ガンダム戦記 side:Zeon   作:上代

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【注意】

幕間=アンケートで要望があった内容を展開する話となります。
今話の時期は北米大陸に渡る前としています。





幕間:彼らの日常 〈その1〉

 柔らかい日差しに起こされ、エスメラルダ・カークスは瞼を震わせた。

 頬に零れる暖かみを感じ取り、酷く幼い声が漏れる。

 ブラインドから差し込む僅かな光が室内の様相を浮き彫りにする中、ベッドの上にある小さな山が身じろぎする。シーツの中でもぞもぞと身動ぎをし、その間にできた空間から温もりが奪われると彼女はぺたんとうつ伏せになって、動きを止めた。

 低血圧気味の彼女は猫のように身体を丸め、まどろみに浮かぶ意識はすぐに起きる事を良しとはせず、外部からの刺激に徹底抗戦の構えである。

 しかし、無慈悲な室温は立て籠もる彼女に開城を要求してきた。

 このままでは門を突破されてしまう。

 そう意識外で感じた彼女はうつ伏せのまま行軍を決行し、

 

「…………?」

 

 後詰である筈の場所へもぞもぞと向かうが、どうもおかしい。

 彼女が困れば何を言わずとも合力する味方の体温、その相手が其処に居ないではないか。

 どうした、まさか城外(ベットの下)かと動きを止めたが、そもそも彼の寝息が聞こえない事にエスメラルダの意識は感付いた。というか、だいたい起き始めた。

 僅かに体を起こし、寝惚けた眼で部屋を見回しても目標は発見できず。

 彼の部屋に居るのに、当人が居なければ駄目ではないか。

 これは案件ものである。

 

「……………………躾が、必要」

 

 普段は無表情と薄っすらとした感情が持ち味のエスメラルダだが人の情は理解している。

 というか、感情の振れ幅を彼が開拓したと言うべきか。

 その結果が昨夜の営みにもあったのだが、肝心の男は起きると女を置いて外出したようだ。

 起きてから外出までの間でエスメラルダが反応できなかった点もあるのだが、心地良い疲労感に屈服してしまったのだから、仕方がない。

 そう、仕方がないのだ。

 軍人の上司と部下ではなく、男女の時間だけは人並みに甘える彼女にとって。

 起きるまで一緒に居ない男は、制裁案件であるのは仕方ないのだ。

 

 ――――つまり、彼女は寝惚けたままだった。

 

 薄紫の髪を水中に咲いた睡蓮のようにベッドに広げていたエスメラルダは、彼と過ごしたねぐらから離れがたいのか、シーツに包まったまま動こうとしなかった。それも男が残した体温の残滓が消えるとむくりと起き上がり、瞼が擦りながら小さい欠伸を漏らす。

 不機嫌な半眼のままベッドから抜け出た彼女は、ブラインドからの日光にその白く瑞々しい裸身を触られながらテーブルに近付き、椅子に掛けてあったワイシャツを手に取るとそれを引っ掛け、明らかにエスメラルダにはサイズが合わないぶかぶかのワイシャツ、その裾を揺らしつつテーブルの上にあったページが開かれたノートをチラリと眺め、用意されたグラスをお供に冷蔵庫へ赴く。

 勝手知ったるなんとやら。牛乳パックを拝借すると自然に手に持ったグラスに注ぎ少し乾いた唇に当てるとくぴり、と一口飲む。

 一息ついたのか、彼女はテーブル上にあるノートを手に取った。

 

「……おはよう、メル」

 

 朝の挨拶と不在の理由が添えられた書置きに、気を緩めて声を紡ぐ。

 その後に携帯端末で時刻を確認し、滞在期間に余裕がない事を知って嘆息した。

 身嗜みを整え、常のエスメラルダ・カークス大尉へシフトし外界と遮断していた扉をくぐる。

 非番の日が待ち遠しい、と微かに心中を吐露して無人となった部屋に背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中東区第三八〇集積所――――オブメルと定まった地名は、中規模な軍事拠点を起点区画として急激な発展を遂げた中東アジアの都市である。

