きくりお姉さんからしか摂取できない栄養がある 作:syumasyuma
休日の昼下がり。
「はよー」
おはよう、きくり。
バケツに水を入れ、靴用のブラシで、
泥にまみれた靴を洗っていると、ようやくきくりが起きてきた。
チーンというレンジの音の後、パンケーキのほわっとした匂いと、
溶けたバターのもったりとした匂いが混ざり鼻腔をくすぐる。
「いただきまーす」
きくりー、手づかみやめろー。
もちゃもちゃとパンケーキを食べる音が聞こえてくるが、
食器のこすれる音は聞こえてこない。
「別にいいじゃーん?」
よくねーよ、ぼっちちゃんが真似したらどうすんだよ。
汚れを落とした靴を日陰に置いて陰干しにしてから部屋に入り、
今度はザックの中身をすべて出して、浴槽でザプザプと踏み洗いを始める。
「ぼっちちゃん高校生なんだけど?」
あの子さ、きくりに憧れてるだろ?
大人としてさ、自分の影響力ってものを考えろよ。
ザックから汚れがにじみ出て水がどんどん濁っていく、
踏めば踏むほど洗剤の泡が汚くなっていく。
「あーん」
・・・あーん。
ぺたぺたという足音が聞こえ振り向くと、
きくりがパンケーキをつまみ上げていた。
だらしない笑みと一緒に差し出されたパンケーキを頬張ると、
バターのついた指先が唇をそっと触れた。
「これで和君も手づかみだねー」
バターで指ギトギト、手洗っておけよ。
「ホントだ。バターの味がするね?」
浴槽の栓を抜きながら、ザックを踏んで脱水する。
ザックをベランダに干す
「和君さー、ギター弾かないの?」
そういえば全然弾いてなかったな。
「じゃあ今すぐ弾こう!私教えるからさっ!」
なんでそんなに張り切ってるんだよ・・・。
「はいギター持って!はい弾くよ!」
なあ、きくり・・・そのカッコはなんだ?
それ俺のジャケットと眼鏡だよな。
「私のことはきくり先生と呼ぶようにっ!いいねっ!」
ああ、今日は女教師なのね・・・。
「うーんもうちょっと姿勢伸ばそうか?」
「肩に力入ってるね。もっと力抜いてりらーっくす。」
「じゃあストロークからピックは柔らかーく、アップダウンアップダウン」
「それでは弦を押さえていこうかドレミからいこうか?まず5弦3フレットを押さえて・・・あっここのことだよ。」
「こらこら左手の親指はネックの背に起きなさい。巻き込むときは6弦を押さえる時だよ。」
「じゃあカエルの合唱でも弾こうか?」
「音が伸びてないねーもっとしっかり押さえて。」
「そうそう!弾けてるよー焦らず丁寧にー」
「うんうん!じゃあ次はコードを弾いていこうか。じゃあCからね。」
「はいもっと指立てて他の弦に触れないように!変な音なってるよー。」
「Fは1弦2弦を人差し指の腹じゃなくて側面で押さえるんだよ。まあ最初は上手くいかないから気にしなーい。」
先生・・・指が痛いです・・・。
「男の子でしょー我慢するー」
男女差別はいけないと思います!
「ふーんまあ今日はこんなところかな?」
やっと終わった・・・。
「明日も頑張ろうね?」
うっはい・・・。
翌日の夕方のSTARRYにて。
「もー、かずくんがギター弾いてるから遅れちゃったじゃーん」
ライブの時間忘れてたのはきくりだろー
前日に引き続き、きくりの熱心かつ丁寧な指導を受けていると、
こっちもそのやる気に答えないとという気になり、
がっつりまるまる休日練習当ててしまった。
その結果、きくりは結束バンドのライブのことをまるっと忘れてしまった。
「楽しくて時間忘れちった!てへっ!」
それは小学生の言い訳なんよ。
ほらお詫びのケーキ持ってさっさと行くぞ。
「へーい。ん?」
階下からもめているような話し声が聞こえる
「ガチじゃないですよね」
「えっ?」
その言葉を聴いてきくりが黙り込む
わざと足音を鳴らすように階段を降りる
「いや~ゴミ記事取材のつもりが「面白い話してるね」・・・えっ?」
口は笑っているが、目が全く笑っていない。
座った眼が真っ直ぐ先ほどの発言の主を貫いている
「ひっ廣井きくり・・・さん」
「ぼっちちゃん元気ー?ケーキ持ってきたよー」
「あっはい・・・えと」
「ごめんねえ。来るの遅れちゃってー?」
「あっ大丈夫・・・です。」
痛い格好の人の動きが止まるのを見たきくりは、
結束バンドの子たちの前に割って入った。
声をかけておいて無視するという一見強キャラのような動きをしているが、
ぼっちちゃんに話しかけながら徐々にSTARRYの奥に行こうとしているところを見るに、
きくりのやつ、初対面の人に対しての人見知りしてるな。
「ちょっと!」
「おい、もう店閉めるから帰って貰っていい?」
追いかけようとした痛い恰好した人を伊地知さんがインターセプト!
そのまま有沢さんとのコンビネーションで追い払ってしまった。
さらば!ぽいずん♡やみ14歳!
