ガンダム戦記 side:Zeon   作:上代

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第63話:再会と回帰

 

 今はシャア・アズナブルと名乗るキャスバル・レム・ダイクンは迷っていた。

 いや、彼の過去を思えば漸く迷いを持ったというべきか。

 

 幼少時の彼は故国を追われて以来、父の側近ジンバ・ラルの保護を得て地球に移り住んでいた。キャスバルは父と生活環境を奪われた恨みよりも、生きる母親との別離に妹アルテイシアと同じ、あるいはそれ以上のストレスに苛まれていた。

 偉大な指導者と言えど、立場から万全の愛情を注ぐことができなかった父ダイクンより、惜しみなく深い感情を寄せて抱いてくれた母アストライアを慕うのは子供として至極当然のことだった。

 父の急死から今まで暮らしていたサイド3を去る時に比べ、父の知己に囚われ籠の中の鳥として過ごす母を偲ぶ気持ちの方が遥かに重く、辛い。

 亡き父は、確かに国民から愛され慕われる稀代の革命家であったのだろう。

 だが、子に「一人の父親」として接しその大きな手で抱き上げてくれたことは、果たして何度あっただろうか。常日頃「ジオンの指導者」として振る舞い、衆目に身を置く事で生の充実を滾らせてはいなかっただろうか。かつての「人類の救世主(イエス・キリスト)」が生誕と我が子を重ねていた節もあり、長じて自己を高みへとおいやってはいなかっただろうか。

 疑問は疑念を呼び、疑念は不審を招き、不審は不信を育てる。

 水面下でうねるキャスバルの感情は、失脚させたザビ家への恨み言をつのらせるジンバによって「人間への不信」へと昇華し、キャスバルは何処か他人を醒めた目で見るようになる。

 この目線の違いを「落ち着いた子供」と捉えられ、「相手の話をよく聞く若様」と大人達に称えられたキャスバルの心境は如何程のものか。

 過日にアストライアが独り寂しく世を去り、再会を果たせず親の死に目にも会えず終わった事で、ダイクンの遺児が他者との隔たりを更に強固なものとするのは自然な成り行きであった。

 これが非力な自身への怒り所以なのか、それとも自分達を翻弄する運命に対するものなのかは、いかに聡いキャスバルといえどまだ掴み切れずにいた。

 

 そうした最中で人間不信に陥ったキャスバルが心を許せるのは、アルテイシアと彼ら兄妹に似た境遇の少年だった。

 彼ら三人は共通して親を喪う、大事な存在を失った虚無感に真実触れた。

 同じ位置に居たから、心を理解できたからこそ当人同士分かり合うのも早かった。

 彼らの仲を取り持つものは辿って来た道筋であり、その先を照らすものすら似ていたから距離が縮まったのか。同じ目線の人間に飢えていたからなのかは、彼らだけが知る事情である。

 揺るがない共通点は、大人の事情に振り回されている、という点だろう。

 ラル家次期当主のランバが引き取った養子に関心がなかったジンバは、ダイクンの遺児達と懇意の少年を視界に入れ、其処で初めて存在を認識した。其れほどまでに他の事に夢中で、思考を割く余裕がなかったのだ。ジンバにとって、今はダイクン急死の騒動とザビ家との確執で揺れる最中であり、降って湧いたように現れた子供のことなぞ眼中に入る筈がない。

 勝手に養子縁組を済ませた息子へ憤りを吹かせるが、それだけだ。その行動だけで養子とはいえ孫となる少年の存在はジンバにとって消失した。

 それを哀れに思ったのか、もしくは好ましくない優越感を覚えたのかキャスバルはジンバの話に耳を傾けるようになった。この老人を祖父と呼べない少年に同情したのかもしれないし、何かしら感情を挟むことで思う所があったのかもしれない。

 問題なのは「老人の話を内に留め置いた」事にある。

 無意識に聞き逃し、流していた呪言を記憶に残してしまえば、其れは項目によっては長く最新の情報となる。そして、キャスバルは才覚を評すれば類稀な傑物であり、記憶力も恵まれていた。

 彼の記憶に老人の言い分が刻まれ、世間でザビ家の圧政が専横を極めたと話に上がれば、過去と現在の情報が統合され加味した結果が「シャア・アズナブル」である。

 どのような形であれ関与していた事は揺るがないと信じれば、手どころか目の届かない所で親を失い、醒めた世界に放り出されたキャスバルの情が、その矛先が鋭く指し示す相手は限定された。

