俊介の家に忍び込んだ、翌日――――。
夜桜は学校を休み、とある車に乗っていた。
黒曜石の様な深い黒に包まれた外国産の高級車。日本円にして云千万は下らない代物である。
後部座席は白い本革張りの対面シートになっており、運転席とは防音性のある壁で区切られている。運転席と後部座席を繋ぐ連絡手段は小さなモニターのみである。
移動式の防音会議室、と言っても遜色ない車の中。
夜桜は後部座席の対面シートの一席で足を組み、隣に座るバクダンに話しかけた。
「……日高君が刑務所にいる現状、やっぱり一番気がかりなのは日高君のご両親だよね」
『そうだな。アイツが家にいればなんだかんだ大丈夫だろうけど、今はいないし……』
夜桜はバクダンの方を向いて軽く頷く。
そして静かな声色で言葉を続けた。
「そして、榊浦豊が無防備な日高君の両親を狙ってくる可能性が高い……いや、もし私なら確実に狙う。未来革命機関で出会った従者に命令でもしてね」
『従者って……あの榊浦美優の研究結果を盗んでった奴?』
「うん。私ならどうにもできるけど、一般人のご両親には到底太刀打ちできる相手じゃない」
彼女の脳裏に思い浮かぶのは、銀色のアタッシュケースと拳銃を持ったスーツ女の姿。
未来革命機関に単身で乗り込んできた榊浦豊の従者である。夜桜ならどうにでもできるが、一般人を数人殺す程度なら容易いほどの実力は持っていた。
「それに……人の顔を滅多に忘れない私が、あの従者の顔だけは全く思い出せないの。あの女の顔にだけもやがかかってるみたい」
『……別に、顔を思い出せないくらいはあんまり問題なくない?』
「問題ないわけがないでしょ。あんな強烈な敵の顔を思い出せないなんて明らかに異常だよ」
『ん、んん……それもそうか。私もこの状況に混乱してちょっと頭が回ってないみたいだな……』
頬に一筋の汗を流すバクダンが、隣に座る夜桜から正面に視線を移す。
二人の対面、運転席側のシートに座る男女。夜桜とバクダンがそれなりの声量で会話していても目覚める気配はなく、すうすうと寝息を立てている。
目の前の二人を見ながらバクダンは眉を八の字にして、声を出した。
『……ま、まさか、私達が
「大丈夫。二人の吸った睡眠ガスは安全なものだよ。万が一のために、前後の車に医者も乗ってるしね」
『そういう問題じゃなくてな紗由莉?』
夜桜が日高のご両親を拉致した方法は至極単純である。
朝食のためにリビングに集まった二人がエアコンの冷房を起動させた瞬間、無色無臭の睡眠ガスが噴射して充満する。それで眠った二人を車の中に運び込んだだけである。
ちなみに、エアコンに睡眠ガスが噴射される機構を仕込んだのは夜桜だ。
両親が寝静まった深夜3時頃にもう一度日高家に忍び込み、こっそりと仕込んだのである。何を当たり前のように一夜のうちに2回も侵入しているのだろうか。
そして、バクダンは頭をポリポリと掻きつつ夜桜に話しかける。
『倫理観とか……遵法精神とかさ』
「それらを捨てて日高君のご両親を守れるなら私は躊躇なく捨てる」
『う、ううん……。そこまでガンギマった覚悟だと、私も強く言えなくて困るんだよな……』
困ったような表情を浮かべるバクダン。
それに対し、夜桜は畳みかけるように言葉を投げかける。
「榊浦豊の手から日高君のご両親を守る。でもあの男は日本政府とぶっといパイプを持ってるし、国内じゃ私がフルに力を使っても守り切れる自信がない。っていうか多分無理」
『それはそうだけど……』
「ただ、国外なら榊浦豊の影響も日本よりは少ない。それなら私……いや、
真剣な面持ちでそう述べる夜桜。
今回、彼女だけの財力では日高の両親を外国まで秘密裏に拉致ることは不可能だった。
だから昨日父に言われた通り、夜桜家の力を
しかし『利用』とは言えども、家の力を使ってしまったのだ。これで家に借りを一つ作ってしまったことになる。
その借りが一体どういう形になって返ってくるかはわからないが……将来の義父母を守るためには仕方ない。甘んじて受け入れることにしよう。
倫理観や道徳は既に何処かに忘れてきた夜桜は、少しだけ視線を下げながら次の言葉を口にする。
「……唯一の懸念点は、日高君のご両親の精神面なんだけど……」
『ま、まあ、突然拉致られた上……たしかヨーロッパだっけ? そんなところに連れていかれたら混乱もするわなぁ。ただでさえ息子がいなくなって不安がってるだろうに』
