「こちらニッキ。所定のポイントに着きました」
ジオン公国突撃機動軍が特殊部隊「闇夜のフェンリル隊」に所属するニッキ・ロベルト少尉はMS-06J、陸戦型ザクIIのコックピットでモニターに表示される情報を睨みながら口を動かした。
地球に降下して以来、ニッキにとってザクIIのコックピットは弛まぬ訓練と実戦を経て躰に馴染ませたもの。今では目を閉じたままで望む操作が可能である。
その彼が只今在る場所はパナマに近いサンチアゴ山の麓、時刻は部隊名と同じく闇夜の中だ。
彼らがこの場所に足を運んでいるのには、幾つかの理由があった。
一時期は苛烈に追い込みパナマ運河までを境界線に切迫したジオン軍であったが、現在は連邦軍の長距離砲撃からの度重なる反撃に戦線が後退していた。
これは連邦軍の重爆撃機デプ・ロックによる髙々度上空からの絨毯爆撃等ではない為、対空兵器等による対策が講じる事が出来ず射程距離からの離脱を強いられている。
この際、地球軌道上から監視する宇宙攻撃軍により地上発光現象が着弾地点から一三〇キロ程の所からのものであることが判明しており、その内の最大射程が二六〇キロ前後が確認されている。
だが、この射程距離は然程驚くものではない。
重篤な電波障害を齎すミノフスキー粒子外からならばミサイル攻撃は有効ではあるし、そのミサイルは三〇〇〇キロ以上離れた場所から打ち込める。
その手段が採れないのは先述にあるように、進路上にあるミノフスキー粒子が散布された地帯へミサイルが侵入すると現在位置、目標地点を管理するコンピュータのシステムがダウンし、見当違いの方向へ飛来するか自壊する、したからである。
他にも戦地とは言えその場所に住まう住民の存在や単純に得られる戦果と消費される戦費の釣り合いがとれない事も重なり、現時点でのミサイルを使用した攻撃は両軍共に行われていない。
そうした現状の環境と物資面の問題から旧世代の有視界戦闘が主となった中で、二〇〇キロ超えの射程距離を有する攻撃は脅威であり、戦線が後退しつつある中で早急に打開せねばならない事は誰にでも理解できるものであった。
他の北米駐屯部隊と同様に、ニッキが名を連ねる「闇夜のフェンリル隊」もこの問題に苦慮する北米方面軍司令部より指令を受け戦地に臨んでいた。
『了解、ニッキのザクはその位置で待機。ル・ローアとマッドからの合図を待て。
シャルロッテ、リィも問題なしか?』
通信機から「闇夜のフェンリル隊」を束ねるゲラート・シュマイザー少佐の声が出力される。
目前では低く硬い声のため威圧感はあるものの、戦場と云う極限の場所に於いてこれほど頼りとなる声源は無いだろう。
実直な軍人然としたシュマイザーは規律を重んじる一方、戦況に合わせ臨機応変な指揮を執る。淀み無く冷静に判断を下し、安心感すら与えるこの指揮官は若いニッキにとって尊敬に足る上官であり、戦意を維持する上で欠かせない存在なのだ。
尤も、これは他の隊員も同様の気持ちを抱いていることと想像に難くない。
「はい、後続共に問題ありません。少し木が多くて視界が利きませんが、行動に支障なしです」
『ん。……ニッキ、小隊長だからといって力み過ぎた。もう少し肩の力を抜け』
「え? いや、はい。すいません」
ニッキはそう言われ、初めて自身の硬さを感じとれた。
気付けば指が無暗に動き操縦桿を擦っているし、口の中も乾いているようでザラザラとした感触がある。思えばヘッドアップディスプレイの数値を正しく認識していたか怪しいことにも。
シュマイザーに指摘されなければ分からなかった事もあり、自分は緊張していたのだとニッキは痛感した。
『いつも通りで構わん。視界を広げて行け』
「りょ、了解です!」
