海沿いにある、とうに使われなくなった廃倉庫群。
いくつも並ぶその倉庫は土地や建物の権利関係で揉めに揉め、今もなお取り壊されることなく残っている。人が来る事は滅多になく、不良ですら夜の間はここに近寄らない。
何せここにはとある噂があるのだ。
夜中になると人の形をした何かが現れ、その姿を見ると暗い海の中へ叩き落されると。その噂を知った不良が一度10人近くでここに訪れた結果、バイクごと海に叩き落されたという話もある。
それ以来、この場所にはマトモな人間は誰も寄り付かなくなった。
―――そんな倉庫群の、特に寂れた倉庫の1つ。
パイプ椅子に縛り付けられた筋肉質な男を前に、紙袋を頭に被った青年が果物ナイフを手の中で弄んでいた。
そのナイフは真赤な血に塗れており、元の安っぽさを覚えさせる鈍い銀色の光は一片も見えない。
その様子を後方から見ていた半透明の黒い服を纏う男……ニンジャはぽそりと呟いた。
『たかがチンピラ風情に、訓練済みの軍人でも音を上げるような奴はやりすぎでござる』
「いや……ナイフでやるのは久しぶりすぎて加減が分からなくてね。まあ一応、殺してはないからさ」
『気絶させては物を聞き出すもクソもないでござるよ』
椅子に縛り付けられた男には数多の切創が付けられている。
それらは重要な血管や内臓を避けているが、痛みを感じやすい神経が集まっている所を的確に切り刻まれていた。
ニンジャが椅子の男を数秒見つめた後、俊介の体を操るトールビットの方を見る。
『ふむ……これだけの傷を付けているにも関わらず、失血死しないほどに抑えられた出血量。見事なお手前でござる。腕利きの拷問官でもこうはいかぬ……これはむしろ、一流の外科医の仕事に近いでござるな』
そんな彼の言葉を聞いたトールビットが、ナイフの血を適当な布で拭いながら、感情のない声で答える。
「へぇ。答え合わせは必要かい?」
『……必要なし。拙者、他人の過去に突っ込んで藪蛇するのは勘弁でござる』
「まあそれならそれでいいけどね」
そんな風に話していると。
余りの痛みから気絶していた椅子の男が、呻き声と共に目を覚ました。
『むッ』
「ああ、目を覚ましたね。あんまりやるとまた気絶しそうだし、もう聞き出そうか」
トールビットが男の首筋にナイフの切っ先を当てる。
「ひぎッ……!」
「ちょっと聞きたいんだけどいいかな? 君さあ、今日女の子を誘拐しようとしていたよね? どうしてか教えてくれるかな?」
先ほどまで体を切り刻まれていたナイフを首に当てられる。人の命を簡単に奪える武器が自身の急所に当てがわれている恐怖というのは並大抵の物ではない。
全身の傷の痛み、次こそは本当に殺されるんじゃないかという恐怖。椅子の男は余りの精神的な重圧に喉で空気が詰まって呼吸が出来ず、窒息でもしたように白目を剥いて再び気絶した。
トールビットが紙袋の下から間抜けな声を出す。
「あっ」
『…………』
「あっれ~? いやあ、おかしいなあ! アハハハハ!」
彼女は男が目覚めるのを待てなかったのか、頬をナイフの柄尻で思い切り殴った。ニンジャの冷たい視線に耐え切れなかったとも言える。
衝撃で目覚めた男の肩にナイフを突き刺した後、首を右手で掴む。
「気絶するなよ、二度とな……! お前、なんで誘拐なんてしようとしたんだ! 言わないと錆まみれの牛刀で指落とすぞ!」
『破傷風で死ぬでござる』
「やかましい!」
『やーい怒った怒った異常性癖兎仮面年齢不詳おばさん』
「お前後で殺す」
そのトールビットの溢れ出る殺意を込めた言葉に気圧されたのか、縛られた男が苦しそうな声を出した。
「じ、人格……。国認可の爆弾研究者の人格を連れて行けば、大金をくれるって……」
「……ふーっ。一体誰なんだい? その大金をくれるというのは」
「み、『
トールビットは肩のナイフを更に押し込む。苦悶の声を上げる男に対し、再度尋ねた。
