「ハハハ」
『フフフ』
包帯を左腕と胴体に巻き、朗らかに笑う男子高校生、日高俊介。
それを前にして、朗らかに笑う半透明の翼を付けた女、エンジェル。
「ちょっと状況がよく理解できないんだけどさ。何?
俺の体を奪って、デパート占拠してた犯人をボコボコにして、人格犯罪対処部隊と戦った。これで合ってる?」
『合ってます』
「合っててほしくなかったよ俺は」
ここは日高俊介の自室。
エンジェルはハンガーに、力を込めれば込めるほど強く締め付けられる特殊な縛り方をされていた。彼女の側には腕を組んだダークナイトも控えている。
俊介は正座したまま縛られているエンジェルに近づき、顔を覗き込む。
「傷の事はまあいいよ。痛いっちゃ痛いけど服の下に隠せるし。俺が怒ってるのは何にだと思う?」
『……体を奪ったこと、です』
「それと警察と勝手に交戦したことな。警察にバレたくないって俺は日頃から言ってるよな、エンジェル」
『はい……』
彼が怒っていることは2つ。
体を勝手に奪った事。警察に正体がバレるリスク……戦闘を勝手に行った事。この2つだ。
しゅんと落ち込むエンジェル。心なしか背中の翼も元気なく垂れ下がっている。
普段なら、キツく言いつけるだけで済ませる俊介だが……今回は違う。
「ダークナイト、エンジェルを教えた通りに抱えろ」
『えッ、ちょっ!?』
黒い鎧がひょいっとエンジェルを抱える。
それは……俊介に向かって、彼女の尻を突き出すようなポーズだった。それを確認した後、俊介が机の上に置いていた紙製のハリセンを手に持つ。
「俺はいつも、お前らがやらかしても口を出すだけしか出来なかった。だが今の俺は……お前らに攻撃を加えられる」
コピー技術の応用。
ハリセンを振り、一番勢いが乗った所で半透明のコピーを作り出すのだ。そうすればコピーは勢いを保ったまま、殺人鬼の半透明の体へぶち当たる。要は痛みによるお仕置きである。
「ゴラぁエンジェル!! お前今日という今日は覚悟しろよ!!」
力強くハリセンを振り、勢いの乗った所でコピーを出した。
半透明のハリセンはエンジェルの尻にぶち当たり、スパーン! と良い音を鳴らす。ハリセンはそのまま部屋の中を乱反射し、ベッドの上にぽてっと転がった。
そして、当のお仕置きの一撃を喰らったエンジェルは。
『…………』
何かした? と言いたげな表情でこちらを向いていた。
「ぐッ……!」
『俊介。私はそれくらいのハリセンでは痒さも感じないので、焼きごてか何かを使った方が……』
「いや待てよ。そうか……ダークナイト! この分厚い拘束衣を破れ!」
『え!?』
エンジェルが抵抗する間もなく、ダークナイトが彼女の尻の部分を破いた。
よくよく考えれば、拘束衣なんて分厚い布の上からハリセンのダメージが通るはずがなかった。これは素肌に痛みを与える道具なのだ。
彼女の露出した尻に向け、ハリセンを構える。
『ちょちょちょちょっと待ってください。これでは別の意味のお仕置きに』
「問答無用! 覚悟しろエンジェル!!」
スパーン!と先ほどよりも心地いい音が鳴り響いた。
その音は30回ほど休みなく続き、やがて止まる。
「どうだ……はーっ、反省したか、エンジェル……はーっ……」
『は、反省しました。色んな意味で』
ハリセンを振り続け、疲れ切った様子の俊介。顔を真っ赤にし、息を荒げている。
かくいうエンジェルは、先ほどまで素肌の尻を何度もぶっ叩かれていたにも関わらず、その肌は全く赤くなっていない。だが逆に、顔の方がリンゴのような真っ赤な色に染まっていた。
「反省したならいいんだ……ダークナイト、ありがとう。外してくれ」
『(*’-‘)b』
ダークナイトがエンジェルを縛っていた縄を素手で千切る。
自由になった彼女はすぐさまペタンと座り込み、拘束衣の尻の方を軽く整えた後、こちらを向いた。
「それでさ。牙殻さんと戦ったらしいけど……どうだった?」
『強かったですね。正直、元の世界の私でも勝てる確率は低いと思います。ダークナイトなら勝てるでしょうが』
