クッキングとシスター・イートについて話し合った時から、凡そ数時間が経過した。
話し合いの後で収拾がつかないくらいに騒ぎ始めた殺人鬼達だったが、あまりの騒がしさに苛ついたダークナイトが全員殴り飛ばして強制的に静かにした。
そしてキュウビ達の暴走を止めていた側なのに殴り飛ばされたヘッズハンターがブチギレ。
多分ダークナイトは騒いでいた奴のすぐ近くにいたから殴っただけだろう。深くは考えてないと思う。
ヘッズハンターもヘッズハンターで、移動速度が時速百数十キロから時速六百キロ以上に進化したので、勝ちの目が少しでも生まれたと思ったのかもしれない。
そんなわけで、殺人鬼達の中でダークナイトを除き断トツの腕力を持つエンジェルと即席のコンビを組んで戦いを挑んだ……のだが。
エンジェルは手を重ねて振り下ろす、ダブルスレッジハンマーを頭部に食らって気絶した。
ヘッズハンターは首根っこを掴まれて空中に放り投げられ、高さ十五メートル辺りからジャーマンスープレックスで地面に叩きつけられていた。勿論そんな攻撃を食らって動けるわけもなく、白目を剥いて気絶して動かなくなった。
ちなみにダークナイトの暴君っぷりにキレた殺人鬼達が戦いを挑むのは割とよくあることである。
そして一切の例外なく挑んだ者がボコボコにされて終了する。
たとえダークナイト以外の十二人全員が力を合わせて挑んでも全く同じ結果に終わる。
やっぱり一人だけパワーバランスおかしいな?
「……ん」
俊介がそんな風なことを考えていると、唐突に繁華街を照らす天井のライトの光が弱くなった。
先ほどまでは日中の街中といった風な様相だったが、一気に淡い月明りにぼんやりと照らされる夜の繁華街へと変貌する。
何があったのかと天井を見上げていると、同じく天井を見上げていた近くのC棟の囚人が話す声が耳に入ってきた。
「もう七時か。闘技場がぶっ壊れてるし今日は何もすることなかったな~」
「どうする、夜時間まであと三時間あるが」
「金ねえし食堂で飯食ってさっさと寝ようぜ」
そう言いながら、囚人二人はC棟の監房の出入り口がある方へと歩いて行った。
どうやら夜の七時には天井の照明が弱くなるように設定されているようだ。
夜を演出しているのか、もしくは天井の照明が弱くなったタイミングで監房に帰る準備をし始めろということか。
まあそこら辺はどちらでもいい。重要なのは今の時刻が夜の七時ということだ。
そして繁華街の弱い光源が映えるほど薄暗くなったせいで、大通りから逸れた路地裏は殆ど光が届かない暗闇に包まれた。
この暗さでは、路地裏の中では殆ど何も見えないだろう。突然襲い掛かられても気付くのに時間がかかる。
夜七時以降に路地裏にいるのはかなり危険そうだ。
よっぽどの理由がない限り、夜七時までには比較的安全な大通りに戻って来た方が良いだろう。
「……しっかし、例のC棟の囚人が図書室に現れるまで、あと一時間か……」
俊介は周囲を見回しながらそう呟く。
割とその辺りを適当にぶらついて時間を潰したつもりではあるが、そろそろ目的もなく歩き回るのにも飽きてきた。
夜の繁華街で時間を潰そうにも俊介は金を持っていない。ポケットの中の百円玉で一体何ができるというのか。
少しの間、どうやって時間を潰すか思い悩んだ後……俊介はとあることを思いついてポンと手を叩いた。
「……よくよく考えれば、別に八時ピッタリに図書室行く必要ないじゃん」
剣を振り回していた例のC棟の囚人はいつも八時に図書室に現れると言う。
だからと言ってこちらも八時ピッタリに図書室に訪れる必要はない。
むしろ少し前の時間から待機している方が『不自然感』は減るのではないだろうか。
「マジでさっさと気づけばよかった……」
何の意味もなくぶらつき、疲労だけを溜めていたのが悔やまれる。
図書室に行けばC棟の囚人の彼が見ていたという啓発本や童話のことも調べられるし……。
もしかすると彼との会話のきっかけに繋がる何かも見つかるかもしれない。
「……ま、後悔しても仕方ないか。さっさと行こ」
俊介は薄暗くなった繁華街の中、色濃くなった危険な香りを感じて足早に歩き始めた。
俊介が図書室の入口に辿り着くと、二人の見知った人物が図書室に入ろうとしているのが見えた。
少しだけ足早に歩き、声を掛ける。
「ゼロツー、ジャン。ここで何してんの?」
「ん? おお……そっちこそこんな時間にC棟に来て何してんだ?」
