時刻は夜中の8時頃。夜の帳が降り、風が冷たくなる時分。
……とても面倒な事になって来た。
旅館の中で一番広い玄関前にある椅子に座り、ため息を吐く。
現在、折川旅館に居る全ての人間が玄関前に集まっていた。
この旅館を経営する折川親子3人、俺を含む客が4人、計7人だ。
『1人死んだくらいでわざわざ集まるかねぇ……』
『同感だな。ただの包丁程度、単独でも対処は十分に可能だ』
マッドパンクとガスマスクがつまらなさそうに言った。お前ら基準で物を見るな。
まぁでも、俺も正直、この旅館での一件は殆ど終わったと感じている。
「クソ、この中に人殺しがいるっちゅうんかい!」
客の中の一人、スーツ姿に眼鏡を掛けた、神経質そうな中年の男がそう言った。
ちなみに、被害者をぶっ刺した殺人犯はこの男だ。
ハンガーに頼んで各部屋を見に行って貰ったら、この男の泊まっている部屋の洗面所に、血を洗った跡が残っていたそうだ。
多分、刺して部屋に戻った所で女将が死体を発見したから、完璧に処理できなかったんだろう。旅館の大将に頼んですぐに全員集めてもらったし。
「……とりあえず、自己紹介じゃないのか? こんな状況だが、お互いの名前も分からないんじゃどうしようもないしな」
「フフフ……私もその案、異論ありません!」
「ちっ、殺人犯と名前交わすとか冗談ちゃうで……!」
何処か粗暴さを感じさせる黒スーツの男性、中学生が考える探偵みたいなちょっとキツ……無理のある恰好をしている女性、殺人犯がそれぞれ順番に自己紹介を始めた。
「俺の名前は
「私は名探偵、
「チッ……ワイの名前は
変な人達ばっかだなぁ。いや、俺も人の事言えなかった。
自己紹介の順番が回って来たので、ぺこりと頭を下げながら言う。
「日高俊介です。学生で……ここには温泉旅行に来ました」
「けっ! 兄ちゃん、こんな状況でそないな澄ました顔して、実は犯人とちゃうんか?」
お前が言うな。
どうやってこのエセ臭い関西弁の男を犯人として吊るし上げるか考えている時、坂之下さんがいきなり高笑いし始めた。
「フフフ……アハハハハ! こんな事件、この名探偵が一瞬で解決してあげますよ!!」
「解決した事あるのか?」
「そんなこと聞かないでください!!」
牙殻さんの言葉が彼女のハートに刺さる音が聞こえた。
多分解決した事ないんだろうな。いや現代社会で、探偵が出張るような状況って殆どないだろうけども。
「私、頭は悪いですが、この恵まれた勘と閃きで犯人を割り出してあげます!」
探偵で頭が悪いって致命的な欠点じゃないのか。
そう思ったが、坂之下さんがうんうんと頭に人差し指を当てて唸りだすのを、全員で見つめる。
そして30秒ほど経った時、彼女が突然顔を上げて、大声で言った。
「――――分かりました!! この旅館に、人殺しは
「女将さん、ワイ今すぐ帰るわ」
「ですが真下様、今一人で行動されるのは危険では……」
「人殺しと一緒にいる方が危険や」
華麗にスルーされたな……。
坂之下さんに向ける全員の目が一段と冷え込んだのを感じる。
『おっ、当ったりぃ~』
『中々見どころのある直感だ』
だが、殺人鬼達からの感心したような目線だけは暖かかった。いやなんで俺の中にいる殺人鬼の数まで当ててきてんだよ。
……ん?
俺の中の殺人鬼が13人。エセ関西弁の殺人犯が1人。なのに、15人?
