日高家がある住宅街から少し離れた所に建つ、そこそこの大きさを誇るスーパーマーケット。
巨大なデパートが車で20分ほど走った所にあるものの、地元の農家や漁師から直接商品を安価で仕入れたり、地元独自の特産品を並べたり、地域スーパーとしての強みを充分に活かしているおかげか経営状況は中々に良い。
最近デパートの方がとある事件によって封鎖されてしまったからか、客の出入りは普段よりも多くなっているようだ。
そんなスーパーマーケットの裏。
革張りのソファが2つ、その間に挟まれるように置かれた白いテーブルがあるだけの狭い応接室で2人の女性が向き合っていた。
「……その、私に一体何の御用でしょうか……?」
ソファに座ったまま困惑した様子でそう言ったのは、日高陽子。
優し気な印象を与える目じりの下がったおっとりとした顔。化粧は薄めであり、黒い髪の毛は肩の辺りで切り揃えている。身長は女性平均よりも少し低い155センチ程で、服の上からでも分かるほどにほっそりとした体型だ。
そして全体的に、疲れ気味といった空気を纏わせている。
いや、それも仕方ないのだろう。事前に彼女の事を多少調べたが、かなりの時間をこのスーパーでの労働に費やしている。朝は早く、夜は遅い。体を休める時間が単純にあまりないのだ。いつ体調を崩してもおかしくはない。
私は彼女に向き直り、椅子に腰かけたまま頭を下げた。
「こんばんは、私は夜桜紗由莉と言います。日高俊介君には日頃からとてもお世話になっております」
「そうですか……! 俊介のお友達でしたか、こちらこそお世話になっております」
彼女も私に向かって、ペコリと頭を下げる。そしてお互いに頭を上げ、視線を交わした。
息を吸い、本題に話を進める。
「本日は、俊介君の昔のことについてお伺いしたく」
「? 俊介の昔……ですか? えっと、そうですね……」
日高陽子さんは左手を頬に当て、少し困ったような表情をした。
その時、キラリと薬指で輝く銀色の指輪が目に入る。結婚指輪なのだろうが、問題はその指輪の価値だ。
細いリングに彫られた美しいレリーフ。回り続ける花の命を彫ったとされるそれは、種から子葉、つぼみ、満開の花、そして枯れた花から落ちた種がまた子葉……という一連の命の繋がりが、厚さ5ミリもないリングに表現されている。
満開に咲いた花の中央には意気揚々と輝く宝石……ダイヤモンドがある。
余りに私がその指輪を見つめすぎていたからか、彼女が頬から左手を外し、指輪の方を見た。
「気になりますか? この指輪」
「すみません……。でも、その指輪は確か……」
「ふふっ。ええ、ものすっごく高いんですよ。結婚する時に夫が栄養失調になりかけながらも贈ってくれた物でして。プロポーズに返事する前にすぐに病院に連れて行ったんだっけな……」
懐かし気な表情で指輪の表面を撫でる。
そう、あの指輪はかなりの価値があるのだ。花の一生を表す細やかなレリーフは卓越した技術を持つ職人が一つ一つ丁寧に作り上げた証拠。例え栄養失調になりかけるほど食費を削ったとしても、並の人物に手に入る代物ではない。
日高君の父は工場勤務のはず。とてもではないが収入が良いとは言えない場所だ。一体どうやって……。
疑問が抑えきれず、口から言葉として飛び出てしまう。
「とても失礼な物言いになるのは承知ですが、一つだけ尋ねさせてもらってもいいでしょうか?
