きくりお姉さんからしか摂取できない栄養がある 作:syumasyuma
朝。
寒くて目が覚めてしまった。
隣で寝ていたはずの和君がいないことに気づく。
リビングから朝のニュースが聞こえる。
和君を求めてベッドから抜け出してリビングに行く。
「和君おはよー」
「おはよう。」
ソファーに座ってコーヒーを片手に新聞を読んでいる和君の隣に座る。
寄っかかろうとしたが直ぐに和君が立ったことでソファーに倒れてしまう。
なんで避けるのと睨んでしまうが、和君は前かがみの姿勢で振り返り不思議そうにしている。
「なんだまだ眠いのか?」
「和君のバカー」
「朝から結構だな。トースト焼くから待ってろ。」
和君が消えたキッチンをぼーっと見てしまう。
眠気が残っているからか、アルコールの影響が抜けていないからか脳がぼやけている。
「はいトーストと牛乳。」
「・・・ありがとう」
気が付いたら和君がテーブルに朝食を置いてくれていた。
キッチンを見ていたはずなのに、入っているのに気づかなかった。
トーストにマーガリンをたっぷり塗って、
トーストのサクサク感とマーガリンのじゅわじゅわ感を味わう。
「うまい」
「じゃあ、もう出るけど、ちゃんと午後に病院行くんだぞ。昼食は冷蔵庫に入ってるパックを6分温めればいいからな。何かあったら電話しろ、ワン切りでいいから。」
「ういー」
「行ってきます。」
「行ってらっしゃーい」
トーストを食べながら和君に手を振る。
バタンとドアが閉まる音が聞こえ、直ぐにガチャリと鍵の閉まる音が聞こえる。
その音が何となく拒絶されたように聞こえ、トーストが味気なく感じる。
テレビからアナウンサーが何かを言っているが全く入ってこない。
酒を止めてから体を満たしていたものを失ってしまった。
そんな、そんな気がする。
「寂しい」
ぽっかりと空いてしまった隙間を埋めてしまいたい。
「苦しい」
でも和君は夜まで帰ってこない。
STARRYもFOLTも開いてない。
病院は午後からで、断酒会もまだ数時間ある。
「ベース弾こ」
身体の奥が震えてくる。
恐怖からじゃない酒を止めてからずっとだ。
二回の大波を超えてもさざ波がずっと私を苛む。
確か遷延性離脱症だったかな。
短くても半年、長ければ数年弱い離脱症に残ったままらしい。
ベースを持った手の指先が痺れ、持った感覚が薄い。
「指まだ痺れてる」
ライブで演奏するために酒を飲んだ。
最初は良かった。
酒を飲んでいると体にバリアが張られたようになって、
緊張から逃れられた。
強くなった気がした。
次第に嫌なことがあった時、緊張を強いられる時に飲むようになって、
気が付いたら昼夜を問わずに飲むようになってしまった。
そうしたら手が震えたり、指先が痺れたり、上手く力が入らなくなったりした。
その頃には私にはベースしか残ってなかったのに、酒が私からベースを奪おうとする。
その恐怖から酒がすすむ悪循環が出来ていた。
「バチくんとも長い付き合いになりそうだね」
手全体で握りこめるバチに出会えたのは私にとって幸運だった。
これでベースを続けられる!と嬉しくて酒が進んだのはいい思い出だろうか。
「はあー落ち着く」
ベースを持って柔らかい壁に寄り掛かって座る。
空き部屋は気が付いたら和君の手で防音室になっていた。
ここなら馬鹿みたいに音を出さなければ外には漏れにくい。
ここにいると和君に捨てられてしまうという不安も和らぐ、
和君が私のために作った部屋だから。
フレットも押さえずに弦を一定の間隔で弾く。
BPM63・・・和君の心音と同じリズム。
フレットを押さえれば癒されるバラードになる。
「あっ」
一定の速度で弾いているのに、急に手が動いてしまうのもご愛嬌ということにする。
だって和君はありのままの私を受け入れてくれたから、
私も私を受け入れる。
手の震えも抑えないで、むしろもっと細かく早くに震えさせる。
手が脱力してしまうのも逆にリラックスして柔らかく繊細に弾く。
「なんだできるじゃん」
身体の内から震えるならそれをリズムにする。
不安も憂鬱もフレーズに変える。
そうすると不思議と力が湧いてくる。
ならどんどん記憶をフレーズに換えていく。
