時刻が22時を過ぎた頃。
新月が浮かぶ一層暗い夜闇の中、暗がりに溶け込むように仁王立ちする人影が一つ。
「…………」
軍用の暗視スコープを頭部に装着した夜桜が、民家の屋根の上から俊介の家を観察していた。
そして何かを警戒するようにじろじろと首を動かして周囲を見渡す。そんな行動を十秒ほど行ったあと、鬱陶しそうに頭に着けた暗視スコープを外した。
「あー、おも……。別にこれくらいの暗闇ならクッキリ見えるから、こんなゴツイ暗視スコープは要らなかったね」
『クッキリ……? 私、手元すらぼんやりとしか見えないんだけど』
夜桜の横に立つバクダンが自身の手のひらのしわを覗き込みながら言う。
それを聞いた夜桜は肩をすくめ、言葉を返した。
「近くの家の窓から光が漏れてるでしょ。30メートル先を見るくらいなら光量はそれで充分」
『もう才能のあるなしとかじゃなくて人間の枠から外れかけてない? 夜目利きすぎだろ、鳥さんか?』
「鳥さんになれたら日高君をもっと追いかけられるよね」
『えっ……え、ホントにならないでよ?』
「ならないよ。何を不安がってるのバクダン」
軽く放った冗談にマジトーンで夜桜が乗っかったせいか、背中にひやりとした恐怖が走ったバクダン。
今の夜桜は油断したら本当に鳥になりかねないから怖い。いや人間が鳥になるかもってどんな心配をしてるんだ。バクダンは内心でそう自分に突っ込む。
そして、恐怖で息が薄くなるバクダンを他所に夜桜は民家の屋根から飛び降りた。
数メートルほどの高さから飛び降りたにも関わらず、一切の音を鳴らさず地面へ着地する。俊介の人格の一人である『ニンジャ』から学び盗んだ特殊な歩法の応用だ。
忍び足で日高家の敷地を囲むブロック塀に張り付き、様子を窺う。
一階のリビングの窓からはぼんやりと明かりが漏れていた。話し声や物音は聞こえないが、テレビから流れるニュースキャスターのくぐもった声がわずかに聞こえる。
そして俊介の部屋がある二階は全ての照明が消えていた。人の気配も感じない。
「一階のリビングには多分、日高君のご両親がいるのかな。……お邪魔します、お
『ひえっ』
当然のように俊介の両親を義父義母呼ばわりする言動にバクダンがか細い悲鳴を上げる。
どうして?
『紗由莉……! 10歳のころの純粋な紗由莉はどこに……!』
「?」
『んぉぉぉ゛お゛ぉ゛……!』
バクダンが頭を抱えて地面に這いつくばり、変な声を出し始めた。何してるんだろう。
でもまあ、バクダンが唐突に変なことをするのはいつものことである。
夜桜はそう思って大して気にすることなく視線を外した。
「……よっと」
ブロック塀の上にジャンプして登り、そのまま近くの電柱に飛ぶ。
そして電柱の中心を靴底で蹴り、三角飛びの要領で俊介の部屋の窓際に張り付いた。
足場はないが、ロッククライミングの要領で指先を壁のわずかなとっかかりに引っかける。幼いころに習わされたロッククライミングの経験がやっと生きた。
ちなみにこの一連の流れの動きは全くの無音である。静かな場所に座っているときの心臓の鼓動の方がうるさいほどの静寂を保っていた。
夜桜は一センチもない壁の出っ張りを片手で掴み、全体重を支え続ける。
そしてもう片方の手で窓を小さく動かそうとする。しかしカタリとわずかな音が鳴ったばかりで窓は動かない。
「窓に鍵はかかってる……ま、当然か」
戸締りは当然しているだろう。
しかしそんなことを想定せずにここに来るわけがない。夜桜はポケットの中に手を突っ込み、事前に用意していたものを取り出す。
それは蜘蛛のように八本の足が付いた、親指の爪ほどの大きさをした黒く四角い物体だった。足先にはどんなものにでも吸い付く小さな吸盤が搭載されている。
「万能ピッキングマシーン……なんだっけ?」
『『万能ピッキングマシーン三号』だよ。良いネーミングセンスだろ!』