 物流地区とされる当都市の誕生は、六月頃にジオン公国軍突撃機動軍の特務遊撃大隊が駐留し、戦争の影響で住まいを失った者や物資の流通が途絶えた事により一部機能不全に陥った町村の問題を転機に、暴徒の略奪とその兆候が見え始めた事に危機感を抱いた村長バレスト・ロジータが懇意とする軍人メルティエ・イクス大佐に頼み込んだ事を発端とする。

 当初は救援物資の配布から始まり、立ち寄る町村の代表が郷土品や畜産物を軍事拠点付近で交易を行い、兵士崩れや暴徒対策はジオン軍と共存する事で落ち込んだ物流の回復を図ると共に一定の治安を確保するという、特殊な状況下によるものとはいえ侵略者が地元住民に迎え入れられる稀有なケースと言えた。

 オデッサ基地を預かる同軍のマ・クベ大佐からは「難民の受け入れ先」と揶揄されたこの地は、刻一刻と膨張する人口密度に耐える為にメルティエ個人の伝手を活用し、北米方面軍司令ガルマ・ザビ准将から支援を受けつつ、アジア方面軍司令ギニアス・サハリン少将とマ・クベ両者から補給物資を”盟約”により譲渡してもらい凌ぎ切った背景がある。そのお蔭か、他地区に比べて友好的に労働力を供与され以前の恩を返したギニアスはともかく、これを徴収と受けたマ・クベは面白くなかったが、今後の軍事行動に対する住民の理解を得られたことで表面上は静かなものだった。

 こうして各部隊の長が身銭を切った甲斐もあってアジア方面にジオン公国寄りの土壌が作られ、ガルマが統治する北米地区にこそ範囲では負けるものの都市オブメル近郊に限定すれば親交が深いアースノイドとの繋がりを得たのだ。

 同地でジオン軍の徴兵に応じるあたり、その度合いが知れよう。中破以降のモビルスーツを転用して街道の整地や伐採で活躍するザクタンクの搭乗者は彼らを中心として形成されていた。

 土建工事や交通機関の整備を念頭に企業が立ち上がる動きもある事から、オブメルは常に働き手を求めると同時に活気に満ちた地方都市となっている。

 

「あれ? シーマ様じゃないですか。こんな所で何してるんです」

 

 中心区画から二つ離れた商店街、その雑踏を進んでいたシーマ・ガラハウ中佐は聞き覚えのある声に振り返り「あぁ」と相手を認めた。

 小麦色の短髪、やや釣り目の青い瞳に化粧っ気のない顔は多少の砂埃で汚されていた。服装も軍の支給品で固めており、素材は良いのだがお洒落とは無縁に見える年若い女性。その両手に雑貨品の類がこれでもかと入った紙袋が抱えられている。

 時刻は昼過ぎ、テイクアウトのものに見えなくも無いが湯気や暖かみが袋からは感じられない。あったとしても携帯食か、その代わりとなるスナック等だろう。

 

「買出しかい?」

 

「あ、そうです。今日非番だったのでまとめ買いを。今度長旅になるって話じゃないですか、それで――――アイタァッ!?」

 

 畳まれた扇子の先で相手の額を強かに打ったシーマは、紙袋を抱えているからこそ激痛を発する所を押さえられず珍獣のような呻き声を上げるうら若い乙女へ、溜め息をくれてやった。

 

「アンタはもう少し考えて話す事を覚えな。人通りが多い所で話して良い内容なのか、その類すら解らないのか。ったく、嘆かわしいねぇ」

 

「しゅ、しゅびばぜん……」

 

 痛みから目を閉じ涙声混じりの情けない有り様を一瞥し、己の額を人差し指で軽く押さえながらシーマはもう一度息を吐いた。

 普段の勝気な表情とは裏腹に、へこたれると小動物化し保護欲を掻き立てるこの珍妙なイキモノはガラハウ隊に属しシーマ自ら鍛え上げたモビルスーツ隊の一人である。

 教導官をしていた頃に巡り合い、同郷の誼で何かと気遣い配属先がシーマの部隊という事で完全に師弟の間柄となった両者はバディとしての相性も良く、シーマが出撃する際はその後背を任されるほどの実力者にまで化けていた。

