水入りのガラスカプセルに浮かぶ黒い鎧。
それを全身全霊で警戒しながら見つめる夜桜とバクダンの二人。
部屋の中に耳が痛くなるような静けさが広がる。
しかし、このまま見つめているだけでは事態は何も進行しない。
ただでさえここは敵地だ。時間は向こうの味方である。
誰にも邪魔されず調査できるこの時間を無駄にしないように動かなければならない。
「…………よし」
夜桜は決心したあと、ガラスのカプセルに近づいて手を触れた。
それを見たバクダンが冷や汗を流しながら声を掛ける。
『紗由莉、あんまり近づいちゃ駄目だって……』
「ここまで来たのに何も調べず帰れないよ。……バクダン、部屋の中に資料か何かが残ってないか見てもらってもいい?」
『……マジで気を付けろよ。もしピュアホワイトかそれ以上に危険な奴だったら、私達じゃどうにもできないんだから』
「…………」
彼女の言葉に軽く頷き、再びカプセルの黒い鎧に目を向けた。
黒い鎧は身じろぎ一つせず、水中で佇んでいる。
まるで死んでいるような……いや、実際に死んでいるのだろう。兜から空気の泡が漏れていないことが呼吸すらしていないことを示している。
(まあこの鎧がホントにアニーシャって人なら亡くなっててもおかしくないけどね。日高君の中に人格として宿ってるんだから。……ただ、異世界にあるはずの遺体がなんでこの世界に……)
顔を更に近づけてカプセルを注意深く観察する。
よくよく目を凝らして見てみると、カプセルの下の方に黒い金属片がいくつも沈んでいた。一番大きい欠片で親指一本程度であり、ほとんどは指先ほどの大きさの欠片ばかりだ。
榊浦豊が来た研究室で調べていた金属片は、多分この鎧から取れた物なのだろう。
カプセルの中に手は入れられないし、金属片を回収するのは厳しそうだ。
……しかし、この金属片たちは一体鎧のどの部位から取れたものなのか。
推定アニーシャの鎧には大きな傷や欠けは見当たらない。
カプセルの外からは体の正面側しか見えないため、裏側が傷だらけの可能性もなくはないが……。
そんなことを考えていると、部屋の中を調べていたバクダンが喜色の含んだ声を上げた。
『紗由莉、この机の中になんか残ってるぞ!』
「!」
夜桜はパッと振り返り、バクダンが指す机の前に移動した。
机の上には壊れた観測機器がいくつも置かれている。ディスプレイが割れて中の基盤が露出したそれらから目を逸らし、机の一番下の引き出しを静かに開けた。
「……これは……」
引き出しの中に手を入れ中にあった物を取り出す。
それは金属製の鎧を透過して中身を調べた……つまりアニーシャの姿を映した画像だった。
裏面に筆記体で『Black Knight』と書かれている。
しかし画像とは言っても、一眼レフで撮ったような美麗なフルカラー写真ではない。
放射線等を使用する何某の観測装置で鎧を透過させ、中の人物を写し撮っているのだ。カラー写真など望むべくもない。
病院で見せられる白黒のX線画像のようなものである。
夜桜の発見したものも、アニーシャの人相や髪などの外見に関わる情報は一切読み取れない。
せいぜいがアニーシャの体のシルエット、そして内臓や骨の形。
それ以上は何もわからない。
……わからない、が。
画像を手に持ったまま、夜桜はバクダンの方を向く。
バクダンも驚いた顔を戻せないまま口を開いた。
『……ピュアホワイトって男だったのか?』
「いや、女性だと思うよ。だって自分で『アニーシャ様の子を孕む』とかすごく気持ち悪いことを言ってたし」
『だよなぁ…………???』
二人は件の画像を見ながら同時に首を傾げた。
なぜなら。
そこに映っているアニーシャの体型は、明らかに『
2メートル……いや2メートル30センチはある人並み外れた体躯。
体のシルエットだけでも分かる、鍛え上げられた筋肉。
そして要塞のように筋肉を積み上げた体を容易く支える強靭な骨格。
白黒の画像を見ただけで、明らかに生物として次元が違うのが分かる。
だが恵まれた骨格と鍛えられた筋肉のおかげか、その体はある『一点』を覗いて一見男性に見えなくもない。
逆に言えば、その『一点』を見れば一発で女性と分かると言うことでもある。
そして……その『一点』とは。
こんな真面目な状況では口に出すのもはばかられる、下世話な話題だが……。
『しかし……なんだあ、この『
ハッキリと言ったバクダンの言葉に、夜桜は口を一文字にしながらも内心で頷く。
未来革命機関で橘さんを見たときも圧倒的な彼我の差に恐ろしい衝撃を受けたが、これはあの時以上の衝撃だ。
しかしここで冷静さを失ってはいけない。