振り返ったゼロツーが片方の眉毛だけ上げ、訝し気な表情を浮かべる。
するとジャンがゼロツーの肩を叩き、親指で図書室の中を指さした。
「まあまあ、話は中で。そっちの方が気楽だし」
「……それもそうだ。よし、折角だし君も付いてきなよ」
「図書室の中……ああ、なるほど」
例の外に声が漏れにくい秘密の会議室のことだろうと思い、俊介は大人しく二人に付いて行く。
図書室の一番奥まったテーブルに集まり、本棚の縁を掴んで静かに移動させて壁を作る。
そして盗聴妨害装置を手首のリングに巻き付けた瞬間、三人同時に重い物が取れたように深く息を吐いた。
「ふぅ~、やっぱ常に言葉に気を遣うってのは面倒くさいね。……で、本当に何しに図書室に来たの?」
「昼前くらいに剣を振ってるC棟の囚人の話をしただろ? その囚人が毎日夜八時に図書室に来るってジャンから聞いて、話のきっかけがないかって探しに来たんだ」
「ああ、そうだったの? そっかそっか……」
ゼロツーは小刻みに頷いた後、自分のすぐ傍にいたジャンの脇腹を肘で突いた。
「ジャン、お前仲直りしたならそうって言えよ。変な気ぃ使っちゃったじゃん」
「いや聞かれてないし……」
「それはそうだけど、僕様からは聞きにくいじゃん。それとなく伝えてくれるとこっちも色々調整しやすいんだよ……って、こんな話は今するべきじゃないか」
頭を横に振り、指でトントンと額を叩くゼロツー。
そして少し気まずそうに俊介の方を向き、口を開く。
「ジャンと君が仲悪いままだったら、君には仲間探しだけに集中して貰おうと思ってたんだよ。それならジャンとは殆ど関わらないしね」
「……でも俺とジャンの仲が改善したから、他の仕事も任せたいってこと?」
「任せるっていうか、情報共有? 手伝えるところがあったら手伝ってほしいなってくらいで」
そう言うと、ゼロツーは懐から小さく折りたたまれた紙を取り出した。
紙がこすれ合う音を鳴らして開いていく。
それは『脱獄準備』という大きなタイトルが銘打たれたTodoリストだった。
俊介はそのTodoリストを見て、真っ先に気になった部分を指さしながら問う。
「なんでこれ、タイトルの『準備』の左側の文字が滲んでんの?」
「いや、そこには元々脱獄って書いてたんだけどさ。もしこの紙を落とした時、『脱獄準備』って書いてたら流石に不味いかなと思って指で擦り消したんだよね」
「新しいのに書き直せよ……」
何という不精者だ。
Todoリストには結構びっしり文字が書き込まれているので、一から書き直すとなると面倒そうなのは分かるが……。
「まあタイトルはどうでもいいじゃん! 重要なのは中身の方だって!」
「……確かに」
「でさでさ。わりと昔から色々やってたから、脱獄準備に必要なことってそれなりに達成してるんだよね」
「へえ……」
俊介がTodoリストを改めてじっくりと見る。
箇条書きでビッシリと書かれた文字だが、大半の行の左側にチェックマークが付けられている。
中には『リングの盗聴器を妨害する装置を作る』という文言も書かれていた。勿論左側にチェックマークが付いている。
「それで色んなことを適当にやってたら、リストにトップレベルに面倒くさい奴だけ残っちゃってさ」
「ええ……」
「ま、まあ、ホント数個だけだから!」
面倒くさいのを後回しにするってそれ一番良くない奴だろ。
「残ってるのはな。『リングの死亡の謎の解明と対策』と『水道パイプ点検口の侵入手段』だな」
「……おい。どっちも後回しにしたら絶対不味そうな奴じゃないか。脱獄の一番重要な部分だろ」
「まあまあまあまあ……!」
ゼロツーが必死に両手を前に出し、俊介を宥める。
「この二つだけしか残ってないんだって! これクリアできればもう完璧! 脱獄完了!」
「ほんと?」
「……うん、まあ多分」
「…………」
俊介が無言のまま冷たい目線を彼に向ける。
本当に大丈夫なんだろうか。
「その二つで手伝えるところがないか、概要だけ説明してくれない?」
「ああ、そうだね。じゃあまずリングの方から」
ゴホンと軽く咳払いをしたゼロツー。
そして盗聴妨害装置に覆われた自身のリングをトントンと叩きつつ、穏やかな口調で話し始める。
「この刑務所に入った時、リングに囚人を殺す装置が付いてるってのは聞いたよね?」
「聞いたな。無理やり外そうとしたら死ぬとかなんとか」
