新不という謎の人物に追われながら、夜桜は地下施設の最奥に向かって逃げ続ける。
そしてその行く手を塞ぐように、青い制服と警棒を持った警備員が数人現れた。
研究室に残してきた榊浦豊が警備室に『不法侵入者がいる』と知らせたのだろう。
「君ッ!! 止まりなさい!!」
「……すみません!」
通路を隙間なく塞ぐ体格のいい警備員たち。
夜桜は小声で彼らに謝罪したあと、足裏に仕込んだ爆弾を起爆して天井近くまで飛び上がった。そして彼らの背後に着地する。
「せいッ!!」
警備員たちが振り返るよりも早く、彼らの背中に体重移動を駆使した突進を決めた。八極拳の
「むッ!」
「よし、今のうちに……!」
そして前にのめり込んだ警備員たちは夜桜を追いかける新不に向かって倒れていく。人体でできた即席の防御壁だ。
夜桜は目論見が成功したのを確認し、すぐに前を向いて走り始めようとする――――が。
「邪魔だぁッ、クソオスどもがッ!!!」
新不は鞘の付いた日本刀を両手で持ち、先頭にいた警備員の頭部をフルスイングで打ち抜く。
額が割れた警備員は血を噴き出し、他の警備員の体ごと吹き飛ばされた。夜桜が作り出した肉壁がいともたやすく壊される。
そして新不は倒れた警備員たちの体を足の裏で踏みつけ、スピードを殆ど落とすことなく夜桜を追い続ける。
その光景を見たバクダンは夜桜の背中にしがみつきつつ声を荒げた。
『おいおい……! アイツ自分の味方にも容赦なさすぎだろ!!』
「くそっ!」
夜桜は小声で悪態を吐き、足を前に向かって進め続ける。
新不という女と自身のスピードはほぼ互角。私が施設の構造を知らないことと、施設の警備員が新不の味方である分だけこちらの方が不利である。
(このままじゃジリ貧でいつか追いつかれる……!)
心の中でそう考えながら額に汗を一筋流す。
ここが敵地ではなく増援が来る恐れもないのなら、ぶん殴って気絶させるのが手っ取り早いのだが……。あいにくそれは最終手段だ。
「……いい加減に止まれ、クソメスがッ!」
新不が足でブレーキを掛け、鞘に入れたままの日本刀を両手で持って腰に構える。
それは居合というよりは、まるで
『――――紗由莉、なんかヤバいぞ! 横に避けろ!!』
「?!」
危機を真っ先に察したのは、夜桜の背中で新不の動きをずっと見ていたバクダンだった。
その声に反応し、夜桜が振り返りもせずに右側へと横っ飛びをする。
――――ドンッ!!!
瞬間、新不の柄頭から銃声音が響き渡った。
夜桜が先ほどまでいた場所を銃弾が通過する。衝撃で壊れた柄頭の金具がカランカランと音を鳴らして地面に転がった。
「銃かッ!!」
相手が銃を持っている以上、背中を無防備に晒して逃げるのは逆に悪手。
そう判断して振り返った夜桜は、新不の日本刀の柄から紫煙が上っているのを目撃した。
……なんで日本刀の柄から煙が上ってるの?
え、まさかあそこから銃弾が出てきたの? 狭い柄の中に銃の機構を仕込んでたの?
絶対使いづらいでしょ……!?