敵地でおっぱい見て冷静さを失って捕まるとか末代までの恥でしょ。
心中のざわめきと驚きに蓋をし、バクダンにたしなめの言葉を掛ける。
「下世話だよ、バクダン」
『いや、スイカとかメロンとかの次元じゃないだろ! なんだ……なんだこれ?!』
「やめなさい」
夜桜はなぜかテンパるバクダンを宥めつつ、手に入れた画像を折りたたんで懐にしまう。
何に役立てられるかはわからないが、どうせ重さは紙一枚分だ。回収したところで何のリスクもない。
可能なら、他にも色々回収したいが……あまり重い物だと非常時の動きに支障が出る。
それに……そろそろ時間も頃合いだ。
気になることは山ほどあるが、そろそろ退散する時だろう。
そう思いながら、夜桜は部屋に唯一ある扉の取っ手に手を掛ける。
「バクダン。扉の向こう見て」
『ああ』
夜桜の言葉に短く返事し、バクダンが頭だけを扉の向こうに透過する。
そして頭を扉に突っ込んだまま、夜桜に対して親指を立ててサムズアップした。
それを見た夜桜は扉を優しく押して片眼分だけ開く。
扉の向こうに広がる廊下を目視したあと、一気に開いて走り始めた。
(このまま貨物用エレベーターまで戻りたいところだけど、流石に遠すぎる! バクダンが予想してた『来客用エレベーター』を探すか、何処かに身を隠し続ける方が得策!)
夜桜はそう考えながら、音が鳴らない歩法で廊下を走る。
地下施設の廊下は不自然さすら覚える静けさが広がっていた。既に侵入者である自分のことはバレているのに、どうして新不どころか警備員の一人すら歩いていないのだろうか。
そんな疑問の答えは、予想よりも早く夜桜の耳に入ってきた。
「――――全員、さっさと装備を済ませろッ! このまま地下のエレベーターを封鎖、全部屋の捜索を行う!」
廊下の曲がり角の向こうから突如聞こえてきた新不の声。
夜桜は咄嗟に足でブレーキを掛け、壁に張り付いた。
「バクダン、曲がり角の向こう」
『ああ……』
バクダンに曲がり角の向こうを見てもらうよう小声で頼む。
頼みを受けたバクダンは角の向こうを見た後、ぎょっと目を開いた。そして夜桜にその場を動かないようハンドサインをしつつ、動揺した声色で状況を伝える。
『さ、30人くらいの警備員が全員小銃と防弾装備でガチガチに武装してるぞ……! 客用エレベーターがすぐそこにあるのに、その前で完全に陣取ってやがる!』
「…………っ」
それを聞いて夜桜はわずかに眉にしわを作った。
そして新不が取った行動もすぐに理解し、思わず音を立てて舌打ちしそうになるのを堪える。
新不は夜桜に振り切られて姿を見失ったあと、一人で無暗に追うのではなく、警備員による人海戦術に一瞬で舵を取ったのだ。
どうせ地下施設なのだから簡単に逃げられやしない。
時間をかけて準備できる余裕があるのだから、警備員に銃で武装させて数の力を使った方が良いだろうと。
実際、新不の取った手は夜桜にとってはかなり面倒な手であった。
警棒で武装した警備員程度なら数が揃っても何とか出来る。
しかし、直線の廊下が多い地下施設で銃を持った警備員に追われるのはかなり厄介だ。
連携して廊下全体を銃弾をバラまかれては避けようもない。
科学の武器って誰が持っても強いんだから、数揃えられるとホントに面倒だなぁ……!
(クソッ……銃弾を全身に受けても効かない体が欲しい!)
人間である限り、土台無理な話である。
そうして夜桜が隠れて様子を窺っていると、曲がり角の向こうから男の声が聞こえてきた。
「新不さん! 電気ショック小銃、全員準備終わりました!」
「気安く呼ぶなクソオスがッ! 『
「は……はっ! そ、それと新不様、用意したこのガスは一体何の用途で使用を……?」
「んん~?」
警備隊が運ぶ携行用のガスボンベを見て、新不は口角をにやっと上げる。
「それは殺鼠用のガスだ。職員全員の退去を確認した後、一度施設全体を殺鼠するんだよ。……おかしな『鼠』が何処かに隠れていた場合、『不幸な事故』が起きるかもしれんがな?」
「……ふ、不幸……ですか」
「わかったらさっさと動け、四人一組で捜索を行うぞ。貨物用エレベーターの電源も落とせ、客用エレベーターには私が控える」
夜桜は息を潜めながら会話を聞き続ける。
(……『殺鼠』ガスなんて言ってるけど、確実に人体に害のあるガスを使ってくるよね。つまり何処かにずっと隠れてやり過ごすのもナシか……。つか電気ショック小銃って、変なもん新開発してるね……)
実弾だろうが電気ショックだろうが、その場で始末されるか後で始末されるかの差しかない。
電気ショックのアンペア数によっては、一発食らっても何とか動けるだろうか……?