「そうそう。……それでね、昔僕様達と同じようにリングの謎を解明しようとしたB棟の頭おかしい奴がいたんだよ。適当に拉致った囚人の両腕を斬り落とした上で止血して、繁華街の人目に付かない場所に放置したんだ。独房に帰らなきゃいけない夜時間になってもね」
そうゼロツーが話したところで、俊介が手を上げて質問をする。
「えっと……ちょっと本題からずれるんだけど、夜時間になった時点で独房にいなきゃ殺されるのか?」
「毎日夜の21時50分に『独房に戻れ、殺すぞ』って感じの放送が鳴ってるでしょ。聞いたことないの?」
「ない……」
刑務所に来た初日はピュアホワイトとかとの戦闘で疲れ切ってたし、二日目は同調を切ったことによる強い眠気で昼過ぎから翌日の朝まで爆睡していた。
今思うと凄い健康的な生活だ。寝すぎて逆に健康的じゃない域に入っている気もするが。
俊介の質問に答えたゼロツーが話を戻し、再び言葉を紡ぎ始める。
「まあとにかく、夜時間に独房の外にいたらリングが作動して死ぬんだよね。でも腕を斬り落として体とリングが物理的に離れた状態なら、リングが作動しても死なないんじゃないか……って実験をB棟の奴がやったわけだ」
「……結果は?」
「翌日、実験体は見事に死んでたってさ。両腕の傷口から失血死したって線もないらしい。つまり看守共はリングに囚人を殺す装置があるって言ってたけど、実はリングは関係ないのさ。もしくはリングと体の何処かの二か所に囚人を殺す装置が仕込まれているかだね」
「…………」
確かリングには囚人を殺す装置と、位置を特定する装置が付いていると刑務所の所長は言っていた。
なのでリングを外しさえすれば何とかなると思っていたが……どうやらそう簡単な話ではないらしい。
多分手首のリングの他に、囚人の位置を特定する装置と殺す装置がセットになって体の何処かに仕込まれている。
リングは分かりやすいブラフ……ということなのだろう。
「じゃあ一体何が原因なんだ?」
「それを調べるために、口が堅くて人体解剖ができる奴……ぶっちゃけ外科医を探してるんだけどさ。中々見つかんないんだよね~これが……」
「人体解剖、か……」
…………。
トールビットって医者かどうか分かんないけど、確か拷問とかで人体に滅茶苦茶詳しかったよな……?
それにマッドパンクも人工臓器を作ってたとか言ってたから、それなりに人体に詳しそうだ。
できないことはない、か。
「その人体解剖の件、もしかしたら何とかなるかも」
「マジ? えっ、もしかして医者の仲間ももう見つけたの?」
「いや、俺がやる」
「…………?」
不思議そうに首をかしげるゼロツー。
ぐるぐると人差し指を回しながら考え込んだ後、確信がなさそうな表情で口を開いた。
「え、なに、もしかして医学生?」
「いや。俺の中の人格にそれができそうな奴がいるから、多分いけそうって意味」
「……戦闘に長けながら医療知識にも優れた人格……ってことならそんな何人かのうちの一人を指名するような言い方しないよね。……もしかして君、複数人格持ちか!」
大きく目を見開くゼロツー。
外では人格持ちであることすらひた隠しにしてきたが、一度刑務所に入ってしまったならもう話は別だ。
脱獄するために複数人格持ちだとバラした方が都合がいいのならそうするに越したことはない。
俊介はそう考えつつ、更に口を開く。
「と言っても条件がある。生きたままの解剖はしないし、解剖する為の死体を手に入れるために人を殺すのもやめてほしい。個人的な理由だけど、俺は人を殺したくないから」
「ふーん……うん、別にいいよ。死体なんて繁華街の南区に行ったらよく落ちてるし」
「ええ……」
解剖するための死体を手に入れるのに人を殺してほしくない。
つまり見知らぬ誰かに殺されたとか、何かの事故で死んだ死体しか許容しないっていう結構厳しい条件を突きつけたつもりだったんだけど……。
どうやらここの刑務所の治安をまだ甘く見積もっていたらしい。正確にはまだ行ったことのない南区の治安か。
他の区では大通りを歩いていても目に付く所に死体は落ちているなんてことはなかった。
後でトールビットとマッドパンクにお願いしないとな、なんて考えている俊介。
それを他所に次の達成事項についてゼロツーが語り始めた。
「じゃあこのリングの謎は置いといて、次は『水道パイプ点検口の侵入』の方だね。つってもこれは君に手伝ってもらうことは殆どないかな」
「……そもそも、水道パイプなんかで何するんだ?」
「そこが僕様達の『脱獄経路』だからだよ」
「!?」
す、水道パイプから脱獄するのか!?