 レベッカ・ブラウン少尉は個人の技量も部隊上位から見た方が早い能力を有していながらも、人懐っこい性格と難しいことを考えるのが苦手な面から親しみ易く、部隊の内外から人気が高いマスコット的存在でもあり、猫科の外見でありながら犬属性持ちというけったいな少女であった。

 シーマとレベッカのような気安い掛け合いに心惹かれる者も多い。

 が、卑しくも立場を間違えた場合はガラハウ隊の強面勢とOHANASHIしなくてはならない。

 

「と、ところでシーマ様。シーマ様こそ、ここで何を」

 

 若干涙目でありながら聞くレベッカは、シーマの腰辺りで何か動いた事に反応し視線を下げた。風に押されて揺れる緑色の外套、その裾の下に彼女はしばらく注目し、驚きから目が点になった所でシーマは扇子を肩に当てながら左手を軽く動かした。

 

「ほら、挨拶しな」

 

 ――――その時、レベッカ・ブラウンに電流走る。

 

「うん。こんにちは、お姉さん」

 

 なんと。

 何と其処には、シーマに促されて挨拶する子供の姿があるではないか。

 蒼い髪の子供が上官と手を繋ぎ、迷子のお手伝いをしている雰囲気でもなく、路地に連なる露店を冷やかしながら散歩をしているような仲良し感を露にしていた。

 直立したレベッカが突如身体を戦慄(わなつ)かせると眉根を寄せるシーマであったが、大体何事か把握した彼女は面倒だと内心で零しながら口を開く。

 が、その前にレベッカによるインターセプト。

 

「し、シーマ様! シーマ様が、ご、ご結婚されていた、いや、それどころかこんな大きな子までいたなんてイタッ、イタァッ!?」

 

 案の定暴走していた頭の可哀想な弟子に、仏頂面の師匠は二度扇子で突いた。先程よりも若干力が入っており、手荷物を抱いたまま堪えていたが駄目押しに扇子で頭頂部目掛けて振り下ろされると遂に膝から崩れ落ちた。

 またもや珍獣のような呻き声を上げる弟子を眺め、多少の溜飲は下がったシーマは答えてやる。

 

「私はまだ、独身だ。手の掛かるヤツが多くてねぇ、本当に困ったモンさ。……そんで、こっちのはイクス大佐の子さ。私は偶々面倒を見てるだけだ」

 

 それも、爆弾発言以外の何ものでもない。

 シーマが言った通りだとすれば、ジオン公国軍の中で有数の家庭持ち軍人となる。

 メルティエ・イクスの出身は名家ではないが、養父ランバ・ラルはサイド3の名門であるラル家当主である。次期当主として名が挙がっている訳ではないが、ランバに嫡子が生まれず代替わりを迎えればメルティエが継ぐ可能性が高い。ラル家に連なる一族郎党から後継者を選ぶことも考えられるが、親子仲が良いことで知られる二人の間に割って入るのは厚顔無恥を通り越し、単なる阿呆の所業とされる。ランバが子を託された経緯を解けば、迂闊に踏み込めない域だと分かるのだから。

 そのメルティエの子と言うのなら、将来はジオン公国を背負う子と目されても仕方がないこと。

『青い巨星』が名門ラル家を継承し、養子『蒼い獅子』の子息ならばその未来を渇望されるべき身となるのは当然だろう。政界からは離れつつあるが、軍部でのラル家の影響力はジオン・ダイクンの御世に戻りつつあるとされている。階級こそ低いものの、ランバを慕いメルティエに憧れる者が多く属している点も大きな強みであり、目前の小さな子は総じてジオン公国の重要人物となる。

 以上は一般的な見解と言えるもの。

 しかし、世情に疎くスラム街に近い出身のレベッカからすればまた違う。

 

「ウチのボス、手がはやっ」

 