「私もそれは分かってるの。だから、ご両親が心を病まないように色々カバーストーリーを考えた結果……『犯罪組織から二人を
夜桜が強い口調でそう言い切る。
それを聞いたバクダンは顎に手をあて、少しの間考え込んで理解しようとしたが……小首をこてんと傾げて夜桜に聞き返した。
『……どゆこと?』
「ほら。今、日高君のご両親は私たちの目の前で眠ってるじゃん?」
『眠ってるっつか眠らせたんだけどな。……それで?』
二人は正面に視線を向けつつ、話を続ける。
「ご両親が謎の犯罪組織に狙われて、国外まで誘拐されたところを夜桜家が救出! 国に帰すのも危険なので、そのままヨーロッパのとある孤島で保護するって流れにしようと思うんだけど……」
『ははあ。つまり
「そうとも言う」
『うーむ……』
バクダンは腕を組んで軽く唸り声を出す。
軽く聞いた話だけでは、色々なところに穴があるような気もするが……。
今更細かい穴をちくちく指摘したところで、もう誘拐しちゃってるから後戻りもできない。それに夜桜のことだから、そういう細かい穴は指摘するまでもなく潰し回っているだろう。説明がめんどくさいから省略しているだけで。
『いやぁ、でも、誘拐ってなぁ……』
誘拐の合理性には納得しつつも、倫理観的に未だ納得のいかない様子のバクダン。
そんな彼女に対し、夜桜は多少視線を下げながら重い声色で声を出す。
「……でもね、やっぱり私も少し迷ったんだよ」
『! ……そうだよな。そりゃ、こんな大それたことををするのに迷わないわけ――――』
「日高君のご両親、ヨーロッパじゃなくてアメリカの方が好きだったかなって」
『そっち?!』
思わず身を乗り出して突っ込むバクダン。
体全体を捻るように俊介の両親と夜桜の間で視線をきょろきょろさせつつ、わたわたとした様子で言う。
『そ、そういう問題じゃないだろ?! ヨーロッパとかアメリカとか関係ないって!』
「そういう問題だよ。だって大事じゃない?
『いやいや、誘拐先なんて関係ない……ん? 暮らす? 一緒に? 何言ってんの?』
バクダンが困惑に染まり切った顔を浮かべ、夜桜と視線を合わせる。
すると夜桜はふふっと口に手を当てて軽く笑い、呆けた顔を浮かべるバクダンに対して優しい声を掛けた。
「だって全部終わったら私も移住するもん。ヨーロッパ」
『え?』
「日高君を刑務所から助け出すのは当然だけど、脱獄囚になったら流石にもう日本では暮らせないでしょ? だから外国で義父母さんと仲良く暮らそうかなって」
『えっ』
「あ、榊浦親子は怖いからちゃんと潰していくよ」
『えっえっえっ』
衝撃的すぎる言葉のマシンガンにバクダンが混乱して同じ単語を口から漏らす機械になりかけた時。
夜桜は窓の外に目を向け、「ん」と声を出した。
「やっと見えてきたね、空港」
『……紗由莉……』
「ん?」
『私、ヨーロッパ行ったらルーブルなんたらってところに行ってみたいわ……』
「え? 行ったことあるけど……ああそうか、アレは7歳のころだからバクダンはまだいなかったんだね。全然いいよ~」
夜桜のブレーキの緩む速度にだんだんと追いつけなくなったバクダンは。
『まあ、外国に移住したらしたで楽しむか……』と半ば諦めるように思考を放棄した。
――――空港到着後、夜桜は車の中から連れてきた使用人たちに指示を飛ばした。
俊介の両親は眠らせたままヨーロッパまで運ぶ。しかし他の乗客が乗る普通の航空便では、二人を眠らせたまま飛行機に乗せるのはたとえファーストクラスであっても難しい。
よって夜桜は事前に手配していたプライベートジェットに二人を運び込ませた。それなら他の乗客の目に映ることはまずないし、色々と隠蔽もしやすい。
そして、数人の使用人が素早い行動をするのを車中で見守る夜桜たち。
二人は窓の外を見やりながら落ち着いた声色で会話をする。
『……夜桜家って意外にも自前の飛行機は持ってないんだな』
「持ってないよ。お母さん以外は国外に出る機会が少ないのに、そんなの買っても仕方ないしね。急ぎの用事なら都度都度プライベートジェットをレンタルするので十分」
『ふーん。金持ちの感覚ってのはわからんなぁ……』
「もう7年も一緒にいるのに何言ってるの?」
『いや、前世の貧乏感覚を引きずっちゃっててさ。前の世界じゃパンにソーセージ1本を挟むか挟まないかで30分近く悩んだこともあんだぜ』
バクダンが『結局そのパンは食う前に用水路に落としたけどね』と言いながら肩をすくめる。