いや、少し動きが鈍った時点で集中砲火を食らうか。
つまり一発食らったらアウトなのは実弾と同じ……。
クソゲーだね。
『どうするんだ、紗由莉……?! いやでも今はとにかく退くしかないだろ、もうすぐ警備員が列組んで歩いてくるぞ!』
「…………」
バクダンの言葉に、夜桜は後ずさる。
確かにここで銃持ちの大群に突っ込んだってどうしようもない。
どうせ警備員は今から全ての部屋を捜索するんだ。
今から身を隠し、何処かのタイミングで警備員の一人の装備を奪う。
そして警備員に変装して殺鼠ガスが散布される前に逃げる。
これしか手はない。
(そうと決まれば、今すぐ行動――――)
――――ポーン!
突然、張りつめた空気を乱すような甲高い音が響く。
それは警備員たちの背後にある客用エレベーターが到着する音だった。
貨物用エレベーターと比べてよく掃除された銀色の扉が静かに開く。
『……は? だ、誰だあれ?』
曲がり角の向こうを見たままのバクダンは、エレベーターで降りてきた人物を見たらしい。
夜桜は壁に身を隠したままなので見えないが……。
彼女の反応を見るに、全く見知らぬ人物がやってきたらしい。
「な、誰……? 青い肌?」
「角……? コスプレ?」
夜桜の耳に、困惑した警備員たちの放つ意味不明な単語が聞こえてくる。
『
一体どんな人物が来たって言うんだ……?
姿が見えないのがもどかしい。
曲がり角から片目だけでも出して、その人物の姿を確認するべきかと頭をよぎった瞬間。
焦りで引きつった声色の新不が勢いよく叫んだ。
「――――全員銃構え、撃ッ――――」
――――ドギャォォォォォオオオンッッッ!
新不の声が終わるよりも早く、曲がり角の向こうから轟音が響いた。
そして次の瞬間、台風が凝縮されたような暴風が夜桜を襲う。
「ッ!?」
『きゃっ!!』
壁に張り付いていたにも関わらず、体が勢いよく後方に吹き飛ばされる。
透明の壁にぶつかったバクダンも短い悲鳴を上げた。
あまりの風圧に体が完全に空中に浮かび上がり、10メートルほど後退したところで背中から地面に落ちる。
咄嗟に受け身を取ったからかダメージは最小限で済んだ。
「な、何が……?!」
夜桜はすぐさま立ち上がり、視線を前に向ける。
すると、先ほどまでいた場所のすぐ近くに気絶した新不が力なく転がっていた。
他にも武装した警備員たちが転がっており、廊下の壁には人体が勢いよくぶつかった跡が無数に残っている。
一拍遅れ、立ち上がったバクダンが前方に広がる惨状を見る。
そしてぶわっと浮かび上がった冷や汗を拭うこともせず、夜桜に声を荒げた。
『ま、マジかよ……い、今すぐ逃げろ紗由莉! よく分からないけどホントにヤバいのが来たぞ!』
「なに、そう急いで逃げることもあるまい。取って食う訳でもないのだからな」
バクダンの荒げた声に優しく対応する、聞き取りやすいハスキーボイスながらも女性らしさが含まれる声。
その声は夜桜のすぐ後ろから響いてきた。
(……っ!? い、いつの間に背後を……! 速すぎるなんて次元じゃない、残像すらも見えなかった……!!)