 

 であればこそ。もうすぐ望まぬ境遇を生んだ一族の首元へ、己の指先がかかるというのに。

 自分達兄妹と同様に喪失を体感した、共感を得た幼馴染はやめろという。

 復讐者と化していたシャア・アズナブルはこの制止に対し手酷い裏切りだと、馴染みある人間といえど所詮他人でしかなかったのだと切り捨てようとして。

 嗚呼、しかしこの友人は――――メルティエ・イクスは利己的な人種ではなく、義心の愚者であったとキャスバル・レム・ダイクンは憶えていた。

 

「ならば……どうすれば、良いと言うのだ?」

 

 今此処に『赤い彗星』シャア・アズナブルを知る人間が居れば驚いたに違いない。

 士官学校で友人の間柄となったガルマ・ザビすら知り得ない表情と声音を、苦悶に歪ませて助言を請う姿なぞ想像もつくまい。

 それほどまでに世間で知られるシャア・アズナブルは超然とした存在であり、出来人であった。

 優秀な軍人を演じるキャスバル・レム・ダイクン自らが友と――――家族と認めた男に頼る。

 用意してくれた赤いモビルスーツ、そのコックピットの中で、キャスバルはシャアの仮面を外していた。胸中を吐露する時何処かへ落としたように、彼は本来の人間に戻りつつあった。

 

「復讐鬼と化したならば、俺の声なぞ届いていない筈だ。聞く価値すらないのだから。

 ……まだ迷いがあるのなら、今しばらく抑えてはくれないか。行動を起こしても”正当な復讐”だと云えるものが不足しているように思える。いま実行すれば、正当なジオンの後継者よりも単なる復讐心に踊らされたテロと大差がない。多少の同意と同情は得られようが、其処までだろう」

 

「……私が親の仇を討つ。それだけでは終わらないのか?」

 

 キャスバルが問うと、メルティエは静かに頷いた。

 

「それは問いかけではないな。お前の事だ、理解しているのだろう。

 自己満足を満たす為だけに復讐を果たすなら、お前が言う親の仇を討つ、それだけで足りる。

 だが、ヒトの人生は其処で終わるものじゃない。その先が()()には必要で、必然のものだ。

 敵討ちだけで終わるなら、お前は逃亡の先で生を終えるだろう。

 それ以外を望むなら恐らく、ダイクンに近しかった者達が後継者として推すに違いない。血筋と素養をキャスバル自身が、確固たる名声をシャアが満たしているからな。ザビ家を排斥したい立場の人間が見逃すはずがないだろうさ」

 

「私は父に成り代わる積もりも、国民を背負って立つ訳でもない。……その勇気もない。

 父と違い人を導く事への情熱がないのかもしれん。隊員を預けられ率いて戦っているのも、軍人という在り方を模倣し、意外にも苦ではなかったからだ。

 ダイクンを望む人々には悪いが、私は御輿も旗役も御免こうむる」

 

「別に今此処で決める事ではないだろう。そういう流れも現れるという話だ。

 無論、シャア・アズナブルという軍人のままでいるのならば関係はないだろう。ジオン公国の『赤い彗星』として生きるなら、所謂たらればで終わる。そういう類のものだ」

 

「ザビ家を打倒すれば()()()()を望まれ、ジオンの尖兵として生きれば」

 

()()()()()が死ぬ、だろうな」

 

 ふと気付けば、二人は拳銃を下げていた。

 狭いコックピットの中で心臓を狙い合っていた両者は、今や共通の難題に悩む同志であった。

 負いたくもない役割を架せられるか、それとも過去を白紙にして仇敵に使われる道へ進むか。

 ともあれメルティエという相談相手を()()()()()キャスバルは、久しく忘れていた緊張の抜き方を思い出したように息を吐くと、

 

「だがしかし、まだ先の話か」

 

 メルティエにとっては懐かしく頼もしい、あの不敵な笑みを浮かべた。

 いつも難題をすらりと答え、課題をいとも簡単に終わらせては先を行く少年だった彼へ。

 

「そうだな。当面の問題をこなしてからの、先の話だな」

 