「今日はそのケーキ食ったら全員上がっていいから、あんま気にすんなよ。」
「あっありがと。廣井さんもありがとうございました。」
「ん?いいって、いいって」
ケーキを食べて虹夏ちゃんと喜多ちゃんがカラ元気を振り絞っていたが、
流石に堪えたのか、最後には言葉少なく解散していった。
「はあーっ、疲れた。何なんだよっ、あのへぼ記者はよー!」
「まあまあ店長、ケーキでも食べましょうよ」
「今が大事な時なのにねー」
大事な時って?
荒れる伊地知さんを有沢さんが宥めているのを横目に、
きくりが意味深長につぶやく。
「まだあの子達は赤ちゃんなんだよ」
「バンドの楽しさを知って、音楽を心から楽しんで」
「弾いて弾いて、また弾いて」
「譜面から感情を読み取って、曲に魂を込めて」
「そして・・・。」
そして?
「現実にぶつかるのさ!」
「世知がれえな」
「悲しいですね」
へえ、きくりはどうなんだ?
なんか影を背負った二人から目を反らして、
変な空気にしたきくりに話を振る。
「わたしはねーやっと分かって来たところ。音楽ってやつがさー。」
「ほんとかー?」
「廣井さんですしねー?」
なんだ、適当言ってるだけかー。
「ちょっとー酷くなーい?」
「じゃあ、ほら。言ってみ、音楽ってなんだよ。」
「ほらほら~言ってくださいよー」
「音楽…それは…」
それは?
三人でからかい混じりに煽ると、
きくりはベースを取り出した。
丸く揃った音の粒はハーモニクスにのって、
どこまでも純粋に楽しんでいることを感じさせる。
それは百の言葉よりも明確に伝わった。
歌うように、軽やかに、指が踊る。
「音楽だ」
「虹夏、戻ったならそう言えよ。」
観客が増えて乗ってきたきくりが、
ベースを叩き始める。
「わー廣井さんすごいですね~打楽器みたい~」
「お姉ちゃん…なんでベースからドゥンドゥンって音が鳴るの?」
「知らねーよ」
メチャクチャだ。
メチャクチャに弾いてるのに、ちゃんと音が鳴る。
ピックもバチも使わず、手のひらを使った演奏に、
ワクワクと心が踊る。
これが音楽か!
重低音がドンドンと体に響く。
「あっ、起きた。」
目を開けると、きくりが覗き込んできた。
起き上がって回りを見ていると、
スターリーのフロアで、結束バンド、SIDEROS、SICKHACKがパーティーをしていた。
先ほどの重低音は、虹歌ちゃんがバスドラムを叩く音だ。
志摩さんに何かアドバイスを貰っているらしい。
しかしなんで寝てたんだろうな…。
えーと、きくりのクリスマスライブ見に行って、それからライブ終わりになぜか不完全燃焼だったSICKHACKにスタジオに連れ込まれて…。
「和くん、こんなところ寝てたら風邪引くよー。」
寝かしつけたのはお前だよ。
あの曲禁止だって、言っただろ。
「ぷぴゅ~♪ぶぶぅっ!」
きくりのやつが目をそらして口笛を吹きやがったので、
片手で両頬をつまむ。
きくりを弄っていると、志摩さんが近づいてきた。
「山下さん、寝てる間に車借りました。ガソリンは入れておいたので、これレシートです。後、そこから出たほうがいいですよ。」
そこ?
志摩さんに言われて、下を見る。
下半身が西洋風の棺桶に収まっており、
一緒に袋も入っていた。
「へへっ!ロックでしょ!」
やってやったぜ見たいなドヤ顔しやがって、
バカきくりがよ。
「ぐえ~」
苦しくない程度にヘッドロックをかけていると、
呆れた顔をした伊地知さんもやって来た。
「二人でいちゃついてないで、お前らも参加しろよ。」
そうだった!
伊地知さんの誕生日兼クリスマスパーティーだったことを、すっかり忘れていたぜ。
「ちゃんと準備してますよ。ねーかずくーん?」
俺からはこの袋になります!
棺桶に一緒に入っていたクリスマスラッピングされた袋を、伊地知さんに手渡す。
「そんな急がなくても良かったのに」
ソワソワしながら伊地知さんが、袋を開けて、中に入っていた羊のぬいぐるみを取り出す。
黙り込んだ伊地知さんの姿に、冷や汗が出る。
外しただろうか?いや可愛いものが好きだと、きくりが言っていたはずだ。
やはりきくりをラッピングするべきだったか?
そう考えていると、
きくりが強引に発泡スチロールの箱を伊地知さんに、渡す。
「私からはお肉ですよー」
「お、おお悪いな。…てめーわざとか?」
「小樽運河のジンギスカン!和くんのオススメでしてー、あっそのぬいぐるみはジン君って言うらしいですよ。亅
」
「やめろよ!ジンギスカン食えなくなるだろ!」
「いらないなら私が…」
「やらねーよ!」
「あっはっは!」
「てめーもわらってんじゃねえ!」
「ぐわーっ!」
ジン君を抱き締めて叫ぶ伊地知さんに、りょうちゃんがジンギスカンをセビってる。
だらしなく笑っていたきくりに、伊地知さんが卍固めをかけ始めた。
そのどこかで見た光景に、少し安心した。
きくりはもう大丈夫だと、そう思った。
遅くなりました。
4月に転職後、北海道から沖縄まで出張三昧で中々創作に集中できませんでした。
しかしながらこの物語の結末まで考えることができました。
あと2~3話完結の見通しです。
そうしましたら各話を修正していきたいと思います。
では次もよろしくお願いします。