「核兵器を使えば人は死ぬみたいなこと言うのやめてください」
その場に立ってるだけで人を殺しまくるような超危険人物を外に出すわけないだろ。
「でも、真面目にどうしたもんかな。エンジェルで勝てる確率が低いなら、結構キツくない?」
『逃走だけなら、ニンジャやハンガーは可能でしょう。ですが真正面からとなると、ダークナイトや、準備時間込みのマッドパンクくらいですかね』
「マッドパンクねえ」
正直、マッドパンクは準備時間さえあれば殺人鬼達の中でも強い部類だ。身体能力は控えめに言って雑魚。
そしてこれは、魔法に近しい物を使うキュウビも賛同していた事であるが。
『科学技術は、準備さえ出来ていれば魔法や人の力を容易く超える』らしい。
魔法はその場で高火力を出せるのが強み。だが極めた科学の暴力には敵わない。
簡単に言うなら、どれだけ相手が強くとも核兵器をポンと落とせば勝ちという事だ。ただしダークナイトは別。
発展しすぎた科学は魔術と見分けがつかない、って奴か。
「でも……現実的に無理だろ」
科学技術を極めた武器を使えば魔法を超えられる。それは事実なのだろう。
だが、そういう物を作るのには気が遠くなりそうなほど金が掛かる。物を作る道具は勿論、材料……例えばただの鉄でさえ結構高い。
無論科学と一口に言っても色々な物があるのは分かるが、それなりに数を揃えようと、少なくとも一般男子高校生に出せる額じゃないのは間違いなしだ。
中途半端な物を作ると魔法よりも使い勝手が悪い。かといって魔法より強い物を作ろうとすると金が超かかる。
「金の当ては……少しだけあるけど、流石に使えないし」
ニンジャがデパートから盗んできた高級そうなネックレス達を見る。どれくらいの価値があるのか分からないが、多分質屋に入れたら20万以上は行くだろう。盗品だから売らないけど。
それにニンジャが闇金から奪った大量の金もあるけど、アレも使えない。
よくよく考えたらニンジャの奴、危ない金持って来すぎだろ。でも全部バレてないんだよな一応。流石未解決事件常習犯……。
「はあ」
10歳の頃から殺人鬼達と過ごすようになって、もう7年。今まで色々やらかしてきたが、よくここまで正体を隠し通せたもんだ。エンジェルが体を奪って警察と衝突したのは予想外だったけど、いつか起こる事件ではあっただろう。
髪の毛とか血液とか、もう人対と面向かって戦った時点で気にしても無駄だし。
そろそろ逃げ隠れ回るんじゃなく、警察相手に本気で対処しなければいけない時が来たのかもしれない。
どうやるかは全く思いつかないけど。エンジェルですら苦戦する牙殻さん強すぎるし。
……と、そんな風に考えていると。
―――ピンポーン!
突然、家のチャイムが鳴り響いた。
今日は休日。学校があった所で、傷を理由に休んでいただろうけど。荷物も頼んでいないし……誰だろう?
「はーい」
トントンと階段を降り、玄関の扉を開ける。
「あ、日高君! おはよう!」
「おっえっ、よ、夜桜さん!?」
扉の先には、私服姿の彼女が立っていた。
色の濃いジーンズに、白黒のボーダーのTシャツ。それだけでは少し寒いのか、白い羽衣のような上着を纏っている。
「テストの日が近づいて来たでしょ? 一緒に勉強したいなって! ……それとも、今は駄目かな?」
「いやいや、どうぞどうぞ!」
玄関を開け放つ。
リビングに案内しようと思ったが、「自室の方が日高君も落ち着くんじゃないかな!」と言われ、俺の部屋で勉強会をすることになった。
『け、ケモノよ……獲物を食う目をしているわ……』
何言ってんだクッキングの奴。
自室の扉の前に立ったところで、気づく。
俺、ニンジャが盗んできたネックレス、目立つところに置きっぱなしじゃん。
「ごめん夜桜さん、ちょっと待っててもらってもいい? 部屋汚くてさ、ちょっと片づけなきゃ」
「全然気にしないよ!」
「いやいやそういう訳には」
「大丈夫大丈夫!」
ドアノブを握る俺の手の上に夜桜さんが手を添え、無理やり開けようとしてきた。ち……力強ッ!
