旧校舎の裏側にある、校舎内に侵入できる唯一の窓。
そこを越え、西から降り注ぐ夕暮れの光を浴びながら、廊下を歩く人影が一つ。
「…………」
その男は、手に持っている自身のスマホに視線を落とす。
開いているメッセージアプリには誰かから、『旧校舎 2階 第一教室』と簡素なメッセージが届いていた。
「ッ、ゴホン……」
喉を指で押さえ、声の調子を整える。
あくまで今発見したかのような感じで、怒りの混じった声色を意識すると、上手く行くのだ。
そうして、第一教室の中が見える直前まで来たところで。
教室の中にいる人間の気配が、『
「へぇ……」
今日は大変な1日になりそうだ。まさか、
一切の緊張なく、第一教室の扉に手を掛け、静かに開いた。
中に居た、今しがた教室に入ってきた男を睨みつける人影が1つ。
その人影が、忌々しそうな声色で言い放った。
「……お前、割とマジでイカれてるな、星野」
「一体何の用かな、日高俊介……」
相対する、2人の男。
日高俊介がなぜ、星野がメッセージアプリで誘われた先に居るのか。
その答えは、つい数時間前の出来事にあった。
―――――
星野の家を調査した翌日。
昨夜からヘッズハンターが俺の中に籠り、そのまま出てこなくなった。
本人は、『事態の重さを認識できていなかった。恥ずかしい』と言っていたが、そんな生易しい理由ではないだろう。
顔こそ普段通りなものの、全身の血管が煮えたぎるような怒りが体から溢れ出ていたからだ。
「…………」
星野の部屋の状況。7年前に発売中止された、超絶不人気の戦隊ヒーローの下敷き。
これは余りにも弱い証拠で、真相はあの男自身が語るまで分からないが……。
恐らく、星野は『星野』じゃない。正確には、俺たちの知っている星野とこの世に生を受けた星野は別人なのだ。
夜桜さんがチラッと話していた、人格の『
俺は体の主導権を何度か奪われたことはあるものの、最後には必ず主導権が返ってきていた。だから俺は俺としてここに存在している。
だがもし体の主導権が返ってこなかったら?
俺の体を乗っ取ったまま、殺人鬼の誰かが俺の代わりに日々を過ごす事になるだろう。
そんな事を、もし、星野が10歳の頃からやっていたら?
「…………ん?」
思案にふける中、ふと、教室のすぐ横を通る廊下の方に目を向ける。
窓ガラス越しのため声は聞こえないが、あの金髪虐めっ子の女子生徒『細木』が口をパクパクとさせながら手をこまねいていた。
目が怖い。けど、何の用だろう。
教室から廊下に出ると、細木に胸倉を掴まれ、ぐんぐんと何処かへ引っ張られていく。道中、俺たちの姿を見た生徒は、俺の方を見て『絡まれて可哀そうに』とでも言いたげな目をしていた。
3分もそうしていると、中庭の端の方にあるベンチに辿り着いた。
辺りをグルっと校舎で囲まれているため、人の眼はあるものの、ここで何かを話したって会話の内容は誰にも聞こえやしないだろう。
細木が先にベンチに座る。俺も、人一人分の距離を空けて座った。
彼女が口を両手で覆いつつ、睨みながら言葉を発した。
「お前、昨日……なんのために、私の前で星野の名前を出した?」
「……いや、先生から進路の事を聞いてくれって頼まれて……」
咄嗟に口から出る嘘。
細木はそんな言葉を一蹴する。
「ふざけた嘘は止めてくれ。そんな用件なら、不良の私に話しかけるわけないだろ。
……私は馬鹿だけど、今だけは本気で頭回してるんだよ。それくらい見破れる」
流石にこの嘘はキツかったか。
ただ、どうする。星野の名前を出したのは、虐めの件について調べていたからだ。それを虐めの主犯格にそっくりそのまま話すのは憚られる。女子トイレ覗いた件も話さなきゃ駄目だし。
星野の件は拗れまくり始めている。下手に関わると危険だ。
ここは穏便に彼女に引き下がってもらうしかない、そう頭の中で結論を纏めようとした時。
「……言えないのなら、私の考えを話してやろっか?」
細木がこちらを向いて、言った。
「お前は何らかの理由で星野の
「…………」
「図星か。……ま、その理由を聞くつもりはないから」
『ぶつかった女子生徒の事が気になって、女子トイレを覗いたら、ヤバそうな目をした男がいたので調べ回ってました』とか誰が言えるんだ。俺の方が頭おかしい奴だろ。
俺がずっと黙ったままでいると、細木が、人一人分空けていたベンチのスペースを詰めてきた。
「お前の事は知らないけど、私は今、結構ヤバいんだ。
…………頼む。星野を何とかしてくれるなら、私に出来ることは何でもする」
彼女の手が、俺の手にそっと触れる。そしてお互いの肩がゆっくりと当たり始めた。女性特有のふんわりとした匂いが鼻孔をくすぐる。
―――え? いや、これ、どういう事?
