折川旅館の跡地に立つ謎の建物。
その北側にある高さ4メートル程度の荷物搬入口に2トントラックが徐行しながら近づいていた。
搬入口は銀色の頑丈なシャッターで閉じられており、トラックはそのシャッターの数メートル手前で停車した。
すると搬入口のすぐ横にある守衛室から真面目そうな顔つきの警備員が歩き出てくる。
トラックの運転手は手慣れたように窓を開け、運転席の横まで来た警備員に顔を向ける。
警備員はトラックの外見と運転手の顔をじっと見た後、定型文のような言葉を吐く。
「セキュリティカードの提示をお願いします」
「はい~。お互い朝4時から大変っすね……どうぞ」
「……確かに」
カードの内容を確認し、運転手にそれを返す。
そして警備員は守衛室に若干の早歩きで戻り、シャッターを開けるボタンを押した。擦れ合う音を鳴らすシャッターが完全に開き切るのを30秒ほど待ち、トラックが再発進する。
シャッターの向こう側では、朝4時だと言うのに多くの人が声を出しながら働いていた。
パレットに載せられた段ボール箱が規則正しく並び、フォークリフトが駆動音を鳴らして何台も行き交っている。段ボール箱の殆どには業界では有名な研究資材メーカーの名前が刻まれていた。
「…………」
無言のまま周囲の様子を窺う夜桜。
彼女は先ほど入ってきた2トントラックの下に蜘蛛のごとく張り付き、建物内部への潜入を成功させていたのだ。
額に装着した小型カメラの電源を入れ、辺りを録画しながら考える。
(……わざわざ折川旅館を潰してまで巨大倉庫を作った? いやいや、交通の便が悪い山奥に作らないでしょ……)
折川旅館は辺鄙な山の上に建っていた。
山のふもとの温泉街は道が整備されているが、折川旅館に至るまでの道は殆ど整備されていない。トラックが通れるような道を作るには、割と洒落にならない額の金が必要になる。
それに巨大倉庫を作るためには、山の木々を切り倒して整地するためのお金も必要だ。
一千億は軽く超える莫大な金額を費やして、ようやく完成するのが辺鄙な山奥にある巨大倉庫?
……どう考えたって何処かの都市の土地を買い上げて倉庫を作った方が長期的に利がある。渦島製薬は今や国家戦略とも言える『浮遊人格統合技術』の薬を一手に製造するやり手の会社だし、そんな意味不明な企業戦略を行うようには思えないんだけど……。
夜桜がそう考えていると、トラックの傍で周囲を見ていたバクダンが声を掛けてきた。
『紗由莉、紗由莉。あっちの方にデカい貨物用エレベーターが見えるんだけど……この建物、天井まで吹き抜けなんだよ。怪しいと思わないか?』
「…………」
貨物用エレベーター?
この建物はバクダンが言ったように、天井まで吹き抜けの巨大倉庫になっている。
となると、エレベーターの繋がる先は……『
(地下か……)
夜桜は眉間にしわを寄せる。
貨物用エレベーターに忍び込むのは容易い。だが、問題は地下を探索中に見つかってしまった時だ。
地上にある建物ならば窓から簡単に逃げられるし、最悪爆弾で壁をぶっ壊して逃げてもいい。
だが地下となると逃げ道は必然的に絞られる。捕まってしまう可能性もおのずと高くなるのだ。
それに渦島製薬は榊浦と深く繋がっているという証拠もある。
しかもここは折川旅館をわざわざ潰し、多額の金を費やしてまで作りたかったほどの
最悪、見られてはいけない物を見たとして始末される可能性も存在する。
……しかし……。
本当に大事なものがあるとすれば……やはり地下だ。
日高君に繋がる情報が存在するとすれば、もっと奥深くに潜った先しかない。
(……日高君は危険な刑務所で頑張っているんだ。私が地下に行くくらいでビビってどうするの……!!)
