酷い雨が壁を殴る音が聞こえる。
さっきまでは雲一つない夜空が広がっていたというのに。
「…………」
後ろ手を拘束され、旅館の中の一室に座り込んでいる。
牙殻さんにこの部屋まで連行され、そのまま放置されているのだ。
部屋の中は窓のない密閉空間で、所々に保存用の食料品だったり、透明な袋に包まれた数枚入りのタオルだったりが見える。恐らくここは旅館の倉庫なのだろう。
ガスマスクが俺の顔の横にしゃがみ、話しかけてくる。
『外に出るか?』
「うーん……。出ても疑われるし、このまま座ってても犯人として警察に突き出されそうなんだよな」
ダークナイトの何かのせいで、マオが痙攣発狂して捕まってしまったのがかなり不味い。
あのエセ関西弁を犯人としてさっさと吊り上げないと。俺が犯人に仕立て上げられそうだ。
「…………とりあえずこの結束バンドを外すか」
このまま座ってても何も始まらない。しかし無闇にこの部屋の外に出れば、また牙殻さんに取っ捕まって、今度は警察にまで連行されそうだ。
とりあえず、何かないかこの部屋の中を探ってみよう。
ガスマスクに両腕を譲り、結束バンドを外してもらう。素手で刃物もないのにどうやったのかは分からない。
『マッドパンクは外の様子を見に行った。俺は俊介の側に居よう』
「ああ、ありがとう。それと……いざ何かあった時は、遠慮なく体を奪ってくれ」
『いいのか?』
「条件は知ってるだろ?」
――――体の主導権を奪う条件。そんなに大層な物でも難しくもない。
①体の8割以上が重なっている事。
②頭と頭が重なっている事。
この2つだけだ。
こんなゆるゆるな条件、明らかに異世界から来た人格側の方が有利だと思うんだよな。まあそんな事考えても仕方ないけど。俺が自分で調べただけで、他の人がこれと同じなのかも分からないし。
倉庫の中をガサガサと調べ始める。
と言っても、食料品やら旅館整備の道具やらが出てくるだけで、そんなに面白い物は出てこなさそうだが……。
そして、倉庫の奥の方に積まれていた何かの紙束を持ち上げ、パラパラと捲っていく。
軽く100枚近くありそうなそれの殆どは、旅館の売り上げだとか税金だとかの金に関する書類だった。
「こんな所にお金の書類を置いてちゃダメだろ……」
大将さんに女将さん、結構杜撰なところあるんだな。
そう思いながらもパラパラと紙を捲り続け……一番下にあった書類の内容に目が留まった。
「これは……」
『……土地の売買に関する物だな』
その書類は要約すると、この折川旅館と、折川旅館が所持する周辺の山の土地を売って欲しいという内容の物だった。
提示された金額はとてつもなく、0が9個も並んでいる。いくら有名な観光地の近くの土地とはいえ、余りに破格すぎる金額だ。金に関する知識が全くない高校生の俺でも、この内容が異常なのは一目で分かる。
そして、折川旅館にこの売買を持ちかけたのは……。
「……
医学なんてこれっぽっちも知らない俺でも聞いたことがある社名だ。確か、相当規模のデカい、所謂国を動かす大企業の一つだったはず。
なんだか、ヤバい所で点と点が繋がってきた気がする。
あの真下とかいう男、製薬会社に勤めているとか言っていた。被害者の男はまだ調べていないが、もし被害者も製薬会社の人間だったとしたら、もしかしたら犯人は……。
――――ガンッ!!
倉庫の唯一の扉を、思い切り叩かれたような音がした。
持っていた紙束を置き、ガスマスクに両腕を渡して、扉の方を睨む。
数秒後、扉の鍵を外し、中に入ってきたのは。
「……!? 真下……!!」
包丁を持った、明らかに正気ではない様子の真下であった。
クッソ、やっぱりこいつが犯人だったのかよ!!