 見た目十を越えたあたりの少女を前に、二十を越えていない彼女は純粋な驚きを言葉にした。

 公式ではメルティエ・イクス大佐の年齢は二十二、少女の外見年齢から読むと成程、”早い”の意味がよく分かる。事実ならば色々と問題が起こりかねない事案発生待ったなしである。

 レベッカが驚きと顔を赤らめて何事か騒ぐからシーマの左手を握る手に力が籠もり、握られた彼女は緊張と困惑を感じ取ってか、また腕を軽く動かす。

 

「あぁ、アンタの考えている事は違うよ。この子の保護者がイクス大佐ってことさ。実の親は……ま、分かるだろう?」

 

「あ、そっか。

 ごめんね、ちょっと騒いじゃって……お名前、教えてくれるかな?」

 

 いそいそと体勢を変え、シーマの連れ子もといメルティエを保護者とする少女の目線に合わせて尋ねる。表情豊かな相手に戸惑いの色が濃いのか、華奢な手がまた緊張で固くなりシーマは小さく苦笑した。

 

「ロザミア。ロザミア・バタム、です」

 

「ロザミアちゃんだね。アタイ……アタシはレベッカ。レベッカ・ブラウン。よろしくね!」

 

 満面の笑みで握手するレベッカに、ロザミアは困っていた。

 自分より年上の女の子による邪気の無い歓迎もそうだが、新しい友人が増えたと喜ぶ態度は幼い印象を受けるから。成熟に向かう女性らしい丸みを主張する肢体と素直な性格が一致しないと言うべきか、本来ならロザミアの方がこういう明るさを示すべきなのではないか。

 そうして黙考していた少女の瞳に入るのは、レベッカのタンクトップから覗く古い傷跡。

 どういった傷なのかは分からないが、傷というキーワードからある人の姿がおぼろげに浮かび、ロザミアはレベッカの手を握り返した。

 

「よろしくお願いします」

 

 そう言うと嬉しかったのか、小麦色の少女はブンブンと手を振り、またロザミアを困惑させた。シーマが扇子で小突くと先ほどのように悲鳴を上げ、また涙目になる。

 紙袋を抱え直したレベッカは帰らず、シーマとロザミアの二歩後ろを歩き供をする気のようで。しかし立ち止まった店の品揃い、香ばしい匂いで腹具合を刺激する屋台に誘惑されていた。

 

「豚肉の匂いがアタイを誘ってる……魚の香りも辛抱たまらんっ。でも昼飯ガッツリ食べちゃったしこれ以上食べるとウエスト計るの怖くなるし」

 

 ブツブツ呟いては一喜一憂するレベッカに老若男女問わず微笑ましい視線が送られる。

 彼女が良くこの通りを使いお金を落としてくれるという理由もあるが、分かり易く取っ付き易い人柄も噛み合い店主や同じ客から親しみを受けていた。内外の人間が会えば多かれ少なかれ衝突してしまうのが常ではあるが、レベッカという少女の社交性が此処では遺憾なく発揮されていた。

 尤も、それは彼女がジオン軍の人間である一点があればこそだが。

 

「あの子は能天気だけど、人の事はちゃあんとみてやっているよ。嬢ちゃんが気にしなさんな」

 

「……ごめんなさい」

 

「ふぅん? 謝るような事考えてたのかい」

 

「あ、やっ、違います。……小さな子供みたいな人だなって」

 

「くくっ、そいつは十分失礼だねぇ。小さな嬢ちゃんにそんな事思われてたなんてさ。アレが素だから今はいいんだよ。仕事してる時は随分とマシな面してやってくれてる」

 

「仕事してる時……おとうさんみたいにですか?」

 

 見上げてくるロザミアに、シーマは目を細めた。

 その様子に少し怖くなって足を止めると、店の前で云々唸っていた筈のレベッカがすぐ後ろに立っていたから、尚更怖くなった。

 気付けば三人は通りを抜け、喧騒は後ろに下がっていた。

 

「大佐は子供に軍人の顔を見せないと思うんだけどね。何処で見掛けたんだい?」

 

「……初めて会った時」

 

