バイクのハンドルを思い切り捻る。
だが絶対的な速度を左右するエンジンは向こうの方が圧倒的に格上、このまま走っていても追いつかれるのは目に見えていた。
チラリと、視界の端に映った標識を見る。
(1番近いインターまで3キロ……!)
普段ならちょっとの距離と考えるが、こんな状況では絶望的な程遠くに感じる。
俺には余りに荷が重すぎる状況だ。
『俊介、安心しろ。銃弾の大きさなんてたかが知れている、動き回っていればそうそう当たらん』
そういうもんなのか……!?
ミラー越しに、背後の男がバイクの端に固定してあった細長い小銃を手に取ったのが見えた。そして狙いをこちらに定め、引き金に指を掛けて。
――――バババババババババババッ!!
聞きなれない生の銃声。それが自身に向けて放たれた物だと思うと背筋が凍る。
一気にハンドルを右へ左へと傾け、蛇行運転で銃弾を避けた。
パリン!と右のミラーが割れる。
割れたミラーの欠片が弾け、頬の肉を裂き、鮮血が空を走る。頬がカァッと熱くなるが、アドレナリンのおかげか痛みは感じない。
そんな俺の頬の傷を、マッドパンクが光の消えたどす黒い眼で見た。
『……ガスマスク』
『分かっている。だが今はどうにもできない』
『これ以上は……』
マッドパンクとガスマスクの纏う雰囲気が一段とおどろおどろしくなり始めた。
怖いから俺の前と後ろで喧嘩しないでくれ!
左のミラー越しに、銃を持った男の乗るバイクが近づいてくるのが見える。
さっきはギリギリ避けられたが、これ以上近寄られると流石に無理だ。
再度見える標識。
最寄りのインターまでは残り1.5キロ。近づいてはいるがまだ遠い。
「ガスマスク、こういう状況の時は……どっ、どうすればいいんだ!?」
『スピードを落としてぶん殴る』
出来るかアホ!
バイクを運転する技術だって並、体の強さも並の俺に出来る芸当じゃない。
そう悩んでいる間にも、相手は確実に当たる距離まで着々と近づいて来ている。
…………。
「左腕だ、ガスマスク」
やるしかない。
右手でブレーキを一気に握り込み、120キロから60キロまで瞬時に減速する。
咄嗟の行動だったが相手も猛者だ。一瞬で銃を構え、乱射してくる。
ここまで来たらもうヤケだ。頭を下げて更に減速して、相手のバイクの右側に着く。
「なッ―――」
相手の焦る声。それを意に介すことなく、ガスマスクの操る左腕が動いた。
左手で小銃の筒先を掴み上げ、空に向かって発砲させる。弾が切れた瞬間、銃を絡めとるように奪い、銃床で相手の顎を殴り飛ばした。
意識が混濁したのか、バイクのハンドルから手を離す男。
すかさず再度体を殴りつけ、相手の体を後方へ吹っ飛ばした。彼は地面と平行になるように宙を飛び、背後を走っていた黒い車のフロントガラスにぶち当たる。
視界を防がれキャリキャリと減速していく車。
そんな後方の様子を見ながら叫ぶ。
「おいアレ死んでないか!?」
『わざわざフロントガラスに吹っ飛ばしたんだ、全身の骨にヒビが入るくらいで済む』
「本当かよ……!!」
ガスマスクが弾切れの銃を捨てた左手で、主のいなくなったバイクのハンドルを掴む。
相手も今の応酬で俺が只物じゃないと分かったのか、一斉に銃を構え出し始めた。
焦る俺を気にせず、静かにガスマスクが言う。
『一気に加速する』
「は!?」
主の居ないバイクのスピードを一気に加速させる。
それと同時に、減速していた俺のバイクのスピードもそれにつられる様にみるみる上昇していく。相手方の格上エンジンを利用した訳だ。
だが。
「うおおおおおおおっ!!?」
他人のバイクで加速なんて、当然、滅茶苦茶危険だ。
右手で俺の乗るバイクを必死にコントロールするが、今にもこけそうなほど車体が揺れる。
火事場の馬鹿力でハンドルを車体を保ち続け、10秒ほどで俺のバイクが120キロに到達。
その瞬間、加速に使っていたバイクのハンドルを離す。
スピードに耐えられずにこけ、ガシャンガシャンと音を立てながら吹っ飛んでいくバイク。
それは銃を構えていた他のバイクの主を巻き込み、もろとも吹っ飛ばして行った。
「おいやっぱアレ死んでないか!?」
『9……8割くらいの確率で死んでいない』
「ちょ……おい!! 駄目だろそれ!!」
ようやくインターに到達し、減速することなく脇道に逸れる。
料金所のバーを吹っ飛ばしつつ、高速を降りた先の道を全速力で走って行った。
温泉街のような場所とは違い、全くもって人の居ない場所だ。なぜ高速の出口が設置されているのかも分からないほど寂れている。
人が住んでいるのかも怪しいほどボロい民家が木々の間に並んでいるだけだ。
「ここら辺来た事ないから全然分かんねえ!! マッドパンク、何処に行けば銃が作れそうだ!?」
『……あそこの廃ホテルに入って!』
右手に見えたのは、心霊スポットと言われても疑わないほど廃れているホテルだった。
ホテルというにはカラフル過ぎる色で、こんな人気のない場所で……。
あっ、あれラブホテルじゃないか……!