ディスプレイ上にワイプが表示されてはいるが、通信状況が不安定なのもあり相手の顔は映らず「SOUND ONLY」の字幕があるだけ。
互いに顔色が分からない。なのに声だけで相手の状態が判る上官に、改めて尊敬の念を抱いた。
ヘッドアップディスプレイに変化があり、登録された僚機の反応が自機後方に就いたことを知ると、ニッキは深呼吸を一つ置き汗ばんだ首元を拭う。
隊員が補充された事から部隊編成が一新され、隊を二つに分ける事となった。
アルファ小隊にル・ローア少尉、マット・オースティン軍曹。ブラボー小隊はニッキを小隊長に、シャルロッテ・ヘープナー少尉、リィ・スワガー曹長となっている。
この組み分けは経験と技量があり、連携もとれるル・ローアとマット、他三名の間で確かな力の差があった為である。単純な戦力はブラボー小隊より少ないが、能力は遥かに上回っているのだ。
この人事に難色を示したニッキとシャルロッテであったが、シュミレーター上で二対三の模擬戦に加え、各小隊で挑んだ仮想敵『蒼い獅子』との成績から納得せざるをえなかった。
なお、勝率については小隊員の
『ちょっと、シャンとしなさいよ。私達の隊長なんだから』
ブラボー隊機のみでリンクされた通信コードから、勝気な女性の声が入る。
部隊発足当時からニッキと度々衝突しあったシャルロッテからだ。今回の人事で一番反応が激しかった人物であり、性差別に過敏な女性である。
『ニッキ少尉、シュマイザー少佐がおっしゃってくれたように、普段通りで大丈夫です。
意識しない方が良い事もあります』
何処か上から目線のシャルロッテに苛立ちを覚えたが、落ち着いた声のリィが励ましを受け、ぐっと堪える事にした。
些細な事から転じ、戦場で口論なぞ以ての外である。
有り難いことにリィが緩衝役、二人を宥める人柄であったから喧嘩腰にならずに済んでいるが、もし場を掻き回す類の人間だったら最悪の展開が予想されるだろう。
古株のシャルロッテより新参のリィを有り難がるのもおかしな話だが、実際ニッキはそう思っていた。
彼らの場所はサンチアゴ山の南側ジオン勢力圏寄りで、ル・ローアらアルファ小隊はサンチアゴ山近郊の北側森林地帯へ配置する手筈だ。
連邦軍に所属するものは発見次第撃破が当然のことだが、今回はある目標物を索敵、撃破する事が最優先目標である。
その目標物を探るスカウトとして、アルファ小隊は先行している。
単純火力、手数があるブラボー小隊は後詰であり、迅速に撃破する役目を割り振られていた。
此処にもパイロットの力量差が窺えるが、事実斥候役は情報が不透明な地帯を進軍する困難な任務であり、若輩者に任せられるものではない。特に連邦軍が前線を押し返す場所なら尚更である。
むざむざ戦死させる気はない、というシュマイザーの親心のようなものだが。正しく理解すべき若手の心中は如何か。先の件から汲み取れるだろうか。
「――――合図だ! 二人とも、情報取得完了したか!?」
作戦コード「デルタ」がディスプレイに表記され、次に意味不明な記号の羅列が浮かび上がる。ニッキは素早くサイドボードに手を伸ばし暗号コード解読キーを打つ。
認証したシステムは問題なく情報受信を開始し、アルファ小隊からの送信データを受領する。
データ内容を要約すると「目標発見、座標を送る」とあった。
一拍分遅れてシュマイザーからも通信が入り、アルファ小隊のものと同様にプロテクトされている事から、内容がル・ローアからのものだと分かった。
基地の通信施設を利用できない「闇夜のフェンリル隊」は、指揮車両として利用している
通信もシュマイザーの指揮車両を経由して行われるのが通例であり、秘匿コード以外隊員の会話は彼の耳に入る事になる。