その指輪を贈れるほどの収入の持ち主ならば、その、貴女が体を悪くするほどパートで働き詰めになる必要はないと思うのですが……」
彼女は私の失礼な問いに怒りを微塵も見せることなく、少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。
「夫は優秀な人格持ちに元の職を追われてしまい、今は工場勤務なんです。収入が減って家のローンが厳しくなって、私もパートで働く必要があって。お金に困って色々売りもしたんですけど、この思い出が詰まった指輪だけは手放せなくて……」
「…………」
「あ、ごめんなさい! つい重い話をしてしまって。俊介のお友達に聞かせる内容じゃありませんよね」
彼女が重くなった空気を払うように、明らかに無理やり作った微笑みの表情を顔に浮かべた。
正直、『日高君の家のポストに匿名で数千万突っ込んでもいいんじゃないかな?』と本気で考えてしまった。夜桜家の財力というか、私の個人的なお金でもそれくらいは全然できるよホント。
『なんだこの嫁さん、リア充オーラ満載なのに幸うっす……』
バクダンが何とも言えない表情で日高陽子さんの事を見ていた。その意見には結構同意するよ。
日高陽子さんが「こほん」と咳払いをする。
そして逸れた話題を元の方向に戻すために、先ほどとは違う元気な口調で話し始めた。
「えっと。それで、俊介の昔の話でしたね! ……でもなんでそんな事を聞きたいんですか?」
「気になるからです」
「気にな……? え? なぜ?」
「好きだからです」
「ま」
きっぱりと言い切った瞬間、日高陽子さんが口を開けて驚いた。
「もしかしてお友達ではなく、彼女さんだったり……?」
「はい」
「嘘……! 俊介がこんな美人の彼女と付き合ってたなんて……」
『いやホントに嘘だろ』
もうすぐ本当にするから問題ない。
日高陽子さんは嬉しさが隠し切れないといった様子でによによしながら、姿勢を整える。
「本当にビックリしました。俊介とは最近会話が出来てなくて……。昔から物静かな子ではあったんですけど」
「物静か?」
「ええ。他人と会話をするのが苦手なようで、いつも1人で過ごしてました」
他人と会話をするのが苦手?
『いや、普通に会話出来てなかったか……? 寧ろ私の方が……』
……でも思い当たる節はある。
日高君は学校では全く人と喋らず交友関係が一切ない。それは高校だけではなく、中学校と小学校でも同様だ。だから彼の過去は調べるのが難しかった。
確かに物静かではある。だが会話が苦手だとは思えない。一度喋ってみれば存外気さくで、いざという時はとても優しい。だから私は惹かれたのだ。
手を口に当てながら眉間にしわを寄せる日高陽子さん。恐らく記憶を探っているのだろう。
数秒ほどそうした後、ハッと何かを思い出したように顔を上げた。
「あ、でも。あの日ぐらいから外に出ることが多くなって、笑う事も多くなったんだっけ……」
「
「……浮遊人格統合技術の注射を受けに行ってから一ヵ月くらい経った時。全身泥だらけになって、夜の9時ぐらいに家に帰って来た事があるんです。俊介が泥だらけになるのも、真っ暗になって帰って来るのもそれが初めてで……」
……。
この口ぶりからして、日高君は家族に人格持ちであることは隠しているみたいだ。もし知っていたならば、真っ先に人格が彼に何か影響を及ぼしたんじゃないかと思うはず。
しかし、その注射の日から一ヵ月ほどたった時に訪れたという
そこが何か……日高君にとっての転機だったのだろうか? しかしそれは、知っているとすれば彼本人か中にいる人格のみ。とてもではないが探れそうにない。
「中学生の時はどうだったんですか?」
「小学生の頃よりも何処かに遊びに行く頻度は増えましたが、いつも『1人で遊んでいた』とだけ。人と関わるより1人で行動する方が楽なんだろうと思っていたんですが、まさか彼女さんを作っているとは」
「あ、付き合ってる事は秘密にしようって俊介君から言われているんです。出来れば内密に……」
「そうなんですか? 全くあの子は……」
バクダンが私の方を見て来るが、ガン無視する。
この嘘が露呈する前に本当にしてしまえば何も問題はないのだから。少し先の事実を述べているだけだ、悪意はない。
―――そこから私達は取り留めもない会話を続けた。
日高君の過去についてあれ以上は探れそうにない。
人格が宿るということは宿主に少なくない影響を与える。そもそも人格が宿っていることを知らない時点で、母親である彼女もまた日高君の過去についてはよく知らなかったのだ。