『俊介、もっとスピード上げないと!』
「わ、分かってるよ!!」
ホテルの入り口のガラスをぶち破り、そのままバイクから飛び降りる。
コンクリートの壁にぶつかったバイクから嫌な音が聞こえたが、俺の財布から万札が何枚か消えるだけだ、大したことない……。
廃ホテルの中にあった階段を一気に駆け上がる。
それと同時に、俺を追いかけていた奴らが廃ホテルの中に侵入してきた音が聞こえた。
「探せ!!」
そんな声を耳に挟みつつ、俺はホテルの階段を更に上る。
このホテルにはいくつか建材が残っている。建物自体は出来上がっているので恐らく、改修工事か何かをしている最中に、資金難でそのまま放棄されたのだろう。
駆け上る俺とガスマスク、その背後をひーこら言いながら付いてくるマッドパンク。
4階まで上り、近くの部屋に入り扉を閉める。
『ぜぇっ……ぜぇっ……運動は苦手なんだって……』
マッドパンクが息を切らしながら扉をすり抜けて来た。半透明の幽霊みたいなのに動くと疲れるのか……。
「この辺りので作れるか?」
『えーっと……あ、いいのがあるね』
両腕をマッドパンクに渡す。
すると、窓の傍にあった何かの工具を指さした。それに近づき、身をかがめ、拾い上げる。
それは俺でも知ってるような、ポピュラーな工具だった。
「電動ドライバー……?」
建物の中で雨風に晒されていないからか、そこまでボロくはない。
流石にバッテリーの中身はなさそうだけど。
『よし、電気はスマホから奪うかな。最悪爆発しそうだけど。後は撃つ機構と弾と……』
爆発……?
バイクの修理代に加えてスマホまで買い替えるなんて、俺の財布が木っ端みじんになるぞ。
恐ろしい事を呟きながらマッドパンクがカチャカチャと電動ドライバーを弄り回す。
数分もすると、階下から幾人もの足音が聞こえてくる。もうすぐそこまで来ているのだ。
「ま、まだか?」
『ん………出来た』
そう言って、目の前に持ち上げられた改造電動ドライバー。
バッテリーとスマホを充電用のケーブルで無理に繋いだそれには、ブラブラと十何発の釘がぶら下がっている。
『射程は多分4メートルちょっとかな。5メートルも届きはするけどそんなに威力ないと思う。それで、トリガーを押したままネジを3秒回転させて、離すと飛ぶ。リロードは一発一発手で先っぽに嵌める。OK?』
……本当にそれは銃と呼んでいいのか?