「いや……」
『えっ』
ショックを受けた様子のバクダン。
スーパー戦略兵器に『
しかしネーミングセンスは悪くとも、彼女が作る爆弾の性能は
夜桜は窓の外から、窓の鍵がある辺りにピッキングマシーンを取り付ける。
そして指で爆弾のスイッチを軽く押した瞬間、ピッキングマシーンから緑色のレーザーが一瞬だけ放たれる。そのレーザーは窓の鍵の位置を識別し、ジャスト一秒後にポン!と空気が抜けたような小さな音が窓の鍵から鳴った。
「…………」
そして夜桜が再び窓に手を触れた瞬間、キキッと軋む音を立てて窓が開く。
……バクダンの製作した『万能ピッキングマシーン三号』の原理は超単純である。
これはどんな鍵でも爆破して壊せばピッキング成功、という脳筋にもほどがある仕様の元に作られた。
ちなみに『万能ピッキングマシーン一号』は、爆破力が強すぎて鍵どころか窓や扉まで粉々に吹き飛んだ。
『万能ピッキングマシーン二号』は威力を抑えたものの、爆破音や光が三倍増しになって閃光弾のようになった。
そして三号はそれらを全て修正したひとまずの完成形である。
今後製作する『万能ピッキングマシーン四号』は電子錠にも対応する予定らしい。いいね。
そして、一度使用されたピッキングマシーンは自らボロボロと粉のようになって崩れていく。
バクダン曰く、『環境に配慮してほぼ全てのパーツを生分解性プラスチックで作ってる』とのことらしい。
……そういう変なところに拘るから、一号や二号のように失敗点が増えるのではないだろうか?
夜桜はその言葉をぐっと腹の奥に飲み込んだ。
「…………」
無言を保ったまま、窓から俊介の部屋の中に入り込む。
家の外は民家から漏れた光で見えたが、さすがに室内に入ると光量が足りずに見えづらい。
電気を点けるわけにはいかないし、暗視スコープを付けなおすとしようか……。
そう思っていた時。
――――ギィッ
「!」
扉の向こうから木が軋むような物音が聞こえた瞬間、夜桜は脊髄反射で身を隠した。
そして物音が鳴ってから数秒後、俊介の部屋の扉がゆっくり開く。
「……俊介……? 帰ってきたの?」
入ってきたのは俊介の母親……日高陽子だった。
息子が三日も連絡を寄こさずに消息を絶っているからだろう。髪の毛には少し枝毛が目立ち、目の下にクマができている。体から感じられる生気は薄く、全体的に重たい雰囲気を纏っていた。
彼女は薄暗い部屋をきょろきょろと見まわすが、どこにも人は見当たらない。
誰もいないことを確認した彼女は額を右手で押さえ、ぽつりと呟いた。
「……気のせい、か」
そして扉を開いたままの彼女を追うように階段を上る音が響く。
日高陽子の背後にゆっくりと姿を現したのは、俊介の父親である『日高
額が見えるように髪をさっぱりと短く整え、縁の薄い丸眼鏡をかけた日高翔悟。
面長の骨格をした顔には理知的な雰囲気が漂っている。しかし垂れ下がった目端や眉が温和な雰囲気も同時に纏わせていた。
年齢が40代前半ということもあり、目を凝らせば目元に小じわが見える。
だがその姿からは年齢ほどの老いを感じさせない。もう少し若い年齢を名乗っても十分通じるだろう。
身長は175センチ程度と俊介より数センチほど大きい。
そして体つきはほっそりとしているが、腕周りにだけは筋肉が付いている。
町工場の技術者という職業柄、自然と筋肉が付いたのだろう。
……日高翔悟という男を一言で表すならば。
『非常に温和な父親』。それが適切だろうと、夜桜は静かに思った。
日高翔悟は、突然息子の部屋に向かった妻に対して問いかけた。
「陽子? どうしたんだ?」
「ううん……何でもない。何かの気配を感じたんだけど、勘違いだったみたい」
「……そっか……」
彼も一度、息子の部屋を見る。
しかしそこには誰の姿も見えない。