それを聞いて夜桜はくすくすと口元を手で押さえるようにして笑った。
車内に和気あいあいとした空気が流れる中、それを断つようにコンコンと窓を叩く音が響く。
夜桜が窓に目を向けると、そこには夜桜家の使用人の一人が立っていた。細身な体つきをした白髪交じりの初老の男だ。
窓を開けると、使用人は一度頭を下げて恭しく言葉を発する。
「お嬢様。お二方を飛行機の中にお運び致しました。他の者達も所定の位置についております」
「そう。じゃあ、ここからの動きは事前の打ち合わせ通りにお願いね。何があっても日高君のご両親の安全を最優先にして」
「承りました」
再び一礼した使用人は俊介の両親を乗せた飛行機に向かっていく。
プライベートジェットには医者2人、信頼できる使用人3人、そして両親2人の計7人搭乗する。そしてヨーロッパの孤島に運び込んだ後、夜桜が考えたカバーストーリー通りに両親を説得して保護するのだ。
夜桜は運転席と繋がるモニターを起動させ、車を発進させるように言う。
そしてごうるると獣が唸るようなエンジン音が響いた後、車が動き出した。一切の振動なく進む車の中から窓の外に広がる快晴の青空を見ゆる。
車が発進してから10分も経たないうちに、一筋の白い線を作りながらプライベートジェットが飛び立っていった。
次第に小さくなるその姿を、角を曲がり、建物の向こうに隠れるまで夜桜は無言で見ていた。
「…………」
『……ちょっと、緊張してる?』
バクダンが心配げにそう声を掛ける。
しかし、夜桜は首を横に振って否定した。
「いや……緊張とは違うかな」
『じゃあ、怖いのか?』
「それも違う。これは、多分……」
そこで一度息を吸うように、言葉を留め。
夜桜は鋭い視線を空に向けながらぼそりと呟いた。
「背水の陣を敷いたような『覚悟』だよ」
空には、歪みのない一筋の雲が伸びていた。
――――およそ10時間後。
時刻が17時を指し示すころ。
夜桜は百貨店で購入してきた高級ケーキの箱を片手に、とある民家の前に立っていた。
閑静な住宅街の中では少し珍しい、オレンジ色の外壁をした2階建ての家。
庭には家庭菜園のプランターがずらりと並んでおり、青々しい葉が夕日の紅い光を全身に浴びている。もうすぐ収穫できそうなトマトがいくつも実っているのも見えた。
……そして、その家の壁に設置されたインターフォンの上には。
『折川』と刻まれた大理石の表札が掛かっていた。
「…………にっ」
夜桜は無意識のうちにこわばった顔を手でほぐし、にこりと明るい笑顔を作る。
そしてインターフォンを人差し指で軽く押した。
家の中にピンポーンと小さく音が響いたのが聞こえる。
そして10秒ほど経ったあと、インターフォンのスピーカーからガチャリと受話器を取った音が鳴った。
『はい。どちら様ですか?』
少しだけ警戒するような声色。
それに対し、夜桜はそっとインターフォンに口を近づけて優しい声色で言葉を放つ。
「突然お訪ねしてすみません。私、夜桜紗由莉と申します。……結城ちゃん、久しぶり」
『……えっ! あ! 紗由莉お姉ちゃん!? ちょ、ちょっと待ってください!』
スピーカーからガチャリと受話器を置く音が響く。
そして家の中からどたどたと急いで歩くような足音が聞こえた後、玄関扉が勢いよく開け放たれた。
「さ……紗由莉お姉ちゃん! お、お久しぶりです!」
「うん、久しぶり。ごめんね、引っ越し先知ってたのになかなか挨拶に来れなくて」
「そんな、全然……!」
折川結城が手と首を横に振って謙遜する。
相変わらず、10歳にしてはしっかりした受け答えをする女の子だ。
そう思った夜桜は口角をわずかに上げ、手に持った高級ケーキの箱を彼女に手渡した。
「これ、つまらないものですがどうぞ」
「わぁ……これ、ものすごく高いケーキじゃないですか……! い、いいんですか?」
「いいんだよ。ね、結城ちゃん……少しお話したいし中に入ってもいい?」
「どうぞどうぞ! 紅茶淹れますね!」
折川は顔に浮かんだ喜色を隠し切れないまま、家の中へと急いで入っていった。
彼女は甘い物には目がないのだ。夜桜はそれを知っていたからこそ、今回のケーキをお土産にチョイスした。甘い物相手に喜びを隠し切れないところは10歳の少女らしくもある。
……このまま
「お邪魔します」
静かにそう言いながら家の中に入り、綺麗に靴を脱ぐ。
家の中に入ってすぐ伸びている廊下の突き当たりの扉。それを開けると小広いリビングがあり、台所では折川が台に乗って紅茶を入れていた。
