旧校舎での一件は、屋上に座り込む瀕死の星野を発見した生徒から報告を受けた学校側が、すぐに警察に通報した。
それのせいで旧校舎一帯は警察によってすぐに封鎖。
翌日になると、学校の中は、一体旧校舎で何があったかの話題で持ちきりになった。
曰く『死体が出た』だとか、『爆弾が見つかった』だとか、根も葉もない噂が飛び交う。
そんな中。
恐らく真相を知っている唯一の人間である俺は、割と本気で頭を抱えていた。
昼休憩、中庭のベンチに座り、誰にも聞こえない声量で愚痴を吐く。
「あー……クッソ……」
まぁ、予想は出来ていた。
ヘッズハンターが星野とやり合えば、恐らく瀕死までボコボコにするであろう事も。そして警察が出張ってくるであろう事も。
星野が瀕死のままメンタルブレイクしていたインパクトで、本橋の虐めの件から視線は逸れるだろう。
それだけが不幸中の幸いだ。
ヘッズハンターが俺と同じようにベンチに腰掛け、申し訳なさげな声で言った。
『俊介、すまん……』
「いや、全部分かってた上で体を変わったんだから、ヘッズハンターは悪くない。むしろ、サイコシンパスに後始末を任せたのは凄く良かったよ」
サイコシンパスのおかげで、星野の口から俺の名前が出ることはない。
代償として、星野の精神が完全に壊れたが……元の世界どころか、こちらの世界でさえ殺人を犯しているのだ。その罰が下ったのだろうと考える。
「でも、本当にどうするかは思いつかないんだよな~……」
星野相手にヘッズハンターが傷を負わされるとは思わない。
だが動き回る関係上、髪の毛なんかは絶対に落としてしまうだろう。
それが偶々回収されてDNA鑑定でも掛けられたら、俺がこの事件に関わっている事がバレる。
そこから芋づる式に、俺という個人まで警察の手が辿り着くのは目に見えていた。同じ学校だし、逃げようにも逃げられない。
頼むから見つかんないでくれ。見つかってもせめて指紋くらいにしてくれ。
指紋とか靴の足跡ぐらいなら誤魔化せるんだ。
キュウビの力でだけど。
そんな風な事を、空を眺めながら考えていると。
「よっ」
「ん?」
右の方から聞こえた声。
その方向を向くと、そこには、あの金髪虐めっ子の細木が立っていた。
「……旧校舎に警察が集まってたな。しかも、死体が出たとかなんとか……」
「いやぁ、それは嘘じゃないっすかね……」
「フッ。変に謙遜する奴だな、お前。
ピクッ! と体が反応する。
……まさか、ヘッズハンターの戦いを見ていたのか? 警察に密告するつもりか? と、細木の方を見る。ともすれば睨んでしまっていたかもしれない。
俺の警戒の籠った鋭い目つきを見て、細木が右手を顔の前で否定するように振りながら言った。
「昨日、お前と星野が出会う前に仲間の奴らと学校中の生徒を帰らせたんだ。旧校舎だけでなく、現校舎の方もな。巡回してた教師連中にも停学覚悟で絡みに行って、旧校舎が見えない所で立ち止まらせた。
そして、旧校舎からお前が出てきた所で、私が中に入って星野の事を学校に知らせた。こっそり結果を見に行っただけだけど……まさかあんな事になってるとはね。
……安心しなよ、お前の姿を見たのは私だけだ。警察にも色々聞かれたけど、『いつも通り旧校舎でたむろしようと思ったら、屋上で星野を見つけた』って以外は何も言ってない。
それに屋上まで人間ぶん投げるとか、あんなの誰も信じないって。私が頭おかしい奴だって思われちゃうから」
彼女が余りに信じられない光景を見たからか、それとも星野という重圧から解放されたか、ほんのり顔を赤らめた朗らかな笑みを見せた。
――警戒を解く。
その言葉が本当ならありがたい限りだ。
誰が星野の事を学校側に伝えたのかと思っていたが、細木がやっていたのか。もしその伝えた誰かが俺の姿を見ていたら、どうにかしなきゃと思っていたが……何もせずに済みそうで良かった。
お互い何もしゃべらず、緊張しまくったお見合いのような状況が1分ほど続いた後。
ポンと、突然、細木が何かを思い出したように話し始めた。
「そういやお前、知ってるか? 昼休み明け、体育館で緊急の
「? 全校集会? ……旧校舎の件かな」
「それもあるけど、なんか……別の要件もあるって噂だ。化学の授業を受け持ってた教師が大怪我負って退職したらしくて、その代わりが来るとかなんとか」
――なんだか嫌な予感がする。
このタイミングでの全校集会か。……何事もなければいいけど……。
―――――
旧校舎内。
警察によって閉鎖されたその校舎の中で、一人の男が苛立ちを隠せない様子で声を荒げていた。
「ふざけんなッ!! 何で今更、捜査打ち切りなんだよ!! 1日掛けてやっと証拠を集め終わった所だろうが!!」
「い、いや……私にそんな事言われましても……」
声を荒げている男は、人格犯罪対処部隊の1人、『牙殻』。
同じ警察である刑事に対して怒鳴るその剣幕は尋常な物ではなかった。
それもそのはずだ。
彼ら人格犯罪対処部隊……縮めて『
相当強力かつ危険な人格が、星野という生徒に瀕死の重傷を負わせた。
そう考えた人対の気合の入りようは凄まじいもので、現場に残された痕跡を余すところなく調べ始めたのだ。
牙殻の背後から声を掛ける、キャンディーを舐めている小柄な女性。
「やめなよ牙殻。その人に怒鳴っても仕方ないから」
「んだと……!