「三日も連絡を寄こさないなんて、今までなかったのに……」
「……そうだね」
「何か事件に巻き込まれてるかもしれないのに、警察は家出だなんて! 今までは夜遅くても、絶対連絡はしてたのに……!」
「……明日、もう一度警察に行ってみよう。だから、体調を崩す前に今日はもう休もう」
「……うん……」
翔悟は妻の肩に手を回し、労わるようにポンポンと叩く。
そして息子の部屋の扉をパタンと閉めた後、優しい声を掛けながら二人で階段を下りて行った。
「大丈夫。俊介は強い子だから、きっと無事だよ」
「……そうだよね……」
扉越しに、階段を下りていく二人の会話が微かに聞こえてくる。
そして、やがて会話どころか階段を下りる音すら聞こえなくなった時。
『……日高の奴、良いご両親に恵まれてんじゃねーか』
俊介のベッドの上に座って夫婦をじっくりと見ていたバクダンは、静かにそう呟いた。
彼女の姿は日高夫婦に見ることはできない。なので堂々と座っていても大丈夫なのだ。
そして彼女は、ベッドの下の隙間に身を隠している夜桜に対して声を掛ける。
『おーい紗由莉。もう行ったぞ』
「
夜桜が小さく、しかし重い声でそう呟いた。
その声をバクダンはよく聞き取れなかった……聞きたくなくて脳が無意識に拒んだ可能性もあるが、とにかく彼女は夜桜に対して聞き返した。
『え? 今なんて……』
「こんな温かい家が榊浦豊に壊される可能性があるなんて納得できない……
『ま、待って。何をするつもりだ紗由莉?』
「
『返答になってないよ紗由莉ぃ! 何するつもりなの、怖いって!』
おかしなモードに入りかけている夜桜に顔を青ざめさせるバクダン。夜桜が恐ろしいのもそうだが、このままだと七年来の親友がマジでヤバい方向に突っ走ってしまうという焦りもあった。
わたわたと手を上下させながら慌てふためき……何かを思いついたように手を止め、口から言葉を吐いた。
『あ……そ、そうだ! ほら紗由莉、ここには日高の居場所の手がかりを探しに来たんだろ!? いったん怖いことを考えるのはやめて、手がかり探しに集中しようぜ!』
「……ん……それもそうだね」
バクダンの言葉に夜桜の意識が守護モードから通常モードに切り替わる。
たしかに、今は
ベッドの下から音もなく這い出て、暗視スコープを着けなおす。
そして俊介の部屋の中を無音であさり始めた。
……何かを見つけた夜桜が時折、目を輝かせてひっそりと小さい声量で言葉を吐く。
「わぁ、日高君のパンツ」
『見るな触れるなそっと戻してやれッ!』
「いらないよ。もう使用済みのをジップロックに入れて持ってるし」
『おい今口隠してなんて言った?』
「わぁ、日高君の髪の毛」
『まあ……あいつの私室だから当然落ちてるだろ』
「…………」
『…………なんで無言になんの? そんなの摘まむなよ……持つなって紗由莉! ちょっと!』
「わぁ、日高君のデスクトップパソコン」
『どれどれ……おっ、ちょっと型落ちだけど良いの持ってんじゃん。相当凝った自作パソコンっぽいし、人格の誰かがエンジニアだな?』
「パスワードは、これこれこうこう……」
『なんで当たり前のようにパスワード知ってんの?』
「わぁ、私がずっと前に仕掛けた盗聴器」
『は?』
「やっぱ壊されちゃってたか、ずっと通信途切れてたしね。日高君の鞄に上手く仕込んだんだけどな……多分見つけたのは
『は? は? は?』
「でも今までの日高君の様子を見るに、盗聴器のことを日高君は知らないっぽいし……。もしかして、また挑戦してこいってことかなぁ」
『え、サラッと流していいことじゃなくない? 何言ってんの? 何やってんの!? 再挑戦していいわけないでしょ?!?!』
――――そうして捜索を始めてから、約10分後。
げんなりとした表情を浮かべるバクダンは、ベッドに腰掛けたまま夜桜に言葉を投げた。
