夜桜と日高が邂逅する、数十分前の事。
誘拐犯をぶちのめした夜桜は、倒れた男達の方をじっと見ていた。
「警察が来るまで待とうか。下手に暴れられても困るし」
『こわ~……。普通さぁ、警察に通報して今すぐ家に帰るとかじゃないのぉ?』
「爆弾がなくたってこれくらいなら対処できるよ、一応鍛えてるからね!」
彼女は自分の右腕をパンと叩き、得意げに胸を張った。実際、彼女は容易に成人男性数人を纏めて相手取る事ができる。夜桜家屈指の才女というのは伊達ではない。
そして警察に通報しようと電話を取り出したところで……ふと、思う。
「ここ……そういえば、日高君の家からそう離れていない場所だっけ」
『あぁ、んん? そういえば……そうだっけかなぁ』
バクダンが猫背気味で垂れ下がっていた頭を上に伸ばし、日高家がある方向を見る。流石に周囲の塀が邪魔で見えないが、ここからなら歩いて10分程度だろうと推測した。
頭を元の楽な位置まで下げ、尋ねる。
『それがどうしたんだ?』
「多分私が起こした爆発音で様子を見にくるだろうし……ここで待ち構えてみようかな」
『はぁ……? なんで?』
「日高君が様子を見にくるように、きっと野次馬も集まってくるでしょ? 人目のある所なら記憶も封印出来ないかなって」
夜桜が提案した案。
それを聞いたバクダンは顎に手を当てて少しだけ考え……首を横に振る。
『やめといた方がいいなぁ。多分、全員丸ごと記憶を飛ばされて終わりだ。紗由莉は再び思い出せるとしても、向こうに警戒されて余計やり辛くなる』
「……確かに、そうだね」
『でもぉ……このタイミングで仕掛けるのはそう悪くないかもな』
バクダンが倒れている男達に近づき、観察しながら言う。
『日高はきっとこいつらが紗由莉狙いだって事に気付く。しかも誘拐騒ぎはこれで2回目……アイツなら何か行動を起こしても不思議じゃない』
「……つまり?」
『日高がこいつらに何かする。紗由莉がそこに突っ込む。奴の行動は基本紗由莉の為だからな……。そこで、日高に対して『何でもかんでも勝手に行動されるのは余計なお世話』ってな事を言い放ってやるのさ』
バクダンの経験に乏しい恋愛脳をフル回転させる。
今回の記憶騒ぎは日高と紗由莉のすれ違いが原因だ。日高は紗由莉の為を思って記憶を忘れさせ、何か危険な事をしようと考えている。だけど、紗由莉はたとえ危険でも日高から離れたくないと思っている訳だ。
なら解決策は単純。
日高に『夜桜さんには俺の助けは必要ない』と、ただそう思わせれば良い。
最も、それが難しいからこうも悩んでいるという面はあるが。
夜桜が隠し持つ爆弾、追跡爆弾に付けられている発信機を外し、男達の懐に隠す。
全て隠し終わった後、日高に怪しまれないようすぐにその場から離れた2人。そして小声で話し始める。
「上手く行くかな?」
『さあね……。いざとなったらパンチラで攻めちゃえばぁ? ヒヒッ』
「なんで?」
『は、なんでってそりゃ……』
「今時パンチラ1つで物事が上手くいくなんて考えるのはセクハラオヤジか人間関係が極限まで乏しいバクダンくらいだよ」
バクダンは憤慨した。
そこからニンジャのうっかりで予想以上に事が上手く進み、現在。
「日高君」
「……」
この街で今最も関係が拗れていると言っても過言ではない2人が、月明かりのみが差し込む倉庫の中で相対していた。片方は紙袋を頭に被った男という事が、この状況の混沌さを更に高めている。
『拙者、人の嫌がることをするのが大好……守るべき忍道であったとしても、自分の失態は恥ずかしいでござる』
『ハハハ。ちょっとそこに座りなよニンジャ、お前の内臓を剥いだ皮膚で包んでやるから』
『お断りでござる。忍法・横っ飛び!』
トールビットの攻撃を、ニンジャが華麗な動きで回避する。
お前ら遊んでんじゃねえよ。こっちの方を手伝えよ、特にニンジャ。
というかこの状況、どうするのが正解なんだ。
夜桜さんの持つ俺に関する記憶を封印してるから、彼女は俺の事を知らないはず。学校で俺の名前を呼ばれたのは吃驚したが……。
そもそも、誘拐犯を拷問してたのを夜桜さんに見られるのは結構ヤバくないか。いやどう考えてもヤバいな。地面に血の跡あるし。
…………。
よしすっとぼけよう。