迫る壁、揺れる床、回る視界。
噛み締めた硬い筋肉の感触。
指先に残った赤い血。
壊れそうなほど抱きしめられる痛み。
ほっとするような暖かさ。
早鐘を打つ鼓動。
ゆったりとした心音。
引き裂くような女性の叫び声。
重く低い祈るような男性の囁き声。
私を苦しめる私の罵声。
助けを求める幼子の声。
リズミカルな包丁の音。
お湯の沸騰する音。
乾麺が鍋の底を叩く音。
ザルを通ってお湯が落ちる音。
べこんとなるシンクの音。
スポンジで皿を洗う音。
コップの水滴を布巾で拭う音。
シャワーの流れる音。
浴槽にお湯が溜まる音。
風呂場から聞こえる鼻歌。
洗濯機の回る音。
窓を叩くどしゃぶりの雨の音。
車のエンジン音。
濡れた路面をタイヤが走る音。
身をたたく雨の感触。
柔らかなタオルの感触。
私以外を応援するあなた。
私以外の子を受け止めるあなた。
私以外の子を心配するあなた。
私から救いを奪ったあなた。
私の救いになったあなた。
空っぽの私を埋めるあなた。
あなたの姿が焼き付いて
あなたの匂いが染みついて
あなたの声が響いてて
あなたの味を覚えてて
あなたの肌が恋しくて
あなたの心に焦がれて
あなたの愛を欲して
「へっへへへ・・・顔が熱くなってきた」
「インストだけにしようかな?」
ピロロロロ
スマホから音が鳴る。
「わっ、もしもしわたしだよ」
『きくり元気か?まだソファーに座ってるのか?』
「ううんベース弾いてたよ」
『そうか病院忘れるなよ。』
「はーい、和君お仕事頑張ってねー」
『ああ、早めに帰るからじゃあまたな。』
「またね和君」
フレーズを紙に起こしていると、
突然の着信に驚いてしまった。
通話を切って視線を時計に移す。
12:14と表示されている。
「もうお昼かそういえばお腹空いてるや」
お腹を触って腹具合を確かめて、キッチンに向かい冷蔵庫を漁る。
圧力調理パックを取り出して、レンジで6分温める。
その間に炊飯器からご飯を茶碗によそい、空になった釜を鍋つかみで持ち上げる。
釜をシンクにおいて水でうるかす。
パックの中身を平皿に移し、
付け合わせにお漬物を小皿のせ、
ご飯と一緒にリビングのテーブルに置く。
「今日はブリの生姜煮だ」
「うまー」
病院の帰り。
いつも作って貰って悪いから、
今日の晩御飯は私が作ろうと思う。
「和君、何好きだったかなー?」
「何か子供っぽいもの・・・そうだ!ハンバーグ、唐揚げ、カレーだ!」
早速、レシピを調べてハンバーグの材料を買い込んだ。
「あー目が痒いー」
玉ねぎをみじん切りにして、フライパンで炒める。
火が通ったら一旦皿にあげる。
挽肉を捏ねる。繋ぎに卵とパン粉を混ぜ更に捏ねる。
調味料と玉ねぎを入れて混ぜる。
半分に分ける。
気持ち和君分を多めに取り分けよう。
「うっ手にくっつく」
パンパンと両手でキャッチボールして空気を抜こうとして、手に張り付いて形が崩れてしまった。
空気を抜くのを諦めて、小判型に成型して温まったフライパンに置く。
じゅーっと肉の焼ける音がしてなんだがワクワクしてきた。
でも強めの中火ってどれくらいなんだろう?
何となくこれくらいかなっとコンロの火を強めてるけど・・・。
「あー焼きすぎたー真っ黒ぉ・・・」
「ただいまー」
「えっ、もう帰って来ちゃったの?おっお帰り」
「なんで慌ててるんだ?・・・なるほど」
「あはは、ちょっと失敗しちゃって」
隠す間も無く慌てている原因がバレて焦ってしまう。
私が気まずいと思っている間に、和君は冷凍庫からカット済みの野菜を取り出す。
「焦げを取り除いて野菜と炒めるといいぞ。肉は押しつぶしてバラバラになるようにな。」
「あっはい!分かりました!」
「なんでぼっちちゃんの真似したんだよ。」
私がハンバーグの焦げを取り除いて野菜と炒め始めると、
調味料を混ぜ合わせて掛けてくれる。
「手止まってるぞ。」
「すみません!」
「さっきからその反応はなんなんだ。」
冷凍庫から凍ったご飯をレンジで温め、
皿を洗いながらこっちの監視をしている。
ご飯の温めが終わったら次はお浸しの準備に、
味噌汁を作り始めるなんて・・・。
圧倒的主夫力の前に、なんという敗北感・・・!