『ま、真面目に探す気あるの、紗由莉? ……いや真面目に探してるんだろうけどさ、本題と関係ないものを大量発見しちゃってるっていうかさ……』
「…………」
『紗由莉? おーい、紗由莉?』
夜桜は、俊介が普段使う机の引き出しを漁っていた。
そして引き出しの一番上を見ていた時……偶々触れた引き出しの底が、妙な音を鳴らしているのに気づく。
「……引き出しの底を叩くと、ポンポンと抜けるような軽い音がする。……中に空洞がある……?」
『空洞? ……二重底か!』
バクダンの言葉に、夜桜はうなずいた。
そして引き出しの端の凹みに爪を引っかけ、パカリと底蓋を開ける。
音が鳴らないよう慎重に底蓋を取り出したあと、その下にあったのは。
……厚さ3センチほどの、黒い円盤型の機械だった。
銀色のボタンが中央に付いている以外には継ぎ目すら見当たらない異様なフォルム。パッと見ただけでは一体何に使うものなのか想像もつかない。
夜桜には二重底の中にポツンと一つ、この機械だけを隠していた意味は外見からではわからなかった。
「なにこれ」
『……何かの機械っぽいけど、私も詳細はわからんな。でも二重底の下にポツンと一つだけ置いてたってことは、俊介にとってこれは隠す意味がある唯一の物ってことだ』
「…………」
何の証拠も根拠もない。
しかし夜桜は直感していた。
この見たこともない円形の装置が、なにか……今の行き詰った状況を変えてくれる一打になると。
夜桜はその装置を丁寧に懐にしまい、バクダンに視線を向ける。
「帰ろうバクダン、すぐにこれを調べたい」
『ああ』
その会話のあと、夜桜はすぐに俊介の部屋から脱出した。
――――20分ほどが経過したころ。
夜桜はマンションの自室に帰り、俊介の部屋から回収した装置を目の前にしていた。
実家の部屋に置いていた作業台に謎の装置を置き、丁寧に触れる。
「……何かの爆弾だったりする可能性は?」
『分解してみないことには何ともだけど……日高の奴が、爆弾を自分の机に隠すほどの『爆弾好き』には思えないけどな。あと私の根拠なしの直感が『それは爆弾じゃない』ってビンビン叫んでる』
「そっか……」
バクダンは爆発物に関しては人知を超越した天才だ。その分野においては夜桜ですら全く敵わない。
そんな彼女が根拠なしの直感とはいえ『この装置は爆弾ではない』と言っているのだ。
その言葉は十分信用に値する。
「じゃあ……一番気になるのは、これ見よがしについてるこの丸いボタンだね」
円形の装置の中央にある銀色の丸いボタン。
そのボタン以外に操作できるような部分は見当たらない。
必然的に、この装置が何かを探るにはまずそのボタンを触る必要がある。
バクダンがじっと見守る中、夜桜がそのスイッチの表面に指を触れさせる。
『多分大丈夫だけど……油断はするなよ紗由莉』
「うん」
短く言葉を返したあと、カチリと音を鳴らしてボタンを押す。
そしてその瞬間、黒い円盤型の機械の上に緑色のホログラムが音もなく出現した。浮かび上がったホログラムには何かの資料らしきものが大量に表示されている。
『ふーん……ホログラム技術使用の記録媒体だったか。パスワードとか付いてないのか?』
「日高君がとっくに外してるんじゃない?」
『なるほど、そうか』
夜桜は椅子から軽く立ち上がり、ホログラムの画面と目線の高さを合わせた。
そしてホログラムの画面にそっと触れると、質量のある空気に触れているような質感が指の腹に伝わってスクロールすることができることに気づく。
右手の人刺し指を小刻みに動かしてスクロールし、記録された情報を素早く確認していく。
「…………」
『…………』
バクダンも普段から大量の論文を読んでいるおかげか、夜桜の圧倒的な速読にも問題なくついていけている。
そして二人は大量にあったホログラム内の情報を僅か15分程度で読み終えた。しかし流石に目が疲れたのか、瞼の上から瞳を揉みつつ椅子に座りこむ。
