これらを誘導、整備するメカニックマン達の姿を満足そうに眺めていた。
意外と思われるかもしれないが、態度とは裏腹にシーマ・ガラハウ中佐は職務に真面目な
加えて、面倒見の良さもあって当時数少ない女性兵士が中心であった隊が、それを上回る野郎どもが付き従う大所帯となったわけである。
でなければ、腕っぷしの立つ荒くれ者を配下に出来はしないし、恐怖だけで縛れるほど男は女に従順ではない。
そもそもがジオン公国の前身、共和国の時代より義勇兵が戦列に加わる事を許可されて以降、シーマの人柄を慕う連中が徒党を組み、膨張したのが彼女を頂点としたガラハウ隊の発足である。
戦場で助けられた者、拾われた者、貧民階層から立身した彼女を支えたい連中を基幹とするこの部隊は正規、不正規を問わず他と比べて連帯能力が抜きん出ている。それだけに仲間意識が強く、シーマ・ガラハウでなければ扱えない。
窮地に陥った仲間を救う為、敵拠点に突撃したメルティエ・イクスとハンス・ロックフィールドは認められたものの、同部隊であるネメアの所属隊員と打ち解け合う様子は、彼女の目からしても少ない。
同じ部隊だから仲良しこよし、といくわけが無く。部隊間の連携を強化すべきなのは理解している。彼女の一声があれば、戦列を共にすることも可能だろう。が、それも「命令だから従う」なのだ。強制で築き上げたものが正念場で信用できるのか、不安要素は未だ拭えずにいるのが現状であった。
信頼関係の切っ掛けがあれば気の良い奴が多い彼らも共に在る事も吝かではないだろう。
だが、その切っ掛けが中々に難しいのだ。
問題は彼らが頑なに、ある種の臆病になっているのは、以前在籍していた場所が特殊であったから。
(もう、吹っ切りたい……んだけどね)
軍の暗部、所謂汚れ仕事を強いられてきた過去が暗鬱とした思いにさせるのだろう。
睡眠ガスと称されて配備されていたものが毒ガスで、気付いたらコロニーを一つ壊滅していたのだと。騙されて行った己の所業に、独りコックピットの中で絶命した誰とも知らない人間に懺悔した過去は、経歴を抹消された今でも拭い切れるものではない。その惨状を視認してしまっては、重く引き摺る罪の意識という鎖から逃げられるものではなかった。
ネメアという部隊で一括りにされた今も、”自分達とは違う”彼らに対してどうしたら良いのか、正直シーマもまだ分からない。
知らない間に戦争犯罪者に、戦後の生贄と末路を決定された身である。彼らは知らなくても、自分達が理解している限りこれは付いて回る意識の垣根だろう。
それでもシーマ自身は協力的に、与えられた任務に対して従う姿勢は崩す事はない。失うところであった軍人の誇りを、紙一重で救ってもらえたからこそだ。
こういった経緯から彼女は、ガラハウ隊はキシリア・ザビ少将に恩義がある。部隊指揮者であるダグラス・ローデン大佐に従うのも「キシリア少将がこの身をネメアに配したから」でしかない。
個々人でネメア部隊員と友誼を結んだ者もいるようだが、大多数はまだ
幸いにも、隊員同士の衝突や諍いは起きていないが、このままでは不味いとシーマ自身痛感している。
「あれ、シーマ中佐? 機体の様子を見に来たの?」
振り返れば、長身のシーマから頭二つ分ほど低い位置からまた声がした。
「確か、威力偵察して来たんだよね。連邦軍と接敵は無かったの?」
「ああ、確かに見つけたさ。ただ、正面からぶつかるのも馬鹿らしくてね。
こっちから、鉛玉をたらふく食わせてやったのさ」
紺の髪をヘアバンドで留めた幼さの残る容姿、活力に満ちた表情が眩しい少女が其処に居た。
メカニックマンに混じって、いや彼らの指揮を執るこの小さな才媛の名は、メイ・カーウィン。
先ほどのように物怖じしない態度で接する事が多く、生意気盛りの子供と言えるがシーマ個人はメイを気に入っていた。
手に職を持ち、それに自信を引っ提げてこの少女は大人しかいない世界に踏み込んで来たのだ。
自分が同じ年頃はどうだったか考えて、たいしたものだと尊敬すら感じている。
「あー、なるほどぉ。だから弾薬の補給と簡単なメンテで済むんだね」
納得したように頷くと、彼女はお手製のモバイルと一緒に小脇に抱えたボード、そこに挟まれた書類を幾つか捲って、またコクコクと頷いた。
「下手にドンパチするのは三流さね。上手な戦い方ってのは、こっちの被害を最小限にして」
「敵さんの被害は最大限に、でしょ?