夜桜は息を静かに深く吐き、心を整える。
そして覚悟を決めたように目つきを鋭くし、トラックの下から這い出た。
『紗由莉、エレベーターはあっちだ』
バクダンの誘導に従い、貨物用エレベーターの方に身を隠しながら進んでいく。
日高君の中にいる
貨物用エレベーターの中に置かれた荷物の台車の隅に身を隠し、息を潜め、動き出すのを待つ。
そして15分も潜んでいると、エレベーターの扉がぎぃぎぃと金属の擦れる音を鳴らして閉まった。
荷物の詰めすぎで息が苦しくなるようなエレベーター内で到着をひっそりと待ち続ける。
重力に従って落ち続ける状況が3~4分は続き、いい加減体の感覚がおかしくなりそうになった時、エレベーターの扉が何の予告音もなくガラガラと開いた。
「……うわ、今日荷物多っ。何で?」
山のように積みあがった荷物の向こうから、男の声が聞こえてくる。
恐らく地下にいる職員だろう。
そしてもう一人いたであろう職員が仕方なさげな声色で言葉を返す。
「ほら、今日
「ああそういうこと。……荷運びするために
「そんなの僕もそうですよ。まあ、頑張りましょう」
職員2人が会話を終え、荷物を無言で運び出し始める。
そして荷物が段々と少なくなり始めたところで、夜桜は職員がいないタイミングを見計らってそっとエレベーターから脱出した。
エレベーターの外はよく掃除された狭い部屋だった。両開きの大きい扉と、片開きの扉。
「…………」
『……あ、紗由莉! 上!』
「?」
身を隠せそうなところがないか探していると、傍にいたバクダンが天井を指さした。
夜桜もその声に従って顔を上げる。
そこには換気や通風用に使われる銀色の角ダクトがあった。地下深くの施設ということで大量の空気を供給する必要があるからか、身を縮こまらせれば通れなくもない大きさである。
……あの中に入れれば、身を隠しながら施設中を移動できそうだ。
『でも天井のダクトまで3メートル近くあるな……。脚立でもないと届かな、え、紗由莉?』
バクダンが天井を見上げながら呟く横で、夜桜は足に力を籠める。
そして軽やかな動きで高く跳躍し、壁を足で蹴って二段ジャンプを行った。右手の指先でダクトの端を掴み、裾から
「なんだ今の音?」
「荷物が崩れたんじゃないですか?」
壁を蹴った音に、荷物を別の部屋に運んでいた職員が反応する。
バクダンが近づいてくる足音の方向に焦ったような視線を向ける。しかし夜桜は一切動じず、万能ツールでダクトのフィルターを開いて素早く身をねじ込ませた。
キィッという音と共に、両開きの扉から先ほどの職員二人がエレベーター前に戻ってくる。
「なんか崩れた荷物あるか?」
「……いや、見当たらないです。気のせいですかね?」
「うーん。俺はここの担当ばっかだけど、他にも貨物用エレベーターは幾つかあるらしいし……それが到着した音かもな」
「ああ~、かもですね」
二人の男は先ほどの異音に自分から納得できる理由を見つけたらしい。
エレベーター内に残った荷物の残りを確認し、疲れの混じったため息を吐いた後、両開きの扉の向こうへ再び消えていった。
その背中を見つめていたバクダンが、安心したように胸をなでおろす。
そしてダクトの中から部屋を見下ろす夜桜に視線を向けた。
『……壁ジャンプするくらいはもう驚かないけどさ。音には気を付けなきゃ危険だぞ、紗由莉』
バクダンの言葉に夜桜は謝罪のハンドサインをする。それからダクトの先に目を向けた。
角ダクト内に照明はないが、フィルター越しに部屋の光が入り込んでいるおかげで意外と視界に問題はない。多少狭いが這って進むこともできそうだ。
夜桜は音が鳴らないよう、慎重にダクト内を匍匐前進で進み始めた。
「…………」
地下施設の地図とダクトの構造をメモに書き留めつつ、進むこと10分。
夜桜は施設の広大さと自分のメモ帳の小ささにイライラしかけていた。
(何この施設……!? いくら何でも大きすぎでしょ! 折川旅館が潰されてから数ヶ月しか経ってないのに、どれだけ大きい施設を作ってるの?!)