『かーっ……あー、流石に早く読みすぎたな。目も頭もいてー』
「……でも、すごく興味深いことが書いてたね」
『だな』
二人が読みつくしたホログラムの資料には様々なことが書かれていた。
それの中でも特に気になったのは、『榊浦豊』と『渦島製薬』の関係。
渦島製薬といえば、国内でも最大クラスの製薬会社だ。
彼の会社は元々大きな会社だったが、ここ十数年で一気に利益を上げて頭一つ抜けた会社へと成長した。
その利益を急上昇させた理由は……国内に流通する『浮遊人格統合技術』の注射薬の完全独占製造・販売。
10歳の子供に浮遊人格統合技術を施すのは国策。国が義務付けたことだ。その薬の独占をしておいて、利益を上げない方が難しいというものである。
無論、法的に薬の完全独占がグレーなのは言うまでもない。
しかし渦島製薬は政府側と協力して、かなり黒寄りの抜け道を使っているという噂だ。
ぶっちゃけ、あまり良い噂は聞かない会社である。
夜桜は好きな会社ではない。
そして、榊浦豊と渦島製薬はかなり密接な関係にある。
……そして……。
「一番ヤバそうなのはこの資料だよね。『渦島製薬 榊浦 豊 共同研究』って奴……」
『やっべー臭いがぷんぷんするぜ……こいつはよ……!』
夜桜とバクダンの両者の危機感知センサーが全力で警鐘を鳴らす資料。
その資料の中には、『浮遊人格統合技術の
一般人では一切読み解けなさそうな専門用語まみれの資料だったが、幸いこの場にいるのはド天才女子高生とスーパー爆弾技師。
文章の内容を理解するのに多少難儀したものの、大きな問題もなく読むことができた。
夜桜とバクダンは件の資料を表示させたまま、顔を向き合わせて会話する。
「人類の進化だとかなんだとか、小難しいことをつらつら書き並べてるけど……」
『肝心なことは全然書いてないな』
「そうだよねぇ……」
資料をスクロールしつつ、何か見落とした情報がないかを探る。
しかし二人でダブルチェックしながら読んでいたのに見落とした情報があるわけもない。
「でも、唯一情報らしい情報といえば……『大量の人格を集める必要がある』ってところ?」
『……うーん。未来革命機関みたいに、人格持ち相手に人体実験でもするつもりなのか……?』
「わかんない。でも、最終段階って奴に繋がる情報は本気で隠してるみたい」
榊浦豊は渦島製薬と関係があるらしい。
だけど、自身の研究内容の全容を明かすほど親密ではないようだ。
色々と話し終わったあと、二人は唸り声をあげながら腕を組む。
俊介が隠し持っていた機械から色々な情報を得ることができた。榊浦豊と渦島製薬の関係、そして榊浦豊が目指す謎の『最終段階』……。
どれもこれも重要な情報には違いないが、今欲しい情報はそれではないのだ。
今夜桜が最も欲しているのは、俊介の居場所に繋がる情報なのである。
「……絶対にここに手がかりがあるって直感があったんだけど……」
『まあ、たかが直感、されど直感だしな。外れることもあるさ』
「うぅ~ん…………」
諦めきれないように、夜桜がホログラムの記録を探り続ける。
なにか隠しファイルのようなものでもないだろうか。そう信じて指を動かし続けていたとき。
突然、彼女はスクロールを続けていた指をピタリと止めた。
「……ん?」
『お、どうしたんだ? 何か見つけたか?』
「違うよ。思ったんだけど、そもそも日高君はこの機械をどこから手に入れたのかなって」
『ん……』
夜桜が疑問に思ったのは……この謎の記録媒体の入手経路だ。
榊浦豊と渦島製薬の関係を示す資料や、榊浦豊の最終段階とやらが記された資料。決定的な部分こそないものの、外部に漏れてしまったらかなり面倒な情報ばかりが揃っている。
こんなシークレットな一品を、俊介は一体どこで手に入れてきたのだろうか?