 温かみのある笑みで同意する灰色の男は、やはりキャスバルが唯一認めた人間のもので。

 男女の仲にあるララァ・スンにも踏み入れさせていない領地を闊歩し、副官のドレン以上に寄せられる信頼は過日の分だけ厚く揺らぐことがない。

 それは男同士の友情であり、互いにかけがえのない存在と認める故に。

 

「すまないが、私に時間と力を貸してくれ。自分が納得した上で事に当たりたいのだ。

 これを有耶無耶にして動けば、取り返しのつかない問題になりかねん」

 

「取り返しのつかない問題か。確かにそいつは不味いな。ならば時間を掛けて答えを出してくれ。後悔しないで済む最良のものなら尚良しだ。

 できればアルテイシアが怒らないヤツを頼みたい。あの子は怒ると宥めるのが大変なんだ」

 

 わかるだろう、と口元を歪ませる幼馴染にキャスバルは呻いた。

 小さい頃からアルテイシアは聞き分けの良い妹だったが、三人で行動するようになってからは他愛のない我が儘をするようになっていた。

 整った顔立ちや佇まいから「人形のよう」と称されていた妹からすれば、喜怒哀楽の感情を少しばかり素直に出すことはむしろ歓迎すべき変化ではあったのだが。誰の影響か少し腕白に、というか人を引っ張り回す行動力にキャスバルも驚かされた。

 分別のある大人に成長したとしても、行動力は変わらないと兄は見ている。

 なにしろ、軍を抜けろと諭しても兄を止めるために軍艦に居座り、モビルスーツを動かして出てくるのような妹なのだ。奇しくもキャスバルの見立ては間違っていない。

 彼は知らない事ではあるが、その妹が乗るモビルスーツを倒し奪取したのはメルティエである。

 

「善処はする。だがな、万人が受け入れられる話なぞ出来る筈がないだろう?」

 

「ふむ? じゃあ、こうしよう。あの子が泣かなければいいさ」

 

「……善処はするさ」

 

 そう言い、ヘルメットとマスクに触れるキャスバル――――シャア・アズナブルに、メルティエは苦笑した。その所作で()()()()の会話は終わりと分かったからだ。

 モビルスーツのマニュアルを手にする彼から視線を外し、コックピットから出ようとしたとき。

 

「メルティエ!」

 

「――――ぐおっ!?」

 

 何かを察知したシャアから警戒を含んだ声を掛けられ、一拍も置かず身を屈めたメルティエの首に圧迫が生じる。筋肉が引き絞る音と共に狭まる喉はすぐに息苦しさと血流を阻害する力に悲鳴を上げ、メルティエを苛んだ。

 一瞬背後から首絞めを受けていると考え、肘打ちをするも空振る。背後には誰もおらず、しかし首はそのまま締め付けられている。

 不可思議な事態に陥ったメルティエは空間が爆ぜるような、何かが破裂する音を耳にし、続いて抗え切れないほどの力で後ろへ引っ張られた。

 

(ここは、モビルスーツの、コックピット位置――――墜落させる気か!?)

 

 浮遊感に襲われるメルティエの目前でシャアが拳銃を構え、やや斜め上にずれた先へ銃口を向けるが制止の手が出されその動きを止める。

 此処が艦のモビルスーツハンガーの中であり、発射された弾丸がもし対象を外せば空間内を跳弾し機材や設備に当たる可能性を恐れた為だ。

 

「撃つ、な!」

 

「しかし! チィ!」

 

 問答の間にメルティエが乱入者と共に飛び、残されたシャアも拳銃を片手に遅れてコックピットから出る。珍しく焦る彼の脳裏に横切るのは、軍の諜報部がシャアかメルティエのどちらかに探りを入れていたのかもしれないということ。

 今の会話を聞かれていたとすれば、キャスバルその人であるシャアが危ういのは勿論、協力的な態度を取っていたメルティエも同様だ。

 

(むざむざ失ってたまるものか!)