「初めて? 確か嬢ちゃんは病院で……そうか、助けてくれた時にかい」

 

「うん…………ずっと、ずっと助けてって誰かを呼んでいたの」

 

 当時のことを思い返しているのか、瞳を閉じたロザミアを二人は見つめた。

 戦争の痛みを知る者が、此処には多過ぎるのだ。

 当事者のシーマもレベッカも、以前の部隊で背負った事件と罪過に精神を苛まれ押し潰されそうになる。静かな場所に居ると忍び寄り襲い掛かるこの痛みは、今後も消えることは無いのだろう。”スペースノイドによる独立戦争”の言葉に熱を帯びて乗せられ、人工の大地(コロニー)を地球へ落とした事が恐るべき人災ではある。だが、そのコロニーを調()()した者達は、如何なる罪科に問われるのか。

 

「それで……その時助けてくれた()()は、なんて応えてくれたんだい?」

 

 立つ事に疲れたような、掠れた声が流れた。

 それは何処か助けを求めるような、普段聞くことが出来ない女性の弱さを示しているようで。

 レベッカの瞳には、偉大な指揮官である恩師の背が小さく見えた。

 

 ――――必ず救ってみせる。

 

 蒼い少女はかの言葉を反芻しているのか、空いている右手を胸に置き動きを止めた。

 余裕の欠片もなかった剥き出しの決意だから、今もロザミアの心に根付いている。

 幾千幾万もの人間に目に見える死を叩き落した人間が吐いて良い言葉とは思えない。それでも、少女の心を温める男の声は薄れることは無く。

 

「有言実行、しちまってる訳か。難儀な男だね」

 

 明らかに呆れている言動で、シーマは空を仰いだ。

 ロザミアはメルティエの良さを知ってもらえなかった、と俯くがレベッカからはそうは思えず。彼女の目にはむしろ、鍛え甲斐のある部下を持った時のような、これから期待をかける時に敢えて突き飛ばす時の言い方と態度に映って。

 

「アタイ達も、期待して良いのかな」

 

 シーマに倣って青い空を見上げたレベッカは、誰の耳にも聞こえないように。

 それでも、童女が祈るような想いで晴天を仰いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生物は基本骨子に争う因子が必ずあると云う。

 それは人類も同じだ。一人で生きるのなら平穏無事で終わるだろうに、二人になると好悪等から意見が分かれ、三人以上になれば多数派、少数派から成る派閥ができる。

 主義主張から組織を形成し己を守ろうとする、属することで安心を得る行動は誰もが持つ根本的動機の一つであり、それは人類の歴史が宇宙世紀へ時代が移ろうと普遍的なものである。

 彼ら特務遊撃大隊ネメアに於いても、それは例外ではなく。

 幸いと言えるのはメルティエ・イクスという部隊長の気質からか、所謂「ネメアの獅子」という名を乱す癌細胞が蠢動しない所か。特定個人による派閥の形成は免れなかったものの、部隊運用に大きな障害を孕む危険思想を持つ人種は生まれなかった。

 

 ――――言葉を正しく当てるのならば、()()()()()()()と言うべきか。

 

 その派閥の中に、特異なものが存在する。

 参入する条件はたった一つのみ。それには階級や出身、能力等は一切関係ない。

 ただ、とある人物に対しての感情と態度だけが唯一にして無二の条件である。

 この条件から少数派の派閥ではあるが、多数派の派閥を相手にしても優に競り勝つほどの歪んだバワー・バランスを保持し、部隊内の不和を迅速に()()する役割を持つ。

 

「メルの操縦データ?」

 

 関係者が「お茶会」と呼称する定時報告会の場で、アンリエッタ・ジーベル大尉の声が通る。

 カチャリ、と薫り高い紅茶を揺らすカップをソーサーへ乗せる姿は正しく貴婦人のそれであり、軍服ではなくドレスを身に纏えば政界のパーティに足を踏み入れたとしても何ら問題にならない。

 別段気品漂う調度品に囲まれているわけでもなく、居住区の何処にでもあるような椅子に腰掛けているだけなのに、一般人と比べれば彼女の佇まいと所作は良い意味で線引きされていた。