そんな疑問が彼女の思考に浮かび上がった。
そして、夜桜の疑問にバクダンが小首を傾げて言葉を放つ。
『なんとも言えんなぁ。日高の奴の行動範囲ってぶっちゃけ謎だしぃ? 中の人格が勝手に動くことまで考えると、もうどこで何してるかなんて予測できないっつーかさ……』
「ううん。日高君はその気になれば何でもできる人だよ。でも日高君ってインドア派で
夜桜が作業台の引き出しを開けて無地の紙を取り出す。
そしてペン立てに入っていた赤のインクペンを持ち、キュッキュと音を鳴らして文字を書き始めた。
「この機械に記録されてる情報って、榊浦豊っていうより、どっちかっていうと渦島製薬の記録っぽいよね」
『……まー、多分そうなんじゃないの? もし榊浦豊の研究所からパクってきた機械なら、例の『最終段階』についてもっと詳しく書いてるだろ』
「そうだよね。だから、この機械は多分渦島製薬の誰かから手に入れたものだと思うの」
無地の紙に『日高俊介』と『渦島製薬』の二つの単語が距離を空けて書かれる。
「日高君と渦島製薬。この二つの繋がりを証明できれば、入手経路も何となくわかると思うの」
『ふうん。……いやぁ、実はこういう推理ゲームみたいなのって私苦手なんだよね。恋愛ゲームの方が得意って言うかさ』
「どっちも苦手でしょ」
『えっ』
バクダンの呆けた顔を無視し、夜桜はペンの頭で机をコツコツと叩いて頭を働かせる。
こういう時は『あり得ないこと』から潰していくのが定石だ。そう考えながら、手を動かし始める。
「とりあえず、日高君が渦島製薬本社に乗り込んでぶんどってきた……てのはナシかなぁ」
『なんで?』
「未だに因縁深い榊浦研究所を塵にしてないのに、もっと関係の薄い渦島製薬に攻め込むのは考えにくいかなって。人対とかのリスク的にさ」
『ううむ。まあ、確かに』
もし夜桜が俊介の立場なら、渦島製薬より先に榊浦研究所を潰すだろう。
危険そうな研究も潰せる上に、榊浦親子も倒せて一石二鳥。初っ端から渦島製薬を狙う意味は薄い。
となると……。
最初から狙ってたわけではなく、
でも、一体どこでこんな物と偶々遭遇できるのだろうか?
「日高君はたまたま、どこかで渦島製薬の人間と出会った。そしてこの機械を手に入れた。……ううん、でもそれって何処だろうね」
『ちょっと思ったんだけど』
「ん?」
『日高の奴ってわかんないことがあったら躊躇なく人に相談するだろ? でも紗由莉と私は今までこんな機械まったく知らなかったわけよ』
「うん」
『つまりさぁ……日高と私達が
「!!」
……確かに……!
バクダンの言う通り、日高君が私と仲良くなった後でこれを手に入れていたら、一言くらいは相談してくれるはず……!!
でも私達がこの機械のことを微塵も知らなかったってことは……。
日高君がこれを手に入れたのは、私が日高君と仲良くなる前ってこと! それで多分相談する機会を見失ってたんだ!
しかしまずの前提として、日高君は可愛いくらいのシャイだ。
一定以上に仲良くならないと、こういった機械を手に入れても相談してはくれない。
生まれた時から一緒だったら行動すべてを監視出来て楽だったのに……。
……コホン。とにかく。
この機械の入手時期は、私と日高君が蜜月の仲になった時より前。
それはつまり……。
「……私が
『私があの伝説のアッパーを決めてやった日だな!』
日高君が私を浜辺まで連れて行ってくれた日。
私が私の人生を終わらせようとして、逆に宝石のように輝かしい未来を手に入れることができた日。
あの日から私達は、一線を越えて仲良くなることができたのだ。
「考えろ、考えろ私……! 頭の中から答えは出かかってるはず……!!」
日高君が学校の企業説明とか、インターンシップみたいな形で渦島製薬と関わったとか?
……いやいや、あり得ないだろう。
彼は人対に身バレするのを何よりも恐れていた。そんな彼が浮遊人格統合技術の注射薬を作っている会社に自分から接近するはずがない。
じゃあ、日高君の親族に渦島製薬の人間がいたりとか?
……ないね。前に(勝手に)身辺調査したけど絶対にない。これはナシ。
なら、旅行先!
日高君がたまたま出かけた旅行先で渦島製薬の人間と出会……った……。
「旅行……旅行……旅行……?」
釣り針に何かが引っかかったような、軽い手ごたえが伝わった。
証拠も根拠もない。だが答えに一番近づいているような感覚が脳内を駆け巡っている。
日高君が旅行。
インドア派の彼が旅行? 家族と行ったの?
