朝露零れる夜明け時。雲の厚い層を突破せんと溜まる光りは、空を青白く見せる。
生物が起き上がり、其々の営みを始める大事な時刻に、その一団は活発に動き声を上げていた。
辺り一面に飛散している金属の、熱で至る所が融けた塊を検分する者。
空輸された機材を降ろし、頭に設計図でもあるように素早く組み立てる者。
作業に没頭する彼らの周りを歩き、銃器を構え様々な声を灯す周囲に視線を走らせる者。
その地に足を踏み入れた彼らは一言も発しはせず、各々が課された職務をこなそうと脇見もせず手と足、目を動かした。それが今の自分達にとっての使命と信じているからだ。
彼らが一つの群体が如く動くこの地はアジア中東部に位置し、幾度も銃火が飛び交い力ある勢力が衝突した地区でもある。
開始から一時間が経過する頃には、組立が終えた重機や設備群が存在し、求められた仕事の処理に追われて行く。休み無く次々と組み立てられたは現れる様は、まるで魔法のよう。
そうして、生物の関節から発する音、金属が組み合う音、土を踏み締める音以外のものが、遂にこの地へ落とされた。
「鑑識班、目星は付けたな!? ――――よし、敵モビルスーツのパーツを回収しろ!」
「まだ熱がある? クレーンで吊り上げろ! 多少は変形しても構わん!!」
「
「
「
「其処のレッカー邪魔だ、退け! 人命救出が先だ! 中佐がまだ中にいんだよ!」
「運搬用のザクがあんだろ!?
「訓練でしか
「馬鹿野郎! 動力炉が生きてる可能性があんだぞ!? ノーマルスーツでやれ!」
「衛生兵、連邦兵にまだ息がある! 担架持って来てくれ!」
「おい、しっかりしろ、指が何本か見えるか? ……ダメだ、意識が無い!」
「死なすな! 生かし続けろ! 殺すなら
「ヘリはまだ来ないのか! くそ、駐屯軍サマは何してんだよ!?」
「何時もの事だろうよ、あのクズどもめ! おい、コックピット・ハッチを溶断する。退いてろ」
「……あ、あった! ちゅ、中佐のだ! ドムの中から生命反応、出たぞぉ!」
「ホントかよ!? …………反応、ちいせぇじゃねぇか。急いでくれ! 生きてっけど、やべぇ!」
「急かすな、トーチがズレるだろうが!? ――――おし、ハッチを降ろすぞっ」
「中佐、中佐! 聞こえますか!? もう少し、もう少しだけ辛抱してください!」
「よし、このまま……あん? モビルスーツで降ろせ? 中佐を?
――――ふっざけるな! 下手クソな餓鬼を寄越しやがって、テメェらあとで殺してやるぞ!?」
「基地までファットアンクルで飛ばせ! 資材? そんなモンは後でどうとでもできるだろ!?」
上下左右で繰り広げられる怒号と要請の最前線から離れた野営テントの下、作業状況を見守っていたサイ・ツヴェルク少佐は漸く息を吐いた。
最悪の展開にならなかった事に独り喜び、強行軍で指揮を執った身だが今はその疲労感すら心地良い。各地へ展開した全部隊への吉報が、一先ずは約束されたのだ。普段は無愛想なサイもこの時ばかりは表情筋を勝手に動かしては広がる笑顔を止める気など、起きはしなかった。
「信じ難く捉え所が無い話でしたが、まずは良かった。
ただ、帰還報告書を提出するに、内容は考えなくてはなりませんね」
連絡が途絶えた先遣隊に異常を感じ取った人物のおかげではあるが。正直何と評してよいのか、扱いに困っていた。恐らくは上官のダグラス・ローデン大佐もそうであろう。
夕暮れ時にメルティエ・イクス中佐が保護している少女、ロザミア・バタムが緊急救援要請の為に出撃した彼の姿を求めて基地内を彷徨い出し、それに呼応するようにアンリエッタ・ジーベルがブリッジ・ルームに出現し後詰部隊出撃の許可を願い出た時は流石のサイも大いに慌てた。
――――彼女の奇行の始まりが、メルティエに危機を伝えたのだと知る者は、存在しない。
「蒼いのが、怖いのが来る」
そう譫言のように呟いては、親を求めて歩く少女。
陽が落ち始めた頃であったのも手伝って、彼女を不気味に思ったのはサイだけではあるまい。
衛生兵が精神疾患かと慌てて捕まえようとすれば、尚更声を上げて泣き叫ぶのだ。
気が触れたのか、と身を案じる者達が周囲に居たから助かったものの、悪意ある人間がその光景を見れば要らぬ誹謗中傷を撒く可能性もある。