 

 キャスバル・レム・ダイクンにとって、メルティエ・イクスという男は理解者であり。

 『赤い彗星』にとって、『蒼い獅子』は競い合うに足る強敵である。

 得難い友人を二度と奪われてたまるかとシャアは彼の姿を探し、

 

「む!?」

 

 眼下にいる多数の陸戦隊員とその銃口を相手にし、動きを止めた。

 自動式小銃と防弾装備で身を固め、モビルスーツデッキを囲むのはネメア隊の陸戦隊だ。

 彼らの長であるメルティエを救助する為に馳せ参じた、というものではないことはシャアを注目する数と対応から分かる。つい先ほど展開した速度ではないからだ。

 

(動きが早過ぎる……いや、メルティエが私を裏切ることはない。アレはそういう男だ。

 であるならば、盗み聞きした人間がいるか。もしくは)

 

 シャアは視線の先にあるものを収め、口角を上げた。

 モビルスーツのコックピットを見上げる中に、見覚えのある人物がいたからだ。

 

「抜き打ち訓練かな、これは」

 

 眼鏡の縁を指で押し上げるどこか学者然としたロイド・コルトは、モビルスーツを紹介した時に比べ感情が薄いままに返答する。

 

「ええ、そのようなものです。危機管理は持たないと、いつ何があるかわかりませんから。

 今度は、狭所で銃を突きつけられたとき、とかどうでしょう?」

 

「成程、具体的な状況を想定した訓練はためになる。今度実施してみるといい。

 イクス大佐から認可を得てからな」

 

「検討してくださるでしょう。大佐は下の意見を汲み取られる方ですから。

 ……今度は映像だけではなく、音声付で行う必要があるかもしれませんが」 

 

 そう言って彼はモビルスーツデッキのコントロールパネルがあるモニターを叩いた。

 整備や調整をする際パイロットとコンタクトを取る為にモニターのディスプレイはコックピットと繋いでいる時がある。

 そして、ロイドは動作チェックや機体の感想を聞こうとモニター前に居たのだ。ディスプレイで細部は分からないとしても、メルティエとシャアが銃を突き付けあう現場を見ていてもおかしくはない。異変を見て取ったロイドは二人が会話している間に「上官を救助する段取り」を進めていたのだろう。緊急で呼び出せばこの部隊展開にも頷ける。

 ロイドが言葉で現場を見ていた事を示唆している。シャアはそれをどう扱うかメルティエに聞けと返した。これに対しメルティエは何事も部下と向き合える人間で大事にはしないだろうと告げ、最後に映像だけで話の内容は把握していないと、しかし今後は音声も取らざるを得ないとした。

 上官を守る行動を成し、上官に信を置いていると言い、相手に怪しい行動は控えよと釘を刺す。

 ただの技術士官と思っていたシャアはたいしたものだとロイドを見直し、その彼がメルティエの副官ではない事に勿体無く感じた。

 

「ん。イクス大佐は良い部下をお持ちだ。羨ましい限り」

 

「ありがたい御言葉です」

 

 二人の話が終わると、銃を向けていた人物が『赤い彗星』のシャアだと分かった陸戦隊から戸惑いの視線がロイドに集中し、その彼はある場所へ顔を向け様子を伺う。

 

「あー……大佐は無事ですか?」

 

 言葉を受けるノーマルスーツ姿の小柄な女性――――エスメラルダ・カークスは背を見せたまま首を振る。彼女は咳き込み続けるメルティエの背中を撫で、何事か囁いていた。

 本来なら彼の背中に抱き付き、背負った巻き取り式ワイヤーで離脱する手筈だったのだが、直前にメルティエが屈んだことで確保する予定の手が空振り、足が首を絞めるという事態を引き起こしたのだ。それだけならまだしも、ワイヤーロープの長さから制限が掛かり、彼女の上半身がコックピット付近で止まり足しか目標に到達しないという不具合付である。

 彼女が小柄な為首を絞めたまま立たせると、見事にメルティエの影となって全く見えない。流石のシャアも隠れた相手を射撃することは出来ず、意表を突かれた登場に困惑してしまったのだ。

 また、演習訓練時に負傷したメルティエの見舞いに行った折、エスメラルダ達とは諍いもあって好意的な間柄でもなかった。シャアからしてみれば八つ当たりに等しかったが、上官のドズル中将も損害率を鑑み「やり過ぎ」と評しているので外野からすればそうなのだろうといった所もあり、手を緩めるべき相手ではなかった。

 瞬間的な判断で拳銃を構えていたが、メルティエが止めなければどうしていたか。

 彼女が今も蹲りダウン中の友人にとって大事なヒトなのは、何となく分かった。

 『蒼い獅子』が見目麗しい女性を囲っている噂は耳にしていたし、かつての口論も彼女達からは上司を慮る部下というより、想い人を痛めつけられて怒る情人のような感じがあったからだ。