内容にも因るが会話程度なら所在地、作戦目標、具体的な数字等NGワードを盛り込まなければそれほど深刻な問題はない。
これ以外の任務に支障が生じる、自軍や敵地情報等は強度の高い暗号で行うのが一般的である。強度が高いとその分解読が困難で時間を費やす必要があるが、時間の制約が厳しい戦場では、其処までの強度を要求されるものは少ない。
シュマイザー少佐と同じく、実直なル・ローア少尉の事だから添付ファイルにある座標の重要性を鑑みたのだろう。
今回の作戦で重要な目標物とは敵長距離砲撃の案内役、ビーコンを発見し破壊する事にある。
先の戦いを通じ、連邦軍の砲撃が正確過ぎた事に懸念を覚えたシュマイザーが部隊を率い戦地痕を捜索すると、多層に盛られた塹壕よりビーコンの残骸が発見された。
当然ジオン軍のものではない。
連邦軍はパナマ基地まで撤退する間に特定のポイント、敵軍が布陣、進軍する地点にビーコンを埋設し、反撃する段階に至り利用する腹積もりだったのだろう。
ジオン軍も過去に被害を被った地雷撤去等で周辺の調査を実施している筈だが、戦線が伸びた、前線が遠退いたことを理由に熱心に行ったとは言い難いものがあった。
またビーコンは強力な電波を発する類のものではなく、その電波もある程度強度があるが通信量で云えば微々たるものだ。ミノフスキー粒子散布下では到底発信できるものではなく、一言以下の通信量では仮に反応を探知したとしても近隣の住民が連絡を取り合っているものの方が多く隠れ蓑は幾らでも有るという。
そしてビーコンの特筆すべきは頑丈な構造と、簡易だからこそ長期間生存する、この二点だ。
上を戦車やモビルスーツが通過しても荷重が分散され、一年以上は性能を保つこのビーコンは、埋設側が破壊するその一瞬まで己が役目を果たしていたという事になる。
「闇夜のフェンリル隊」の指揮官シュマイザー少佐は、これらの結果から戦況を理解しビーコン埋設を執行したのであれば敵指揮官は恐るべき先読みが出来る人物であり、撤退戦を凌ぎまだ存命であれば今後脅威であると判断した。
シュマイザーは北米方面軍司令官ガルマ・ザビ准将に掛け合い、正式に指令を受けてこのビーコン索敵と破壊を行っている。
彼らはモビルスーツ隊の機動力を遺憾無く発揮し、部隊独自のレーダー機材を用いて自軍領のビーコン破壊を完了させ、以降の砲撃を食い止めたのだ。
そして最前線に近いこの場所で同様の反応が検出され、目標のビーコン破壊を達成するため現地入りしたのだ。
ニッキは暗号の解読キーを入力して、ザクIIに搭載されたコンピュータの暗号解読率に少し時間が掛かるのは不自然なものを感じたが、努めて気を落ち着かせた。
添付ファイルにある敵地座標を入手後は、自分達ブラボー小隊が攻撃を仕掛ける番なのだ。
最前線のビーコンは埋設するのに時間を要する作業から護衛部隊が存在する。これを排除するのがブラボー小隊に任された仕事であり、攻撃の矢面に立つ事を意味する。
初の実戦以上に身体が硬く感じるのは、小隊長とはいえ憧れがあった指揮官という要職の重み、その一端を感じ取れたからだろうか。
「よし、情報の受領完了。これより作戦を……待て。これは何だ?」
『こっちも情報受領したけど、何かの間違いじゃないの、これ』
『同じく受領しました。……ニッキ少尉、シャルロッテ少尉、空を見てください!』
ファイルの内容に思考を停止していたニッキは、シャルロッテが自分と変わらず事態を飲み込めていない事、リィが事態を把握しようと動き行動した事で、止まっていた頭を再起動するとザクIIの視点を黒い帳が下りている空へと向ける。
その暗い空は曇りのせいか月明かりも僅かで、星々は煌めきも乏しい。十全とはお世辞では言えないが、それでも低光量視野で見渡す事ができた。
「なんだ、アレは……流星ってヤツか?」