「よっ、夜桜さん!? この血の跡に、それに、この場所は一体何なんですか……?!」
「何で私の記憶を忘れさせたの?」
あっ、これ記憶思い出してるわ。本当にどうしよう。
サイコシンパスに体を変わってもう一回気絶させるか……? いや、アレは耳元で囁く程度に留めないと声中毒になるリスクが格段に上がる。完全警戒状態の彼女にくそみそ身体能力のサイコシンパスで近づくのは不可能に近い。
…………。
「ニンジャ、両手と両足」
『ん? ご要望は何でござる?』
「夜桜さんを気絶させろ」
『承知!!』
悪いけど、彼女を巻き込む訳にはいかない。
多少手荒だが、夜桜さんには軽く気絶してもらうとしよう。その後自宅まで届ければ全て解決だ。
ニンジャの操る足が素早く地面を駆け、夜桜さんの背後に回り込む。
ヘッズハンターのような人の道を外れた身体能力ではないとはいえ、ニンジャも闇金の用心棒を纏めて半殺しに出来る程の実力の持ち主だ。一般人を気絶させることなど容易い……はずだったのだが。
鋭い手刀が夜桜さんの首に迫る。
常人なら確実に避けられない一撃。彼女はそれを振り返りもせず受け止め、流れるような動きで俺の体を地面に叩きつけて関節を極めた。
『むッ!? これは忍法・関節技!』
「日高君……!?」
夜桜さんの困惑したような声が耳に聞こえる。
それと同時に、ニンジャの操る腕が軟体生物のような柔らかさを持った動きを始めた。
『忍法・縄抜け!』
彼女の関節技からするりと抜け出し、3メートルほど飛び下がる。
2人でお互いの顔を見合わせた後、信じられないといった感情が隠せない声色で言う。
「ニンジャお前、今の一撃って本気だったか……?」
『結構マジだったでござる。拙者、直接勝負は不得意な故』
「まさかカウンターをされるなんて……。ラッキーパンチ……?」
日高俊介が驚きを隠せない一方、夜桜紗由莉も内心、この状況に焦っていた。
「ひ、日高君が私に攻撃……!?」
『多分、中の人格と協力してもう一回記憶を忘れさせようとしてんだろ。紗由莉にもいい状況じゃんか、説得より暴力、顔面をグーパンでぶちのめしちまえよ!』
「そ、そんな……! 私には……」
『いっその事、向こうを気絶させて持ち帰っちゃえばいいのさぁ! ヒヒ……ちょっと待ちなよ紗由莉、顔が怖いよ、冗談だって、今のは冗談だから』
夜桜紗由莉の眼からスゥッと動揺が消え、据わった瞳で目の前の思い人を見た。
そうだ。向こうが襲ってくるのならばこれは正当防衛、先ほど誘拐犯をぶちのめした時と全く同じ。
1日に2度も警察に通報するのは迷惑だしね。家に持ち帰って反省するまで懲らしめれば、被害者の私が満足すれば何もかも問題ないしね。問題ない問題ない。
ニンジャと俊介は夜桜さんの纏う空気が明らかに変わったのを感じた。
『
「何だあの雰囲気……?」
『これは妖怪の類の予感……。なれば、これこそ忍術の出番でござる!!』
半透明の黒い忍び装束の男がテンションを上げ始めた。
彼の操る俺の右腕がポケットに手を突っ込み、スマホを取り出す。それをクルクルと手の中で回しながら、夜桜さんに向かって勢いよく駆け始めた。
「……!」
夜桜さんが左半身を前に出し、両手を構える。明らかな戦闘態勢だ。
それにニンジャは全く臆することなく、スマホのカメラアプリを起動しながら勢いよくスライディングした。
『忍法・ローアングルショット!』
「きゃっ!?」
眩いフラッシュが彼女の眼を潰し、その隙に足を蹴り飛ばして体勢を崩そうとする。
だが夜桜さんは横に転がってその蹴りを回避し、すぐに目を開いた。
腕の力で一気に体を起こしつつ、ニンジャが目にも止まらぬ指捌きでスマホを操作しながら高笑いする。
『フフフ、この忍法の本当の効果は目潰しにあらず! 人の顔を下から見た時、大抵はいつもより不細工に見えるもの! 俊介ェ! このローアングル写真をどう思うでござる!?』
「クソッ! 美人すぎるッ!!」
『忍法大失敗!』
こいつ一体何がしたいんだよ。ノリに乗った俺も俺だけど。
スマホをポケットに戻した瞬間、夜桜さんが上体を低くして素早く迫ってくる。
フェイントを交えながら打ってくる左拳をニンジャが捌くが、細い中指と人差し指を手首に引っ掛けられ、無理やり腕を弾かれた。