 そんな女性を身近に置いておいて、そのままの関係で流れるほど枯れてはいまい。恐らくは男女の間柄となっていても不思議ではないだろう。

 

 ――――メルティエの大事な人(家族)を、自分が手にかける。

 

 シャアの視点ではなく、キャスバルとしては考えたくない未来であった。

 

「――――――――」

 

「――? ――――ッ!」

 

 背を撫でていた彼女の手が拳に変わり、ゴスッ、と重たい一撃がメルティエに見舞われる。

 無表情に近いエスメラルダの頬が若干赤く、メルティエが何か羞恥心を刺激することを言ったのだろうが周囲に響くほどの打撃音はシャアを含め陸戦隊員が驚く。

 

「カークス大尉、その、大佐に手を上げるのは」

 

 陸戦隊の小隊長が意見を述べるが、何故か及び腰である。

 他の隊員達も手に小火器を握っているのに、何処か無手の女性を恐れているようだ。

 彼らの階級章をみれば、成程確かに立場的に言い難い事もあろう。上官に意見を求められている時以外に口を出せば”修正”される事も珍しくない。そういう職種に就いているだけに慎重に言葉を紡ぐのも大事なことだ。

 しかし、その一般的な見地から幾ばくかズレがあるように思えるのはシャアの気のせいか。

 

「気付けです」

 

 振り返ったエスメラルダは、小隊長にしれっと答えた。

 いつの間に冷めたのか、貌には何も感情が乗せられてなく淡々とした物言いは温かみを感じられない。それでいて堂々とした態度であるから、見咎めた大柄の小隊長もたじろいている。

 

「気付け、でありますか?」

 

「はい。大佐が朦朧としているので、その一助となる気付けをしているのです」

 

 何かおかしいですか、と締められては小隊長も口を閉じるしかない。

 彼女の瞳の色に苛立ちが浮かぶも、勇気を奮い申し立てた彼を責める者は誰もいないだろう。シャアは差し迫った問題事でなければ触れたくないし、ロイドはこの一連の”救助活動”を依頼した身なので黙殺している。

 そうした中で大佐を気遣う小隊長が声を上げたのだが、結果は先程の通りである。

 

「心配してくれたのだろう、あまりに大きな音が出たからな。気遣い感謝する」

 

 痛みを発する部位を撫でながらメルティエが立ち上がり、エスメラルダと小隊長らに今回の経緯を聞いて笑う。ざわめき出した場へとシャアはモビルスーツから降り、ロイドもモニターから離れ大佐を囲む輪へと混ざった。

 緊急な為の措置とはいえ、訓練の名を借りた”催し物”に縁があるなと、シャアは人知れず笑う。

 可笑しなものだ、と口にして彼が笑う。

 

 その”笑い方”はネメア隊――――初見の人間が思わず目を引かれるほど爽やかなもので。

 メルティエ・イクスにとっては昔よく目にした、遠い日に別れた友人との邂逅であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロザミア・バタムは退屈であった。

 それは日々を無意味に過ごしていたという訳ではなく。怠けるという行為に慣れていない少女であるから年相応に勉強し、好奇心の赴くままに緑の大地を散策したりもする。

 

 今のロザミアはキキ・ロジータの父親が治める地、かつては村や集落といったところであったが人の出入りや流通から規模を広げ今や一つの町となった其処へ預けられていた。

 彼女が父と慕う男は”お仕事”で大勢の大人達と共に海を渡り、目的地へ辿り着いた頃だろうか。

 まだまだ親に甘えたい年頃のロザミアはついて行きたかったけれど、最後まで連れて行くことに悩んでいた父以外の大人達がいい顔をしなかったこともあって、父から留守を任された人達とこの地に残っている。

 彼女にとって「子供だから」は理由にならない。

 何故なら歳が近いメイ・カーウィンが一緒に行っているのだ。ロザミアはどうして自分だけ駄目なのか訴え、駄々を捏ねた事もある。

 どうしてロザミアを置いて行くのか、幼い心ながら不公平だと思った。

 それはメイに対する嫉妬も含まれているが、親を失う事への恐怖心からくる訴えでもあった。

 独り残される不安はいとも簡単にロザミアを怖がらせ、父と彼に近しい人達を困らせた。軍人である彼らからしてみれば非戦闘員をこれ以上連れ回したくない思いだったが、ロザミアからすれば「捨てられた」と同じだったのだ。