数秒ほど拮抗したが、普通に力負けして扉が開け放たれた。夜桜さんが意気揚々と部屋の中に入っていく。
「ちょっとエッチな物があっても全然気にしないし寧ろ手間が省けるから! あは……は……?」
彼女が部屋の中にあったネックレスに目を止め、手に持った。
やばい。夜桜さんの纏う雰囲気が一気に黒くなっていって、冷や汗が流れ出るような悪寒が背筋に走る。
夜桜さんがネックレスを持ったまま、近づいてきた。そのまま壁に押し付けられる。
「これ、何?」
「いやぁちょっと」
「相当高いネックレスだよねこれ? しかも女物。誰に渡すつもりなの?」
「あ~……そう! 妹! 妹の誕生日に渡すつもりなんだよね!」
「日高君は妹にこんな良いネックレスを渡すんだ? しかもこのネックレス、色んな宝石が入ってるけど、これの宝石言葉全部『
「おっおっおっ」
知能と知識の暴力で嘘がガンガン剝がされる。そもそも俺妹いないし。従妹にすればよかった。
彼女の圧がドンドン強くなり、段々と壁に押し付けられる力が強くなる。
その状態が30秒ほど続き……たまらず俺は声を張り上げた。
「ご、ごめんなさい!!」
「な~んだ、そういう事だったんだ」
事情を説明し終わると、夜桜さんはいつもの雰囲気に戻った。ネックレスを机の上に置く。
俺は土下座の体勢を解いて、彼女の顔を恐る恐る見上げた。
「き、気にしないの?」
「いけない事だとは思うよ? けどそんなにかな」
彼女に語った内容はこうだ。
『俺が金が欲しいと愚痴った結果、人格の1人がジュエリー店相手に勝手に窃盗を働いた。そのネックレスは盗品だ』……と。
地味に過去の闇金強奪事件の話も混ぜて、バレにくい嘘に仕上げている。流石にデパート占拠事件に巻き込まれてそのどさくさに強盗してきました、よりは印象いいんじゃないだろうか……いいかなぁ……?
俺の心配をよそに、夜桜さんが言う。
「というか、そんなにお金欲しかったんだ」
「ま、まぁ……人並みには? けどこのネックレスを返しに行くのは厳しいし、悪いけど何処かに埋めるよ」
「へえ~。お金払ったらどれくらい行けるのかな」
彼女が何か言ったような気がするが、小さすぎて良く聞こえなかったのでスルーした。
『け、ケモノだわ……!』
引っ込んでろクッキング。
2人で勉強道具を出して小さめの机で勉強を始める。
この机は1人用のため、正直かなり狭い。
そして今更だが、自分の部屋に夜桜さんがいるって相当やばい状況じゃないか? しかも今親いないし。マジ? 人生最大のアタックチャンス?
……と、1人で舞い上がったが。
普通に考えて、この間の件のお礼の延長線だな。彼女は優しいし、未だに気にしているんだろう。
『違うわ俊介ちゃん、逆よ……! 貴方が獲物なのよ……!』
さっきからうるさいぞクッキング。
――数時間ほど勉強したが、お互い、特に変わったことはなく。
強いて言うなら、夜桜さんは教えるのがとても上手だったという事くらいだ。俺が分からずに詰まるような問題があれば、すぐに側に来て懇切丁寧に教えてくれる。服の隙間からちょろっと下着が見えてたのは……少し目に毒だったけど。
「うーん、結構集中できたね。休憩しよっか」
「そうだね……こんなに勉強したのは久しぶりかも。いつも一夜漬けだったからなぁ」
ジュースを持ってこようとしたが、彼女が自ら淹れた紅茶を水筒に詰めて来たというので、コップだけ持ってくる。
陶器製の白いコップに紅茶を注いでもらい、一気に飲み干した。……うん、紅茶の味だな。俺にはこの茶葉が高いのか安いのかも分からない。
一気飲みした俺の様子を見ていた夜桜さんが、数秒ほど経ち、首を傾げる。
「……あれ? 日高君、何ともないの?」
「? ……ああ、美味しかったよ! 感想言うの遅れてごめんね」
「ウソ……大量に混ぜたのに。どうなってるの? もしかして失敗……?」
彼女が同じようにコップに注がれている紅茶を少し飲む。
ただ、少し飲んだだけで充分だったのか。それとも少しずつ飲むのが気品溢れる優雅な飲み方という奴なのだろうか。
プルプルと手を震わせながらコップを置き、ニコリと笑う夜桜さん。
「ちょっと……トイレ貸してもらってもいい?」
「あ、どうぞ。案内し――」
「自分で行くよ」
「? ああ、すみません。廊下の一番奥です」
俺の馬鹿野郎。
女性をトイレに案内とか、何か変態みたいじゃねーか。こういう気が使えないから俺は……。
そうして彼女が部屋から出ていき、1分ほど経って。
―――ドンッ!!