予想以上の大きさに戸惑いながらも、夜桜はダクトを進み続ける。
そして目の前に部屋の中が覗けそうな隙間があるのが見えた。気を付けながらゆっくりと近づき、隙間に目を近づける。
部屋の中には大型の研究設備が整然と並んでいた。
夜桜もあまり見たことがない機器ばかりだが、どれもこれも尋常じゃなく高価なのだけは理解できる。
人の気配は何処にもなく、機械の駆動音が静かな部屋に響いていた。
「……バクダン。部屋の外を見張っておいて」
『はいよ』
夜桜は小声でバクダンに頼みごとをしたあとに万能ツールでフィルターを開ける。
そして無人の研究室に降り、匍匐前進で凝り固まった筋肉を伸びをしてほぐす。それからすぐに部屋の中の探索に移った。
「……成分解析をしてるのか……?」
稼働したままの機器を重点的に見ていくが、夜桜ですら『何かの成分解析を行っている』ということしか分からない。
この研究室に揃えられた設備の全てが専門的すぎるのだ。
おそらく異世界由来の技術も使われている。
扉の前を見張っているバクダンに聞いても、多分『よく分からない』という言葉が返ってくるだろう。
まあ……現状で分からない物をあれこれ考えても仕方ない。
機器の型番とメーカー名だけをメモしておいて、後で詳細を調べることにしよう。インターネットの力は偉大だ。
(ここで一番気になるのは……わざわざ高級な機器で『何を調べているのか?』ってことだよね)
高い研究設備を地下深くに運ぶなんて七面倒くさいことをするほど、秘密裡に調べている物。
でも……一体何を調べているんだろう?
折川旅館跡地に巨大な地下施設を作ってまで調べたいものって……。
夜桜が稼働している機器に顔を近づけ、ガラス越しに成分解析中の物体を見る。
「…………っ」
機器の中にあったのは、指先程度の大きさをした『黒い欠片』だった。
深淵まで続く穴を覗いているような、見ているだけで薄ら寒い感覚が背筋に走る漆黒のそれ。
質感から金属の類だと分かる。しかしそれ以外は何も分からない。
(……渦島製薬が、冶金の分野にも手を出し始めた? いや、そんな生易しいものなのかな、
夜桜は本能で察知していた。
目の前にある金属片は、『人間が近づいていい物体』ではないということを。
発達した社会文明によって醸成された倫理観から来るものではなく。
抗いようもない根源的恐怖が今にも心臓を握り潰そうとしているのを、理性よりも深い本能で感知していた。
「…………」
機器の中から成分解析中の金属片を取り出すのは容易い。
が、しかし、これには『
夜桜は空調が効いた室内ながら脂汗を額ににじませる。
機器から顔を離し、一歩後ずさったその時。
『やべぇ紗由莉! 人が来た……っていうか、ヤバい奴が来た!!』
「!」
バクダンが扉の外から頭だけを透過させてそう叫んだ。
それを聞いた夜桜は脊髄反射で飛び上がり、開いたままのダクトに飛び込む。そしてフィルターを素早く閉じたあと、息を潜めて室内を観察する。
「……日高俊介が重人格犯罪者専用刑務所に入ってしまったのは想定外だった。まったく、困ったものだ……」
扉を開けて研究室に入ってきたのは――――『
思わず声が出そうになるのを、咄嗟に両手で口を押さえて防ぐ。
バクダンが言っていた『ヤバい奴』とは榊浦豊のことだったのか。
思わぬ人物の登場に動揺しつつも、額に着けたカメラで録画を続ける。
「ふん、計画が手ぬるいからそうなるのだ。さっさと家族を拉致って、言うことを聞かせればよかったものを」
「……私が使える権力も万能じゃない。分かるだろう、
榊浦豊に続くように入ってきたのは、日本刀を腰に携える妙な女だった。
身長が175センチ近くはあり、絹のような銀髪を腰のあたりまで伸ばしている。目じりが吊り上がった三白眼の目つきは異常に鋭く、見た者を射殺してしまいそうな視線を放っていた。
優雅な歩き姿と、強固すぎるプライドが両立しているような彼女の姿。
夜桜は『かなり良い家柄の女性……それも家中の競争を勝ち抜いた人物』という印象を受けた。
でも『アラフ』なんて家名は日本のどこでも聞いたことはない。……偽名?
榊浦と謎の女は二人で研究室の中を歩き……金属片が解析されている機器の前で止まった。
そして中の金属片を見つつ、静かに会話を続ける。
「権力がなんだと、悠長なことを……。時間はあまりないのだろう、榊浦?」
「…………」
「榊浦海の容態は、あまり芳しくはないはずだ。
「……ハッキリと年数は言えないが、良くはない」
――――『榊浦海』。
あの榊浦豊の奥さんの名前だ。
しかも性質の悪い難病って……そんな情報、どこを探しても欠片すら見つからなかった。
榊浦豊は奥さんの病気をどうにかしようとしているのか?