 今まで優しくしてくれたみんながロザミアを説得する中で、父だけは出立する前日まで苦心してくれていた。だというのに顔を合わせると聞きたくない事を言われそうで、逃げるような行動をとって。ちらりと後ろを見れば呼び掛けようと手を上げていた父の姿が寂しそうに見えた。

 それでも、やはり此処へ残るように告げられた。

 だから俯いて泣くのを我慢していたのに、静かに膝をついて抱き締めるのだから、両手で力いっぱい殴りながら泣いた。

 口に出さず謝る父を、只々子供の我が侭を受け止めるメルティエ・イクスを責めて泣いたのだ。

 最後に言われたメルティエの「いってきます」に、どうしてもロザミアは「いってらっしゃい」と返せなかった。言わず黙って見送ったのは自分自身なのに、日付が変わるごとにチクリチクリと胸のところが痛くなるのはどうしてだろう。

 

「……まだなの」

 

 あの日は、其処に在った時は一言も零さなかったのに。

 ロザミアは今日も、メルティエ達が飛び立った方角を眺める。

 一人野原に座り込み、膝を抱えて見上げる空は青々と澄んだままで。

 寂しさを退屈といって誤魔化し、同年代の子供達から離れて大空へ想いを飛ばす蒼い少女は、

 

「おとうさん。ここは寒いよ」

 

 小さく揺する膝にぺたりと額を当てて、絞るような声を滲ませた。

 天候はやや日差しが強い程度の穏やかさで、ロザミアの頬を撫でる風も優しい。

 まだ子供達の遊ぶ選択肢の中に川遊びが入るほどの、そんな天気なのに。

 肌に感じる暖かさより、別の温かみを望むのはイケナイコトなのか。

 ただ今はこうして耐えていれば、あの遠くからでも聞き分けられる声を上げながら、いつも頭をくしゃくしゃに撫でる、傷だらけの大きな手が訪れるような気がして。

 

「おとうさん」

 

「なんだ、迷子なのかい?」

 

 聞いた覚えのない声に反応し飛び跳ねたのは保護者であるメルティエ達の影響か。それとも子供ながらに防衛本能が動いた反射的なものなのか。

 ともあれ、ロザミアの前に居る人は大人の女性だった。

 身なりは町の人達と大差ない軽装で、紺のズボンとタンクトップ、茶色のジャケットを着ており特別関心を呼ぶものはない。けれどロザミアが驚いたのは彼女の服装ではなく、その姿にあった。

 彼女の顔左半面を覆う包帯、吊るし固定され右腕は負傷者のそれであり、露出した肌にも小さな傷が見え隠れするだけに痛々しい。

 相手の女性が整った顔立ちをしているから、怪我の具合が可哀相に見える。子供の身で驚き逃げ出さなかったのは全身に傷がある父を知っていた事もあるが、こちらを見る女性の目が優しかったのも多分にあった。

 

「お姉さん、痛くないの?」

 

 質問に質問で返すのは失礼にあたるが、それもロザミアが純粋な気持ちで尋ねるから相手の女性も苦笑で済ませ、腰を下げてロザミアの視線に合わせると少し考える素振りを見せながら答える。

 それが痛みが辛いというより、何処か寂しげに感じられたのは子供特有の観察眼からか。

 

「少し、ね。こういうのは慣れっこだから、平気さ」

 

 この人も遠い目をしながら話すんだ、とロザミアは思う。

 蒼い少女の身近な人々も彼女と同じ、ふと何気ない所から思い出したようにものを見ているようで見ていない、不思議な眼差しをするコトがある。

 それが大人の顔なのかは判らない、分からないけれど悲しそうで。

 大人になるにはその悲しい経験を必要とするのなら、大人にはなりたくないとロザミアは思う。

 ロザミアも両親を失い、地上を彷徨い歩く事もあった。

 でもそれは悲しい感情よりもただ辛く、苦しい道のりで。親を亡くして寂しく泣きたい心もあるものの、それに縋る悲しさに包まれるはしなかった。悲しさよりも他の感情が大部分を占めた点が大きく、日々を独りで生きる間に両親を偲ぶ余裕がなかったのかもしれない。

 今からでも亡くなった両親を思えば悲しみに暮れるだろう。

 親からの愛情を忘れるには記憶がまだ色濃くて、涙を拭うには彼女の手はまだ重過ぎる。

 

 ――――こいつか、俺を呼んだのは!?

