殺人鬼に集まられても困るんですけど!   作:男漢

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#128 謎の切り札

 

 

 

 

 

 

「――――シッ!!」

 

 俊介は地面を踏みぬくように一歩踏み出し、厭勝のサバイバルナイフに手を伸ばした。

 身体能力勝負ではこちらが確実に上。

 それならば、武器を奪って素手同士の勝負に持ち込めば大した脅威ではない。

 

(確か相手の武器を奪うには、手首を掴んで捻るんだっけ!?)

 

 昔ガスマスクから言伝で教わった技を思い出しながら厭勝の右手首を掴む。

 そのまま右側に思いきり回そうとしたところ、全身に鉛のような重さがのしかかって姿勢が崩れた。

 

 流れるような動きで地面に引き倒され、目を白黒させる俊介。

 厭勝は左手で拳銃を取り出して俊介の頭部に向ける。

 

「……っ、柔道ッ!?」

「合気道ですよ。武術に関しては素人のようですね」

 

 銃のトリガーが引かれるより一瞬早く、地面を強く足で叩いて厭勝の体ごと空中に浮かばせる。

 決められた合気道の技――力の向きが空に浮かんで滅茶苦茶になり、俊介の体から重みがふっと消えた。

 

 その瞬間に掴んだ手を振り払い、その勢いを利用して体を回転。

 厭勝の側頭部へとかなり力を込めた蹴りをぶち込んだ。

 

 

「…………」

 

 蹴りの衝撃で厭勝の金の片眼鏡(モノクル)が壊れる。

 しかし当の本人は一切効いた様子がなく、わずかに首が傾いただけに終わった。

 

 二人は同時に着地し、俊介が飛びのいて距離を取る。

 ほほについた土を冷静に取り払う厭勝を見ながら、俊介は軽く汗をぬぐった。

 

(武術を使えるのは分かるけど……こいつ、なんだ? めちゃくちゃ硬いっていうより……『威力が上手く分散された』みたいな妙な感覚だ……)

 

 そんな俊介の困惑など知るわけもなく、厭勝はコキコキと首を鳴らした。

 そして壊れてしまった片眼鏡の残骸を惜しそうに見つめ、欠片を少しだけ拾ってポッケに入れた後、すぐに俊介の方に顔を向ける。

 

「これ、結構大切にしていたモノクルなんですがね。度は入ってないので支障はありませんが」

「…………ごめん」

「ふっ。ちょっと言ってみただけなのに、まさか謝罪が返ってくるとは……随分お優しいんですね」

 

 軽く口角を上げながら、厭勝は懐から円筒状の物を取り出した。手のひらにすっぽりと収まるようなサイズだ。

 それについたピンを歯で噛んで引き抜き、俊介の方に投擲してきた。

 

(――――手りゅう弾?!)

 

 認識した瞬間、即座にそれを屋外へと蹴り飛ばす。

 しかし木の建物の壁で手りゅう弾の爆風と破片を防ぎきれない。すぐに遠くへ逃げようとするが、厭勝はなぜか自分から手りゅう弾の方へと向かっていた。

 

 俊介が『まさか自殺か』と感じたのもつかの間、一向に爆発しない円筒を厭勝は手でつかむ。

 そしてこちらを小馬鹿にするような微笑みを向けたあと、全力で建物の外の道を走って離れていった。

 向かう先は知雫のいる倉庫の方ではない。むしろ北区から出ようとする方向だ。

 

「は!? ど、どこ行くんだよ?!」

 

 厭勝の走る速度はおよそ時速七十キロ程度か。ヘッズハンターのせいで感覚がおかしくなっているが、普通に滅茶苦茶速い。

 困惑で一拍遅れつつも、俊介は厭勝のあとを全力で追いかける。

 

 

 

 短距離走の選手のように前傾姿勢で走る厭勝。

 時折追いかけてくる俊介に対し投げナイフを投げるが、そんな攻撃に今更当たるわけがない。身をよじって回避しつつ走って追いかける。

 

 そして三十秒にも満たなかった鬼ごっこは、俊介が厭勝の数メートル背後まで追いついた時点で唐突に終了する。

 厭勝が闘技場のテントの入り口付近でピタリと足を止めたのだ。

 