メンテする側としても、そっちの方が助かるよ。パイロットも機体も、無傷が一番!」
シーマが扇子を軽く振りながらレクチャーの素振りを見せると、メイは続きを合わせてニシシッと笑う。その対応にクックックと笑いながら、歳の離れた妹が居たらこういうものだろうかとも。
存外に悪くない、と幾らか気が紛れたシーマは靴音を鳴らしながらハンガー内を進む。
それに付いてくる小さな足音に、
「こっちが働いてた時に、面白い見世物があったんだって?」
この場所に立ち寄った目的のものを捜し始めながら、問い掛けてみる。
ガラハウ隊が連邦軍との境界線上を越えた威力偵察を行っていた頃、この拠点では新型機の披露を伴ったエース同士の演習が始まっていた筈。
今後ネメアの旗艦となるザンジバル級機動巡洋艦が到来し、その搭載機が新型機と聞いている。連邦軍が開発したモビルスーツのコンピュータを複製したものに、ジオン軍のモビルスーツを構成する部品群を統合したもので組み立てたのだと。
生産性や、部品共有化はモビルスーツの整備性に直結するものであるから、その点は大歓迎ではある。
だが、コックピットの中でも変化があり、機器の配置違い、操作に慣れを要すると新型機を覗いたパイロット達から聞いてもいた。
今は新型機という事もあって少数生産であろうが、生産体制が整えば近い将来乗り換える可能性が大きい。
ならば、訪れる機会の為に情報を収集しようと思うのは当然の事であった。
「見世物って……演習の事?」
声のトーンがあからさまに落ちた事に、シーマは「またか」と胸中で呟いた。
「なんだい、またイクス中佐が何か起こしたのかい?」
うんざりした様子に、年少の女の子は「まぁ、ちょっとね」と言って誤魔化した。
実際はちょっとどころの話では済まなかった。
新型機がお披露目の当日に、動作不良を起こしたのだ。
演習終了時に発覚したので整備班は大いに慌てたが、パイロット搭乗時には問題が発生していなかった事が不幸中の幸いと言える。
現在は総点検の為に分解整備措置を採り、他に異常が無いか確認作業を行っている。
頭の痛い事に演習時損傷した脚部の修理、それに連結した腰部の軸が僅かにズレている事が分かり、調整作業も並行して進められていた。
整備主任であるメイもこれに憤慨し、現地で勝敗を決した後も醜い争いをしていたイイ歳の大人を相手に物申した。
「まぁ、馬鹿な男に苦労するのは良い女だけさ。頑張んな」
「うぅぅ、でも、もう少し、ううん、もっと機体に無茶させない操縦はしてほしいんだよ!」
思い出して怒りがぶり返したのか、目線まで両手を上げてぐっと握るメイに、おざなりなエールを送っていたシーマは、小気味良い音を残して開いた扇子をヒラヒラと揺らして、目を細めた。
「やれやれ、補充員がやってくるっていうのに、これじゃ先が思いやられるネェ」
目的の場所に到達した彼女らの前には、四肢が完全に分離した状態で整備を受ける蒼いモビルスーツの姿があった。
「あれ、ロイド大尉が居る。作業進捗でも確認しに来たのかな」
モビルスーツの頭部に接続された太いケーブルが集結したモニターの前に陣取り、忙しくコンソールを叩いては液晶の光で眼鏡を光らせている長身痩躯の男が、其処には居た。
ロイド・コルト技術大尉は時折作業員を捕まえて二、三ほど会話をしては作業に戻るを繰り返していた。
その光景に首を傾げながら、しかしその場に居ても不思議ではない男ではある。
二人はしばらく作業風景を眺めていたが、突然メイが「あっ」と声を上げた。
「シーマ中佐、補充員が来るって初耳だよ。何人来るの?」
「今更それかい? まぁ、いいけどね。確か、予定では三名だったそうだよ」
「うん? ……予定では?」
言い回しに引っ掛かりを覚えたメイは、隣に立つシーマの顔を見上げた。
「……ま、運が無かったんだろうね」
彼女はそう言って、