突然の事態に硬直するブラボー小隊の面々が食い入るように見詰めたのは、大気圏から地上へと降下する、一隻の軍艦だった。
『――――アルファ小隊、ブラボー小隊、状況を説明せよ』
戦地の異変を感じたシュマイザーが問い掛けるまで、ニッキ達は動けずにいた。
◇
「ガンダムの収容を急げ!」
連邦軍ペガサス級強襲揚陸艦二番艦、ホワイトベースを指揮する二代目艦長ブライト・ノア中尉は大気圏を無事抜け安堵するよりも、艦の前部ハッチ上で擱座するモビルスーツの事が気懸かりだった。
今もインターホンに向って怒鳴っているのが、その証左と言える。
『収容したくとも、ガンダムは摩擦熱で触れる事すらできませんよ!』
整備長に怒鳴り返され、反論に窮するのが今のブライトの正しい精神状況だろう。
ホワイトベースの全クルーと同じく、余裕が無いのだ。
この艦を本来操艦するべき正規クルー、大人達はジオンの『赤い彗星』シャア・アズナブル中佐の度重なる襲撃に遭い、機関室要員を除く悉くが戦死していた。
一時寄港した連邦軍宇宙要塞ルナツーに於いても追撃は止まらず、むしろ逃げ道が無い袋小路に入ったのだと言わんばかりにシャアは工作部隊を率い白兵戦を挑んで来たのだ。
ホワイトベース初代艦長パオロ・カシアス中佐が混乱するルナツー司令部より防衛隊を借り受けると、老兵自ら銃を取り陣頭指揮を執る荒業で一基の艦船ドックが破壊される程度で収まり、この難局を切り抜ける事が出来た。
しかし、その代償に人望があり不安に潰されそうな非正規クルーを統率した艦長、パオロが工作部隊を追い返した後にルナツー司令部へと向かう陸戦隊と遭遇し、交戦の中で戦死してしまう。
これにクルーを始めルナツーの軍人全てが彼の死を悼んだが、ホワイトベースをジャブローへ届ける任は解除されてはおらず、履行せねばならない。
当初はルナツーから艦長代行を派遣しジャブローへ向かう案があったものの、パオロ中佐を慕うワッケイン司令が承認せず、故人から託された頼みを果たし後任として推薦されたブライト中尉を二代目艦長と認め、サラミス巡洋艦一隻を護衛艦につけ地球へと送った。
だが、ルナツーでのホワイトベース破壊を防がれたシャアはその追撃の手を休めず更なる攻勢に出た。
有史以来初の、大気圏突入を前にした戦闘である。
これにホワイトベース側は全ての戦力を投入し、『赤い彗星』も温存した手勢に加え新たに補充されたザクII三機を率い自ら前線に出た。
ホワイトベース隊は機種が異なるとはいえ、敵軍六機に対し八機ものモビルスーツを放出する事で数的有利を得ていたが、パイロットの技量差が克明に浮き彫りとなった為、『赤い彗星』のいいように振り回されてしまう。
ところが不思議な事に、幾つか被弾はするもホワイトベースの航行自体に支障は無く、出撃したモビルスーツ、パイロットも生存している。
逆にあからさまな損害を出したのは『赤い彗星』側であった。
シャアは対面したRX-78、ガンダムを圧倒するも、その間に後続で出撃したもう一機のガンダムが各機のサポートを行いながらサクIIを撃破して除け、三機を墜とすと黒いガンダムに組み付いた赤いザクIIに横撃を仕掛けて来たのだ。
機有れば鹵獲しようとしていたシャアは目論見が外れ、その目前に連邦軍の最新型モビルスーツ二機、更に合流しようとする敵数機を相手にする利はないと撤退する。
それを阻もうと白いガンダムが接近するが、逆にシャアはそれまであった距離を潰す勢いで加速し強力な蹴りを胴体部に撃ち込み、ガンダムタイプを一機大気圏に放り込む事に成功してしまう。
蹴撃で発生した反動を活かして退がり、潰したサラミス護衛艦の残骸を足場に跳び、生じた距離を広げて離脱して行った。
