――――西区のとある場所にある、木の板で作られた掘立小屋。
小屋の中に人の気配はなく、錆び尽くした扉の南京錠から暫く使われていないことが伺える。
この小屋が使われなくなった理由はおそらく外壁に大きく広がった古い血の染みのせいだろう。囚人同士の殺し合いで散った血の汚れが取れなくなり、さして重要でもない小さな掘立小屋を手間暇かけて掃除する意味もなく、そのまま放棄された……と言ったところだろうか。
「…………」
壁に染み付いた古い血の臭いは真新しい血のそれとはまた違った不快感を催す。
俊介は鮮血の臭いには鼻が慣れて
表と裏の世界を反復横跳びするように生きていた俊介と、裏の世界に全身を浸からせて生きてきた者との違いだろう。
ジャンが右手で南京錠を掴み、勢いよく引っ張って壊す。
そして木製の扉を開き、先頭のゼロツーに続いて全員が小屋の中に入ったのを確認したあと、扉を隙間なく閉めなおした。
「……ま、ここでいいだろ」
ゼロツーが埃っぽい室内で、口元に舞う
懐から取り出した盗聴防止装置を全員に配り、各人が装着し終わったのを確認してから、次の言葉を発した。
「それで、一体どうしたんだ日高? 看守の盗聴を嫌がるんだから、脱獄計画に関係する話がしたいんだってのはわかるけど……」
ゼロツーの言葉に俊介は無言のままウィザードの方を見る。
彼(彼女?)は壁際に立ち、唇を薄く開けた不気味な笑みを浮かべてこちらを見ていた。俊介の視線が自身に向いたのを確認すると、右手をひらひらと力なく揺らす。
俊介は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながら、ウィザードから視線を逸らす。
できることならウィザードのいない場所でMRKの話がしたかったが、今からウィザードからジャンとゼロツーだけを引き離すのも不自然だ。ウィザードならば確実に何らかの手段で話の内容を盗聴してくるだろう。
だがまあ、幸いなことにマッドパンクという奴特効のストッパーもいる。
どうせウィザードのいない場所でMRKの話をしてもどこかから嗅ぎつけてくるのだ。それなら目の届かない場所で予測のつかない動きをされるより、視界内にいてくれた方が対処もしやすい。
そう考えた俊介は、懐から夜桜の手紙を便箋ごと取り出して口を開いた。
「……実は。外にいる俺の友人から、手紙を受け取ったんだ」
外の人物から届いた手紙。
その言葉を聞いたゼロツーは驚きで目を見開いた。
「て、手紙? この刑務所に? 一体どうやって……」
「届いた方法についてはまた今度話す。今早急に話したいのは手紙の内容の方なんだ」
「……そうか。よし、聞こう」
ゼロツーは手紙の届いた方法に興味を持ちながらも、一旦はその好奇心に蓋をする。そして俊介が話したいという内容に耳を傾けた。
「殆どは、俺がトラブってる相手に関しての内容だったけど……脱獄に役立ちそうな情報もいくつかあったんだ」
「? 役立ちそうな情報はともかく、トラブってる相手なんていたのか」
「ああ、うん。まあ、榊浦豊って研究者なんだけど」
「うええっ!?!?」
軽い声色で出てくるにはあまりにもビッグネームすぎる人物。
今までに見たことがないくらいに狼狽したゼロツーが大きく後ずさり、ジャンもごくりと生唾を呑む。ウィザードは飄々とした表情を顔に貼り付けたままだった。
「榊浦豊……浮遊人格統合技術の開発者か。日高っち、とんでもない相手とトラブってるね」
ジャンが低い声色でそう言う。
裏の犯罪者たちにも榊浦豊の名は広く知られているらしい。世界をけん引する研究者で、異世界の人格達がこの世界に来た原因になった人物だから知っていてもなんら不思議ではないが。
そう思いながら、俊介は再びウィザードの方をじとっと睨むように見て声を出す。
「ま……そこのウィザードが率いてた機関の幹部に、娘の榊浦美優がいたけどな」
「はーい、榊浦美優の元上司でーす」
ウィザードがふざけた声色の言葉を吐きつつ挙手する。
そして舐めた声色を崩さないまま、言葉を続けた。
「それで、アイツって死んだの?」
「…………」
「ふうん。まあ生かしといた方が利用価値あるよね」
「何も言ってないけど」
「その沈黙でわかるよ。まだ
……頭のいい悪人って厄介。やっぱこいつ嫌いだ。
まあ、榊浦美優の生存がウィザードにバレたところで大した問題はないと思うけれど。
仮にウィザードが脱獄後に榊浦豊と手を組んだとして、榊浦美優の居場所を知らなければ何もできないし。
だからと言って、ウィザードにこれ以上余計な情報を与えるのもよくないだろう。こちらの想像もつかない悪用をしてくる恐れもある。
俊介は他のボロが出る前にウィザードから顔を逸らし、ゼロツーの方を見た。
そして、後ずさった体勢のままのゼロツーを見て俊介が眉をひそめる。
「…………なんか、ゼロツー、ちょっと汗かきすぎじゃないか?」
顔に小さな水の粒が無数にできるほどだらだらと滝のように汗を流すゼロツー。