幸いにネメア部隊員で占められている事もあって、厳密に部外者と指せる者は件の少女だけであった。
民間協力者のキキ・ロジータやユウキ・ナカサト曹長が傍に居てくれる事になったが、時折跳ね上がるように動いては「おとーさん、おとーさんっ!」と悲鳴を上げる少女は伝え聞く悪魔憑きのようだと、不謹慎ながら思ってしまう。
そして、ミノフスキー粒子が世界に存在する事が立証されて以来、連絡が途絶える事は戦場ではあまり珍しくない事象となっている。
敵部隊と遭遇した地へ出向いた事もあるし、先遣隊として出撃したメルティエ達と一定の場所から音信不通となっても不思議ではない。それが何度も経験した、日常的に起こるものだからこそ、”慣れ”というものが出来上がってしまった。
常勝部隊と持て囃された慢心、平常通りと思い込んだ油断、幾度も重ねた感覚の麻痺、都合良く討たれる危険性から目を逸らした心の隙間。
特務遊撃大隊ネメアは、それらに該当すると同時に全てに侵されていた。
個々人の勝敗は置いとくとしても、部隊戦績としては事実負け知らずでこの戦争を泳いでいた。
どの戦線も圧倒的な戦力で勝利したことなど一度も無い。
僅かな差で勝者となった、それが実際の部隊成績。
だと言うのに、勝利者として酔えるのはたった一つの特異な理由があったから。
「自惚れていた、わけです。
まさか、一等嫌っていた部分が知らぬ内に根付いていたとは、滑稽ですよ……。
私も皆も、等しく愚かしい」
――――戦死者ゼロ。
戦争をすれば必ず付き纏う異例の数字が、「ネメア」の名を貶める毒であった。
危機感を失った兵士など、脅威足り得ない。
誤解していたのだ。これが我らの力だと。
必死に戦う一部の人間だけが異なり、他は只々群れる有象無象に堕ちる処であった。
部隊設立当初は、この身にも引き絞られた弦に似た緊張感が、確かに在った筈なのに。
蒼い獅子の為人を見定めると決めた癖に、最前線に挑み続ける彼が助けた女の子を気味悪がり、挙句に精神病患者と誹った自身を撃ち殺したい。
常の自分ならば、受領した艦の試乗運転に丁度良いと進言して、彼の出撃に同行していた。
「友軍機が消息を絶った場所には、敵部隊が展開している可能性が高い事は分かるはず。
もしこれが撒き餌であり、イクス中佐が罠で敵の輪の中へ誘導されたとしたら危険です。
ザンジバル級機動巡洋艦ネメアの試乗運転を名目に、援護に出るべきと具申します」
感情が灯らない瞳で、無機質な声色で、行うべき事を何故やらぬのかと。
そうアンリエッタ・ジーベル大尉が申し出た時、部隊設立時に副官のポストを狙っていたと耳にしていたのを思い出し、今がその時だと動いたのかとサイは邪推した。
気付いたのは、いつもメルティエを労わっていた時の彼女と今は違うという事だけ。
優しげな印象など捨て置いたかのようにその貌は霜が張ったように冷たく、纏った冷気が伝播したのか灰色の青年を追っていた瞳は、只々上位軍権を持つだけのサイを突き刺し、抜身の刃じみた鋭さを称えていた。不要な言葉を吐けば、斬られるとさえ思うほどに。
外聞も無く白状すれば、サイはアンリエッタに恐怖していた。
彼女が豹変した事もある。
アンリエッタの唇から吹雪いた文句、それは一々が正論である。
但し、正論がその場に響くという事は、それに反する行いの者が多く存在するということで。
この場に居るサイを含める者達で、ストンと話を飲み込み同意できた同胞は何人居ただろうか。
そして、宇宙世紀に入り身体よりも知識が優先される時代となっても、男女の差別化が難しくなった世の中で今も男尊女卑の思考を持つ者は何処にでも居るのだ。
現にメルティエの副官の位置に居た彼も相手の弁を理解していながら了承できず、思考が空回りしていた。
よりにもよって、世には情婦が男の権力を笠に着て暴走する話も実在するのだから、アンリエッタがそうでないとも限らない等と。
今思えば、何と馬鹿な事を思い付いたのだろうか。
今後の計画を詰める為にダグラスやシーマ・ガラハウ中佐が居なければ、心中から漏れ出た言葉が現実となる可能性があった。サイにしてみれば首一枚で繋がった心境である。
四者による話し合いの末、新造艦であるネメアは使用せず、出撃するのはドダイ爆撃機に搭乗したモビルスーツ隊による後詰に決定した。