「はぁ……?!」
「今ッ!!」
困惑した夜桜に向かって、新不が刃を抜いて上段から斬りかかった。
夜桜はそれをすんでのところで体を捻って回避し、日本刀を持つ手を掴んで新不を壁に抑え込む。
「拳銃を仕込んでる刀なんて初めて見たよ……!」
「仕込んで悪いというルールはない!」
「普通に拳銃一丁を別で持った方が使いやすいでしょ!」
『それはそうかもだけど、そういう問題じゃないだろ!! 敵にアドバイスしてる場合かよ?!』
夜桜と新不の会話にバクダンが鋭い言葉を差し込んだ。
しかし夜桜は
「だが、新不クロエが策一つの失敗で凹むタチだと思うなよ! 『新不流・無手膝蹴り』ぃャァーッ!!」
「!?」
『新不流・無手膝蹴り』と耳元で叫ぶものだから、夜桜がつい新不の足元に注目を向けた瞬間。
「かぁっ、ぷッ!!」
「うわぁっ!?!?」
新不が痰を溜めるような音を出して口から透明な汁を顔面に向けて吐いてきた。
全身に鳥肌が立つほどの悪寒が走り、つい脊髄反射で顔を傾けて避けてしまう。
「そこだッ!」
「いたッ!?」
その瞬間、夜桜が回避する先を読んでいたように新不が頭突きを決めた。
鼻柱に不意の攻撃を食らってしまい手の力が緩む。それを新不が見逃すわけもなく、全身を勢いよく捻って夜桜の拘束を跳ね飛ばした。
体勢を崩した夜桜に対して新不が上段から唐竹割りを放つ。
刃の切っ先が頭部に迫る瞬間、夜桜は高速で自分から体勢を崩す。そして両腕を地面に突き、ブレイクダンスのウィンドミルの如き動きで日本刀の側面を蹴り飛ばした。
「ちっ!! 猿のようなクソメスめ!!」
夜桜はそのまま新不の足首を払うように蹴りを入れる。
しかし新不はその攻撃を後ろに跳んで回避し、地面に落としていた鞘に日本刀を入れ直した。
足の届く範囲外に逃げられた夜桜は両腕に力を籠め、腕の力で体を起こして立ち上がる。
そして両拳を新不に構えながら声を荒げた。
「何が膝蹴りだ! 汚いぞ、二重の意味で!」
「膝蹴りと叫んで膝蹴りをするわけがないだろうクソメスがッ!!」
「い、一応女性でしょ!? 痰吐き攻撃はしないって!」
「新不流の辞書には『ジェンダーレス』と書かれておるのよ!! 新不一族に恥ずかしい行為など
『痰を相手に吐くのは一族や性別関係なく人間として大問題だよ!!』
バクダンの言葉に内心で同意する。
人間の尊厳をかなぐり捨てて痰を吐き飛ばしてくるなんて、想像の斜め上すぎて思わず攻撃を食らってしまった。
かなりの美人なのに印象が最悪だ。
しかし、汚い手段ではあったが、事実として私の拘束は外されてしまった。
姑息すぎる戦法だが妥当な手段の上にちゃんと効果もある。しかもどんな行動を取るかの予想がしにくい。
つまり、この新不とかいう女は……。
マトモに戦ったら地味に強い上にめちゃくちゃ時間を食う、死ぬほど面倒くさい敵だ!
「くくく。だが新不流の真髄はまだ一片も見せていない。私の真の実力を――――」
「うるさいっ、これ以上戦ってられるかッ!!」
「なにっ!」
これ以上マトモに付き合ったら時間ばかりが過ぎていってしまう。
その時間で敵の援軍が来てしまったらかなり面倒くさいことになる。小銃を持った部隊に狭い廊下で一斉発射でもされたら流石に成す術がない。
夜桜は踵を返し、全力で走る。
地面に足が付いた瞬間に靴底に仕込んだ爆弾を起爆させ、先ほどよりもブーストが掛かった速度で廊下を進んでいく。
靴底に仕込んだ爆弾は本来戦闘時の緊急回避用で、移動に使うのは勿体ないがこの際仕方ない。
ぐんぐんと距離を離し、段々と姿が小さくなっていく新不。
そして、未だに夜桜の背中にしがみついているバクダンは大きな声で問いかけた。
『紗由莉! あの新不とかいう変態は何なんだよ?!』
「知らない! でも、日本で有名な家に『新不』なんて名は存在しない! 新不流なんて流派も初めて聞いた!」
『……つまりどういうこと?!』
「あの新不クロエはこの世界の人間じゃなく、異世界の人格ってこと!」
榊浦豊が新不に対して『新しい人生をプレゼントした』と言っていた。
それはつまり、新不が異世界から来た人格だということを指していたのだ。榊浦豊が持つ第二の懐刀、と言ったところか。
「それに新不が榊浦との会話で言っていた、『一号』と『美優』で娘を区別しろって言葉……!」
『……『一号』ってのが、未来革命機関であったあの謎の女のことだな?! 榊浦豊の娘を自称してたヤバい奴!』
「そう! あの女が『一号』なんだ! ……でも、
『一号』なんて無骨な二文字が名前とは思えない。
一号とはその名の通り、何かの番号を表すものと思われる。
しかし……『何の』一号だろう?