 

 事実、彼女はジオン公国の名門ジーベル家の息女だ。普段は部隊構成員に合わせて崩しているがアンリエッタ・ジーベルという令嬢の在るべき姿は銃火飛び交う戦場ではなく、煌びやかの裏で腹の内を探り合う政界に身を置く筈であった。とある理由から紆余曲折を経て、ジオン軍を代表する特殊部隊に配属されている現状は他所から見れば理解に苦しむことは想像に難くない。

 本人からすれば、欲と利だけで塗り固められた世界より価値ある場所へ。生の感覚に乏しかった人形を辞めて、自由に呼吸できる日向を好んだ結果なのだ。

 権力者の嗜みとはいえ騙し合い、化かし合いが日常茶飯事の生き方は遠慮したいのである。

 

 そういった経緯から、この場に居る「お茶会」のメンバーは”観察”しないで済むだけに気の置けない間柄と言える。肩肘張らずに付き合える相手はどの世界でも貴重なのだ。

 気になるワードが登場したのは、主催者であるアンリエッタを含めたメンバーが橙色を基調とした彼女の自室へ集い、近況を話し合う最中であった。

 報告者はユウキ・ナカサト軍曹。この「お茶会」に招かれた彼女は、趣旨はともかくその理由を説明された時は酷く狼狽し、いかに他者の視線が潜んでいるかを恐怖したが喉元過ぎれば何とやら。今では通信士の触る内容から貴重な情報源となっている。 

 

「はい、操縦テレメトリーですね」

 

 彼女は紅茶で唇を湿らせてから、やんわりと補足した。

 手に持ったソーサーにカップを置くと、まろやかさを求めてかミルクを垂らす。白い筋が緋色の水面に溶け込んでいく様子を見つめる。

 

「出先はグラナダ基地技術開発部、キシリア少将からの催促です。何度目かは分かりませんが」

 

「またグラナダ、か。宇宙にも優秀なモビルスーツパイロットは多いのに。どうしてメルのデータに拘るのか……企業との交渉に機体を奪われたりするのも納得がいかないし、普通じゃない。

 確か、実戦データの提出指示が来てたよね?」

 

「そうです。キャリフォルニア・ベースのレーザー通信で衛星軌道上の艦隊へ送れ、と。

 上官命令とはいえ、巡回任務途上で待機指示を受けた隊は大変でしょうね」

 

「……だね。ルナツーは開戦初期に受けたダメージからしばらくは攻勢に移れない、情報局の話が本当なら危険度はそう高くない」

 

 笑みを唇に残しながら、アンリエッタは柔らかい口調のまま止めた。

 ユウキも同意を返し、紅茶を口元に運ぶ。

 だが、メルティエかエスメラルダがこの場に居たのなら、アンリアッタに何事か尋ねるだろう。

 彼女の瞳は、思考の海に沈んでいた。

 

(――――メルの実戦データを、行動パターンが記録されている情報を、態々巡回任務をダミーにしてまで受け取りに行かせたんだ。ルナツーの戦力は第一次地球降下作戦の折に衛星軌道上の防衛で大敗、壊滅的被害にまで陥ったのは地球降下部隊援護に就いていた『赤い彗星』率いる追撃隊がルナツー防衛ラインを寸断まで追い込んだから、連邦軍との境界線は地球から大きく離れている。

 つまり、()()()データを受信できるタイミングは()()()

 北米方面軍は戦力の調整と進軍ポイントの割り出しに全能力を傾けている。防諜の類は下げないだろうけど、ガルマ准将は上の兄姉と違って家族のやる行動に然程忌避を感じない。感じなければ何故、既に地球へ降下したパイロットのデータなぞ欲しがるのか疑問に持ち辛い。キシリア少将と万事相性が悪いドズル中将と違い、ガルマ准将はキシリア少将の行動を掣肘しない公算が高い。