あくる日。
料理とは違って、あっという間に新曲の編曲が終わる。
コピーした楽譜を渡すために、志麻とイライザをFOLTに呼び出した。
「志麻ーイライザーおはよー」
「廣井遅いデース」
「自分で呼び出しておいて遅れてくるな」
「ごめーん、はい新曲ー」
FOLTの一角に座っていた志麻とイライザに編曲した楽譜を渡す。
何度もやったやり取りだが、毎回そわそわしてしまう。
「うげっ」
志麻が楽譜を見て顔を歪めて呻く。
いつもよりかなり速いテンポなのに、
いつも通りの変調の多さに驚いているようだ。
「オー中々難しそうデス!」
イライザはあんまり驚いてくれてない。
その内イライザ用の曲作って上げようかな。
「スタジオ借りての練習は木曜ね」
「それまでに仕上げといてよー」
「二人とも自主練よろしくー」
「はあ」
「またね廣井ー志麻ー」
頭を抱える志麻と楽し気なイライザと別れる。
今日はこの後断酒会に行かないといけないから大変だ。
スタ練の日。
頭から通しで流す。
二人とも数日で形にして来てくれたが・・・。
「いつもよりテンポが早いが、なんとかなったな。」
タオルで流れる汗拭きながら、志麻が口火をきる。
口ぶりとは裏腹に満足げな表情をしている。
「でもいい曲デスヨ」
水を飲んでから、イライザが答える。
彼女も満足そうなところ曲に違和感はないようだ。
私は違う。
先ほどの曲を頭で繰り返して考える。
ベースのボディをコッコッと叩くがしっくり来ない。
ココココッと叩く速度変えて考える・・・うんこっちのほうがいい。
「うん二人ともちょっといいかな」
「廣井どうしたデスカ?」
「まさか・・・。」
イライザは首を傾げてこっちを見てくる。
志麻は私の言いたいことを先読みしたのか顔が引きつっている。
「テンポ遅くない?テンポもっと早くしようか」
「エッー!十分早いデスヨー志麻も何か言ってクダサイ!」
「はあーテンポ速く・・・だな?」
「チョット志麻ー!」
「こうなった廣井は言っても聞かないから諦めろ。」
ギャーギャー騒ぐイライザを疲れた目をした志麻が落ち着かせている。
二人の準備が終わるまで静かに眺めて待ってみる。
イライザも渋々ポジションに立ってくれた。
「はい始めるよー」
再度練習を始める。
だけどまだ志麻のテンポが遅い。
「志麻もっとテンポ早くお願い!」
「志麻テンポ速く!」
「志麻テンポ!」
カランカララン
何度もリテイクを出して練習をしていると、
志麻がスティックを落としてしまった。
私のほうに転がってきたので、
拾い上げて志麻に差し出す。
「うんテンポ245、サビは280でいくよ」
「鬼か」
「志麻ー諦めるデス」
「あと廣井そこで笑顔なのは怖いデス」
志麻はスティックをひったくるように受け取り、
イライザはこっちを見てちょっと怯えてる?
まあそれより曲を完成させるほうが先だ。
練習を再開しよう。
「志麻テンポズレてる!」
「志麻テンポ安定させて!」
「志麻パワー足りない!」
志麻は零れ落ちる汗を物ともせずひたすら叩き続ける。
私の要求に答えようと必死だが中々辿り着かない。
ピピピピピ
突然私のスマホからアラームが鳴り始める。
時間を見るとそろそろ病院に向かわないといけない時間だ。
「あっ病院に行く時間だー」
「二人とも今度のスタ練まで練習よろ~」
「修正した楽譜はあとで送っとくねー」
「ハーイ頑張りマース」
「・・・志麻生きてますカー?」
「はあはあ・・・あいつっめちゃくちゃな曲作りやがって!」
二人の会話を聞き流してきくりは部屋から出ていく。
志麻はいつもの感じになってきたので次までには仕上げてくるはずだ。
追いつめられるほど実力を発揮するタイプだからね。
志麻は。
次のスタ練の日。
和君を連れてスタジオに向かう。
道中高速が事故で渋滞して遅れてしまった。
志麻怒ってるだろーな。
スタジオに入ってラウンジの休憩スペースを見ると、
イライザが座って待っていた。
「廣井遅いデース」
「メンゴメンゴー」
「イライザちゃんこんにちわ」
「山下さんこんにちわデス」
「姿が見えないけど、志麻さんは?」
「志麻は先に練習しちゃってマース」
ご立腹なイライザに案内されて借りている部屋に入る。
むわっとした熱気の中、
スカジャンを脱いだ志麻が一心不乱にドラムを叩いている。
大量の汗を流し、手から流れる血がスティックを伝ってドラムを赤く染め、
その鬼気迫る姿にクルものがある。
流石は志麻!私も負けてられないね!