金は腐るほど持っているはずだし、世界中の病院を当たって治療法を探すなんてことはとっくにやっているはずだ。
……日高君に榊浦豊が付きまとい続けるのも、奥さんの病気のせい?
でも本当に奥さんの体を思うなら、既にどこかの病院へ入院させてると思うんだけどな。けど私の情報網には榊浦海さんが入院したなんてことは一欠片も引っかかってない。
んん……分からん。
新不は横柄に腕を組み、榊浦の顔を見て言葉を吐く。
「まあ、年を取れば病魔に侵されるのも当然のこと。延命処置は怠るなよ、計画を成就させたいならな」
「当然だ。……娘の方はどうだ?」
「どっちの娘か分からん。私に言う時は美優か『一号』で区別して言え」
「……美優の方だ」
それを聞き、新不はわざとらしく肩をすくめた。
「依然として行方不明だ。警察にも情報がない。やはり夜桜紗由莉が連れ去った可能性が高いな」
彼女の吐いた言葉を聞き、夜桜は少し心が跳ねる。しかしすぐに心を落ち着かせた。
榊浦美優の居場所はバレていないが、『誰が匿ったか』までは既にバレているらしい。……榊浦美優のところに行くときは尾行されていないか更に用心しないと。
「まったく、片やテロ組織の幹部。片や簡単なおつかいも済ませられぬ無能だ。なかなか面白い一族だな! ハハハ!」
「…………」
「娘は余さず面倒な方向に育つ上に、揃ってパパっ子だ! お前は相手をファザコンにさせるフェロモンでも発しているのか? ……おっと、1人は厳密には『娘』と言っていいのか怪しかったな。ハッハッハ!」
新不の歯に衣着せぬ物言い……というか普通にクズ過ぎる発言に、榊浦が眉間にしわを寄せた。
そして榊浦は新不の目を鋭く睨み、低い声色で言葉を吐く。
「新不。お前に
「……ふん。この新不クロエを恩で縛るつもりか?」
「信賞必罰が好きなんだろう?」
「たまらなく大好きだ。人をこき使うのに便利な言葉だからな」
くつくつくつ、と笑みを漏らす新不。
そして組んでいた腕をほどき、突然、ぶらりと脱力するように両腕を垂らした。
「……そして、言葉遣いを直す気はないが、私なりにその恩とやらに報いてやろう。今すぐな」
新不という女が腰に佩いた日本刀の鞘を持ち、親指で刀身を抜く。
そして夜桜の隠れているダクトにギョロリと目を向けた。
「忍の技の臭いがするぞ。私の大嫌いな、殺しても殺し足りない
「!!」
新不は居合に刀を構えて素早くダクトに飛び掛かる。
しかし夜桜はそれよりも早く目の前で爆弾を爆発させ、ダクトの中を勢いよく逆進した。
そして数瞬後、先ほどまでいた場所のダクトがバラバラに切り刻まれる。あそこにいたままだったなら今頃バラバラの肉片になっていただろう。
「クソ……仕方ない!」
夜桜は自身の腹部で爆弾を起爆し、ダクトを破壊して地面に降りる。
そこは研究室のすぐ前の通路だった。念のために持っておいた覆面を頭にすっぽりと被り、研究室から離れるように全力で走り始める。
『ちょまっ、紗由莉! こっちは施設の奥に向かう通路だぞ! 貨物用エレベーターは逆の道だ!』
「この地下施設は奥に行くほど複雑な構造になってる! だから一旦奥で身を隠してから逃げる!」
バクダンは夜桜の背中にしがみつき、振り落とされないようにぎゅうっと掴む。
そして声を荒げながら背後を振り向き、驚きの声を上げた。
『う……うわああッ! 後ろから来てるぞッ! しかも結構速いッ!』
「その忍の技、どこで覚えたぁッ! 事と次第によっては拷問百連発では済まさんぞ!!」
夜桜に全く引けを取らない速度で、日本刀を携えた新不が顔を真っ赤にしながら走って来ていた。
捕まったらなかなか大変なことになりそうだ。絶対に逃げ切らなくては。
命を懸けた鬼ごっこを続けたまま、夜桜は地下施設の最奥部に向かって走り続ける。
その先に眠る『存在』の正体も知らないままに……。
謎の黒い金属片?
一体なんなんやろなぁ……