その後、ガンダムのパイロットは乗艦するテム・レイ技術大尉に従いRXシリーズに搭載された特殊機能を用い、モビルスーツ単独で大気圏突破の偉業を果たしている。
しかしながら、ガンダムとそのパイロットの生存、地球に入った事に喜ぶ間もなく事態は悪い方へと推移していた。
今ホワイトベースが降下している地点は当初の目標から反れ、連邦軍総司令部ジャブローがある南米大陸ではなく、その北方にあるジオン軍勢力圏内の北米大陸であった。
彼らにとって時期が悪いことに、現在の最前線が連邦軍によって押し上げられ、ホワイトベースが降下する地点は敵軍のルート上にある確率が高かったことだ。
抗戦するモビルスーツより、ザクIIがホワイトベースを執拗に攻撃していた結果に、ブライトは『赤い彗星』に針路を変更されたと知り、歯噛みする。
冷静になろうと頭を振り、ブリッジ・ルームに表示されたホワイトベースの位置を見ると、それは追い打ちを掛けるかのように思えた。
(ヨーロッパ、アジア戦線で友軍を駆逐した、あのガルマ・ザビが近くに居る!?)
ホワイトベースの位置は北米地域ネバタの北北西にあり、ネバダと隣接した区域にジオン軍のキャリフォルニア・ベースが存在するのだ。
同基地は数有る武勲と手腕から『ジオンの大器』と評される名将であり、ジオン公国を代表するザビ家末子、ガルマ・ザビ准将が司令官として就任する地上で最も堅牢な要塞である。
ルウムの英雄で知られる『赤い彗星』を退け、命からがら地球へ降下したブライトからすれば、この世に神様は居ないのだと嘆くレベルの話ではない。
神も仏も無いのだと、彼はそう理解した。
「リュウとアマダ少尉達は?」
今は置かれた状況を教え、今後の方針を決めなくてはならない。
ホワイトベースの責任者は艦長であるブライトだが、将校さえ全てを背負い込んで進むにはそれなりの度量を求められる。キャプテン・シートに座って間もない若手ならば尚更のことだ。
しかし、ブライト・ノアという男の非凡な所は二つある。
一つは悔やみはするも、現実から目を逸らさない強かさである。
事実ルウム戦役で目覚ましい戦果を挙げた難敵を前に、彼は怯む事無く指揮を執り続けている。それも訓練を受けた正規クルーではなく、少し前までは民間人であった非正規クルーを相手にだ。
逆境と圧倒的不利な中でホワイトベースを導く彼の素質は、そうしたどん底で開花したと言っても良いものだ。
今は亡きパオロ・カシアス前艦長も、遺された艦とクルーが困難に晒されると予見していたのかもしれない。ある意味、ブライトは今現在の環境下で打って付けの人材と云える。
ホワイトベースの人事をパオロの遺言だからこそ受け取ったものの、ワッケイン司令は会って間もない事もあり、ブライト・ノアという男をそれほど信頼してはいない、できないのだ。
そのワッケインに承認されたブライトは彼の信用に応えると同時に、託したパオロに泥を塗るような操艦はできない。
寄せられる重さがブライトの精神を削っているのだが、彼は想像以上にタフであった。
収容してブリッジに上がって以来辺りに喚き散らし、愚痴しか零さない男。護衛の任を全うできずに撃沈させた元サラミス艦長、リード中尉に比べればその差も分かるというもの。
「機体整備を見届け、こちらに上がるそうです」
通信士の一人、オスカ・ダブリンが報告する。
ブライトは返事をしてキャプテン・シートから腰を上げた。
「うっ。……地球の重力というのは、粘りを感じるな」
「でも、それは人間がこの地に居る最低限の条件だった筈よ」
無事大気圏を突破した事に操舵手のミライ・ヤシマが相好を崩して言う。
成し遂げた出来事に確かな達成感を味わっているのだろう。ブライトも平時であればそんな彼女を称えたかったが、今は先の事で頭が一杯なだけにその余裕も無かった。