人間を『一号』と呼ぶのは些か不自然だ。
試作品の機械等を一号と呼ぶのならまだしも、人を物のように一号と呼ぶのは少しおかしく思える。
それとも……。
新不にとっては未来革命機関で出会った女が『物』という認識だから、『一号』と呼んでいるのだろうか?
人間が物に見える……。
新不はかなり傲慢な性格をしてそうだったから、自分以外の人間が物に見えるとか?
けど新不は途中の警備員をクソオスとか、私のことをクソメスとか呼んでいたし……。めちゃくちゃ口は悪いけど、一応どんな相手でも格下の『人間』として見ているような気もする。
しかし……。
うぅん。
「……分からん!」
夜桜はそこで思考を切り上げた。
これ以上は新不の人となりをもっと知らない限り、根拠や証拠のない予想に過ぎない。つまり今の状況では考えるだけ無駄である。
靴底に仕込んだ爆弾が切れ、ブーストしていた速度が消える。
これから戦闘時の緊急回避はできないが、厄介な新不は完全に振り切れた。ここからは隠密と脱出口の捜索優先で行動しよう。
夜桜が物陰に身を隠し、息を整える。
そしてゆっくりと動き出そうとしたとき、バクダンが小さく声を掛けた。
『紗由莉、少し思ったんだけど……』
「何?」
『あの新不って女、めちゃくちゃプライド高そうだったじゃん。そんな女が、貨物用エレベーターでここまで来るかな?』
「……つまり?」
『榊浦豊と新不がここまで来た、来客用の出入り口がどこかにあるんじゃないかって……』
「…………」
来客用の出入り口。
……なるほど。
榊浦豊は渦島製薬にとっては超重要人物だ。
なんたって、渦島製薬が大成長した理由である『国内に流通する浮遊人格統合技術の薬の独占製造』。
それを政府と一緒に支援しているのが榊浦豊なのだから。
そんな相手を、渦島製薬が貨物用エレベーターに乗せて案内するだろうか?
いや、少し考えにくい。
あのエレベーターはお世辞にもよく掃除されているとは言えなかったし。
それに、『荷物』と同レベルの扱いで移動させられるのを新不は嫌いそうだ。
うん……確かに、来客用の出入り口が存在する可能性は十分ある。
「来客用か。わかった、探してみるよバクダン」
『ああ。でも、あんまり当てにしないでくれよな? 私も思い付きで言ったからさ』
「大丈夫。今は何でも当てにしたい状況だから」
そう言いながら、夜桜は物陰から身を乗り出した。
近くには新不や警備員の姿はない。しかし視界の開けた通路にいたらいずれ見つかってしまうだろう。
ここは、何処かの部屋に入ってしばらく身を隠すのが最善策だ。
今の体の調子だと……最悪、72時間は同じところにいても耐えられる。
それだけ待てば警戒も解けるだろう。
そう思いながら、夜桜は身をかがめて通路の端を進んでいく。
道中に見つけた部屋は全て扉が掛かっていた。
「…………」
そして、どこの扉にも入れず数分ほど経過したころ。
白い廊下を進むたび、なぜか息が詰まるような気配がしてきた。
天井の中を隠れて這っているはずの電線が、いつの間にかむき出しになっている。
予算が足りず、天井の板を外してしまったのだろうか。
そう思いながら目を凝らしたがどうにもそういう訳ではないらしい。
天井板は外さざるを得なかったのだ。
板を付けたままだと、電線が入りきらなかったのだ。
そうでもしないと、通路の先にある『
その電線は太い大蛇の胴体のように天井を這い、通路の先へと伸び続けている。
『…………』
「…………」
夜桜とバクダンは両者無言のまま生唾を呑んだ。
二人は脱出口のことを一時忘れ、道中にある扉を無視し、通路の先へと一直線に向かっていく。
おぞましい気配がする。
蛙が蛇に睨まれた、なんて生易しいものではない。
海から姿を現した邪神に見下ろされているかの如き感覚だ。全身を目に見えない質量が覆っている。
しかし、確認しておかなければならない気がしたのだ。
この地下施設の最奥部に存在する物。異常な量の電力を必要とする物。
……
そして、どれくらい進んだか自分でも分からなくなったころ。
ようやく、この折川旅館跡地にできた地下施設の最奥部に辿り着いた。
目の前には両開きの白い扉がある。
扉の取っ手に掛ける手に無数の刃物が突き刺さる感覚がする。
扉の中には何がある?