静かに拝聴していたアンリエッタは、これに短く感謝すると踵を返しその場を去った。
その後、僅か二十分で出撃したアンリエッタを隊長とした小隊は、月光が僅かに零れる夜間帯にも関わらず低空飛行を慣行し、メルティエ達が進軍した地点へと向かった。
連絡要員に帰還した後詰隊員が一時報告する内容は、ブリッジ・クルー全員の顔を青褪めさせるに足るものだ。
――――敵モビルスーツ部隊に奇襲され、隊長以下全機損傷アリ。
僚機として出撃したザクIIのカメラから転送された映像を見て、やっと重い腰を上げたと思われても仕方がない。
少なくとも、元第168特務攻撃中隊から籍を置く者はサイを信用しないだろう。
アンリエッタ以外にハンス・ロックフィールド少尉、ヘレン・スティンガー准尉以下動ける人間が全員出撃しているのだ。
彼らは出撃にもたつく上の判断に「正気か?」とアンリエッタを問い詰めたと聞く。
迅速な戦闘展開が可能な男が、即断即決で事を成してきた人物が居ないだけで、こうも隊は割れる。現に、以前から付き合いがある隊員の信頼はこの件で崩れたと言っていい。
忠言しに現れた彼女に暴言を吐いていたら、どうなっていたか。
恐らく、二度と味方と思われないだろう。その想像は然程難くない。
だが、それだけではない。
今も安否を気遣われる人物の事を、前に出ては機体を破壊して帰ってくる、成長しない奴だと。そう部隊内で思う人間は少ない。
思っている人間は前線の恐怖を知らない後方担当か、彼を妬む輩だと今回の事で思い知った。
敵が詰める陣地から密集攻撃をされる恐怖を体感して、生きて戻った人間が居るのか。
名声を得た身で前線に立ち、その身を隊員の盾代わりに扱うエースは居るのか。
情報が皆無の敵モビルスーツと幾度も遭遇し、正面からぶつかっては敗北する事無く戦い抜いたパイロットは居るのか。
これを理解して出来るなら、やってみるが良い。
他人を生かす為に死地に飛び込む獅子の生き様を、僅かでも感じ取れ。
あの男が前線に拘る理由は、功名心に非ず。
只々、同胞を生かして帰したい。それだけなのだ。
それだけの為に、アレは幾度も被弾しながらも、必ず還って来た。
次の戦場でも仲間を守る、その為だけに。
他者には理解出来ない異常性。
その行動原理に甘え、のうのうと基地に駐留していた。
果たして、負傷する度に彼だけを心配した人間は、この部隊の何割に達するのだろう。
この部隊で一番代えが利かない人間であることを忘れ、ていの良い弾除けだと嗤うのか。
本来の弾除けは己らの癖に。
長を守り死ぬ責任を放棄した軍隊など、価値はあるのか。
必要ない。そんな能無し共など。
存在してはならない。「ネメアの獅子」は彼の、彼の為の部隊なのだから。
例え一度だけ。一度だけでも彼より自分を上だと。守られて当然だと思い違いをしたウツケは、須らく名を連ねる意味等無く。
「本当に、滑稽です」
サイは、見誤った。
何も自分だけが値踏みしていたわけではないのだと。
見定められていたのは、
◇
「これが、連邦のモビルスーツですか」
後詰部隊としてアンリエッタ率いる部隊に帯同したケン・ビーダーシュタット中尉は夜通しの警護を終え、休憩前に立ち寄った屋外ハンガーを見上げた。
直立に固定された、欠損が多い蒼い連邦製モビルスーツ。
ジオン軍に代表されるザク、グフ等のブレードアンテナやスパイクアーマーといった刺々しいものが見当たらない。外観も直線的な形状が多くを占め、全体的にスマートな印象だ。
頭部カメラの外観もモノアイではないゴーグル型であり、しかもその中はデュアルセンサー形式で外面は一ツ目だが内部は二ツ目という隠し構造のようなもの。デュアルセンサーの恩恵なのか、センサー有効半径もザクIIの約二倍ほどだと言う。
今まで目にしてきたモビルスーツと比べると細く、耐久性に難があるように思える。
が、これは新型機のドムとパワー比べをして拮抗し、その駆動部はあのドムを、重モビルスーツを空中に蹴り上げても戦闘継続になんら支障が無い強度があると実戦で証明してみせた驚嘆すべき構造を有している。