頭が追い付かない。ここまで異性に近寄られたのは母親以外では初めてだ。
苦手なタイプの金髪陽キャの細木だが、思わず意識してしまい、心臓がバクバクと鳴り始める。
そうして、彼女の顔に目をやったところで。
恐怖で真っ白に染まった唇が、ふるふると、微かに震えているのに気が付いた。
「…………」
体温が一気に冷えていく感じがした。
細木の肩を突き離し、今度は俺が彼女の方に向き合う。
「――――ああ。俺は星野の事を調べてるし、もしかしたら何とか出来るかもしれない。
……だけどその為には、あいつの事をもっと知りたい。何か知っているなら教えてほしい」
俺の顔を見て、細木は一度目を見開き。
そして、覚悟を決めたように、顔を真っ青にしながら事の経緯を話し始めた。
「この学校で噂になってる、卒業後に消息を絶った女子生徒の事を知ってるか?」
「知ってる」
「その人は私の……まぁ、不良グループの先輩でさ。結構仲も良くて、先輩が高校入ってからも連絡とり合ってた。
……そして、先輩が卒業式を終わらせた日の夜……こんなのが来た」
細木がスマホを見せてくる。
恐らくその先輩とのメッセージのやり取りの履歴なのだろう。
『たすけて』
『しぬ』
先輩がそう送ったが最後、何も返信が来ることはなく、後は細木が掛けた不在着信が何個も連なっていた。
「……その日の夜はずっと先輩からの返信を待ってたけど、結局来なかった。翌日の朝になって、先輩の家に様子を見に行こうとした時だよ。
……
そこから一気に、細木の様子が急変する。
何かに怯えるように体を震わせ、顔を真っ青を通り越して血の気のない白色にしながら、話を続ける。
「や、奴は私にいきなり紙袋を押し付けてきて。中を見たら……
―――……ら、ラップに包まれた、見覚えのあるマニキュアが塗られた指が何本も入ってて、めっ、目玉も1個入ってて…………うッ!!」
吐き気を催したのか、口を手で押さえる彼女。
目をギュッと瞑って辛そうにしていたが、何とか中の物を飲み込み、息苦しそうに呼吸を荒らげる。
「水、買ってこようか」
「いや、大丈夫、後で思いっきり吐くから……。
……それで、星野は私に『この女の後を継げ』って言ってきたんだ。継がないなら、私と私の妹と弟を、袋の中身と同じ目に遭わせるって……」
……消えた3年の女子生徒には、本橋を虐めていたという噂があった。
そして彼女が消えてすぐに細木が入学し、本橋を虐め始めた。星野が継がせた行為とはこれで相違ないだろう。
虐めを指示した星野が、虐められている本橋を華麗に助ける。
完全な自作自演、マッチポンプだ。
この話が本当なら、星野は倫理観が根本から欠如した『
「あいつはもうすぐ『熟成』が終わるとか言ってた。多分それが終わったら、色々知ってる私も先輩と同じ目に遭っちまう!
なあ頼む……最悪、私はどうなってもいいんだ! けど、私よりよっぽど頭も良くて素直な妹と弟だけは、何とか……!!」
「大丈夫」
ゆっくりと立ち上がりながら、彼女に言う。
この学校には、人殺しがのほほんとした顔で歩き回っている。
それを許せないなんて言うほど、正義感が強いわけじゃない。
ただ、俺は
中で烈火のごとくブチ切れているであろう、ただの人殺しなんて生温いと感じるような
細木に、放課後、旧校舎に星野をおびき出してほしいと頼んだ――――。
―――――
放課後、旧校舎の第一教室。
机と椅子は部屋の後方に纏められているため、教室内は多少動き回っても大丈夫なくらい広い。
「お前が人殺しって事も、本当の星野じゃない異世界の人格って事もとっくに見抜いてんだよ」
「ふーん……俺の事、そこまでお見通しか。ちょっと舐めてたな」
ポリポリと頭をかく星野。呑気な仕草だが、刺さるような警戒と殺意の視線はずっとこちらに向いている。
そして突然、パン!と手を叩いた。
「ならば自己紹介でもしよう。
元の世界では7人ほど殺した。が、まぁ、捕まって死刑になって、こっちの世界に来て。後はそっちの想像通り、人格を乗っ取ってここに居る……という訳だ」
「……殺人鬼じゃんか」
「余り驚いてなさそうだな?」
7人? 少なくね? と思ったけど、よく考えれば十分すぎる程殺してる。俺の中の奴らの桁がおかしいだけだ。
星野が懐から何かを取り出す。
太陽の赤い光が鈍く反射するそれは――硬い物でも抵抗なく切れそうな、刃渡り15センチ程の厚いナイフだった。
「私は、人が裏切られた瞬間を見るのが大好きなんだ。だから本橋を、何年も掛けて育ててきた。私の事を信用するようにな。