何より自分より年上であるのに建設的な意見を出さす只々五月蠅いリードに対する不快感と嫌悪が、彼を殊更追い込んでいた。
「ああ、そうだな。ある意味これは歓迎とでも受け取れば良いのか?」
言葉に棘があるのに気付いたが、ブライトは訂正することはせずに置いた。
それはブライトの、ある種の甘えだったのかもしれない。
「地球が招いてくれていると思えば、不快感も緩和されるのではなくて?」
サブ・オペレーター席に座るセイラ・マスが通りの良い声でフォローしてくれる。
一瞬だけミライの顔が曇ったのを見ていただけに、その心遣いは心底有り難かった。
「ん。そういう捉え方もあるか。勉強になるよ」
内も外も一難去ってまた一難だ、とブライトは心中で思い、慌ただしくブリッジへと迫る靴音を聞いて、すぐさま思考を切り替えた。
◇
火急の件と聞きブリッジに上がったメルティエ・イクス大佐は、目に入るブリッジ・クルーらの委縮している様子を訝しげに眺めながら召喚した相手が映るモニター画面、その正面に立つ。
半年近く顔を合わせていない、友人と互いに呼べる間柄の青年は、北米の地で大分揉まれたのか険があるように思える。
北米方面軍司令官ガルマ・ザビ准将は、画面越しにメルティエを発見するや幾らか表情を緩め、敬礼する様を見届けてから口火を切った。
『メルティエ大佐、我が方のキャリフォルニア・ベースへ航行中にすまない。貴官のザンジバルが北太平洋を抜け、北米地域上空に進出している事はこちらでも把握している。
遠路遥々来た所、申し訳ないが一つ頼みを聞いてはくれまいか』
「は。どういった内容か、お尋ねしても?」
『うむ。貴官も知っている通り、現在我が方は控える作戦に向け戦備を整えている所だ。詳しくはキャリフォルニア・ベースに到着次第話をしたいと思う。
今諸君ら「ネメア」に対応してもらいたいのは、北米上空に出現した連邦軍艦船の拿捕、もしくは破壊だ。先の二つが不可能な場合は最低限、北米にある友軍の駐屯基地に降下するのを阻止してほしいのだ』
内容を耳に入れる間に受信したのか、ブリッジ・モニターの一つに北米大陸が2D映像で入る。次に西部が拡大しキャリフォルニア・ベースが表記されると、その北西側へ画面がスライド操作しネバダ地区が映る。更に地区内で幾つかの光点が浮かび、それらが友軍基地だと分かった。
問題は、ネバダ地区の北西側へ大気圏を突破した何らかの物体が降下し、それが連邦軍新造艦の疑いがあるという事だ。
『すまない、メルティエ大佐。今送った情報は十分前のものだ。更新する』
ガルマがそう言うと一度画面がブラックアウトし、新たに更新された情報が映る。
其処にはネバダ地区へ降下したものが連邦軍艦船である事が追加され、コード名なのか「木馬」と記されていた。
「木馬、ですか?」
メルティエが怪訝な声を上げると、ガルマは一つ頷いた。
『連邦軍の極秘作戦、V作戦という名前を知っているか?』
「いえ。恥ずかしながら情報部への繋がりが無いもので」
『そうか。ならばV作戦から説明しよう。
V作戦とは連邦独自のモビルスーツ開発、その運用を前提とする宇宙空母の建造計画だ。
これは長らく裏付けが取れず存在を怪しまれていたが、『赤い彗星』シャア・アズナブル中佐がこれをキャッチし、中立を謳うコロニー、サイド7の工場ブロックがモビルスーツ工廠に偽装し、秘密裏に連邦軍モビルスーツを生産していた事を発見している。
『赤い彗星』はモビルスーツ工廠と艦船ドックの破壊は成功したが、問題のモビルスーツと宇宙空母には逃げられてしまった』
ガルマは拝聴するメルティエが難色を示したので、一度区切る。