極度の緊張からか、額に汗がにじむ。
夜桜は乾き切った喉を潤すように生唾を飲み込み、ゆっくりと背後を振り向いた。
「ククク、そう怯えるな。……まあ、この
身長は約2メートル。
長い手足と美しいプロポーションは魔性の魅力を放っている。
そして明らかに人間の物ではない青い肌と、黒い結膜に黄金の瞳。瞳孔は人間のような丸形ではなく、縦型に細く引き絞られている。
纏う衣服は赤が少し混じった黒地の布に、美しい金の装飾が施された『王』に相応しい物。
肩に繋がれた紅のマントはどういう理屈か、先が炎のように絶え間なく揺らめいている。
「魔、王……。ま、まさかあなた……!」
夜桜は目を見開き、彼女の顔を見ながら声を出す。
それを見た魔王はくくくと愉快そうに笑い、荘厳な声色で言葉を紡いだ。
「やっと気づいたか。この姿は、まあ変装がてら、久しぶりに元の姿に幻術で成ってみたという奴だ」
「そ、そうだったんですか……」
「それと、既に周囲の山全体に幻術を張ったのでな。儂ら以外には別の名前に聞こえるので、本名で呼び合っても問題ないぞ。……勿論、敬意をこめて魔王様と呼び続けても構わんがな?」
口角を上げ、歯を見せるように笑うマオ。
それを見た夜桜は安心したような、緊張が抜けきらないような顔で息を深く吐いた。
しかしすぐに額ににじんだ汗をぬぐい、言葉を続けるために口を開く。
「……マオさんがここに来たってことは……日高君を助けるのに、協力してくれるってことですか?」
「正確には少し違うな。結城が望んだのは『母の事件の真相を知ること』だ。真相究明において日高を助けることに利があれば、手を貸すこともやぶさかではない」
マオは平坦な声で、夜桜を見下ろしながらそう言った。
その言葉に夜桜は少しだけ悩む素振りを見せる。
(……ということは、真相究明の過程において日高君を助ける必要性を示せなければ、マオさんの協力は得られないってことか……)
どういう言葉を選べば、マオの協力を得られるだろうか。
夜桜が視線を下に降ろして急速に思考を回していたとき、マオがぽりぽりと頭の後ろを掻きながら声を出した。
「あー……そう深く考え込むな、儂が言葉選びをミスった。こういうシリアスな腹芸はもう前世の魔王業で食い飽きた」
「?」
「真相究明とはつまりその……結城が事件の真実を知ることもそうだが、法廷でしっかり真相を明かすことも重要なわけだ。公に真実を知らしめたり、減刑のためだったりにな? ということは……?」
真相究明。
法廷……減刑……。
……ああ。
「……私が弁護士を雇ってあげるって件ですか?」
「うぅ~む。そりゃ儂の口から明言はできんがな? もし『日高を助けたら超絶敏腕弁護士を雇ってあげる』と言われたら……結城との契約である『真相究明』のためとして、力を貸すことも……な? わかるだろ?」
…………。
結城ちゃんとの『真相究明』という契約をかなり好きなように拡張しているような気もするが……。
いや、でもこれは願ってもない話だ。
夜桜家のコネと私のお金で弁護士を雇うだけで、マオさんの力を借りることができるのだ。
これに乗らない手はない。
「分かりました。『日高君を助けてくれたら、腕のいい弁護士を夜桜紗由莉が責任を持って雇います』」
「……契約を結んで良いか?」
「ええ。契約です」
夜桜の言葉にマオが深く頷いた。
同時に、何かじんわりと胸の中に温かいものが宿ったような感覚がしたがすぐに消える。……気のせいだろうか。
胸から目を逸らし、マオの方に再び顔を向ける。
「それにしても、随分甘い契約を結んでくれましたね?」
「……結城を信じてやれなかった負い目がな」
「坂之下って人の件ですね」
「ああ。未だに原因はわからんが、結城の言葉を信じてやれぬのは失態だった……」
マオは気まずそうに視線を逸らす。
しかしそれでも、ぽつぽつと言葉を続ける。
「だから、贖罪というわけでもないが。結城と母が少しでも早く共に暮らせるようになるならば……多少契約を拡大解釈するのも許容する。プライド的に気に食わんがな」
「……そうですか」
「だが、もし危険な状況に陥れば儂は日高よりこの体の安全を優先する。それは理解せよ」
「ええ。マオさんにとって一番大事なのは結城ちゃんですからね。それはわかってます」
「ならば良し」
口角をわずかに上げて笑うマオ。
……この人は私が日高君やバクダンを大切に思うように、結城ちゃんをとても大切に思っている。
そして結城ちゃんが幸せになるなら、結んだ契約が許す範囲で最大限動いてくれるんだ。
(……とても頼もしい人だな)
夜桜はマオに対して、信頼と一定の敬意の念を抱き始めていた。
そして会話に一区切りがついたところで、夜桜がふと思い出したように話を切り出す。
「あ。それとマオさんに見てもらいたい……というか教えてほしい物があるんですが」
「ん? なんだ」
「この道を戻った先にですね。多分、アニーシャさんだと思われる体があったんです」
その言葉を聞いたマオは、一瞬ピシリと固まったあと。
「なっ、えっ…………はっ???」
その青い肌の顔から血が引き、更に血相の悪い色へと変化した。