水の中を通って行くってだいぶキツイような……。
そもそも人間が通れる大きさなのか……?
そんな俊介の悩みを察知したのか、ゼロツーが肩をすくめながら言う。
「ま、色々不安に思う所はあると思うけど、流石に一番大事な脱獄経路は入念に調査してるから安心してよ」
「でもその点検口の侵入についてまだ解決できてないんだよな?」
「それも大体解決の目途は付いてるし、こっちのジャンが何とかするから大丈夫」
「何とかする係で~す」
ゼロツーの横でずっと黙っていたジャンがダブルピースをしながら言う。
ほ、本当に大丈夫なんだろうか。
……いや、何でもかんでも自分で解決するって訳にもいかないしな。
俺は仲間探しが本来の仕事なんだし。
ジャン達に任せられるところは任せないと、時間が余計に掛かってしまうだけだ。ここは信頼して二人に任せよう。
「まあこの点検口の侵入の方を解決するには、まず夜時間に出歩いたら死ぬ問題を解決しなきゃいけないんですけどね!」
「イェーイ!」
「おい?!」
少し大きな声で決めポーズと共にそう言うゼロツーと、その横で何故か陽キャっぽい仕草と声を上げるジャン。
それに思わず俊介は突っ込んだ。
結局トールビット達に頼んで死体を解剖してからじゃないと動けないんかい、と。
呆れた顔を隠せずに、俊介は少し気疲れしたような声を出す。
「二人共、もしかして結構向こう見ずというか、計画性がないというか……ぶっちゃけ馬鹿でしょ?」
「そりゃもう生まれた時から全てをコンピュータに捧げてたから、ちょっと馬鹿でも仕方ないね。まだ四歳の保育園児(囚人バージョン)だにょ~♪」
「宇宙海賊だったので一度も学校行ったことありませ~ん♪」
「…………」
なんか……ムカつく。
しかし何故か、不思議な感覚の苛つきだ。
まるで殺人鬼のみんなが暴れて何か問題を起こした時みたいな、本気でブチギレる感じではない苛つき。気安い感情とでも言うのだろうか。
……学校でずっと一人ぼっちだし、そもそも生まれてからずっと居た記憶がないけど……。
もしかして、友達って言うのはこんな感じの感情を抱き合う関係性のことを言うのだろうか。両親や殺人鬼のみんなは大切な家族だし、夜桜さんはひたすらに好きな人で、友人とはまたベクトルが違う。
「……いや、まさかな」
額を叩いて思い直し、そう呟く。
今まで一度足りとも出来なかった初の友人が、刑務所内で出会った上に知り合ってからほんの少ししか経ってない二人とかどういうことだよって話だ。
ジャンには最初闘技場の試合にぶち込まれたし、ゼロツーとか出会ってまだ半日しか経ってないし。
流石にこれで友人だなんだというのは心が軽すぎだ。チョロインか。
しかし友達がいるってどういう感覚なんだろうな。
この先の人生で知ることのできる機会はあるだろうか。
いや、そもそも何を基準として知り合いから友人にランクアップするんだろう?