黒板の近くで、積もった粉塵の上に落ちていた数本の黒髪。
昔から現場にあったのなら粉塵の下にあるはず。だが、粉塵の上に乗っていたということは、つまり、星野か犯人かしかありえない。
それをDNA鑑定にかけた結果……なんと、今までコツコツと集めていた『怪人二十面相』の物と一致したのだ。
翠と呼ばれた女性が、刑事に問いかける。
「ねぇ。一体何処から、捜査打ち切りの命令が下ってきたの?」
「……詳しくは分かりませんが、こういう事件が、こんな短期間で打ち切られることはまずありません。警察上層部からか、それすらも頭を下げざるをえない誰かからか……。……すみません、これ以上は」
「うん、分かってる。もしそのクラスの人間だったら、これ以上口にするのは危険だもんね」
牙殻に絡まれていた刑事が、すっと頭を下げた後、他の警官の所へ駆けていく。
それを見届けた後、人対の2人がお互いの顔を見合わせた。
「白戸が星野の所に向かって調べてる。どうやら星野って子、殺しをやってたみたい」
「聞いたよ。部屋とか諸々の様子から、10歳の頃に体を乗っ取られてたっぽいってな……チッ、胸糞悪い話だぜ」
星野省二。
今回の事件の被害者であり、女性を1人殺害した疑いのある人物である。
両肩と両足首の骨が完全に砕かれており、精神が幼児退行よりも酷い状態までぶっ壊れている。例え怪我が治ったとしても精神が治る見込みはなく、この先一人で食事を摂ることすらままならないそうだ。完全な再起不能である。
病院で色々手を尽くしているらしいが、殆どは無駄に終わっているらしい。
事件のことについて聞くどころか、本当の星野の人格を引っ張り出すのすら不可能だそうだ。体の主導権を乗っ取られたままの7年というのは、余りに長すぎた。
牙殻が忌々し気に言う。
「けど体の主導権を乗っ取られたなんて話は、この仕事やってりゃ何回も聞く」
「そうだよね。……じゃあ、この事件の捜査が打ち切られた理由って、何なのかな?」
翠の言葉に、牙殻は考えた。
人格犯罪はいくつも対応してきたが、ここまで捜査が強制的に打ち切られた事はなかった。
ということはつまり、今までにはなかった、
…………。
「……すまん、分からん」
「ちょっと、勘弁してよ」
「俺は頭使うのが苦手なんだよ。戦うのが仕事だからな」
翠が呆れた様子で、目の前の男に向かって説明し始めた。
「怪人二十面相について分かってることは、複数の人格を宿しているかもしれないって事と、
今まで怪人が起こした事件は、場所も時間も間隔も関連性が殆ど無くて滅茶苦茶だった。ただ現場から採取された痕跡から、同一人物って事がかろうじて分かってただけ。
でも今回、怪人が起こした事件の場所は学校。もし怪人が星野を狙ってたとしても、部外者が入り込みにくい学校内でやるのは不自然。少し外に出て歩いた道端の方が遥かに怪しまれない。
しかも今までと違って、怪人はどこか甘かった被害者の口封じを完璧にやってる。つまり?」
彼女の言葉に、頭を悩ませ。
そうしてようやく、気付く事が出来た。
「…………!! そうか、この学校の関係者……生徒として通ってる可能性が高いって事か」
「そういう事。被害者の口封じが今までの事件より完璧にされてるのも、自分の顔と名前を知ってるからだろうね。
今までの事件と決定的に違うのは、『怪人の正体に一気に近づいた』というこの一点だけ。
捜査を打ち切られたのには多分これが関係してる」
納得の行った様子の牙殻。
そんな彼の表情を見て、翠は呆れた様子のまま、新しいキャンディの袋を開く。口にパクリと咥え、そのまま、吐き捨てるように言った。
「ま……今のは証拠から推察した私の予想。そしてここまで考えられる相手なら、そう待たなくても、すぐに何らかのアクションを起こすんじゃないかな。これも予想だけどね」