彼は言うか言わないか悩んでいたが、サイド7の結果は黙っておく事にした。
公に中立を宣言しながら、片一方と秘密裏に繋がっていたコロニーが既に崩壊している等は不要な情報であるし、当然の報いだと心の何処かで思っていた為である。
とある理由から公式記録にはないが、メルティエがコロニー落とし、ブリティッシュ作戦へ参加していることは事実であり、史上最大規模の人災を起こした側の人間である。
ガルマの視点からすればメルティエという男は人情家であり、コロニーに住まう人々が作戦行動に巻き込まれたと知り反感を抱きかねないと思ったが故の措置であった。
その心遣いも、戦場で命の遣り取りを繰り返す内に変質していった男には不要なものであったが、ガルマはアジア戦線で友人が経験した事を知る術は無く、彼なりの優しさが空回りする結果となっていた。
「あの『赤い彗星』を振り切って、地球に降下して来た連邦軍の新造艦とモビルスーツですか。
そんなエリート部隊が連邦軍にあったとは、驚きを禁じ得ませんな」
『私もそう思う。
しかし、事実だ。『赤い彗星』自ら情報を提供しているのだから間違いはないだろう』
「准将手ずからお話しいただいたとはいえ、正直、話を素直に飲み込めません。
『赤い彗星』の恐ろしさは、彼の凄さの一片を自分が身を以て知っているものです。到底、対面して無事離脱できる人間が存在するとは思えないのですが」
『メルティエ大佐、事態は逼迫しているのだ。私は君の感想を聞いている時間も惜しい』
苛立ちを糧に、ガルマの細まった眼が威圧する。
メルティエの周辺では、巻き添えで准将閣下に睨まれたと錯覚したブリッジ・クルーが、委縮し事の成り行きを見守っている。
怯えているクルー、部下達とは違い凄まれている当人は内心喜んでいた。
(男前が上がったな、我が御大将殿は)
半年前までは貴公子然とした優男も、今では一人前以上の凄みを利かせるほど逞しくなった。
メルティエにとってガルマは気心知れた友人とはいえ、目上の人間から睨まれているのだから恐ろしくあるが、それより頼もしさの方が勝っていた。
「失言、平に御容赦頂きたく。
では、我らはこの「木馬」を叩きに迎えという事で宜しいか?」
『……ああ、そうしてくれ。ネバダ地区の各基地には伝えておく。
頼むぞ、メルティエ大佐。吉報を期待する』
通信が閉じる前に一瞬だけ、ガルマが苦笑を浮かべていた。
どうやら悟られたようだと、メルティエも笑った。
「――――フゥ、冷や冷やさせないでください。大佐」
キャプテン・シートで微動だにしなかったサイ・ツヴェルク少佐が普段聞かない声を漏らすものだから、メルティエは思わず吹き出してやった。
上官が指を差して笑う姿を前に、憮然とした態度でサイは唸った。
「大佐、針路はネバダ地区に向けるとして。編成はどうします?」
「はっはっ……はぁ? ああ、スマンスマン。
……くくっ、編成も何も、実情を見れば出せるものは少ないぞ。北大西洋上で空輸を受けたとはいえ、横断したギャロップ艦隊は一度整備して潮による塩害の有無を除かねばならんし、山を越える事は不可能だからな。必然的に、ザンジバルだけで向かう事になるだろうさ」
「勝算はあるので?」
強力な戦闘支援を約束するギャロップ艦隊を共にできないとあれば、空挺部隊との連携を取る為に配備されたファットアンクルも使用できないということ。
僚艦もなく戦力が大幅に低下する中で、『赤い彗星』を退けた連邦軍のエリート部隊と目される連中を相手に何処までやれるというのか。
「勝算? そんなモンあるわけないだろう」
その呆れた物言いを放つ上官をサイは呆然と見る。
ともすれば殴り掛かりたくなる衝動に駆られるが、どうにか思い留まれたのはメルティエの眼が剣呑なものになったからだ。