 ……今の時刻は八時半を少し過ぎたころ。

 普段通りなら、刑務所で唯一かつ最大の娯楽と言ってもいい闘技場の試合が始まる時間帯だ。そのため、テントの入り口付近には大量の観客たちがぞろぞろと歩いている。

 

 俊介は激しい人の往来の中で厭勝を見失わないよう、必死に彼の姿を睨む。

 ――――その時、厭勝がぽそりと呟いた。

 

「……出来るなら、客のいない北区から出たかったのですが……ま、止むを得ませんね」

 

 

 そう、言葉を言い終わった瞬間。

 手に持っていたサバイバルナイフで、周囲を歩く数人の首を一気に切り裂いた。

 

 数人の大動脈から噴き出す大量の血液。

 それは厭勝の周囲の囚人たちに一斉に降り注ぎ、十人程度の顔から首にかけてが赤黒い血液にべっとりと染まる。

 

(――――いったい何をして……ッ!!)

 

 疑問に思ったのもつかの間、次の瞬間には俊介は厭勝の意図に気づいた。

 個人の識別に必要な顔が、先ほどの血液のせいで分からなくなってしまったのだ。十人程度の顔が血液で一斉に隠れ、しかも唐突に人が斬られたことでパニックになった囚人たちがぐちゃぐちゃに動き始める。

 そんな中、俊介は人波に紛れる厭勝を掴もうとするが、その手は空を切った。

 

「くっそ、やばい、見失った……!」

 

 悔しさで強く握りこぶしを作りながら周囲を見渡す。

 厭勝は筋肉質だが、身長はおよそ175センチという珍しくもない体格だ。この刑務所は基本的にC棟の住民以外は体格がいい奴が多いので、厭勝が少し身をかがめば一瞬で人ごみに隠れてしまえる。

 

 俊介は走り狂う人々にぎゅうぎゅうと押されながらも、周囲を観察し続ける。

 

(……そうだ、()()()()()()()()()を目印にするんだ! さっき厭勝含めて十人くらい血を被ってたけど、たかが十人! 関係ない人には悪いけど、そいつらを全員気絶させて――――)

 

 

 ――――刹那。

 

 

 皮膚が焼け焦げるような、死を予感する感覚が全身に走る。

 俊介は脳で考えるよりも早く、脊髄反射で空高く飛び上がった。

 

 

 

 ――――ドゴォォォオオンッッ!!

 

 

 

 先ほどまで立っていたところが勢いよく爆ぜ、ピンク色の肉片と鮮血が一気に舞い散る。

 爆風で肌が少しだけ火傷し、あまりの音にキィィンと耳鳴りを起こす。

 

 おそらく、厭勝が何処かから手りゅう弾を足元に転がしてきたのだろう。

 それに気づけなかった人が軽く十五人は爆発に巻き込まれた。

 しかも飛び上がった鮮血で、さらに多くの人々の顔が血に塗れる。これで更に厭勝を発見するのは難しくなった。

 

「く……は、早く逃げろーッ!!! みんな爆発で死ぬぞ、逃げろぉーッ!!!」

 

 隠れる人ごみがなくなれば厭勝を発見できる。真正面からの対決なら厭勝に勝てる。

 そう判断した俊介は、周囲の囚人たちに向かって『逃げろ』と叫びかけた。

 早くここからいなくなれ。そうすれば厭勝に無為に殺されることもなくなる。

 

 そう……思っていた矢先。

 

 俊介から少し離れた場所。

 

 囚人たちが逃げようとしていた、北区から脱出できる方角で再び爆発音が鳴り響いた。

 先ほどと同じように幾人もの人が爆発に巻き込まれ、鮮血交じりの肉片が空に吹き上がる。

 

「また爆発――――うぐっ! も、戻ってきちゃダメだ、ここから離れないと!!」

 

 目の前で手りゅう弾による爆発が起き、人が大量に死んだ。

 

 そんな状況で、爆発が起きた方に逃げ続けようとできる者は多くないだろう。それは数多の囚人たちが集まるこの刑務所ですら例外ではなかった。

 いや……むしろ一度死を経験している者ばかりだからこそ、目の前に迫った再びの『()』に怯えてパニックになっているのかもしれない。

 