「ガスマスク!!」
『頼まれた』
刃先を前に構え、突進してくる真下。
俺の両腕を操るガスマスクが、一瞬で包丁を叩き落とし、真下の両肩の骨を外して地面に叩きつけた。
肩甲骨の間を強く踏めば、両腕が動かない真下はもう立ち上がれない。拘束完了だ。
「いきなりなんだよ……」
倉庫で拘束されてる俺なら簡単に殺せるとでも思ったのだろうか。
いや、普通の奴は殺しやすいというだけで人を殺さない。そんなことを考えるのは俺の中の奴らくらいだ。
真下をそこら辺にあった縄で縛り上げ、倉庫に放置する。
何かがおかしい。
マッドパンクとキュウビが旅館の中に居るはずだ、2人に合流しつつ情報を集めよう。
警戒しながら倉庫の外に出る。
ガラス窓に横殴りの雨が叩きつけられ、時折雷でバッと廊下全体が光る。閉じ切った倉庫の中だと分からなかったが、こんなに酷い雨が降っていたのか。
廊下を曲がり、暗闇を歩く。
すると、被害者の部屋の前に、キュウビが立っているのが見えた。
『…………』
不機嫌そう。
牙殻さんに廊下を連行されている時、何かしようとした彼女を無理やり制止させたんだよな。仕方ないだろ、あんな状況でキュウビと変わったら絶対大変な事になる。
「誰か通った?」
『…………肥満男。女』
相当怒ってるな……。帰ったら何かしてあげないと。
肥満男ってのは多分、中年腹が出てる真下の事だろう。ただ……女とはどっちの事だ? 女将か、坂之下さんか?
「ありがとう」
彼女に礼を言い、被害者の部屋の中に入る。
当然、遺体はそのままで、胸には包丁が一本ぶっ刺さっている。
スマホで『渦島製薬』の公式ホームページを開きながら近づくと、胸の辺りから名刺が飛び出ているのが見えた。
指紋が付くのを恐れて触ることは出来ないが、微かに見えるロゴマークは確かに『渦島製薬』の物だ。
「やっぱり渦島製薬……。それで、この旅館の土地の売買を持ちかけたのもこの会社か」
0を9個も並べるような額を出して土地を買いたいなんて、相当異常だ。
金という力は集まれば集まるほど怖い、これは人が何人か消えてもおかしくないくらいの額なのだ。
踵を返し、部屋の中から廊下に出る。
「おや?」
廊下には坂之下さんが居た。ハンカチで手を拭いている事から、トイレにでも行っていたのだろう。
「さっき拘束されたはずでは……?」
「ま、真下さんに襲われて、逃げ出してきたんです」
「何ッ!? 犯人め、ようやく尻尾を出しましたね!!」
そう叫んで、ドタドタと先ほど俺が拘束されていた倉庫に駆けていく坂之下さん。
ふぅ~……と一息吐きたくなるが、そこでふと思い出す。
キュウビは確か、中年男と女が廊下を通ったと言っていた。
この旅館に居てかつキュウビが女と言いそうな人物は、坂之下さんと女将のみ。マオは小さすぎる。
一体2人が何をしに通ったか知らないが、真下が俺を襲ってきたのは事実。
だがあの真下の持つ包丁には血も何も付いていなかった……つまり、真下は俺の事は襲ってきたくせに、女将の事は襲わなかったのだ。
「……くッ!」
嫌な予感がした。
坂之下さんが倉庫に向かったのをすぐに追いかける。
別にそう遠い距離ではないので、廊下を曲がった先の倉庫まで1分もかからず辿り着いた。
すると、倉庫の中でせっかく縛った真下の縄を解く女将と、その傍で立ち呆ける坂之下さんが居た。
「何やってるんですか」
女将に、低くした声で言う。
すると彼女が縄を解く手を止め、ゆっくりとこちらを振り返った。
「……困ります、日高様」
『俊介、目を見てはならんぞ』
いつの間にか背後についてきていたキュウビ。部屋の前に突っ立ってるのに飽きたのか、それとも俺の危機を察してこっちに来てくれたのか。
マッドパンクの姿もチラリと見えたので、多分2人で戻って来ただけだろうとは思うが。
『陰道の禁術か……。ふん、物騒な物を教えた奴がいるものじゃ』
「知ってるのか?」
『似たような物をな。アレは平たく言うと、洗脳の術じゃ。しかし術の掛け方が未熟……誰かから教わったものじゃろう』
マオに続き、また同じ世界から来た奴がいるかもしれないのか。
だが今はそれよりも、目の前の女将だ。
「女将さん……あなたが黒幕だったんですか?」
「人聞きが悪いことを言わないで下さい。全ては……この渦島製薬が悪いんですよ」
そう言って、俺が出しっぱなしにしていた例の売買に関しての紙を指さす。
「折川旅館とこの周辺の山の土地は、代々私の一族が管理してきました。いくらお金を積まれても、お譲りできるものではないんですよ」
「それと今回の殺人に、一体何の関係が?」
「……このお方々は渦島製薬の役員。これ以上土地の売買を渋ると、強硬手段も辞さないと言ってきたのですよ」
土地を譲りたくない女将。
なぜかは知らないが、どうしてもこの土地が欲しい渦島製薬。
それらがこじれに拗れまくった結果、起きたのが今回の殺人事件だったようだ。
……あれ? じゃあ何で俺、狙われたんだ?