全身に圧倒的な堅牢さを誇るルナチタニウム合金を使用し、一二〇ミリマシンガンの至近距離弾を受けても損傷を与えられない防御力を持つ。これに効果的な攻撃はバズーカやミサイル等の爆砕か、白兵戦用武装による肉弾戦、またはケンが搭乗するズゴックに搭載されたメガ粒子砲だろう。
この装甲を有する機体とは、出来れば戦場で相対したくない敵だと、カリマンタン攻略時にケンは思い知った。
攻撃能力の低下はそのまま生存率に繋がる。ズゴックではなく、ザクIIであの作戦に参加していたら今此処に居たかどうか、考えたくもないが怪しい所であった。
「おや、ビーダーシュタット中尉もこちらに来られたのですね」
嫌な思いを浮かべたケンは、投げ掛けられた声にこれ幸いと振り返る。
ボード板を片手に歩くロイド・コルト技術大尉は、今から休憩に入るのかコーヒーを美味そうに啜っていた。
長い黒髪に野暮ったい眼鏡、インドア派を主張する白い肌に着崩した軍服の彼は、ペタンペタンと情けない足音を立てながらケンの隣で薄い笑みを浮かべる。
相性的に良さそうに思えないだろうが、ロイドはメルティエ・イクス中佐、ハンス・ロックフィールド少尉といった毛色が異なる人種と仲が良い。
信頼するメルティエ以外の言葉をまるで汲まない問題漢ハンスがその耳を貸す、数少ない人間に挙がる人物がこのロイドであった。
そのため技術官以外の評価も高く、整備手腕も優れた彼は担当職務以外でも人望がある。
「ええ。ジーベル大尉が後詰に向かうと聞いたので、心配し過ぎとも思ったのですが。
……できれば、杞憂であってほしかった」
連邦モビルスーツは頭部以外の損傷が大きい。
胴体部はコックピット部に当たる部分が溶融し、電子機器の重要部位が溶断されては正確な情報を抽出する事が難しい。機関部は幸いなことに無事だが、ジオン軍の現行モビルスーツとの規格が異なる為にその流用は現実的ではない。
左腕は上腕部から消し飛んでおり、防塵処理を施された内部構造が覗く。右腕は下腕部まで現存しているが、その手首から先はまるで
下半身のアポジモーター部は高熱により所々が溶け込み、自壊していた。他に目立ったダメージは見当たらないが、自走は出来ても推進器の復旧は難しいだろう。
背面は胴体部を貫通した時にランドセルが爆発したのか黒い煤に覆われており、辛うじて形は保っているが内部機構は壊滅的だろうと推測されていた。
「気持ちは分かります。私も
……でも気になるんですよ。居ても立ってもいられないくらいに。ふふっ、可笑しいでしょう?
嫌な予感ほど当たるなんてモノは、迷信の類と信じたかったのは、皆そうだと思いますよ」
その隣に設置されたハンガーに、二人は視線を送った。
蒼いドムが、其処に在った。
其れをドムと呼べるのは、かつての外観を憶えているのは二人にとって、今もこの地を走り回る隊員達にとっても大事な人物が扱う機体だったから。
ハンガーに
頭部にあった特徴的な十字のモノアイレールは破壊され、モノアイは運搬時に脱落したのか在るべき場所に存在しない。
胴体胸部を大きく穿った傷跡は下から上に突き放たれたのか、胴体中央を大きく抉り抜いたまま上に至り頭部を破壊したと視られる。その左胸部には鈍器で無理矢理こじ開けたような醜い痕があり、そのまま奥へと突き込まれたのか、奥にある内部機関は手酷く潰されていた。
その惨状の真下にあるコックピット・ハッチは熱が伝わったのか形状が変形し、中へ侵入する為にハッチ部が溶断されていた。高熱に弱い機材防護膜がパイロットに付着し、救出する際に何人もの隊員が熱の残る装甲板の上で引き抜いたと聞く。
どれほどの衝撃を受け止めたのか、胴体と腰の接合部にあるジャイロバランサーが完全に死んだと整備班から報告を受け、青い顔をしながら従事していたメイ・カーウィン整備主任が卒倒した。
不幸中の幸いか、その下のホバーユニットには問題ない。左足先に凹みがある程度だ。
尤も自立歩行を司る部位が破壊されているので、このドムが立つ事は二度とないだろう。
現在取り外し作業が続くビームバズーカ格納バックパックは、現在流用先を検討中である。
データも満足に収集できたと言えず、再収集の為に残しておきたいのだがしばらくは日の目が当たる事はないだろうと、ロイドは梱包先のコンテナに目を細めた。
「メイが倒れたと耳にしましたが、平気でしょうか?
