榊浦美優が化学の授業担当になってから1週間。
何度か彼女が授業をしに教室に来て、ちょっと警戒しながらも、真面目に受けてみた。
死ぬほど分かりやすい。
頭の集中力が数段階ほど引き上げられている感覚だ。変な電波を放ったり装置を使ったりしている訳でもなさそうなので、多分、彼女の純粋な技術なのだろう。浮遊人格統合技術なんてトンデモ開発をする精神科学研究者は格が違った。
生徒からの質問も完璧に答えているようだし、教師の仕事の合間に研究もしているらしい。
でも、質問しに行った生徒の話を(盗み)聞きすると、質問に答える代わりに、普段の高校生活の様子を根掘り葉掘りと聞かれたそうだ。何でも精神科学の研究の一環で、健全な高校生の学生生活とその中での精神の状況が云々かんぬん……。
とにかく、学校の内部事情を聞きまくっているそうだ。
……余り近づかないようにしよう。
警察ですら怖いのに、浮遊人格統合技術の開発者とか、一体どこで人格持ちだと見抜いてくるか分からん。
そして、更に少し日々が過ぎて。
新しい一年が始まって、初めての大型連休――――『
今年は運が良い。間に平日が挟まっておらず、一週間丸々休みだ。
しかし特に予定は決まっていない。積みゲーはもうないし、どうしたものか。
「…………どっか行くか」
せっかくの長期間の休みだ。
バイクを使って、気ままに遠出してみるか。目的地は……適当に北上して、県境を越えた所に、有名な温泉街がある。そこで一泊して帰ってこよう。
遠出用の服に着替え、玄関のすぐ傍にある駐車場に置いてあるバイクの前に立つ。
……このバイクは俺が買った物だが、正直、俺は全くもってバイクに詳しくない。
せいぜい知っている事と言えば、このバイクが150ccである事と、黒を基調として地面に平行に白いラインが走っているのが格好いいという事だけだ。
じゃあ何でバイクに乗ってるかというと。
まぁ、中の奴の1人に、どうしても買ってほしいと強請られたからだ。
首元に手を当て、その人物を呼び出す。
「『
『よし来た! …………ねぇ、ニトロ付けていい?』
「駄目」
中から出てきたのは、半透明の、空色の作業服を着た中性的な人物。髪はボブカットで、作業服よりも更に色が薄く、白みがかっている。
身長は155センチ辺りで、声も低すぎず高すぎずと言った感じなので、パッと見た感じでは性別がどちらかは分からない。
でも一応男だそうだ。
『このバイクっての、いつ見てもいいよね。僕の世界にはこんなのなかったからさ。まぁなかったと言うより、生まれる前に廃れてたから見た事ないだけだけど』
半透明のまま、バイクの周りを目視点検の為にぐるぐる回るマッドパンク。
彼は作業服を着ているが、一応、元の世界では機械とかエネルギーとかに関係する研究をやっていたらしい。ある日、新エネルギーを利用しての発電施設を作ったはいいものの、
いやいや、ちょっとのミスじゃないとは思ったが。
『元々町一つ分くらいは覚悟してたから、誤差!』との事。どう考えても誤差じゃねえだろ。しかもその町一つ分の被害が出るかもしれないリスクすら誰にも言ってなかったらしいし、完璧な確信犯だ。
そんなマッドパンクの為にバイクを買った理由。それは単純だ。
『この格好いいバイクを買ってくれないと、俊介の家の電子レンジを、歩くマイクロ波照射装置にするぞ!』と脅されたからだ。技術の暴力。
『……バイクのこの辺りに、厚めの刃物を用意しておけ。出来る事なら反動を少なくした短機関銃もだ』
『いいね!』
「良い訳ないだろ!! 一発で捕まるわ!!」
俺の背後から出てきた180センチ前後の人影。
物々しいガスマスクを被り、体に隙間が出来ないように防弾チョッキやヘルメット、分厚い皮の上着などをガッチリと装備を着込んだ男。腰や背中に武器を付け、銃のような形をした物も見える。
彼の名前は見た目そのまんまの、『
『そもそもバイクなんて物は遠出には向かない。乗るなら装甲車か、改造を施したトラックだ』
「乗らねーよそんなの」
ガスマスクは生物兵器禁止条約という物がなかった世界……つまり、バイオハザードみたいなゾンビを生み出す生物兵器を国同士が本気でぶっぱなし合い続けた結果、壊れちゃった世界で生きてきたらしい。
そして、詳しい事は話したがらないのであまり聞いたことがないが、とにかくいっぱい殺したそうだ。なのでまだ、平和な世界に上手く慣れないのだと言う。
『……俊介は警戒意識が低すぎる。いくら平和な世の中と言えど、いつ何処で、何が起きるか分からないんだぞ』
「心配してくれるのはありがたいけど、この国で刃物や短機関銃を持ち歩くのは過剰すぎるから」
『俺は世界一安全と言われたシェルターが、ふとしたきっかけで壊れた所を見たことがある』
だとしてもそんな危険物は持ち歩けんわ。
しかし、ガスマスクが心配して言ってくれているのは分かる。彼も他の殺人鬼のように意固地な方だ、何か対策をしないと引き下がらないだろう。
少し悩み、思いつく。
「……そうだ、ガスマスクも外に出て着いてきてくれないか?」
『何?』
「刃物や銃を持つより、ガスマスクが傍にいた方が多分安全だろ?」
道中、恐ろしい男を後ろに乗せることになるが、危険物を持ち歩く事よりはマシだ。
彼は少し悩む素振りを見せたのち、コクリと頷いた。
すると、バイクの目視点検を終えたマッドパンクが口を尖らせて言う。
『あ、ずっる!! だったら僕も連れて行ってよ!』
「いや、中で見てればいいだろ。2人もバイクに乗れないし、向こうで外に出れば……」
『俊介と話しながら一緒に行くのが楽しいんじゃんか! 乗せろー!!』
そう言ったと同時に、飛び掛かってくるマッドパンク。
そうして、なんやかんやあった結果。
――――ドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
唸り声をあげるバイクに跨る俺。
エンジンタンクと俺の股の間に出来たわずかな隙間に、寝そべるよう乗っているマッドパンク。
その全てを見守るように、後方で腕を組みながら鎮座しているガスマスク。
ただの遠出が、なんでこんな意味不明な事に。
変な事が起きないように祈りながら、アクセルを捻った。