 パニックになった囚人たちの多くは北区の奥地――――倉庫の方か、闘技場の中に逃げようとする。

 

 しかしその囚人たちを止めるように再び爆発が鳴り響いた。

 厭勝が手りゅう弾を使い、人々が一定範囲外に逃げないように誘導しているのだ。自分の隠れる人ごみを保つために。

 

 

「――――」

 

 

 一分が経過したかどうかも分からない僅かな時間で、40人か50人以上の人が爆殺された。

 しかも自分と厭勝の戦闘が原因で、だ。

 

 自分のせいで多数の人が死んだ罪悪感。

 パニックになった囚人たちの声。

 鼻がひん曲がりそうなほどに濃い血の香り。

 厭勝を見つける方法。

 人々をここから逃がす方法。

 

 それらが一気に頭の中に重なり、息が荒くなり始める。

 思考が纏まらず、少しずつ白くなり始める。

 

 

 ――――と、そんな時。

 俊介の肩に何者かが手を乗せる。

 ……と言っても、実体がないので乗せられた気になるだけだが。

 

『俊介。悪いが少しアドバイスさせてくれ』

「……ガスマスク」

 

 背後にいる彼の方を振り返る俊介。

 ガスマスクは周囲の囚人たちに目をくれず、重く静かな、そしてよく聞こえる声で言葉を放つ。

 

『相手が作り出した、相手だけが有利な空間には付き合うな。勝負とは自分の得意を押し付けた方が強い』

「…………」

『……俊介の同調は確かに強い。四肢の主導権をエンジェルに渡して攻撃すれば、ダークナイトを除いて瞬間火力は最大だ。単調な殴り合いだけならダークナイトを除いて最強かもしれん。だが……』

 

 ガスマスクが一瞬だけ声をためる。

 そのあと、少しだけ照れたような……こっぱずかしそうな声を出した。

 

『だが、その……()()()()()()()()()()()()で作り出した()()は、それだけではないはずだ』

「…………!」

 

 俊介がわずかに顔を上げる。

 

 目の前の状況はいまだに最悪だ。

 ガスマスクの言う通り、厭勝にとって完全に有利な状況が広がっている。

 単純な殴り合いなら完勝できて当然の俊介が全く動けてないのが現状だ。

 

 そのような状況の中でも、ガスマスクは揺るぎない意思で前を見つめる。

 

『戦闘経験が乏しく、戦闘の才能もない俊介に最適解を出し続けるのは無茶だ。だが戦いに挑むなら常に頭を回して選べ。勝つことだけを考えて常に走り続けるんだ』

「ガスマスク……」

『俺たちは外に出ていないだけで、いなくなったわけじゃあない。辛くなったら背中を押してやるから、信じて前に走れ!』

 

 ガスマスクが俊介の背中を叩く。

 ……実体がないため、ガスマスクの手は俊介の背中に触れることはできない。

 あくまで叩いた気分にすぎないし、叩かれた気分にすぎない。

 

 しかし。

 俊介は先ほどまでの思考の白さを振り払い、頭の中に溜まった淀みを口から吐き出す。

 そしてヘッズハンター譲りの身体能力で空高く飛び上がり、人々の頭上に身をさらした。

 

 そこから咄嗟に首に手を当て、重く、よく響く声で言う。

 

「ニンジャ、体変われ!」

『へぇッ?! 拙者ぁ!?』

 

 

 ――――一瞬の硬直。

 

 

 人格交代の合図だ。

 

 

 空中に身を躍らせた俊介は、わずかな硬直のあと。

 先ほどとはまったく別種の雰囲気を纏いながら目をかっぴらいた。

 

「ヘイヘイヘイ! ここはガスマスクに体を渡して格好よく決める場面ではないでござるか!?」

『俊介の判断だ。真面目にやれ、ニンジャ!』

「つぅーか、拙者が言った『俊介に判断を任せる』ってあれ! みんなあんまり守ってなくないでござるかぁ?! 拙者は俊介に更に成長してほしくて、苦汁を飲んで耐え忍んでいるのに――――」

『真面目にやれ!!』

「チッうっせーな、真面目にやりまーすでござる!!」

 