 専用機のグフを取り上げたり、部隊内で保存するデータを提出させるのはやはりおかしい。

 ネメア隊全員に提出させないのは何故? ネメア隊は機体性能を底上げしたカスタム機が多い。原型機の性能上限を調べるなら全パイロット、全機のデータを抽出するべきだ。優れたパイロットのデータだけ掬い上げても、その個人だけをベースに作られるだけ。多種多様なデータ収集をしなければ幅広いパイロット層に対応できる後期型、新型機にまで繋がらない。モビルスーツを扱う者からすれば、キシリア少将の行動は意味不明、無意味なデータを集めているだけにしか思えない。

 そう――――メルティエ・イクス専用機を造る積もりでもなければ、意味が無い。

 もしくはエースを、メルティエを対象にしたプログラムを…………それなら、有り得る。メルを仮想敵に設定し、行動パターンを先読み、移動ルートに攻撃を合わせる。プログラムを走らせればトレーニング役にするのも可能。だけど今まで重用してきたメルを仮想敵にする意図は……いや、ザビ家だ。相手はキシリア・ザビなんだ。メルの両親は事故死、養父は閑職に追い込み憤死を狙うような輩、当人なんだから、”まさか”は有り得る。油断はしちゃ駄目だ、アンリエッタ。

 嫌な感じがする。ただの思い違いかもしれない、拾ってもらった恩を仇で返す勘違いなのかも。それでも、厭な感じがするんだ。……メルが倒された時のような、冷たい感じが。

 でも、どうすれば。ジーベルの力は使えない。物資の斡旋程度なら動かせるけど、それも難民を救う為に負担を掛け過ぎた。それにサイド3から地球までは遠い。明確な指針を伝えないと、幾ら何でも力を貸してもらえない。メルを助けてって、漠然過ぎて手の出しようが無いじゃないか。

 メルとガルマ准将の交流、友誼に賭けるべき? でもそのガルマ准将もザビ家。個人の友情より家族を優先するのは、人間として間違いじゃない。そう、ヒトとして間違いじゃ――――)

 

 揺さぶられた、そう気付くまでアンリエッタは思考の袋小路に陥っていた。

 肩に伸びた腕を視線で辿ると、良く知る顔があった。

 小柄で華奢なように見えて、実は相当な猛者である彼女の顔が。

 

「どう。正気に戻った?」

 

 親友以上の仲であるエスメラルダ・カークスは、そうぶっきら棒に言うのだ。

 余りにぞんざいであるから、その言葉に毒気を抜かれてしまう。

 考え事をしている間に合流したのだろう。開いた扉に反応できなかったのは頂けないが、体の感覚が低下しているのだろうか。メルティエではないが、疲労が蓄積しているのかもしれない。

 エスメラルダの後ろに様子を見守るユウキの姿が覗く。どうやら心配をかけてしまったようだ。

 

「ごめん。少しぼんやりしてたよ」

 

「そう。頬を叩いても反応がないから」

 

 言われてみれば、右頬がじんじんと熱を帯びている。

 気付いてしまうと痛みが自己主張するのか、ぶたれた頬を思わず押さえてしまうくらいの痛覚がアンリエッタを襲う。ユウキが心配そうに見ていたのはこの張られた頬のせいかと冷静に分析してみる。残念なことに気晴らしにならなかったが。

 

「っつう。ちょっとは加減してよ、腫れちゃうじゃないか!」

 

「問題ない」

 

 エスメラルダに触れられた肩にも痛みが走る。仲が良いとは言え、乱暴に過ぎるのではないか。

 とんだ怪力型合法ロリである。その内に気付けと言いながら暴力を振るい出しそうで怖い。

 痛みに対する不満から、馬鹿力め、と胸中で毒づく。

 

「逆に考える。左も腫れちゃっていいさ、と」

 

「……何処の聖書の引用かな、それは」

 

 心を読まれたと背筋に冷たいものが流れたが、彼女の胸をトンと叩いて押し退ける。

 頬をぶたれたり、肩を強く掴まれて揺さぶられたりと小さくない苛立ちがあっただけに力任せに押した。僅かばかりの弾力を経て手の平に訪れるのは、芯に触れたかのような触覚で。