1人多いな。一体どういうことだ? 彼女の勘が外れていると言えばそれまでだが。
そんな風に考えている中、女将の制止も聞かず、無理に玄関扉を開けて外に出ようとする犯人の真下。
そして、外の様子を見て、驚いた様子で声を張り上げた。
「―――は、橋が壊れとるやないかッ!!」
その声に反応し、全員で外の様子を見に行く。
確かに彼の言う通り、来るときにはあった橋が何処かへ消えていた。底が見えないほど深い谷は、ヘッズハンターくらいの脚力ならともかく、常人には橋無しで渡ることは出来そうにない。
牙殻さんが僅かに残った橋の残骸に近づく。
そして吊り橋を吊っていたロープの断面を見て、背後にいるみんなに向けて言った。
「断面が綺麗すぎるな。経年劣化で千切れた物じゃない、明らかに人為的にやられている」
「そんな……これでは警察の方をお呼びしても、この旅館まで渡れません!」
「いや……それは大丈夫だろう。警察にはヘリがある、天気さえ荒れなければ心配はない」
そう言って空を見る牙殻さん。
日はすっかり落ち切っているが、雲の姿はどこにもない。この調子では天気が荒れる心配もないだろう。俺が何かするまでもなく、警察の手によって事件はあっさりと解決しそうだ。
旅館の中に入り、ふと、夕食が途中だったのを思い出す。
おかげで腹の中は5割ほどしか満たされておらず、腹の音が鳴ってしまった。だが死体を見て間もないからか、食欲は余りない。
水で胃の中をタプタプに満たそうと、近くに居た、女将さんの娘さんに声を掛ける。
「すみません。申し訳ないですけど……水が何処にあるか教えて貰ってもいいですか?」
「えっ、は、ひゃい……」
彼女がトコトコと台所の方に歩いていくのに着いて行く。犯人が分かっているとはいえ、女の子をこの状況で一人にさせる気はない。
コップを受け取り、地下から汲み上げたであろう綺麗な水を注ぎ、一気に飲み干す。
……この水、今までに飲んだことがないくらいに美味い。もう一杯飲むが、それも美味かったので、どうやら喉が極端に渇いていたからという訳ではなさそうだ。
「すごく美味しい水だね」
「その、この辺りのお水や温泉水には、とても珍しい成分が混じっているんです。それが旨みだったり、体が良くなる効能を引き出したりと、良い効果を起こしているんですよ」
へー……。
その成分のおかげで、ただ汲んだだけの水がこんなに美味しいなんて、とても信じられない話だ。ペットボトルに詰めて販売したら、こぞって人が買いに来るだろう。俺も買いに行く。
「そういえば……えーっと」
彼女の胸の辺りに白く刺繍されている、『折川
コップを流しの中に入れ、彼女に話しかける。
「結城ちゃ……さんって、確か麓の温泉街で歌ってたよね? とっても上手だったよ、なんかその……そういうアイドル活動的なのをやってるの?」
見知らぬ小学校高学年相手にちゃん付けはまずいな。
そう思いながら彼女の方を見ていると、ぶんぶんと首を横に振って、こちらの言葉を否定してきた。
「違います違います! アレは私じゃなくて、その、私の中の」
「……もしかして、
「は、はい。『どうしても歌で世界を支配したい』って言ってて、私は人前に出るのが苦手なので、必死に断ったんですけど……」
この子、人格持ちだったのか。
ちょっとデリケートな所突っ込んじゃったかな。
彼女が気まずそうにしている俺の感情を察したのか、おどおどした様子で言う。
「その、もしよかったら話してみますか? 歌が上手っていうのは、
「え? あ……そうだな、じゃあ、せっかくなら」
好意を無下にするのも悪いな。そう思い、彼女の言葉に肯定の意を返した。
すると、静かに『マオ』と呼んだ結城さんの頭がガクッ!と揺れる。
そして次の瞬間、ギラリ!と真っ白な歯を覗かせ、先ほどは天と地ほどのテンションで彼女が喋り始めた。
「中から見ておったぞ、平民!! 耳がとろけて思わず服従しそうなほど儂の歌を上手いと感じるとは、なかなか分かっておるではないか!!」
上手だと思ったのはホントだけど、そんなには言ってないです。
「よいよい、謙遜するな。だがその態度、なかなか嫌いではないぞ」
いや別に謙遜して……ん?