 ニンジャはふざけた口調で、走り惑う囚人たちの肩に足をつける。

 そのまま肩の上を走って人の波を越え、近くの建物の屋根上に移動した。

 

 そして何処からともなく取り出した……本当に何処から手に入れてきたか分からないプラスチック製のメガホンを口に付け、大きく息を吸ってから叫ぶ。

 

 

「オラオラこのクソ囚人共! 今から全員この爆弾でぶち殺すから、さっさと逃げて消えろでござる!!」

 

 

 ――――大声を出したことにより、囚人達の注目が一斉にニンジャに集まる。

 

 その瞬間、ニンジャはそこら辺に落ちていた手のひら大の謎の破片を拾いまくって一斉にばら撒いた。

 何度も起きている爆発で建物がいくつか崩れているためか、そのような破片がいくらでもあったのだ。もしかすると変な肉片も触って投げちゃったかもしれない。

 

 そして先ほどから続いている爆発で冷静さが失われているのか、囚人たちは面白いように騙されてくれた。

 加えて、破片を無数に投げた効果だろう。

 人ごみは北区から脱出する方角や、闘技場のテントの中、そして建物の隙間など……。厭勝一人ではコントロール不可能なほどバラバラな方向に散っていった。何度か手りゅう弾による爆発が起きたものの、たかが数発では蜘蛛の子を散らすように逃げていく彼らを完全に食い止めることはできない。

 

 逃げ惑う人々が爆殺されるのも厭わずその場から逃がし続ける。

 人の命を無価値に思うニンジャやその他の殺人鬼でしか真似できないような所業だ。

 

 

 ニンジャは屋根の上に立って、メガホンで肩をポンポンと叩きながら眼下を観察する。

 そして、人が次第に少なくなって隠れる場所が減ってきたその時。

 

「ほ~ら、見っけ!!」

「ッ!!」

 

 ニンジャは屋根の上から、足元にあった先の鋭い破片を投げつける。

 しかし厭勝はそれをナイフで弾きそのまま銃を撃ってきた。それをニンジャは身をかがめて回避し、前転するように屋根の上から地面へと降りる。

 

「いっきなり銃を撃ってくるなんて、あっぶない奴でござるな~」

「……ふむ、さっきの甘さが微塵もありませんね。『人格交代』ですか」

「『大当たり』ぃ~でござる。まぁ甘さが消えたっていうか、拙者はどうでもいい奴が死んでもどうでもいいって性分なだけでござるが」

「ははは。私も同意見ですよッ!」

 

 厭勝がナイフを逆手に構え、ニンジャに斬りかかってくる。

 その攻撃を避けて銃をかすめ取ろうとするが、ニンジャの手が届くよりも早く厭勝が身を引いた。

 手が空を切ったニンジャがみっともなく隙だらけの胴体を晒す。

 

「あ」

「フンッ!!」

「うぼげぇッ!!」

 

 ニンジャの腹部に厭勝の鋭い前蹴りが突き刺さった。

 ……至極単純な話、お互いの間には覆しようもない身体能力の差があった。もちろん弱い方がニンジャである。時速40キロ程度でしか走れない彼にこの刑務所で人権はない。

 そして直接戦闘が得意ではないニンジャには身体能力をどうにかできるほどの技術もない。

 

 ハッキリ言って、厭勝の場所を突き止めても素手のニンジャが敵う訳もなかった。

 

 吹っ飛ばされたニンジャがごろごろと地面を転がりつつ、体勢を立て直す。

 躊躇なく銃を撃ってくる厭勝から逃げつつ、物陰にスライディングしながら傍にいるガスマスクに叫んだ。

 

「いてて、これは無理でござる! ガスマスク、パス!」

『早いぞニンジャ!』

「拙者に素手で戦わせるんじゃねえでござる!! はよ変われ!!」

 

 ニンジャが実体のないガスマスクと手を叩くような動きをし、体の主導権を変わった。

 物陰で銃弾をやり過ごしつつ、ガスマスクは隙間から厭勝の様子を窺う。

 

「……俺がやるよりも、エンジェルにやらせた方が強い気もするが……。しかし、俊介に偉そうな言葉を吐いた以上俺も何かやっておかないとな。……でないと後でニンジャが鬱陶しい」