「お前、
サイは、動けなかった。
先のガルマの睨みとは違うメルティエの眼力に、動けば如何なるか見当が付かなかったからだ。
「
勝算があると思い込まされて挑んだ戦闘なら幾らでもあるさ。全部が全部、各自が健闘した結果なんだよ、其処を貴様は正しく理解しているのか? 勝利しているのは只の結果論だ。お前はいつから演算者になったんだ?」
士気低下を防ぐためにクルー達の前で「勝算がある」とメルティエの口から言わせ、戦力不明の難敵へ当たろうと画策していたサイは当てが外れた所か責められている状況に目を白黒させた。
嘘や出鱈目でも士気を向上させようとしたサイには理解できない。
古来から「嘘も方便」という諺があるように、指揮官ならば理解できるものだと話を振ったのだが、それがそもそもの間違いであった。
「……お前は知っている筈だがな。俺が『赤い彗星』と戦った結果を」
そこまで至り、サイは己の過ちを悟った。
宇宙の演習訓練で『蒼い獅子』メルティエ・イクスは『赤い彗星』シャア・アズナブルと戦い、結果こそルールに基づき勝利者となってはいるが、戦闘中に意識を失った『蒼い獅子』が実戦では負け、戦死している筈なのだ。
何事も結果しか見ていないサイと、戦場を仮定して吟味するメルティエの差が此処には在った。
ルールに縛られた中の勝者が『蒼い獅子』であっても、この獣の内で『赤い彗星』の勝利は揺るぎ無く、払拭できないのだ。
其処には何人たりとも侵入できない、誇りと云うものが鎮座していたから。
モビルスーツパイロットとしての矜持が、『赤い彗星』が『蒼い獅子』より優れていると訴えているのだ。
だからこそ、メルティエは己より技量があるシャアの追撃に抗戦し続けた連邦軍の部隊に、侮り等生まれる事は無かった。
「ユウキ。ガラハウ中佐に伝えろ」
固唾を飲んで見守るユウキ・ナカサト曹長は、急に水を向けられ驚いたが努めて平坦な声を捻り出した。
「通信内容は如何しますか?」
「我が方で「木馬」と称される連邦軍エリート部隊と交戦する為、一時ザンジバルに乗艦せよ。
敵は『赤い彗星』を退けた猛者であることから、隊を三つに分け多方面から挟撃する。
隊内訳は以下の――――」
時にU.C.0079年9月25日。
後世、一年戦争と銘打ちされた大戦。その代表格となる戦艦「ホワイトベース」を巡る戦いが遂に地上で勃発する。
一年戦争を通じて名高い『赤い彗星』シャア・アズナブルから逃れた「ホワイトベース」。
これに地上で対峙するは『蒼い獅子』メルティエ・イクスである。
戦地は北米ネバダ地区であり、ジオンのキャリフォルニア・ベースと近い事から救難物資の配給が早く、細やかながらも復興の兆しを覗かせる場所で、其れは起こった。
コロニー落としによる爪痕が生々しく残る、真新しい湖を挟んだ両軍が儚い街の灯りを震わし、モビルスーツという機械仕掛けの巨人を用いて激突せんとする。
ジオンの無慈悲さ、連邦の無頓着さを嘆く住民が名付けた「セント・アンジュ跡の戦い」が今、幕を開けようとしていた。
不思議な事に、ニッキ・ロベルトさんに出演を依頼すると何故かシャルロッテ・ヘープナーさんが共演しているという事実。
リィ・スワガーさんはブラボー小隊の良心。誰でも分かんだね。
ブライトさんはストレスを与えればその分だけ強くなる。
一年戦争の正史が作者にそう囁くんです。アニメ版を見ると……ネッ?
メルティエが多少情緒不安定、沸点が低いように見えるのはパイロットにこだわりがあるから。
作者がサイに冷たくないかって? そんな事はないさ。
ちなみにシーマ・ガラハウさんに次話の出演依頼しました。
機嫌が悪くなければ舞台に上がってくれるでしょう( ゚д゚)
では、次回もよろしくお願いしますノシ