 そして、その胸は平坦だった。

 

「うわっ、危ない!」

 

 どう見ても細く軽い腕が、空気を震わせるほど唸りを伴ってアンリエッタが一瞬前まで居た空間を薙ぐ。筋骨隆々の者が具えた豪腕が如き様に、傍観せざる得なかったユウキも驚いた。

 

「チッ…………!?」

 

 アンリエッタが屈めてやり過ごした時に、彼女の胸が膝に圧迫され持たざるモノから昏く羨む姿に変わった。無性にもう一撃発すべく腕を軽く引くと、

 

「カークス大尉、ダメです!」

 

 肘辺りに柔らかい感触、続いて手首から下をほっそりとしたユウキの手が包む。

 そう、柔らかく包み込む感覚なのだ。

 振り返れば、女性らしい造形がエスメラルダの視覚情報を刺激する。

 

「…………もか」

 

「はい? カークス大尉、何を」

 

 ユウキが聞き返す中、エスメラルダは全身を震わせてた。

 身長差から上目遣いで、しかし子供が癇癪を起こしたようなお冠である。

 二人にとって不幸だったのは女性の、情緒不安定な日が偶々今日だったということ。

 そのエスメラルダの精神を波立たせる事といえば、大規模な作戦と期日が迫った行軍航程で多忙を極める男との時間が削られていたり、過日に酷使した代償かアッガイの駆動系に支障が発生しており海底探査あるいは海上護衛任務にかこつけて複座型コックピットの本領を発揮しようと秘かに練っていた計画が水泡に帰していた等がある。

 表情にこそ現れないが、内心ストレスが溜まっていたのだ。

 その折に、無い者特有のコンプレックスを刺激する事象が短い時間で多発していた。

 ともすれば、

 

「お前もか、ユウキ・ナカサト」 

 

 爆発するのは、必然である。

 ゾッとする冷たい声を伴った焦点が合っていない瞳は、息が掛かる至近距離だからこそ身を竦ませる恐怖を励起させた。エスメラルダから香る、ユウキも好んで愛用する柑橘系の匂いが今この時は別の類にしか思えなかった。

 

「ちょ、エダ、シャレになってないからストップ!」

 

「こ、これってイクス大佐じゃないと止まらないんじゃ……きゃあ!?」

 

「ごめーん、ちょっと仕事長引いちゃった――――ってなんだこれぇー!?」

 

 遅刻したメイ・カーウィンが入室した時には、普段から整理整頓されていたアンリエッタの室内が小さな子供が玩具箱をひっくり返した並の惨状になっていたと言う。

 

「この世に神など居ない……!」

 

 悲哀を滲ませる背中が、其処にはあった。

 暴れ回られ実害を被った部屋の主と、何故か己の胸を両手で抱く通信士を震わせながら。

 

 余談だが、この事件は通報を受けたメルティエ・イクス大佐が駆けつけ迅速に()()した。

 これを機にメルティエは急遽秘書官を用立てる事となり、その役は各部署から選抜された人物が一定期間毎に就く異例の持ち回り制を導入する。横の繋がりを強化することで部署間の連携と部隊長の事務管理及び動向を把握する為に必要な措置とし、上層部より承諾された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




冒頭はいつも通り。
しかし、最後の文まで書き切った辺りでふと思う。
本編の足りないピースを嵌めたような補填回のような……。
これは需用があるのだろうか、と。

しかしながら、書き終えたならば致し方が無い。
消去するのも心苦しい。

故に、新規投稿(ワンクリック)
読者の方々が、僅かでも俗世を忘れ物語に没入できれば幸いである。



作者の目標が「読者の時間泥棒」なだけに( ゚3゚)

今回の幕間はエスメラルダ、アンリエッタ、シーマ、気持ちユウキ辺り。
次の幕間はアンケートが多かったロザミアを候補にする……したいな。ハイ。
他のキャラにもライトを当てたい……が、あまり期待しないで待っててね!

本編の投稿はGW期間中にできれば。感想お待ちしてます( ゚д゚)ノ

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