その瞬間、腰を捻りながら放たれる大振りの右拳。顔に迫るそれは意識を刈り取るには十分な威力を持っている。
『忍法・スリッピングアウェー!』
ニンジャが腕を弾かれた勢いで体の向きを調整し、夜桜さんの拳をギリギリで回避した。
空を切る夜桜さんの拳。体勢を大きく前に崩したかと思われたが、逆にその手を地面に突き、片手で逆立ちのように立ち上がって足で攻撃してきた。
俺の肩に直撃する彼女のしなやかかつ威力の籠った蹴り。
口から苦悶の声を漏らしながら数歩後ずさる。
「ぐ……ッ!?」
「ッ! ごめん一撃で仕留められなくて!」
不意の攻撃を食らってしまったニンジャが、心底驚いたように目を見開く。
前方に居る夜桜さんと攻撃を食らった肩の間で何度も視線を交差させた後、驚きの籠った声が口から漏れた。
『うそ~ん、洒落抜きで普通に強いでござる。武器なし大怪我なしの不殺は結構キツイでござるよ』
「スマホを武器として使ってたじゃん」
『それは武器ではなく携帯電話でござる。道具は正しく使うものでござるよ、俊介』
道具を変な使い方して忍術とか言い張るお前が何言ってんだよ。
冗談か本気か分からない言葉を口に出しながらも、腕を組んで首をもたげるニンジャ。一撃当てられた事がよほど効いたのか、先ほどよりも明らかにテンションが下がっている。
『もう記憶封印とかいいんじゃないでござるか? 正直、俊介が10人いても一方的に倒せるような実力でござるよ』
「いやでもな……」
チラリと、目の前の夜桜さんを見る。
正直ニンジャ相手にここまで戦えるとは本当に思っていなかった。こっちは2回ほど攻撃を貰っているが、彼女にはいまだ有効打を1度も当てられていない現状。
そりゃあ俺とは比べ物にならない程夜桜さんは強いだろう。だがいくら強かったとしても、危険な事に彼女を巻き込みたくはないのだ。
少し離れた場所から目を細めてこちらを観察する彼女に、多少物腰を低くして話しかけた。
「あの~、夜桜さん?」
「なあに?」
「その……記憶を封印したのは悪かったけど、もう終わりにしない? やっぱり、夜桜さんは俺と関わるべきじゃないよ」
「…………」
彼女が眉間にしわを寄せるが、構えていた拳を解く。
恐らく話を聞いてくれる気になったのだろう。ニンジャに目配せをしてこちらも構えを解き、言葉を紡ぐ。
「正直な話、俺みたいな奴と関わっても碌な事にならないっていうか……」
今隣にいるニンジャでさえ、異世界では最悪と呼ばれるほどの殺人鬼なのだ。
そんな殺人鬼達が中に入っている人間と関わり合うなど、ハッキリ言って得策ではない。俺だって、俺みたいな奴が居たら多分敬遠するだろう。
「もう記憶は封印しない。だから、今すぐ引き返して……それで、俺の事はもう気にしないで欲しい。夜桜さんには絶対危害が及ばないようにするから」
先ほどニンジャとトールビットから聞いた『未来革命機関』とやらは、夜桜さんに危害を加えるようなら無力化するか完全に潰す。彼女の身柄を確保するために何度も誘拐騒ぎを繰り返している時点で殆ど決定事項に近いが。
俯きながら、吐き捨てるように今にも枯れそうな言葉を続ける。
「だから……」
「日高君。……言いたいことは分かったよ」
パッと顔を上げると、彼女はポケットから青い宝石の付いた指輪を取り出して指に嵌めていた。
そして指輪を付けた手をこちらに向け、感情のない声で言う。
「
「―――ッ!?」
耳をつんざくような爆発音と共に、そこそこの広さがある倉庫内に一気に黒い煙が広がった。
この爆発音……バクダンの作った物か。視認性は最悪、30センチ先すらマトモに見る事が出来ない。
『…………』
ニンジャが押し黙り、辺りを注意深く伺っている。恐らく彼も周りが見えていないのだろう。
煙幕の中から何かが爆発する音と、空気を切って素早く移動する音が聞こえる。
その状況が10秒ほど続いた、その時。
黒煙の中から響いていた爆発音がひと際近くで響き、夜桜さんが人間とは思えない速度で煙をかき分けながら突進してきた。
『―――
だが、彼女がいつか突っ込んでくることをニンジャは予想していたようだ。
その場で2メートルほど真上に飛び上がって突進を回避する。そして彼女の頸動脈を絞めて気絶させるために、首を両足で挟みこもうとする……が。
――――ドドドドン!!