余りに貧弱すぎる性能だ。いや、放置されていた電動ドライバーからこれを作れただけ凄いと言うべきか。
俺ならこんな物で小銃を持ってるような奴らと戦おうとは思わない。
だがガスマスクは、コクリと肯定の意を込めて頷いた。
『構わない。充分だ』
その返答を聞き、俺は首元に手を当てようとして、動きを止める。
「その、一応の確認だけど……殺さないでくれよ?」
『もちろんだ。任務内容は、殺害せずに対象を制圧、拘束……。問題ない』
自信たっぷりとはまた違う。
まるで出来て当然、歩くことに対していちいち喜びもしない……そんな何の感情も籠っていない返答に、なぜか俺は少し安心する。
そして首元に手を当て、ガスマスクと体を変わった。
――――ガクッと体が揺れ、一瞬の硬直。
バッと顔を上げ、すぐに、やたらと慣れた手つきで簡易銃をチェックし始めた。
そんな俊介の中身……ガスマスクに、マッドパンクが話しかける。
『お前さ、分かってると思うけど』
「ああ。殺しはしない。……ただ相手はプロだ、制圧時に両腕が折れても仕方あるまい」
『なら良いよ』
近くにあったベッドの布を破って顔に巻き、両目の部分にだけ穴を空ける。
いつもガスマスクをしていたからか、何かで顔を覆い隠していないと上手く調子が出なくなってしまったのだ。
「……行くか」
簡素な銃を肘を引いて構えつつ、部屋の扉を開けた。
任務の時間だ。
―――――ガスマスク。殺害人数は、とても数えきれない。
国家間が生物兵器を撃ち合う戦争を行い、崩壊してしまった世界。
一息で内臓が溶ける細菌、自然環境を崩壊させるプランクトンなど、様々な生物兵器が用いられたが、その中で一番猛威を振るったのは人を媒介に生物を生きた死体に変える……所謂ゾンビウイルスであった。
そんな世界に生を受け、非凡なる戦闘の才能を発揮。
ゾンビウイルス撲滅を目標に掲げる組織に入り、組織の特殊部隊のリーダーとして、数多の高難度任務を成し遂げた。
そして部隊所属から8年後、遂にゾンビウイルスの開発を行った極秘研究所の情報を入手。
特殊な変異を遂げた生物が蔓延る研究所の最奥にて、治療薬の資料と現物を手に入れ、隊員全員と共に生還した。
……しかし、手に入れた治療薬は、ゾンビウイルスを予防する物ではなく。
ゾンビに変異してしまった者を、元の人間へと治すワクチンだった。
治療薬が世界の主要シェルターへ広まると共に、数多の任務で多くの感染者を殺害したと広く名の知れていた特殊部隊員は全員拘束。罪状は大量の『殺人』であった。
ただ、彼らが殺したのは人ではなく危険な感染者だ。
治療薬で感染者が人に治り始めた興奮と混乱で一時的に拘束されているだけ、ただの休暇として安全な牢屋の中で過ごすだけと説明された。
そして個別に収監された牢屋の中で半年ほど過ごし、釈放の目途が立ったと知らされる。
他の隊員の姿が見当たらないのを不審に思いつつ、案内されたのは、怪しげな暗い部屋。
部屋の中にはむせ返るような血の匂いが充満しており、足を止めた瞬間、後頭部を硬い物で殴り飛ばされた。
両手は背後で手錠に繋がれており、顔から地面に倒れる。
そこで聞かされた、他の隊員の末路。
治療薬が広がるにつれ主要シェルターの人々が、感染者となり殺された大切な人を助けたかった事や、シェルター内の人口問題や身分格差から来る食料問題などへの怒りを爆発させ、大きな暴動を始める。
頭を悩ませた各シェルターの首脳陣は、感染者殺しとして名の知れていた特殊部隊員に怒りの矛先を向けさせることを決め、メディアに世論を誘導させた。
そして一人一人が生贄として、牢屋から出されていくと共に、口にするのも憚られるような恥辱と苦痛を受ける姿を世界中に放映されながら死んでいったと言う。
それを聞いたガスマスクは、監獄内の人間を全員殺害。
自身が所属していた組織の研究所に乗り込み、命がけで発見した治療薬……それが効かない様に設計された、新たなゾンビウイルスのサンプルを入手する。
そして、世界中に治療薬散布の目的で発射されるはずだったミサイルを乗っ取り。
入手した新種のゾンビウイルスを治療薬の代わりに積み込んで、世界中の主要シェルターに向けて発射した。
――――20時間後。
モニターで、世界が取り返しのつかない状態になるのを眺めながら、拳銃で自身の脳幹を破壊した。
死亡した彼の姿を、その世界の誰かが見ることは永遠になかった。
感染者殺害数≠人間殺害数だったのが、=に変わっちゃった件。
どっちにしろウイルスミサイルでいっぱい殺してるけど。
そして申し訳ありませんが、明日は作者の私用で更新が出来ません。