……あいつは、中佐の状態を見たのでは」
「いえ、近くに私共も居ましたが、その目で見てはいない筈ですよ。
恐らく、彼女はドムの惨状と中佐の容態を重ねてしまったのではないでしょうか。
感受性が高い子は、想像で身体にダメージを作ってしまうこともあります。
今は休ませてあげましょう。彼女が居ない間は何とかフォローしますし」
「ありがとうございます、コルト大尉。
……メイの事は此処の所、中佐達に任せっきりでした。
少し余裕が出来たので、宇宙に居る家族の事を考える時間が作れたものですから」
「それは間違いではありません。
私も同じく家族を持つ身ですから、中尉の気持ちも分かります。
……今の彼らを見ると、そんな気も失せますがね」
とある方角にロイドが目を向けると、釣られてケンも見た。
救出されたメルティエ・イクス中佐を搬送するファットアンクルが離陸準備を開始するようで、付近は艦体側面から伸びるローターの風力で突風のように凪いでいる。
其処に収容されているのは、メルティエだけではない。
彼が戦死したと思い込み、殉死する覚悟で敵部隊と交戦を続けたエスメラルダ・カークス大尉が、今も興奮状態から脱し切れず苦しんでいる。
損傷したザクキャノンと共に回収されたリオ・スタンウェイ曹長は軽傷ながらも、その目でメルティエが相討ちになる瞬間を目撃したのだろう、中佐を守れなかったと悔やみ、最小限の受け答えしかできずにいた。
孤軍奮闘するエスメラルダ機を援護し終えたアンリエッタ・ジーベル大尉は、本部への救援要請をガースキー・ジノビエフ少尉、ジェイク・ガンス准尉に託し、残存敵の索敵を自ら行う等精力的に動いた。
その彼女は到着した救出部隊が行動を開始すると、あっという間に蒼い敵モビルスーツへ肉迫し腕を斬り飛ばし、機体を蹴り飛ばした。
これは救援部隊がザクIIの慎重な操作に難色を示したからではなく、一番にやりたい事を我慢していた彼女が、遂に限界へ達したのだとケン達は理解していた。
「敵モビルスーツも回収できますし、それは捕虜も同じ。
彼らにとって幸いなのは、相手をしたのがカークス大尉だったことの一点に尽きますね。
これがロックフィールド少尉であったのなら、全機ともコックピットを射抜かれて終わりです」
「それは…………そうですね、彼ならば機体確保の意味では無く、射殺する事に重きを置く」
交戦開始直後は頭部とコックピット部を完全に破壊して無力化していたのだろうが、そのエスメラルダもアンリエッタと合流以降は残存する部位を集めれば機体を何機か組み立てられる程度にはある。関節部を次々両断して行った手口から、恐らくはアンリエッタによるものだろう。
今もメルティエの傍を離れない彼女に其処までの技量があると、そう正しく理解しているのは昏倒している彼だけだろう。「格闘センスならエダに、精密性ではアンリに負ける」と苦い顔して笑っていたのを、ロイドは覚えている。
だからこそ、他の隊員ほど驚きはしない。
あのメルティエ・イクスは世辞が下手で、迂遠な言動も同様だ。
初対面のキシリア・ザビ少将に失笑され、以降対面する度に指摘される経緯から本人はその苦手を克服しようとしている、らしい。
尤もこの類の成果は芳しくなく、内勤に転向するなら出世は見込めないだろう。腹の探り合いが出来ない人間には息苦しい世界でもある。