夜桜さんの背中と足の裏から炎が吹き上がり、更に加速する。先ほどまでの爆発音と風切り音は彼女が爆発の推進力で動き続ける音だったらしい。
ニンジャの両足が空を切り、重力に従って地面に落ちていく。
一瞬で振り返った彼女に身動きの取れない空中で左腕と首を掴まれ、地面に押さえつけられた。
「ぐッ……!!」
背中をしたたかに打ち酸素が肺の中から飛び出た瞬間、腹の上にドスンと重量のある物が乗った。
俺の腹に乗ったのは、他でもない、静かな眼でこちらを見下ろす夜桜さんだった。
体の中に酸素を再び取り込むように息を荒げる。
頭に被った紙袋越しに彼女の顔を見上げたまま、十数秒が経ち。そっと夜桜さんが口を開いた。
「関わったら碌な事はないとか、危険だからとか、そんな事は大切じゃないんだよ」
「……え……?」
「関わるべきじゃないとか言って……もう、遠ざけないでよ……!」
ポタリと落ちた温かい雫が、服を僅かに湿らせる。
「バクダンとずっと2人きりで、みんな私を腫れもの扱いするような目をして、ずっと寂しかったの! けれど日高君と一緒に笑えるようになって、とっても楽しかったんだよ……!」
黒煙が晴れ始め、淡い月明りが倉庫の中に差し始める。
「あの日、私を見つけてくれたのも、危険を冒して海に連れて行ってくれたのは日高君だけ。私の人格を今ここに存在させているのは、他でもない君なんだよ! ……だから関わらない方がいいなんて言わないでよ。責任取ってよ……!」
「…………」
……そうか。
夜桜さんの為だとか言って、結局。
俺はまた、優秀な人格持ちだからと彼女を避けていた時と同じような事をしていたのか。
右腕の主導権をニンジャから俺に戻し、首を掴む夜桜さんの手を掴む。
「……ごめん」
「うん……」
そんな2人を少し離れた所から見守る、半透明の男女。
『一時はどうなるかと思ったでござるが……無事、一件落着でござるな!』
『何言ってるんだいニンジャ。失態を晒したあげく、普通に負けたくせに』
『…………』
プイッと、居辛そうな表情で顔を背けるニンジャ。彼女の方に顔を向けぬまま、ぶっきらぼうに声を出す。
『道具ありなら負けてないでござる。そも、トールビットでも負けてたでござるよ』
『たられば論は嫌いだね。負けたという結果が問題なのさ、ニンジャ。フフフ』
トールビットが口に手を当て、楽しそうに笑う。他人を煽りまくるニンジャが珍しく落ち込んでいるのが相当愉快なようだ。
『拙者は――――ッ!!』
―――瞬間。
ニンジャが自身の言葉を遮り、目の色を変える。
即座に俊介の両足を操り、体の上に乗っている夜桜を脇腹を挟んで放り投げた。
「な!? 何してるニンジャ!!」
『ちょっと申し訳ないでござるよ!!』
主導権が残った左腕を操り、腰のベルトを引き抜く。
突然の行動に未だ立ち上がれていない夜桜の足首をベルトで縛り上げ、トールビットが拷問に使っていた果物ナイフを彼女の首に当てた。
状況を飲み込めない夜桜紗由莉が目を見開く。
だがすぐに、この場に居る全員がニンジャの取った行動の真意を理解した。
「……爆発音がした所に来てみれば……こりゃ、ビンゴだな」
「人格犯罪者に、国認可の人格持ちが襲われている……ま、拘束の際に四肢を飛ばしてもギリギリ許されるでしょう」
「許されるわけないでしょ。せめて1本だけだから」
倉庫の入口から、月明りに照らされた3人の人影が伸びている。
闇に溶け込むような黒スーツの胸元には、輝くような金色のバッジ。2本の二重らせんが重なり合ったバッジは、凶悪な人格犯罪を専門とする部隊の証。
「じゃあ、やるか」
人格犯罪対処部隊。
その3人が、ナイフを持った紙袋の男―――日高俊介の方を敵意を込めた視線で見つめていた。