彼は俊介の言葉にハッと目を見開き、袖口で顔の汗をぐしぐしと勢いよく拭った。
そして平静を無理やり作ったような声色で、口角を不自然に上げながら言葉を吐く。
「ああ、いや……。榊浦豊と喧嘩してたり、榊浦美優を部下にしてたり、どっちもイカれてるなと思ってさ……」
「俺も別に喧嘩したくてしてるわけじゃないんだけど。……っていうか、向こうが喧嘩ふっかけてきた側だからな」
あんな
自分や家族に危害を加えようとしてくるから、こっちも全力で抵抗しているだけだ。
そんな風に考えながら言った俊介の言葉に、ゼロツーは引きつった笑顔を消す。
そして温和な声色でゆっくりと言葉を吐いた。
「そっか……榊浦豊に喧嘩売られるとは災難だね。ま……実のところ、僕様も偉そうにふんぞり帰ってる
「? そ、そう……」
「外に出たら手伝ってやろうか? 榊浦豊との喧嘩」
「ありがたいけど……そういう相談は外に出て落ち着いてからでいいでしょ」
「……まあ、それもそうだ」
まだ刑務所の中にいるのに外の話をするゼロツー。彼は自身の言葉に「ふっ」と小さく鼻で笑った。
榊浦豊に対して過剰に反応しているし、節々の言葉の言いぶり的に、ゼロツーは榊浦豊と何らかの関係があるのだろうか?
まあ、その話を聞くのは刑務所から出て落ち着いたときでもいいだろう。
俊介はゴホンと咳払いをし、手紙を全員に見えるようにかざしながら言葉を紡ぐ。
「話を元の方に戻そう。ゼロツー達と話し合いのは、手紙の中に書かれてる脱獄に役立ちそうな情報についてなんだ」
「……『役立つ情報』って、具体的には?」
ゼロツーが口をへの字にしながら、与えられる情報を咀嚼する準備を取る。
その様子を見ながら、俊介はMRK以外の脱獄に役立ちそうな情報を頭の中で考えた。あんな劇物情報は後で話さないと、他の有用な情報を伝える暇も気の余裕もなくなってしまう。
そして思いついた情報をゼロツーの目を見ながら口に出す。
「役立つ情報って言っても、まあ二つくらいしかないんだけど……。一つ目は、『この刑務所が近畿地方の山奥にある』ってことかな」
「へえ~っ! そりゃかなりいい情報だね!! 大まかに現在位置が分かるだけでも脱獄後の動きが良くなるよ!!」
一発目に出てきた情報がかなり有用だったことで、ゼロツーは思わずキラキラと目を輝かせた。
この脱獄計画では、刑務所から脱獄したあとの動きはなるべく迅速に行う必要がある。
もたもたしていると看守に脱獄したことがバレ、看守経由で人対に情報が伝わり、敵に戦闘準備を万全にする時間を与えることになるからだ。
そして『脱獄後の現在位置を調べる』という工程をこの情報で省けたことは、脱獄計画の成功率の上昇に繋がる。
「近畿の山奥程度なら適当に車でも奪えば移動手段としては十分だね。いやぁ、この刑務所が本州にあってよかったよ。最悪どっかの孤島とか、海の底かもって覚悟もしてたから……」
安堵したような息を吐くゼロツー。
やっぱり計画のリーダーだけあって、色々と考えていてくれてるんだな。そういう計画立案をやってくれているのは本当にありがたいことだ。
……これから渡す
俊介が不安そうな顔で、手紙を持つ手に力を籠めながら言葉を放つ。
「それで、まあ、二つ目の情報……。っていうかこっちがヤバすぎるから急遽ゼロツー達を探したっていうか……」
「……? ヤバい情報? ハハハ、囚人が脱獄したときのために刑務所丸ごと吹っ飛ばす爆弾があるとか? なーんて」
冗談めかしたようにそういうゼロツー。
1パーセントくらいの確率で本当かもとは思いつつ、そんな爆弾を仕込むくらいなら今ごろ囚人全員を皆殺しにしているだろうと考え直す。
刑務所の場所という大きな情報が得られたことで、彼のテンションはいつもでは考えられないくらいに上がっていたのだ。普段なら言わないちんけな冗談を言ってしまうくらいには。
……そして目の前の現実は、ゼロツーの下らない冗談を遥かに凌駕していく。
「いや、刑務所を百個は吹っ飛ばせる
「ハッハッハッハ…………はっ?」
機嫌よさげなゼロツーの笑みが止まる。
俊介の放った言葉を頭の中で噛み砕こうとし、しかしそれができず、困惑しきった間抜けな顔を浮かべた。
――――それと同時に。
「くっくっくっくっ、くくくくくく……」
ウィザードが部屋の隅で愉快そうに、腕を組んだまま上体を前にかがめるようにして笑い始めた。
その奇怪な様子に、未だ脳内回路が追いついていないゼロツーが振り返りながら問う。
「な、何急に笑ってんだウィザード?」
「くくく……なぁに。まさかこんな刑務所の中で
代名詞でぼかしているものの、俊介の言う超爆弾の意味に気づいているような物言いをするウィザード。
自分からMRKについて話すつもりだったとはいえ、『超爆弾』というワードだけで先にMRKに気づかれるのは予想外だ。
『超爆弾』という短い単語が『MRKが刑務所に運び込まれている』なんてイカれた答えに辿り着けるほどのヒントとは思えない。一体どうやって気づいたのだろうか?