良き隣人であり良き幼馴染であり良き男である……養殖ってのは結構疲れると思ったよ。養殖業者の方々は本当に尊敬するね。最近は港にある養殖場に足を向けて寝ていないくらいだ」
「最後のは知らねーよ」
星野がこちらに、コツコツと足音を鳴らしながら近づいてくる。
「もうすぐ、本橋の熟成が終わる。その瞬間私は、このナイフであの子を殺す。
完全に信用しきっている人間に腹を刺された時、あの子はどんな表情をするだろうか…………」
本橋が自殺どころか誰かに殺された、なんて事になったら、警察は本腰を入れて捜査してくる。
3年の女子生徒のように行方不明扱いならまだしも、もし死体や彼女の部屋から俺の痕跡なんて出てこようものなら……一発逮捕だ。
「まぁ、その前に、死体を4つ片付ける必要があるかな。お前と細木と細木の弟妹……」
「俺を殺すつもりか?」
「家に近づいてきた時からそのつもりだった。もっと先の予定だったけどな」
星野が後数歩進めば、ナイフの射程範囲内に俺の体が入る。
そこで奴はピタリと止まって、首を傾げた。
「本当にビビらない奴だな。何か仕掛けてるのか?」
「特に何にも」
「頭が壊れているだけか? ……気分を害した。そうだ、お前と関わりのある
――――――。
目の前が一瞬真っ白になり、頭の血管がはち切れそうになる。
なるほど、これは今にも狂いだしそうな怒りだ。
『おい俊介、一旦落ち着けって!!』
目の前の星野には見えていないだろうが、俺の横ではずっと、ハンガーがそう叫んでいた。
星野に全くビビっていない理由もこれだ。いざとなれば横っ飛びで回避し、ハンガーに体を代わるつもりだった。
『あの間抜け面の馬鹿は俺が仕留める、だからヘッズハンターを出すのは止めとけ! 本当に力加減が出来ないほど
「今の言葉で分かった。こんな怒りを我慢させてたら、いずれ暴走する」
細木の前でヘッズハンターを出すと内心誓ったものの、本当に星野を殺してしまいそうで、右腕だけしか主導権を渡さないつもりだった。
だけどヘッズハンターは、俺が今感じた怒りと同等かそれ以上の感情を抱えているはず。彼が人を殺す理由になった幼馴染への虐めを、まさかマッチポンプ目的で裏から無理やりさせていたなんて、彼からすれば耐え難い行為だろう。
今の怒りを知ってしまった以上、彼にそんな我慢を強いることは出来ない。
そして今、彼にこの件を解決させなかった時……俺は不完全燃焼で後悔する気がする。
「……? 暴走?」
『あーあ、大変な事になるぞ……。人の形が残ってればいいけどな、こいつも』
星野の意味が分からないといった顔と、ハンガーの呆れた顔から視線から外す。
後の事は後で考える。
今はただ、尾を引く後悔を残さないように。
首元に手を当て、己のうちに呼びかけるように、そっと呟いた。
「殺さなきゃ何やってもいい。徹底的にやっちまえ、『
右腕だけではない、全身の主導権を中から呼び出した彼に変わる。
その瞬間、俺の意識は暗転した。
――――ヘッズハンター。殺害人数およそ700人。
幼馴染が自殺した怒りから、自宅にあった剣鉈を2本持ち出し、自殺の原因となった虐めを行っていた不良グループをバラバラに切り裂いて殺害。
その殺人をきっかけに、眠っていた身体能力と勘の良さを覚醒させた。
人外染みた身体能力と勘の良さを持っていて、剣鉈の一振りで人体を真っ二つにし、何百メートル先からの狙撃を感知して避ける事が出来る。
そして何より異常だったのは、殺人の仕方だ。
自殺した幼馴染と似た顔の女性Aを見つけた瞬間、視界内に入った周囲の人間を無差別に殺害しながら女性Aに一直線に近づき、その女性Aの頭部を斬り取って持ち歩いていたのだ。
腐敗し始めた頭部は近くの寺か神社に安置されていた。
一度ターゲットを見定めると、拳銃を所持した警官がいくら束になっても止められない異常なまでの危険性。
警察組織はヘッズハンターの逮捕を諦め、射殺前提の計画を立て始めた。
そして不良グループの殺人から1年が経過したころ、女性を殺害してターゲットを失い、暴走を止めたヘッズハンターに警察所属の特殊部隊が強襲。
ヘッズハンターは特殊部隊全員を殺害するも、右太ももに被弾。大動脈を損傷。
失血死は免れられないと悟ったのか、近隣のビルの屋上に凶器の剣鉈と女性の頭部を置いたのち、飛び降り自殺を行った。
彼が殺人を行う度、被害者の女性の顔と幼馴染の顔との類似性は段々と低くなった。
屋上に残された女性の頭部は、もはや、彼の幼馴染の顔とは似ても似つかぬものだったという。