 

 近くにあった布を足で手繰り寄せて顔に巻く。

 普段からガスマスクで顔を圧迫しているせいか、何かで頭を覆っていないと本調子が出ないのだ。何に使ったか分からない汚い布だけどこの際我慢しよう。なんか濡れてるけど我慢だ。

 

 ガスマスクは瓦礫に身を隠しながら耳を澄ませ、残弾切れを狙う。

 そして厭勝の銃の弾が切れ、スライドがガチンと開いて止まった瞬間に身を出した。

 足元にあった小石を蹴り飛ばして弾倉交換をしようとするのをけん制し、一気に距離を詰める。

 

 

「――――フッ!!」

 

 速度と体重を乗せた拳を厭勝のみぞおちに決める。

 ……が、あまりにも入った感覚がなさすぎる。急所をずらすとかそういうレベルではない。明らかに未知の技術を使っている。

 

「打撃は殆ど無効か……何か()()()()があるな?」

「あなた、また人格が変わりましたね? 一体何人入っているんです?」

「秘密だ」

 

 厭勝の身体能力に任せた素早いナイフの突きを防ぎ、カウンターで肘打ちを顔に入れる。

 やはり決まった感覚は薄い。鼻の骨を砕くつもりで打ったが鼻血すら出ない。というか、鼻の先に赤みすら浮かばない。

 ここまで効かないと流石に少し自信がなくなりそうだ。試すとしたら次は関節技だな。

 

「その動き方は軍人ですね、それもかなり腕が立つ部類の。そして死体に慣れ切っている点を見るに……戦争でもしていた世界の方の特殊部隊ですか?」

「秘密だ」

「なるほど、秘密主義らしい。……あの甘すぎる宿主と随分そりの合わなさそうな方たちだ」

「黙れ」

 

 ガスマスクは厭勝が左手に持つ銃のスライドを右手で掴む。

 そして右手で素早く銃の解体をしつつ、余った左手で厭勝のナイフを持つ手首を掴んで捻り上げた。

 

 外したスライドを後ろに放り投げ、すぐさま空いた右手を使って関節技をかける。

 厭勝のナイフを持つ手を後ろに回し、足を引っかけて地面に押し倒した。そして右腕だけでチョークスリーパーのように首の大動脈を完全に締め、少し経てば意識を奪える体勢に持ち込む。

 

「ぐ……ッ!!」

「…………」

 

 厭勝の苦悶の声が聞こえる中、ガスマスクは無言を貫きながら締め続ける。

 技を解かれないように集中しているのもあるが……思わず口をつぐむほど驚いたのだ。

 

 ――――厭勝の服の下に潜む()()()について。

 

 

(――ッ。本当に人間か……この男……)

 

 直に触って理解し、静かに冷や汗を流す。

 この男の体はあり得ないほどに磨き抜かれている。

 

 自身の体格に合わせて筋繊維の一本一本まで繊細にチューニングされた、完璧な戦闘用の肉体。

 全身の筋肉が呼吸に応じ、時計仕掛けのように正確に最適な動きで機能する。

 筋肉の付き方には寸分の無駄も存在しない。本来筋肉をつけすぎると関節部の動きに淀みが出るものだが、この体には一切の淀みがない。

 胴体を守る筋肉はまるで鋼のような堅牢さを誇っており、プロの格闘家が数人がかりで殴ってもノーガードのまま余裕で耐えるだろう。

 

 

 ……前の世界でB兵器共を相手に戦い抜くため、自分の体は徹底的に磨き抜いたつもりだ。

 だがこの厭勝の体の前では完全に霞んでしまう。

 

 自分の体が道端の石ころを紙やすりで丁寧に磨き、その末にある程度の輝きを持ったものだとすれば。

 

 この厭勝という奴の体は、特級品のダイヤモンドの原石を世界トップのプロが専用道具で仕上げたようなものだ。

 それこそ、そのプロが自分の人生を全て費やし、仕上げた瞬間に命を落としても構わないという覚悟を持って磨き続けた逸品。

 

 その輝きは元が石ころの自分とは次元が違う。

 神が一から作り上げた肉体と言っても信じられるほどに……。

 

 