 

 おぼろげに覚えている、あの声はまだロザミアの耳にある。

 何て事はない普通の言葉と慌ただしい口調で、それでも心に響くのはどうしてか。

 闇夜をひた走るメルティエが必死にロザミアを救おうと働きかけていたから?

 それとも意識が混濁する中で、もう駄目かもしれないと諦めていたから?

 もしくは、彼の言葉が耳から伝えるのではなく、想いが心に直接届いたから?

 

 メルティエが言う呼び声、何か声以外に発信するやり方ができたのはあの時だけで、どうやったのかロザミアはわからない。無我夢中で”叫んだ”感覚はあるけれど、其処からどう出したのか憶えていない。メルティエ達と出会い、日々を過ごす間に忘れてしまったのだ。

 だが、ああいう経験を経なければ身につかないものなら、要らないと少女は思う。

 それが子供の我が儘なのか、痛みへの恐怖なのかは判別できない。

 

「あ、あの、わたしはロザミア・バタム。お姉さんのお名前は?」

 

 だから、辛い事を塗り返すくらい暖かい日々を過ごそうと思うのだ。

 少しずつ知り合いを増やし、楽しく笑いながら、偶にぶつかるような何気ない日常を。

 そのために、この何処か父と同じ匂いがする女性とトモダチになろうと少女は一歩近づく。

 あの遠いところをみる眼差しも、させたくなかったから。

 

「私か? 私はカレン。カレン・ジョシュア。よろしく、おチビちゃん」

 

 そう名乗るカレンの、さっきまで優しかった瞳が茶化すように揺れて。

 馬鹿にされたと感じたロザミアが猛烈に抗議し、カレンが笑う。

 

「わたし、そんなに小さくないです! お姉さんが大きいんです!」 

 

「いやいや、私は普通だよ、普通。まぁ、おチビちゃんは実際小さいからね」

 

「ま、またおチビちゃんって言った!? わたし、男の子とそんなに背変わりませんから、大人びてるって言われますから!」

 

「それはお世辞ってヤツさ。言われて嬉しくなかったかい? その反応を見たいから言ったのさ」

 

「お、おとうさんがそんな……あ、でもわたしが嬉しいの見ておとうさん喜んでたのかな? それなら良いかな……難しいな」

 

 急に何事か考え自分の頭に手を乗せた少女にカレンは怪訝な目を向ける。

 別段特異な行動ではないのだが、むくれていたロザミアが不意に頬を緩め、逆立っていた眉根が下がれば気にもなるだろう。

 

「こりゃまた、面白い子と会ったもんだね」

 

 怪我を治すまでの話し相手になってもらおうかと、カレンは物思いに耽る少女を見つめる。

 戻ってきたロザミアは様子を見ていたカレンにまた茶化されながらもしばらく話し、看護師らしい女性が迎えに来た事でお開きとなった。

 

「あれ?」

 

 看護士と共に去るカレンを見送ると、彼女達に近寄る影に気づいた。

 ロザミアが不思議に思ったのはその影が見覚えのある人達で、

 

「バレストおじさんのところの」

 

 キキの父バレストの、この町を治める人物の屋敷を警備する私兵がカレンを警護、というよりも包囲しながら移動している事に首を傾げた。

 自分と同じくカレンもバレストの”お客さん”なのだろうかと。

 他に誰彼を預かっていると聞いていない少女は単純に屋敷でも会えるかなと思い直し、寂しさが幾分和らいだのか日が傾いた空へ拳を突き上げ、大きく伸びをする。

 

「おとうさん、みんな、早く帰ってきてね」

 

 ロザミア・バタムは家族を思い、彼らがいる方角からくるりと背を向け家路につく。

 帰って来たら「おかえりなさい」と言ってやるんだと、一つ決心しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次弾装填(次話投稿)までしばらくかかるやも。
時間が掛かって申し訳ない。

小話も少し待ってて欲しいんじゃよ!

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