物語じゃいつの間にかなってるものって語る主人公が多いけど、そのいつの間にかが一生訪れる気配がないんですがそれは。
…………。
「……まあ、いいか」
友人がいようがいまいが大して人生に影響はない。というか出来たことがないからどんな影響があるのか分からない。
ただ友人がいなくてもこれまでの人生に大した支障はなかった。
だからまあ、結論として、あまり気にする必要はないんだろう。
「な、なんか一人でブツブツ言いだしたんだけど、ふざけすぎてキレちゃったのかな……?」
「俺に聞くなって。宇宙海賊は宇宙の果ては知っててもその他は知らん……」
「なんか悩み事でもあるのかな……」
一人で悩んだ表情を浮かべながら独り言を言い始めた俊介を前に、ジャンとゼロツーが顔を近づけてひそひそと話す。
その話し声は、俊介の耳には奇跡的に届かなかった。
――――話し合いが終わってから、凡そ数十分。
俊介以外の二人も今日はすることがないと言うので、三人全員で件の剣を振るC棟の囚人について調べていた。
ジャンに聞いて件の彼がよく読んでいるという本を見せてもらうと、確かに自己啓発本や桃太郎等の絵本ばかり読んでいるのが分かった。
桃太郎や一寸法師など最終的にハッピーエンドに繋がる絵本ばかり読んでいて、かぐや姫や赤ずきんなどの悲しい結末を迎える絵本には一切手を付けていなかった。
そして何となく感じたことだが……。
ハッピーエンドで終わる絵本ばかり読んでいるのは確かだが、白雪姫みたいな女性が主人公の絵本にも手を付けていなかった。
男性が主人公かつ、『何かを成し遂げた上で幸せになる』という話を選んで読んでいる……気がする。
そんな風に色々な本を漁っていた時のこと。
ジャンが俊介の肩をトントンと叩き、図書室の入口の方に目を向けながら小声で言った。
「俊介っち、来たぞ……」
「おう……」
三人で適当な啓発本を持って鼻から下を隠し、件のC-111の囚人が歩いて行くのを眺める。
彼は慣れた足取りで絵本コーナーに歩いて行き、迷うことなく『桃太郎』の絵本を取り出した。
そして俊介達から少し離れた壁際の席に座り、パラリと絵本を開く。
子供用の絵本なんてそう字数が多いものではない。それに何度も読み返して内容を大体把握しているからか、彼はぺらぺらと少し早めのスピードで読み進める。
そして読んだページ数的に終盤……恐らく鬼を倒して財宝を持って帰った辺りで。
「うっ、ぐっ、ふぐぅ……」
絵本を開いたままボロボロと号泣し始めた。
鼻水をすする音も鳴らし、ぼとぼとと机に水たまりができそうなほどの涙を流している。
どう見ても演技には見えない泣きっぷりである。
俊介は顔を啓発本の中に隠し、隣に座るジャンに小声で問いかける。
「おい、なんだアレ……!?」
「いつもあんな感じだよ。昼に言ったじゃん、『毎日夜八時に来て本読んでる』って」
「言葉が足りねえ……! その言い方だと毎日大人しく本読んでるって思うだろ?!」
「だから、『変わった奴だとは思ってたけど』って……」
「
その言い方だと『変わった奴』の意味が『毎日夜八時に来て啓発本やハッピーエンドの絵本ばかり読んでる』だと思うだろ。
確かにそれでも充分変わってるのは否定しないけど、本を読んでボロボロ泣くっていうもっと大事な部分が抜けてるって……!
確実になんかあるじゃんアレ……!!
と、俊介とジャンが小声で話し合っていると。
「…………そこの三人組」
泣いていた彼がずびずびと鼻を鳴らしながら、袖で顔を拭う。
そして絵本をパタンと閉じ、俊介達を鋭い視線で射抜きながら言葉を吐いた。
「さっきからこっちをジロジロ見て何の用だ」
「い、いやぁ~……特にヴッ」
俊介が目を逸らしつつ無難な言葉でこの場を切り抜けようとすると、ジャンとは反対側にいたゼロツーが肘で脇腹を突いて来た。
そして俊介の耳元に顔を近づけ小声で言う。
「話すきっかけが欲しいって言ってたじゃん。向こうから話しかけて来てる今が大チャンスだって!」
「いやでも明らかに睨まれてるし、印象最悪すぎるだろ……!」
「何もスタートしないよりは悪印象の方がマシだって! 今から好感度上げるだけだから! ほらGOGO!」
そんな風に体を押され、無理に椅子から立ち上がらせられる俊介。
C-111の彼が俊介の顔を目で追い、そして目を細める。
「お前、今日の朝方に魔法を見に来てた……」
「あっはは、どうも……」
どうやら顔を覚えられていたらしい。
俊介は内心で言葉足らずのジャンと無茶な発破をかけてきたゼロツーに恨みを抱きながらも、彼の元にそそくさと近づいて行く。
そして彼の対面の席に座り、かちこちの笑顔を作った。
「え、A棟の日高俊介と言います。外では学生でした。少しでも話すきっかけが欲しくて、毎日ここの図書室に来てると伺ったので……」
「…………」
俊介の自己紹介に対し、明らかに怪しげな物を見るような目つきを向ける囚人。
その警戒した視線を一切緩めることなく、手に持っていた絵本を涙の水たまりを避けて机に置く。
そして背筋をピンと伸ばした綺麗な姿勢で、言葉を吐いた。
「C棟の111番、名を『アルティアス』と言う。……元の世界では、
アルティアスという名乗るC棟の囚人。
そして同時に、『勇者』という聞き慣れているようで聞き慣れない身分を名乗った。
「ゆ、勇者……?!」
俊介の中にファンタジーRPGゲーム的な、魔王を打ち倒す勇者のイメージが思い浮かんだ。