私の予想を超えるもの?
……私の予想を超える
『紗由莉……。ここまで来ておいてなんだけど、今すぐ帰った方がいい気がするのは私の気のせいか?』
「大丈夫。私も同じ気持ちだから」
『だよな、同じでよかった。……怖いのは嫌いだから、さっさと開けて帰ろうぜ』
バクダンの腹は既に据わったらしい。
こういう時に一緒にいてくれるから、バクダンのことが好きだ。
強い味方の姿を背に、夜桜は扉をそっと押して開いた。
「――――っ!」
広い部屋。
空調がフルに効いているはずなのに、空気に黒いもやが混ざっているような淀みが発生している。これはきっと空気に由来する淀みではないのだろう。
名前しか知らないような様々な測定機械があちこちに置かれている。
しかしその機械のディスプレイは全てひび割れていた。
一体何があったのかは分からない。測定機械の近くには血の染みもあった。
割れた破片で研究員が怪我をしたのか、それとも……測定機械が血を吐いたのだろうか。
研究員が作業するための机がいくつか置かれている。
誰かが置きっぱなしにしていったであろうコップの中には液体が残っている。見たことがないくらいに深く黒い色だ。
よく見ると、透明な水の中で見たこともない生物が血を吐いて死んでいた。
空調でどうにもならない空気の黒い淀みをなんとかしようとしたのだろうか。
部屋の隅に置かれた1メートルほどの観葉植物は、苦悶するように体を何度も捻じったあと、葉がどす黒い色になって枯れ死んでいた。
そして手首ほどの幹には、涙を流している人の顔が無数にあった。
見ているだけで心が削られるような気分がする。
……シミュラクラ現象だと良いのだが。
……そして。
夜桜が本能で、そして理性でも、部屋内の全ての惨状の原因だと確信したもの。
それは、扉を開けて真正面を見上げたところに鎮座していた。
水に満たされた透明なカプセルの中、圧倒的な存在感を放って直立するそれは。
夜桜にとって、とても見覚えがある姿でありながら。
一目見ただけで、同じ姿をしていたあの女とは何もかもの次元が違うと確信させるオーラを放っていた。
『ピュア、ホワイト……か?』
「……そうじゃない。ピュアホワイトなんて比にならない、あれはそんな優しい物じゃない」
『じゃあなんだよ、あれ。なんだよ……?』
バクダンが顔を恐怖に引きつらせ、涙を流している。
しかし本人は、自分が涙を流していることに気づいている様子はない。
だが夜桜にそれを指摘する余裕はなく、カプセルの中に入った何かを見ながらふるふると声を出した。
「……多分あれが、ピュアホワイトが結婚したいとか言っていた……『アニーシャ』とかいう人じゃないかな」
二人が見据えるカプセルの中には。
かつての強敵であるピュアホワイトと全く同じ姿ながらも、次元の違う雰囲気を放つ存在。
水の中で静かに佇む――――『純黒の鎧』があった。