「移動中に連邦の哨戒隊に見つかって戦闘。三名中一名が戦死だとさ」
昨日の天気を振り返るような、何でもない事を口にするように呟いた。
◇
「救助、感謝致します。パオロ艦長」
年若い連邦士官は、極秘任務に臨む新造艦ホワイトベースのブリッジ・ルームにて良く通る声を上げた。
パオロ・カシアス中佐はそれに頷きながら、対面した二人を改めて視界に入れた。
先に口を開いた方が階級が上なのだろう、少尉の階級章を襟元で確認できた。
ヘルメットを脱いだ時に跳ねたのか、収まりが悪い黒髪に意志の強さを感じさせる黒眼、優しげな風貌が軍人には似つかわしくないように思えるが、強面ばかりの軍隊もそれはそれで味気ないとパオロは思い直した。
その後ろに控えるのは、階級章から軍曹だと分かる。
こちらはファッションなのか、民族の習わしなのか今一つ理解出来なかったがドレッドヘヤーであった。先の少尉に比べて体格の輪郭が太く、硬い。対照的な強面であるが、緊張しているのか顔が強張っていた。
「友軍を助けるのは当然の事だ。気にせずとも良い。
……原隊は残念であったが、今は君達二人の命が繋がった事を喜ぶとしよう」
前に立つ二人はホワイトベースの航行ルート上で戦闘中であった哨戒部隊の生き残りであった。
二人は同部隊ではなく、担当区域が重なった宙域でジオン軍の輸送部隊を発見、戦闘に入ったのだという。
パプア級補給艦は撃破できた代わりに、直衛部隊からの反撃に遭い壊滅したと聞いている。
事実、パプア級の残骸を捉える事もできた。ホワイトベースが宙域に進行するまでにジオン軍は撤退したのか、既に消えていた。
戦闘中であればホワイトベースがジオン軍に露見する事を恐れ、極秘任務中という大義名分を利用して見捨てるという選択肢もあったが、戦闘が終わり生命反応を探知してしまえば後の判断は迅速であった。
「重ねて、ありがとうございます」
一拍溜めがあったのは、戦死した原隊員を思い出したのか。
二人の様子を観察しながら一つ頷いて、パオロは今後の話を切り出した。
「まず、我が隊は現在極秘任務中である。
既に承知しているとは思うが、これが完了するまでは、二人を本艦から降ろす事はできない」
「はっ、了解であります」
反論も返事に淀みも無い事から、予想はしていたのだろう。
その反応に、ある程度の想像力は働くか、とパウロは少尉を値踏みした。
「うむ。今後は臨時編入扱いとして我が隊預かりとなる。
よろしく頼むぞ、シロー・アマダ少尉、テリー・サンダース軍曹」
二人の了解を聞き、パオロは彼らがクルーに何らかの変化を起こす事を期待していた。
その思案が、吉と出るか凶と出るか、神ならぬパオロ・カシアスには未だわからなかった。
思わぬ救助者を拾いながらも、ホワイトベースは粛々とサイド7へ航行して行く。
時に、U.C.0079年9月10日の出来事であった。
閲覧ありがとうございます。
上代です。ご機嫌如何。
今年初の投稿です、しばらく執筆から離れていたので文章がやヴぁい(震え声)
……こう考えるんだ、読者の皆さんは其処までのレベルを上代に求めていないと(自爆)
さて、物語は徐々に進行中。
メルティエは、アンリエッタはどう行き着くのか。
その前にエスメラルダの場面を作らんといかんね、あと他のキャラも。
シーマさんとメイちゃんが居たら、こんな風になっちゃったんだ。
意外と合いそうじゃない? そう思ってくれた方が居ると嬉しい。
あ、シローとサンダースはホワイトベース隊が頂いて行きますね^q^
これ予見していた人、果たして何人いるだろうか。
アイナさん出したら、シローも出さないとね……(使命感)
原作浸食し始めたので、各原作に思い入れがある人は今後閲覧注意ですぜ。
感想への返事も、ぼちぼちしていく次第であります。
今後も当作品をよろしくお願いします<(_ _)>
では、次話で会いましょうノシ