「紗由莉お姉ちゃん、どうぞ好きな場所に座っててくださいね。すぐに紅茶をお出ししますから」
「ありがとう。それじゃあ失礼するね」
夜桜はリビングにあった食卓の椅子の1つに腰掛ける。
そして数分もしないうちに、ティーカップに入った紅茶とお土産のケーキが二人分運ばれてきた。折川は紅茶とケーキを夜桜の前に音もなく置いた後、対面の椅子に腰かける。
お互いに椅子に座って落ち着いたあと、折川が喜んだ様子で声を発した。
「本当に久しぶりですね! えーと、どれくらいぶりでしょうか……?」
「多分数か月くらいかなぁ」
「そうですか……それくらいになるんですね」
折川はコップの持ち手を撫でるようにしながら、寂しそうな声色でそう言う。
夜桜と折川が最後に会ったのは、折川旅館で殺人事件が起きる一週間ほど前のことだ。夜桜と最後にあった時期を思い出すつもりが、母である女将の殺人事件を思い出して悲しくなってしまったのだろう。
折川は目線を下に落とし、夜桜がお土産に持ってきたケーキが視界に入る。
ゆったりとした動きでケーキの先をフォークで掬って口に運び、そのおいしさに目を輝かせた。
「ん~! おいしいですね、このケーキ!」
「そう? 実は私もまだ食べたことないんだ。ひだ……
「……ええっ! 恋人!? 紗由莉お姉ちゃん恋人ができたんですか?!」
『その日高関連で当たり前のように嘘つく癖やめたら……?』
目をカッと見開いて驚く折川。それとは対照的に、呆れたような顔を浮かべるバクダン。
別に近い将来には恋人になるわけだし。
これから日高君と一緒にいる期間を考えたら、少し先取りして恋人を名乗るくらい誤差みたいなものだし。
だからこれは全然問題ない。
夜桜がバクダンに向けた視線を外し、折川の方に顔を向け直した時。
彼女は自身の左側――――
「……え?」
「もしかして、人格と会話してるの? 結城ちゃん」
「は、はい……すみません。……え、それってどういうこと? 『
彼女が呟いた『マオ』という名前に対し、夜桜はピクリと反応した。
……実のところ、夜桜は折川結城の中にいる人格の詳細を全く知らない。一般人の人格なのかも、何かの専門知識を持った人格なのかも、強力な人格なのかもわからない。
ただ『人格持ち』ということだけしか知らないのだ。
だが、人格以外の折川結城に関する情報は事前におおよそ調べ上げている。
その調べた情報の中のひとつに、『マオ』という名前でアイドル活動をしているのも当然含まれていた。
(人格の呼び名も、アイドル名も『マオ』か……。結城ちゃんの中にいる人格がアイドル活動をしているのか?)
夜桜は折川の会話が終えるのを待ちながら、静かにそう考える。
そして――――およそ3分が経った頃。
ようやくマオなる人格との会話が終わった折川が夜桜の方に顔を向けなおした。
しかしその顔は先ほどまでの明るいものとは異なり、緊張と警戒でこわばった表情を浮かべている。
「あの、紗由莉お姉ちゃん……」
「ん?」
折川は眉間にしわを寄せ、警戒を隠さないまま。
「ひ、
「ッ!?」
夜桜にとって衝撃的な一言を吐いた。
予想外すぎる言葉に思わず表情が崩れ、折川にそれが真実であるという確信を与えてしまう。
(……日高君のことを知っているのはまだいい。でも、日高君が刑務所にいることを知っているのは確実におかしい……。一体なんで知ってるの……?)
崩れた表情を瞬時に整えながら夜桜は思考を回す。
そして……彼女の聡明な頭脳は、先ほどまで会話していた『マオ』なる人格が原因かもしれないという推察を立てた。
しかし、これはあくまで推察で証拠を揃えた上で導き出した答えではない。
何としてでも、なぜそんなことを知っているのかを問いたださねば。
「…………」
「…………」
折川と夜桜が静かに見つめ合う。
リビングに設置された時計の秒針が進む音が大きく響くほどの静寂。
互いに、この先の会話がのっぴきならないものであるという確信を抱きながらも。
両者は次の言葉を発するために、空気を軽く吸った。
夜桜父
・一代で作り上げた企業グループの会長
・超お金持ち
夜桜母
・超有名モデル
・基本海外飛び回ってる
夜桜紗由莉
・突然変異にもほどがある超天才女子高生 できないことがない
・美人
・細身かつ身長は160センチくらいと母親のスタイルだけは遺伝しなかった
なんだこの一家……