「その組織は一体何なのかな?」
「し、知らない……。本当に俺達は、あの女を連れて行けば大金貰えるって聞いただけなんだ。こんなヤバい山だって知ってたらそもそも関わってねえ」
「…………」
彼女は男の眼をじっと見つめる。
恐怖で震える目と開く瞳孔。どうやら嘘は言っていないようだ。本当に知らないらしい。
首を握る右手に力を籠め、そのまま頸動脈を絞めて気絶させた。適当に止血の処置を行い、これ以上血が流れ出ないようにする。
トールビットは椅子に縛り付けたままの男から離れ、ため息を吐いた。その後、俊介と体を変わる。
意識を取り戻した俊介は頭を軽く振った後、地面に広がる血の跡から目をそらし、半透明の2人の方を向く。
「……で、どうだった?」
『変な組織が、彼女の身柄の引き渡しと引き換えに大金を渡すって触れ回ってるらしいね。未来革命機関?って奴』
『正確には中の人格……。俊介殿が普段バクダンと呼ぶ方を所望しているようでござる』
「バクダンの方か……」
まあ概ね予想していた事だ。
夜桜さんも金持ちの娘なので身代金目的に誘拐される可能性はあるだろうが、身代金よりバクダンの優秀さの方が価値がある。それ相応の場所で爆弾について研究させれば、すぐにとんでもない物を作り出すだろう。
……そんなバクダンが欲しいとか、絶対碌な組織じゃないよな。
場所だけ調べて、ダークナイトに遠距離から吹っ飛ばしてもらうか……? いや、絶対に力加減できなくて全員殺すわアイツ。
腕を組んで少し悩んでいると、ニンジャが自慢げに胸を張って語り始めた。
『ま、そう悩むこともないでござる。拙者はそこの間抜け兎とは違って、後々の事をしっかりと考えて行動できる忍者でござるからな』
『は?』
トールビットが手に持つクラシックケースの中から使用用途不明の何かを取り出した。形からして碌な用途に使う物じゃないことだけは分かる。
今にも襲い掛かりそうな彼女を宥めつつ、話の続きを促す。
「落ち着けってトールビット。それでニンジャ、一体何やったんだ?」
『うむ。その男、実は本人も気付かない程小型の発信機が付いていたのである。それをわざと、隣の倉庫にポーンと捨てて来たのでござるよ』
「は? お前何やってんの?」
『まま、落ち着くでござる。本人の意思で付けられた訳ではない小型発信機……それはつまり、この男の動向を監視していた裏の人間がいるという事でござる! そいつをおびき寄せてボコボコにすればまるっと上手く行くという算段でござるよ! ワッハッハ!!』
高らかに笑うニンジャ。
そのテンションを維持したまま彼は、敵の様子を見てくると隣の倉庫に向かった。
「嫌な予感がする」
そう呟くやいなや、先ほどの陽気な雰囲気とは打って変わり、何も感じさせない無の空気を纏ったニンジャが戻って来た。
「それで、来てたのか? その裏の人間ってのは」
『……いやあ。拙者、人生って上手く行かぬのが常だと思っているでござるよ』
「凄い嫌な予感するんだけど。本当に何がいたの?」
『まあ裏の人間というか、裏の顔を持った人間というか』
鈍い俺でも、ニンジャがあからさまに言葉をはぐらかしているのが分かる。
隣の倉庫に様子を見に行くか、今すぐここから撤退するかを考える間もなく、俺のいる倉庫の錆まみれの扉がゆっくりと音を立てながら開かれた。
「……こんばんは。日高君」
「――――ッ」
開かれた扉の先には。
指の間に赤く点滅する超小型の機械を持った、夜桜さんが立っていた。
『正直、すまんかった』
ニンジャの余りにも軽すぎる謝罪の声が、静かに響いた。
久しぶりの投稿で申し訳ない
削除した配信者小話については、またいつか校正して再投稿するかもしれません。でもあくまで本編更新を優先したいので、完結するまでは投稿しない可能性の方が大。読めた人はラッキー。