まあそれでも日高君の事に詳しいのには間違いないので、好みの味付けの仕方とか教えて貰ったし、今度アルバムの写真を見せてもらうことを約束したけど。よろしくお願いします、お義母さん。
スーパーマーケットの店主を夜桜の権力で脅してお義母さんの休憩時間を1時間ほど作ったが、ついに終わりの時間が来た。
彼女と和やかな雰囲気のまま別れ、店外に出る。
「ふぅ……ちょっと緊張しちゃった」
『何処が……? バリバリ嘘ついてたじゃん、私には真似できない……』
「そりゃあまあ、末永くお世話になる人に失敬は出来ないでしょ?」
『私お前の事が本当に怖くなってきたよ』
失礼な。私は一途なだけだから。
……でも、本当にどうしようか。
日高君は思った以上に、自分の根っこに迫る情報は隠している。私に人格持ちであることを明かしてくれたのがそもそも奇跡みたいな物だったらしい。
自分の家への道を歩きながら、唸る。
「どうしようかな。日高君に近づきたいけど、このままだとまた記憶を忘れさせられちゃうし……」
『もう正面から行ってぶん殴っちゃえよ。記憶いじんなって』
「また気絶させられて終わりでしょ」
『じゃあもう告れば?』
「は?」
ピタリと足を止める。
「告るって……そういうのは、もっと失敗しないように仲を深めてから」
『これ以上なく深めてるだろぉがよ。まさか今更ビビッてんの? もし私が紗由莉ならとっくに行くとこ行っちゃってるけどなぁ?』
「バクダンには分かんないよ! 恋愛ゲームで培ったような経験は当てになんないの!」
『おまッ……言っちゃいけないラインだぞそれ!!』
もっと用意周到に周りを固めて万全を期したい私と、いい加減告って付かず離れずの面倒な関係をどうにかしろと思うバクダンが対立する。
「それに日高君が真剣な悩み事を抱えてるのに告白なんてしたら、その、迷惑でしょ!」
『私が迷惑なんだよ! すれ違いまくりの恋愛なんざ見てて一番モヤモヤするんだ、さっさとくっつけや!! あいつもベタ惚れしてんの丸見えなんだから、今更迷惑の心配とかする必要あんのかよ!?』
「……もし失敗したらとか、もし嫌われちゃったらとか嫌でも考えちゃうんだよ。もし今、日高君に拒絶されたら私何しでかすか分かんないもん」
『何しでかすか分からない方が心配なのかよ』
日が傾き始め、夜闇も深くなり始める時間帯。
警察はつい最近起きたデパートの事件に気を取られ、この周辺は今、警察の庇護が一時的に届きにくい状態にあるのだ。
この道は、以前夜桜紗由莉が誘拐された道。
かつての犯人がここを選んだ理由は、人がおらず通報される危険性が非常に低いからだ。警察の庇護が薄まっているとあらば、もはや狙わない理由はない。
優秀な人格は金の成る木。器量良しとなれば至れり尽くせり。
虚空に向かって騒ぎ立てる夜桜に向かって、スモークガラスが全面に貼られたバンが猛スピードで近づいて行った。
完全に速度が停止する前に扉が開き、屈強な男達が3人飛び出す。
「捕まえろ!!」
ただ、誤算だったのは。
夜桜紗由莉がもはや破滅願望的な物を抱いておらず、自分を害そうとする犯人に対して一切の容赦をする感情を持ち合わせていなかった事だ。
男達の剛腕を避けつつ、隙を見せた一人の喉を手刀で突く。幼少の頃に磨いた武の心得は衰えておらず、急所を突かれた男は一撃で倒れた。
「なッ!」
他の二人が動揺した瞬間、彼らの方に勢いよく腕を振る。
袖から極小の黒い物が飛び散り、それらが1秒で轟音と共にほと走る炎を噴き上げた。直撃した男二人は吹っ飛ばされ胸は大火傷、背骨をコンクリート塀に強く打って動けなくなる。
一瞬でやられた三人の様子を見て、車を運転するドライバーの男が一気にアクセルを踏んだ。車はそれに倣い急発進する。
夜桜はそれを見て、右ポケットから赤い宝石のような物が嵌まった指輪を取り出し、右の中指に嵌める。
それを車の方に向け、静かに呟いた。
「空気爆弾。目標タイヤ」
その瞬間、走っていた車のタイヤが勢いよく爆ぜた。操縦を失敗したのか近くのコンクリート塀に突っ込み、そのまま動かなくなる。ドライバーが出てこないことから、気絶したか、はたまた自分では出てこれないようだ。
一体どうやってタイヤを爆破したのか、原理は分からない。常人には到底理解できない。それが爆弾を極め、国に認可されるほどに至ったバクダンという女性の真髄なのだ。
夜桜がバクダンの方を向く。
「好きになった人に拒絶されるって事はとても怖いものなの。私だって一応、普通の女の子なんだから」
『どこが?』
そんな爆弾を極めたバクダンですら、目の前の自分の宿主という極大の爆弾はよく理解できなかった。
バクダンの死因になった最高傑作超ヤバ爆弾はまだ登場してません。