その男が、我らの最強戦力が彼女達を手放しで褒めるのだ、つまりはそういう事だ。
「イクス中佐が最前線で奮闘する影には、彼女らの働きが常にありますからね。
彼女達が居ない時に限って連邦の新兵器とぶつかり合うのは、くじ運が悪いのか、はたまた生還を貫いてる分だけに悪運が強いのか。うーん、実に難しい所です。
其処をロックフィールド少尉が狙撃やフォローで助けていますが、彼も問題はありますし」
「ロックフィールド少尉の実力は誰しも認めます。ただ、行動指針に感情的な部分が大きい。
彼を強力な個として活用、戦列に組み込める指揮官は今までもこれからも、一人だけでしょう。
狙撃以外の技量も高いパイロットなので、何処の部隊も欲しがるでしょうが……彼は、彼が心服する人間にしか扱えません。
イクス中佐が敵兵に降伏を促し、その結果も知る彼は味方以外徹底的に排除する傾向が強い。
今回に限って言えばカークス大尉もその面がありますが、一対多の局面でそれを問うのは酷ですし、ナンセンスです。戦力比に差が開き過ぎてますしね。
ただし、ロックフィールド少尉は違います。余裕があろうとなかろうと、潰すでしょう。
もしかすれば、中佐よりも彼の方が仲間を意識しているのかもしれません」
ロイドとケンが危惧する通り、ハンス・ロックフィールドという男ははそういった”今後に活かす倒し方”をしない。
出来ないのではない、
特に今回のような”弔い合戦”とも言える場合、彼は
ハンスの機体が整備の都合により遅れた為に、降伏の意志を見せた敵兵士殺害などという最悪のケースは避けれた。
だが、彼の中でメルティエ以外の佐官陣に対する不信が芽生えたのは免れない。
同じ隊で在ったとはいえサイ・ツヴェルク少佐は完全な裏方であるし、関係も薄い事に加え今回の出来事はある種の自業自得とも見れる。
シーマ・ガラハウ中佐はアンリエッタの言に「過保護ではないか」と一笑したとも。その結果がこの有り様では、蒼い獅子を「大将」と呼び慕うあの忠誠無比の狙撃兵がどう構えるか、考えるまでも無く仇と大差ない視線を叩き付けるだろう。以前彼女の部下を救出するために無茶をしたのも、彼ら二人なのだから。
唯一、メルティエ・イクスを正当に評価するダグラス・ローデン大佐のみ安全圏だろう。彼だけがアンリエッタの考えに同意し、その甲斐あって後続部隊が編成できたのだから。部隊員に気さくな態度で接するこの初老の指揮官が今回の件を受けてどう対処するかが部隊全体に関わってくる。
戦場で何度もハンス達と連携し、確固たる信頼関係を築いているケン達は、部隊内に漂う空気を感じてから戦々恐々である。
「穏便に物事を進めたいところですが……良くて短期間の各中隊行動、悪くて部隊間連携の消失ですかね。最悪は部隊間の対立ですが」
軽く首を振り、技術大尉は肩を落として重い溜め息を吐く。
ケンも軽いものだが、時折走る頭痛を感じずにはいられない。
「補充員も追加、民間協力者も部隊内に多数参加しています。
以前はガラハウ隊が数の多さから主力の位置に居ましたが、現在は名実ともにイクス隊が我らの”顔”です。外聞ではなく
今の彼らは後続部隊派遣の内情を知りません。根が純粋な若者が多く、壮年の方でもイクス中佐を家族のように想ってくれている人ばかりです。
……もし、もしもですよ?