そう考えるのも束の間、悩む俊介に対しウィザードが自ら答え合わせをするように語り始める。
「さっき、『夜桜電機』って社名が銘打たれた設備を看守が運んでいくのを見たよ」
「!」
「夜桜電機……夜桜……
「…………」
無言を保ったまま、俊介はウィザードがMRKに気づいた理由に納得する。
夜桜さんは親の会社の名前を利用して、偽装したMRKを刑務所に運び込んだのだろう。
そしてそれをウィザードが偶々目撃していたのだ。
(……そんな場面を見られていたなら、ウィザードにMRKのことを隠していてもいずれバレてたな。頭が良い上に悪運もいいとか勘弁してくれよ……)
一応脱獄計画の味方なのに、ウィザードだけは一向に味方とは思えない。なんか生理的に受け付けない。
計画が無事に完遂してもこいつとは絶対に仲良くなれないな。
そんな風に思いながらも、一番警戒すべきウィザードに先に気づかれてしまったことで、逆に肩の荷が下りたのか。
俊介は先ほどより少しぶっきらぼうな声色になって言葉を吐いた。
「あー……ま、俺が言う前にウィザードが先に気づいちゃったけど。実は、この刑務所に『MRK』って凄い爆弾が運び込まれてるらしいんだよね」
「えむあーるけー? ……うーん、そんな名前をした超威力の爆弾があるって話は聞いたことないけど……」
俊介の言葉に、ジャンが視線を左上に向けて思案しながらそう言う。
バクダンしか作れないトンデモ爆弾が裏社会で売られているわけもない。ジャンが知らないのも仕方ないだろう。
ま、ジャンにはゼロツーと一緒にMRKについて解説すればいい。
そうすれば一刻も早く回収すべきブツで、脱獄に役立って、ウィザードに触らせるべきではない物なことがわかるだろう。
そう思いながら、ゼロツーの方を向いた瞬間。
「……Merciless Reality Killer……」
「?」
突然、ゼロツーが真面な顔で何かを呟いた。
何を言ってるんだと問う暇もなく、彼は捲し立てるように続きを話し始める。
「国に認定された人格になるってのはめちゃくちゃに難しい。前世から持ってきた革新的な研究成果をいくつも政府に提出したり、類い稀なる特殊性を証明したりした上で、それでもなれるかどうかってレベルの存在だ」
「……何の話?」
「それだけなるのが難しい分、国認定の人格を宿してる奴には生涯遊んで生きるのに困らないほどの恩恵が与えられる。榊浦豊の奴が認定人格が国外に逃げないよう、どっぷり餌を与えてんだ」
ほ、ほえー……。
国認定の人格ってそんなになるの難しかったんだ。
2人だけの複数人格持ちが国認定されてるって夜桜さんが言ってたし、そんなに難しくないと思ってた。
いやでも、結局これ何の話をしてんの?
「そんな国認定の人格に、たった一つの研究成果を見せただけでなった奴がいる」
「…………」
「そいつが国に見せたのは、たった一つの爆弾が起爆する瞬間だけ。設計図はおろか爆弾の現物すら提出しない怠けっぷりなのに、そいつは国に認定された人格に成った」
爆弾、国認定の人格。
それってまさか……いや、まさかじゃなくても。
「異世界から来た人格の中でも別次元の天才、爆弾技師バクダン。
そいつが国に見せた最強の爆弾の名は、
半径百キロ以内の指定物のみを爆破できる魔法の爆弾。……その頭文字を取った略称が、俊介の言う超爆弾『MRK』だ」
…………!?
なんか、知ってるけど知らない爆弾の話をしてる……!!
前話も今話も話があんまり進んでねー!
多分次話から動き始めると思うのでお許しください。