ちょっと待てよ。
「なんだ」
「…………もしかして、俺の心の言葉を読んでる?」
「当たり前だ。平民の心言ごとき、この体でも簡単に感じ取れる。儂でエロエロな妄想をしてもすぐ分かるからな」
しねーよ。
……というか、人の心の言葉を簡単に読めるって、相当ぶっ壊れた性能してないか?
途端に目の前にいる少女、マオの事が気になってくる。
もし心を読める以外にもいろいろ出来るなら、多分、俺の中にいる殺人鬼達と同等レベルに強いだろう。
いったい異世界ではどんな人物だったのだろうか。
「ほう、儂の正体が気になるか?」
「……まあ、それなりには」
「くーーっ!! 儂の
突然何を言ってるんだ?
そう口にする暇もなく、マオがそこらにあった台の上に乗り、バッサァ!と服を翻しながら堂々と宣言した。
「儂の真の名前は、アルベール・ガイアスト・サッドローム!!
とある世界で、闇に巣食う全ての魔の物をまとめ上げ、全世界支配の一歩手前まで行った女帝…………つまり、『
アルベール・ガイアスト・サッドローム。
――――
凄く聞き覚えのあるワードだ。
正確には、俺の中に住む殺人鬼の中で、ダントツ一番強いあの黒騎士からの話で聞いたことがある。
そして、赤くて丸い果実と言えば、真っ先にりんごを思い浮かべてしまうように。
もやもやと頭の中に、魔王という言葉と関連性のある『ダークナイト』の姿を反射的に思い浮かべてしまった。
「……あ? 平民、そのすがた、おまえ」
マオ――――恐らく魔王から取った名前の彼女が、顔を青ざめる。恐らく俺の心の中のイメージまで読み取ってしまったのだろう。
全身が電気ショックでも食らっているみたいに痙攣し始め、大きく見開いた目を血走らせ、そして、大きく息を吸い。
「――――アムッッグアアッギャアガアガアアァアアアアアアアアアアア!!!!」
化け物みたいな声で叫び始めた。
その声は当然、台所の中を越え、玄関前にいる他のみんなにまで届く。
そして、他の客と折川夫妻が台所に駆け付け、見た物は。
口の端から泡を吹きながら、陸に揚げられた魚のようにビチビチと跳ねる、マオこと折川結城の姿と。
それを必死になだめようと不審な動きをしている、日高俊介――俺の姿だった。
台所に他の人たちが入ってきたのを見て、弁明しようと口を開く前に、地面に押さえつけられた。
俺の腕と首を掴んで完璧に拘束しているのは、警察である牙殻さんだった。
「悪いが拘束させてもらうぞ……!! 状況がよく分からんがな……!!」
ガスマスクが俺と変わろうとするが、それを目でけん制する。
今のこの状況で警察に俺が人格持ちだとバレたら、更に最悪な事になるからだ。女児を怪しげな人格の力でおかしくした変態犯罪者……プラス殺人もくっついてきて、一気に豚箱行きだ。
結束バンドで両手を後ろで縛られる。
仕方ない。こんな旅館内で殺人が起きた状態で、あんな場に居合わせてしまったんだ。怪しまれて当然、拘束を受け入れるのもやむなし。
でも言わせてください。
女将さん、俺の事をヤバい変態を見る目で見ないでください。
俺が全部悪いんじゃないんです。
マオが一瞬であんな風になる『
だからこの罪は誤解です。俺は誓ってやってません。
この罪は誤解なんです――――。
そんな俺の心の叫びは誰にも届くことなく、牙殻さんに別室へと連行された。