 しかしこの体を見ると、一つ疑問が浮かび上がる。

 それは、こんな神の如き肉体を持っているくせに、厭勝の動きがあまりに粗雑すぎることだ。

 

 遥か格上の身体能力を持つ、武術未経験の俊介を手玉に取れるレベルの技術はあるらしい。

 だが自分のように半ば我流の技を永遠に磨き上げた奴にはあっさり捕まえられる。……打撃を無効化する謎の技については不明だが。

 

 これほどまでに体を磨き上げられる人物なら、もっと高度な武術を修めていてもなんら不思議ではない。

 いや、修めていないと確実におかしい。確信をもってそう言える。

 

 今の厭勝は戦艦の砲撃ボタンを赤ん坊が連打しているようなもの……。

 そのレベルで体のスペックを全く引き出せていないのだ。

 専門的知識を持った人間が使えば更に効果的なそれを、何も知らぬものが適当に振り回しているような状態……。

 

 

 ――――とすると。

 この体を作り上げたのは厭勝ではなく……。

 

(……まさか、人格が()()()()宿ってるのか……? ()()()()()()……?!)

 

 例えば厭勝の他にもう一人、人格が宿っているとする。

 そのもう一人の人格は武の才能を持った異世界の人格だった。

 そして素質のあったこの肉体を限界まで磨き上げた……。

 

 そして……どういう経緯があったのかは分からないが。

 

 厭勝はその体を使い『ダンク・パンカーズ』という組織を作り上げた。

 世界を股にかける巨大組織を作るには、厭勝が常に体を使って活動しないと到底不可能だろう。

 

 だが体を作ったもう一人の人格はずっと中にいて、偶にメンテナンスするために体を変わる。

 そして厭勝が危険なときには飛び出してきて猛威を振るう完全戦闘特化の人格。

 出てくる頻度と時間が厭勝に比べて圧倒的に少ないから、殆ど情報が漏れない。

 

 ガスマスクは一定の筋が通ったその予想と、ウィザードの言っていた言葉から、この予想の正解を確信する。

 

(そうか、それがウィザードの言っていた厭勝の『()()()()()()』か!)

(この究極の体を作り上げた、武の才能を持つ『()()()()()()()』……!!)

(複数人格持ちであることを前提に考えないと見破れない切り札、普通じゃ見破れないはずだ……!)

 

 

 ……だが……。

 これは同時に、ガスマスクにとってはあまり良くない答えでもあった。

 それは、その武の才能を持った人格が外に出てくると非常にまずいということだ。 

 

 そいつはこの体のスペックをフルに引き出す上、武術も厭勝とは比べ物にならないほど高いレベルで修めているはず。

 

 そんなのが出てきたら恐らく素手の自分では一撃で殺される。

 少し抵抗できても数瞬後には死ぬ。

 そう確信できるほどのポテンシャルがこの体にはあった。

 

 

 厭勝に人格交代の隙を与えてはいけない。

 後ろに潜んでいる敵の実力が未知数すぎる以上、まだ仕留め切れる厭勝のまま完全に気絶させる!

 

「このままここでオトしてやる……!!」

「ご、ぐ、な、舐めるなぁッ……!!」

 

 右腕に込める力を更に強くする。

 しかし厭勝が体のスペックに物を言わせて無理やり立ち上がってきた。

 そして背中から倒れてこちらを地面にぶつけてくるが、その程度では絶対に力を緩めない。

 

「諦めろ、厭勝ッ……!」

「ぐ、軍人が……こ、これはとっておきですよ……!!」

 

 厭勝が顔を真っ赤にしながら、右足で勢いよく地面を叩いた。

 時速七十キロ近くで走れるその圧倒的な脚力で地面を叩いたのだ。

 当然、轟音が発生――――

 

 

 

「――――ぶ、ぐっ……!?」

 

 

 

 ――――()()()

 

 それどころか、背中に張り付くガスマスクの内臓に謎の強い衝撃が走った。

 あまりの威力に意識が飛びそうになるが、すぐに舌を噛んで意識を覚醒。右腕に力を籠めなおす。

 

(……ッ?! なんだ今のは……いや、あと数秒で落ちる!! 今はそっちに集中ッ――――ぐはっ!!)