「だっ大丈夫!」
「はぁっ?」
「うわっ・・・!」
和君が心配して駆け寄ったが振り返った志麻にぎょっとして後ずさった。
ドラムを叩いた衝撃で血が舞って、志麻の顔も赤く濡れていたからだ。
「ちゃーす、志麻仕上げてきた?」
「廣井遅刻すんなって言ってるだろ」
「メンゴー高速が渋滞しててさー」
「きっきくりさん?志麻さん血だらけなんだけど」
自分の返り血を浴びている志麻に対して、
私が特に気にしなかったからか、珍しく和君が狼狽している。
何か面白い。
「あー?あっ志麻ドラム汚さないでよー」
「廣井に言われると腹立つな。今拭くから始める準備しろ。」
「ええ・・・。」
「山下さん気にしたら負けデスヨ」
おお、和君がどん引きしてるよ。
志摩はタオルでドラムとスティック、顔を拭いて手の絆創膏を替えている。
あの調子だとまた流血しそうだ。
イライザは呆れた目で私たちを見ているが、
志麻を止めなかった君も十分こっち側だよ。
「じゃあ行くぞっ!」
この一週間で凄まじい練習を積んだのか。
志麻は超高速で正確に変拍子を叩いていく。
これならイケる。
全員が超高速でソロを奏でているかのような演奏は、次第に合わさり調和していく
重低音に釣られるように私の心拍数が上がっていく。
加速度に引き上げられていく鼓動があの時のことを思い出す。
脳がぐらぐらと揺さぶられ視界が歪み、
床と壁が迫ったいるような感覚に襲われる。
隣のイライザがふらついて壁に持たれた。
イライザも私と同じく平行感覚を狂い始めているのだろう
それでも演奏を止めないイライザにも、
ここまで仕上げてきた志麻にも感謝の気持ちが湧いてくる。
だからありがとうの代わりに連れてって上げるよ。
アウトロで一気にテンポが緩やかにする。
ドラムとギターが止まり私だけ弾く。
ベースソロのハーモニクスで今まで与えていたストレスを奪えば、
一気に血液の流れが遅くなる。
気が遠くなり、視界がチカチカと明滅する
バランスが崩れてのけ反ってしまうのを耐える。
イライザがずり落ちていく、
志麻はドラムを掴んで倒れるのを我慢している。
でも顔だけはこっちを見ている。
神経伝達物質が脳を駆け巡っているのが分かる。
今までに無かった解放感に酔いしれる。
弾き終わった静寂の中、放心している二人を見て手ごたえを感じる。
そうだ振り返って和君の感想を聞こう。
「はあはあ・・・和君どうだった?」
「って倒れてる!?だっ大丈夫!?」
「うっ・・・きくり」
「和君!しっかりしてー!」
倒れている和君を抱き起こして意識の有無を確認する。
少し失神していたようだが直ぐに意識が戻ってきた。
「廣井ーこの曲ダメデース」
「なんでー!この前は褒めてくれたじゃん!」
座り込んでいたイライザから否定される。
そんなこの前はいい曲だって言ってくれたのに!
「当たり前だ馬鹿っ!観客ぶっ倒れてるじゃねえか!機材の代わりに人を壊すな!」
「ええっー!」
また顔が赤くなっている志麻に怒られる。
まるで赤鬼だよー!
「きくり、俺も禁止したほうがいいと思う」
「和君まで!私の自信作なのに、ラブソングなのにー」
完全に意識を取り戻した和君からも否定されてしまう。
どうして和君への思いを一杯詰め込んだ名作なのにー。
「これがラブソングデスカ!?」
「良かったな廣井。恋人が卒倒してるぞ。」
「和くーん起きてー!」
「きくり揺らさないでくれ・・・吐きそうっ」
急いでベースのソフトケースから常備しているエチケット袋を取り出して難を逃れた。
この後何度も三人を説得したが、三人の意思は固くあえなく禁止になってしまった。
朝になってしまったので今日はここまでです。
廣井きくり視点で書くと、廣井きくりの可愛い所が描けなくて辛かった。
でもSICKHACKを描くのには廣井きくり視点じゃないと描けなくて困る。
隙を見て可愛い描写を追加したい所存です。
原作の話を絡めたいので次回以降はかなり時間飛びます。
廣井きくりの出番まるで無いからしょうがない。
次もよろしくお願いいたします。