いや、日高君のご両親は忙しくてなかなか旅行にはいけていないはずだ。最後に行ったのは小学生の時のはず。
となると、可能性が大きいのは日高君のソロ旅行。
直近で、日高君が行った旅行と言えば…………。
「……『
そう呟いた瞬間、思わず全身に鳥肌が立った。
頭の中を行き先しらずとさまよっていたピースが一瞬にして全て当てはまっていく。脳に滞留していたどんよりと重い空気が一斉に新鮮なものに入れ替わっていく。
「そうだよ、折川旅館だよ! なんで忘れてたの私!? 私が紹介してあげた旅館なのに!!」
夜桜はスマホを取り出し、数か月前に見たニュースをネットで検索する。
お目当ての記事は勿論『折川旅館での殺人事件』について。
インターネットの力は偉大であり、夜桜が思い立ってからものの数秒で件の事件の記事はヒットした。
すぐにニュース記事を開くと、夜桜の見立て通りの文章が書かれている。
「『製薬会社に勤務する男性の殺人事件』。『犯人は女将』……。……これだ……!!」
スマホを握りしめながら、夜桜は紙に赤ペンで大きく『折川旅館』と書く。
これが何に役立つ情報なのかは断定できない。
未だに真っ暗闇の霧の中をかき分けているような気持ちだが……確かに言えることはひとつ。
私は今確実に、一歩前に進むことができた。
夜桜が思わずガッツポーズをする傍らで。
バクダンがスマホのニュース記事を覗き込み、言葉を吐く。
『折川旅館……。懐かしい名前が出てきたな。でも、あそこって確かもう潰れたんだろ?』
「ああ、うん。女将さんが殺人事件を起こして、お客さんが全く来なくなってそのまま……」
『それは、まあ仕方ないな。私も女将が殺人事件起こした旅館に泊まりたくないもん』
不躾だが、夜桜もバクダンの言葉にうなずいて同意する。
本来客をもてなす立場の女将が客を殺してしまったのだ。宿泊客が誰一人来なくなってもなんらおかしくはない。
夜桜はなくなってしまった雰囲気の良い旅館に思いをはせつつ、言葉を紡ぐ。
「……けど、私は折川一家さんとは関係があったからね。あの人達が今どこにいるかも知ってるんだ」
『ああ、そういえばそうだな。……って、今の居場所まで知ってんの?』
「うん」
夜桜の祖父は、折川旅館の近くにある温泉街で小料理屋を営んでいる。
そして夜桜もまた、連休や長期休みなどの暇を見てその小料理屋で軽いバイトのような物を行っていた。実家では使用人がいるので料理などする必要はないが、せっかくの料理の才能をさび付かせるのはもったいないだろうと思っての行動だ。
そして折川一家は、祖父の小料理屋の常連だったのだ。
夜桜が働いているときも、あの家族は三人揃って料理を食べに来ることがあった。そのおかげで彼女は折川一家とそれなりに親密なのである。
「一度……話を聞きに行った方がいいかもね」
次なる手掛かりを探すため、夜桜は彼女と再会ついでにあの事件の日のことを聞きに行くことを決意する。
折川一家で夜桜と最も親密だった、朗らかに笑うあの少女。
――――『折川結城』と。
「…………」
夜桜は、幼い少女に母が殺人事件を起こした記憶を聞きに行くことに申し訳なさを感じた。実母が殺害事件を起こしてショックを受けていないはずがない。思い出すのも辛いはずだ。
だがしかし……今の夜桜には、いなくなってしまった俊介の方が大事なのだ。
彼のためならば、少女に悲しい記憶を問いただすことに躊躇はない。
それに、折川結城は『人格持ち』だと言っていた。
その人格がどういう人物かは知らないが、その人に事件について聞けば何か新しい知識が得られるかも……。
「…………ッ」
……だが、そうは言っても。
やはり仲が良かった少女に、辛い思い出を呼び起こさせるのは歯がゆいものがある。
だが今は彼女に聞くくらいしか次の手がかりを探す手段がない。
……いくら天才ともてはやされても。
自分ひとりで出来ることなど限られているのだと、今更ながらに再確認させられた夜桜だった。
あんなガバガバ殺人事件の折川旅館に一体どんな謎が潜んでいるんだ……!?
-Tips-
黒い円盤型の機械
『#30 廃ホテルにて』に初登場。
折川旅館からの帰り際、突然襲ってきた武装部隊から俊介が奪い取った機械。その正体はホログラム技術が使用された記録媒体であり、榊浦豊と渦島製薬の関係についての証拠が記録されている。
ただ、この機械を手に入れたころの俊介にはいまいち使い道がなかった。
しかし捨てるのもどこか勿体なく、万が一親に見つかっても面倒なので、二重底の引き出しに放置していた。
数か月に渡って放置されていたその機械は、夜桜が偶然再発見することで新たな手掛かりとなった。