「ッ!?」
な、なんだ今の音!? トイレの方から聞こえたぞ!
俺が動き出すよりも前に、階段を人が上って来る音が聞こえた。部屋の扉が夜桜さんの手によって開かれる。
「だ、大丈夫ですか?」
「ちょっとね。気を静めるために……ああいや、足を滑らせて壁に頭打っちゃって」
本当に大丈夫か?
心配する俺をよそに、夜桜さんがスッと机の近くで正座をする。
その時、ブーッ! と携帯のバイブ音が小さくなった。俺のではない、という事は夜桜さんのだ。
彼女は着信の内容を確認し、すぐ携帯を閉じる。
「返信しなくていいの?」
「うん。集会がいつ開催されるかの告知だから」
「集会?」
俺がそう言うと、彼女は軽く頷く。
「国に認められた人格持ちの集会だよ。凄い人ばかりだけど、バクダンの件で悩んでた時は、その……あんまり行かなかったし」
「ああ……」
そういえば前にそんな集会の事をチラッと言っていた気がする。
しかし、国に認められた人格持ちか……。なんか凄そう。実際、マッドパンクも爆弾や爆発に関してはバクダンには絶対敵わないって呟いてたし。
でもまあ、国に認められる優秀な人格どころか、人格持ちの届け出すら出していない俺には関係ない話だ。
「……そうだ。日高君も一緒に行ってみない?」
「え? でも国に認められた人格持ちだけ……」
「実はね、私のような国認可の人格持ちが招待した人も入場出来るんだ。きっと楽しいよ? ちょっと変わってるけど凄い人ばっかりだし、出し物みたいなのもあるし、美味しい物食べ放題だし!」
うーん。でもこの状況でそんな目立つ場所に行くのは、少しリスクが。
「……ちょっとした、
ふーん、デート……。
でッ、デート? 俺が夜桜さんと? しかも嫌なら2人きりで抜け出し?
興奮を抑えきれないまま、彼女に向かって少し声を張り上げる。
「い、行く! 行きます! 絶対!!」
「やったぁ! じゃあこの日、一緒に行こうね!! 移動費は向こう持ちだから心配しなくていいよ!!」
くそぉ。
エンジェルに説教してお仕置きもしたのに、俺が結局リスクのある行動してるじゃないか。でもごめん、夜桜さんとのデートは断れないよ……。あとでエンジェルに謝っておこう。
夜桜さんが指定した日は、テストが終わってすぐの休日。
電車に乗って都会の方に行くらしいし……俺も彼女が恥ずかしくないように、気合入れて
――――――
「…………」
人格犯罪対処部隊に、内密に恐ろしい許可が出た。
それは特別に危険な人格犯罪者だけに与えられる、『その場での殺害許可』。
この許可があったからと言って、犯人の拘束をしないという訳ではない。
だが……白戸と牙殻は、状況次第では人を殺す事を躊躇わない。後で死ぬほど後悔することはあっても、いざという時は絶対に躊躇わない。そういう2人だ。
だけど。
私はこの許可が与えられた人物を……果たして、殺せるんだろうか。
「…………」
瀕死の重傷を負いながらも、激痛さえ我慢できれば普段通りに動き続けられる装置がある。それを装着し、私はデパートの調査を独自に行った。
それは、4階のスタッフ専用廊下の倉庫前。
私が日高俊介と呼ばれていた青年を壁に押し付けた、あの場所だ。
そこに落ちていた髪の毛。それと念のために、彼が閉じ込められていたというエレベーターの痕跡も残さず回収した。
そして日高俊介のDNA情報を、とある犯罪者の物と照合した結果。
ビーッ! ビーッ! と電子音が鳴る。
「どうして……」
日高俊介。彼はきっと、あの日私を助けてくれたヒーローなんだと思う。
……こんな結果が出るなら調べなければよかった。4階の倉庫に彼を迎えに行った時、姿が何処にもないことに違和感など覚えなければよかった。
人格犯罪対処部隊・
彼女が恨めし気に睨むその画面には。
『日高俊介 怪人二十面相 DNA一致率99.9%』
そんな文字が無情にも表示されていた。
翠はその画面を銃弾で何度も撃つ。パソコン本体の方も銃で撃ち、完全に破壊した所で銃をしまった。
「2人には教えられない。私が……彼が殺される前に、捕まえないと」
それが、人対としてヒーローに向けられる……唯一の優しさだから。
彼女は強い決意を胸に、歩みを進めた。