渦島製薬との関わりなんて何もないし、今日泊まりに来ただけのただの一般客だぞ。
「……ですが、貴方はとっくにそんな事、ご存じでしょう?」
「は?」
「私の娘に手を出そうとするなんて……貴方方にはよっぽど、人の心が御有りでないようですね」
ゴミを見るような目で俺を見つめる女将。
あー。
俺、渦島製薬の一派と勘違いされてるのか。人格が違うとはいえ、自分の愛娘を陸に揚げられた魚みたいにされたら、そりゃ疑うよな。
……とんでもない誤解だよ!!
「い、いや、アレは誤解で―――」
「言い訳は必要ありません!」
女将の言葉を皮切りに、キュウビの言う禁術で洗脳された、坂之下さんと真下が襲い掛かってくる。
『2人纏めてか。俊介、その場で足に力を入れていろ』
しかし、たかが一般人。
両腕の主導権をガスマスクに渡した瞬間、2人は一瞬でその場に叩き伏せられた。無理もない。頭を使う勝負ならともかく、腕っぷしの勝負なら負ける道理はない。
「な……」
唖然とする女将に一歩で近づき、地面に叩きつけて拘束する。
完璧な関節の極め方だ、ただの女性に解けるはずがない。痛みに苦悶の表情を上げる女将が叫ぶ。
「くッ、折川旅館は私の大切な場所……渦島製薬には絶対に渡しません!!」
「すみませんが俺、渦島製薬と関係ないです。娘さんの事は事故です、ごめんなさい」
「え?」
そうしていると、牙殻さんが倉庫の中に入って来た。
俺が関節を極めたまま状況を説明すると、頷き、女将を結束バンドで拘束。
こうして、折川旅館での殺人事件は幕を閉じた。
……なんか釈然としない終わり方だな……。
――――――
翌日。
昨日の嵐は嘘のように晴れ、警察から、ヘリがこちらに着くまで一時間程だという連絡が来た。
ちなみに昨日、雲一つなかったのに突然嵐が来たのは、どうやらマオのせいらしい。
感情の高ぶりで周囲の天気を引っ搔き回してしまう事が稀にあるのだとか。
気持ち一つで天気を操れるような化け物にダークナイトは本当に何をしたんだ。
そういう疑問を胸に抱きながら、ヘリが来るまでの一時間の間、どうやって時間を潰そうかと考えていると。
「風呂入ってねーじゃん」
そう、この折川旅館の名物である温泉に入っていなかった。
女将は完璧に拘束しているし、一応操られていたとはいえ、人を刺した真下も拘束しておいた。
部屋の中のバッグから着替えを取り出し、温泉に向かう。
服を脱いで腰にタオルを巻き、脱衣所と温泉を仕切るすりガラスの扉を開けると。
「おぉ……」
朝日の光で黄金色に光る湯の上に、青々とした木の葉が付いた枝が枝垂れている。まるで、意思のない木すらもその温泉に漬かりたがっているようだ。
シャワーや鏡はそれぞれ3つしかなく、大人数が一気に入ることは出来ない。しかし、人工物が余りないからこそ、この自然と温泉のまじりあった美しい風景が保たれているのだろう。
夜桜さんがこの旅館の温泉をおすすめした理由が分かる。
本当に殺人事件とかに巻き込まれずに、この温泉に入りたかった。
体を洗っていると、カラカラと脱衣所の扉を開く音が聞こえた。
「……ん。ああ、入ってたのか」
牙殻さんだった。同じく温泉に入りに来たようだ。
俺と一つ開けたシャワーの前に座り、同じく体を洗い始める。
そして2人同時に、黄金色の温泉の中に体を落とした。
昨日の疲れをほぐすように、微かな湯の流れを体全体で感じていると、彼が話しかけてきた。
「昨日は悪かったな。拘束してしまって」
「あ……いえ、大丈夫です。あんな状況でしたから」
まあ、俺だってあんな場面を見たら拘束してただろう。明らかに怪しかったし。
そうすると、牙殻さんは俺の顔をじっと見たまま。
「君、人格持ちだな?」
そう言ってきた。
ミステリ物書ける人は凄いと思いました。
ネタをこねくり回してもどうも上手く行かなかったので、かなり駆け足です。ご容赦ください。