「……は? 小難しい事言うなよ」
「そんな難しい事言ってないけど」
―――――
全校集会が始まる。
生徒たちは、旧校舎の件が明かされるのかと騒いでいたり、逆に面倒くさそうにしていたりと、各々自由な反応を見せていた。
俺はじっと、緊張した面向きで舞台の方を見ている。
すると、背後から肩をトントンと叩かれた。振り返る。
そこには夜桜さんがいた。
「あっ、夜桜さん。どっ……どうかした?」
「ちょっと暇だなぁって思って話しかけてみただけ。こういう待ち時間って、退屈じゃない?」
夜桜さんが言うなら俺はいつだって退屈だ。
ぶんぶんと首を縦に振って肯定する。
「そういえば知ってる? 旧校舎に居た警察の人、さっき慌てて帰って行ってたよ。先生と話してるとこ見たんだけど、『捜査は終わりました』って」
「え?」
馬鹿な。まだ捜査し始めてから1日くらいだ。
いくら何でも、あの旧校舎を1日で調べ切るなんてのは無理だろう。何かあったのか?
「あっ! 始まるみたい」
彼女が咄嗟に舞台の方を見るのにつられて、俺も舞台の方に視線を向ける。
スーツをかっちりと着込んだこの学校の校長が舞台袖から出てきて、少し緊張した様子のまま、舞台の右端に立った。
「こんにちは。
えー、本日旧校舎で行われていた捜査の件ですが、先ほど無事に終了し、警察の方々が帰られた事を皆さんにお伝えします」
『えー』だとか、『なんだよ』とかいう風な声があちこちから上がる。
余りに短い捜査に、他の生徒たちは大した事件じゃないと悟ったようだった。あの事件の概要を知っているなら、1日という短い期間で終わるはずがないのはすぐ分かる。
1年生のエリアにいる細木が、困惑した様子で俺の方を見ている。だが無視した。こっちを見るな、疑われるから。
「そして、皆さんにお知らせがあります。
2年生の化学の授業を務めていた山田先生が、先日、交通事故によって意識不明の重体となり、退職することになりました。」
来たか。
細木が言っていた新しい教師の件だ。
……とてつもなく、嫌な予感がする。
校長が緊張を隠しきれない様子で、流れる汗を純白のハンカチで拭う。
「そして新しく、本校に、先生がいらっしゃることになりました。何でも、本人たっての強い希望だという事で……。
私は、断言します。あなた達は本当に運が良い! 私も学生時代、出来る事なら、このような偉大な人物に教わりたかった! この人の授業を受けることは、あなた達の将来において、間違いなく大切な財産になる事でしょう!!
……では、先生、舞台の方へどうぞ」
校長が、恭しく、舞台袖にいる誰かに呼びかけた。
それと同時に、舞台袖から、白衣をたなびかせながら歩き出でてくる猫背気味の人影が1つ。
その姿を見た生徒達から感嘆と困惑の声が漏れる。
「すげぇ美人……」
「きれー……」
「ちょっと待てよ、なんであんな人が……」
俺も、舞台袖から出てきたその人物には見覚えがあった。
嫌な予感の正体が分かり、冷たい汗が全身を流れる。
その人物は、舞台の中央に立つマイクスタンドのマイクを手に持つ。
そうして、少しハスキー気味の声で喋り始めた。
「皆さん、初めまして。本日からこの学校で化学を教えさせていただく、
――――『
授業の担当は化学ですが、大体の学問は修めたので、どんな教科でも質問があれば気軽にどうぞ」
浮遊人格統合技術の開発者、榊浦親子。
その片割れ、娘の榊浦美優が、そこに居た。
星野初登場ですぐにマッチポンプがバレて、慌てて話を組み替えた結果、虐められっ子の本橋の霊圧を消してしまった俺の姿はお笑いだったぜ。
変にシリアスになりましたが、次からはちょっと明るい雰囲気に戻ります。