ネメアに続々と入るのは、キキ・ロジータの故郷や所縁のある地から選出された人材が多い。
彼らの出身は中東アジア方面から連邦軍が撤退する時に食糧等の徴収を受け、女子供に手を出す等山賊行為とも呼べる被害に晒されたのだ。
その地へ侵攻作戦で活躍した蒼いモビルスーツが出現し、巡回に何度も訪れれば一度は村を脅して上手く隠れたとしても、その後は時間の問題だと頭の残念な者でも勘付く。実際、この手の行為に手を染める輩は自らの保身か刹那的生き方に逃げるかのどちらか。
保身に走るものは奪えるものだけ奪って逃走し、刹那的な思考の人間はその行動が蒼いモビルスーツのカメラに映り、駆逐されている。
そして逃走するにしても、日に日にジオンと連邦の勢力圏が塗り替わった事で他の哨戒隊と遭遇し同じ道を辿る。
こうした直接的、間接的なものが日々蓄積し、また物資の流通を促した事でメルティエ・イクスは中小規模の村や街での人気が凄まじい。
ケンやガースキー、ジェイクも手が空いてる時に手伝い、その影響力は肌で感じていた。
だからこそ、彼らは一刻も早いメルティエの回復と復帰を、英雄の帰還を祈っている。
「正直な所、考えたくありませんね。
私が彼らなら、拳の一発でも食らわさないと収まりがつかないと思います」
「でしょうね、判りますよ。中尉の目は存外主張が激しいようですし」
ケンはニコリともせず、蒼いドムに視線を戻した。
それにつられて、ロイドも満身創痍で戦い抜いたモビルスーツを見やった。
ケン・ビーダーシュタットは待ち続ける。
以前外人部隊と呼ばれ蔑まれていた状況に楔を打った恩人を、ダグラス・ローデン以降現れる事が無かった信頼できる正規軍人を、自分達が一丸となって支えるべき男の帰還を、蒼い獅子に救われた男は待ち続ける。
――――俺が突出する。援護を頼む、敵を捉えたら即応戦する。出るぞ!
あの一言が、一人ひとりを守るべき部下だと、仲間だと伝えてくれた男を。
――――了解!
彼を自分達の指揮官だと認めた、あの時の信頼感と心を震わせた昂揚感が、揺らぐことなく今もこの胸の中で燃えている。
「彼は――――我々の部隊長は、必ず戻る。
彼が我々の信頼を裏切る事は、今まで一度として無かったのだから」
そう言ったケンに、ロイドは眼鏡の奥で目を細めて頷いた。
二人の視界に映る蒼いモビルスーツは、主の代弁を聞かせてくれはしない。
それでも。
ただ、陽の光を浴びて、力強い輝きを魅せてくれた。
閲覧ありがとうございます。
上代です。毎年影響力が高まる大雪、強風に恐々しております。
うん? ああ、確かに気を長くして待てと頼んだな。
スマン、ありゃ嘘だ。
冒頭近くの会話連続シーンは最近御無沙汰だった”彼ら”です。
普段の”遊び”なしの本気具合が、読者の皆様に伝われば嬉しいところ。
慢心してる人達と、最初から変わらない人達の差が激しい。
厳密に言うと慢心というよりは「間違えた信頼」ですね。
誰しも一度は経験した事がある「手抜いてもいいかな」的なもの。
大抵、そういう時は手痛いしっぺ返しが来ますよね、アレです。アレ。
問題はその手抜きで蒼い人の救援が遅れ、彼に「好感度、信頼度共にMAX」の連中がマジギレ入った事ですが。
色々アウトで次話以降厳しい展開になりそうですが、寄合所帯の集団がそうそう上手く機能するわけないじゃない、という話は必ず付き纏いますからね。
これも当然起こるべき事の一つであります。
シーマさん、強く生きろ。偶にはその勘も外れる事あるって。
ロイドとケンは安定のコンビだなぁ。
見識あるキャラで出しても違和感ない二人(と作者は思う)だから、話がポンポン出るのが書き手に優しい。
……メイちゃんは想像力豊かな女の子。ナマの現場知らない子だったし、ある意味勉強になった回かな。
サイド7? ああ、何か赤い人が協定違反だってカチコミかけて、崩壊したらしいよ?
全部の描写をやると原作そのまま乗っけるだけになりかねないので「その頃サイド7は」で切る事にしました。
おっと、読者の皆さんその引き金に指が掛かった拳銃を下げるんだ。
話せば分かる(ドンッ)ギャー!
……(ムクリ)ホワイトベースは出航まで描いた方がいいのかしら。
うーん。出航後の幾つかは載せるつもりなので、それで勘弁してもらおう。
ガンダム起動 ⇒ ザク撃破は、みんな他媒体で嫌になるほど見てるだろうし。
ちなみに分岐次第でサイド7に主人公勢が入ってセイラと出会うシーンもあったのだけど、何か後々怖い展開に在りそうだったので没にしたんだ。
うん。そうそう、修羅場って怖いやん?
では、次話もよろしくお願いしますノシ