 

 再び厭勝が足で地面を踏みつけ、謎の衝撃がガスマスクの内臓に伝わる。

 その速度は次第に早くなっていき、まるで内臓に直接何度もボディーブローを決められているかのような錯覚に陥る。

 

(ま、まずい……このままだと内臓が潰れる……! 俺の体なら潰れても締め続けるが、これは俊介の体だ――――)

 

 一瞬の思考。このまま厭勝を離すことによるデメリットが頭をよぎる。

 しかしガスマスクにとって、俊介の体の無事以上に優先することはない。

 

 腕の力を抜き、厭勝の体を遠くへ蹴り飛ばした。

 そしてバックステップで瞬時に距離を取り、他の人格と体を変わる。

 

『エンジェル、悪いが距離を取れ! 相手は未知数だ!』

「はぁ……? いったい何ですか、突然仕留められるはずの関節技を解いたと思ったら」

『お前の耐久でも耐えられるか分からない相手だと言っているんだ……!』

「…………ほう。銃弾すら弾く私でも、ですか?」

 

 ガスマスクはこの時点で、ダークナイトを除いて最も頑丈であるエンジェルと肉体を交代する選択を取った。

 同調した俊介は確かに強いが耐久力の面では心もとない。ヘッズハンターと俊介がそもそも耐久力的には貧弱だからだ。

 

 その点エンジェルは銃弾すら豆鉄砲以下と弾く強靭な肉体の持ち主。

 耐久力という意味では反則のダークナイトを除いてピカイチだ。

 

 

 ガスマスクは、この時点でベストだと考えられる選択を取った。

 ……しかし、彼は失念していた。

 

「俊介の頼みでないのに聞く道理はありませんね。距離を取るより叩き潰した方が確実で安全です」

『なッ……!』

 

 殺人鬼たちはガスマスクを含めて漏れなく俊介ファーストな思考の持ち主。

 俊介からの頼みや命令は絶対に聞くが、同じ殺人鬼からの言葉は割とよく無視する苛烈な性格の持ち主ばかりであったということだ。

 

 男性組は比較的落ち着いているが、女性組は全員そういう唯我独尊的な面が強く。

 性別不詳のダークナイトなんかは俊介以外が頼みごとをすると基本ぶん殴ってくる。何もしなくても自分の機嫌次第で普通に殴ってくる。

 

 そういう連中である。

 

 

 

「かはッ……はぁ、はぁ……ッ!」

 

 厭勝が首を抑えながら息を荒くしているところに、エンジェルがずんずんと大股で近づき。

 普通に顔面へ向けての右ストレートを決めた。

 

 

 ――――ズドォンッ!!

 

 

 まるで大砲を撃ったかのような音が響き渡る。

 酸欠でフラフラしていたからか、厭勝はその場で踏ん張ることもできずに北区の遥か外まで吹き飛ばされた。

 

 エンジェルは放物線を描いて吹っ飛んでいく厭勝をしばらく見つめた後、ガスマスクの方を向く。

 

「……ほら、何ともないではないですか。むしろ弱りすぎて困るくらいですよ」

『…………』

「私が追いかけるより、俊介に変わった方が速くてよさそうですね。……ガスマスク、少し心配症すぎるのでは?」

『……ああ……』

 

 俊介と体を変わるエンジェルを横目に、ガスマスクは少しだけ思い悩む。

 腕をほどいた瞬間にもう一人の人格と体を変わると思ったが、なぜか厭勝は変わらなかった。

 こちらもエンジェルと人格交代をしたのだから、向こうも交代する隙はあったはずなのに。

 

 ……もしかすると、もう一人の人格という予想は外れているのだろうか?

 いや……遠からず近からず、当たっているとは思うのだが……。

 

(……わからん、が……。一応、あとで俊介に話すだけ話してみるか……)

 

 ガスマスクはそう思い直し、今はまだその事実をそっと胸に秘めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 










毎話毎話、誤字脱字が多すぎてとても申し訳ない気持ちになります。
いつも誤字報告をしてくださる方々には頭が上がりません。


本来の予定ではこの辺りで刑務所を脱獄している予定だったんですが、なかなか上手くいかなくてドギマギしてます
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