(い、行きたくねぇ~~~~!)
件のビルの階段を登る中、切にそう思った。
今は3階、あと1階登れば光る何かがあった屋上だ。相当古いビルなのか壁の所々にヒビが走っており、人の気配は全くない。
後ろのダークナイトがワクテカしているのにかなり苛つきながら、足音を殺し、屋上の様子を窺い見る。
階段と屋上を繋ぐ扉はなぜか開きっぱなしで、外の様子は丸見えだが……。
(……何もないな。光りそうな物すらも、ない)
屋上には何も置かれていなかった。全く使われていないのだろう。唯一ある落下防止の手すりも、錆びだらけでとても光りそうにない。
眉を顰めつつ、チラリとダークナイトの方を見る。
『(*゚д゚*)』
ちょっと楽しそうな顔文字を腹に刻んでいた。クッソ腹立つ。
何もないから帰っていいだろと思ったが、ダークナイトは階段に立ちふさがって退く気配がない。
ビキビキと破裂しそうなこめかみの血管を手で押さえる。
屋上入ってちょっと見回して終わりだ。そうしたら映画館にもよらず真っ直ぐ帰ってやる。
そして苛つきすぎたからか、冷静さを失ったまま屋上へと足を踏み込んだその時。
死角であった
「ッ!?」
覆い被さってこようとするのを、咄嗟に前に飛び込んで回避する。
だが避け切れなかったのか、頬に一筋の熱い感触が走った。少し遅れて感じる痛み。鋭利な物で切られたようだ。
屋上の入り口から距離を取りながら振り返る。
そこに居たのは、アーミーナイフを前に構え、背中にスナイパーライフルを背負った、怪しげな格好の男。
「どうやって嗅ぎつけたか知らんが、一人で来たのは早計だったな。機関の手の者よ……!」
凡そ一般男子高校生には逃げられない速度で、一気に近づいてくる男。
まずい。速すぎて人格を切り替えている暇がない。
『右腕を渡せ!!』
いきなり脳内に響いた声。聞き覚えのある声だ。
声の主に右腕の主導権を渡し、そのまま俺の右手が、振り下ろす男の手首を受け止めた。
鈍重な足の動きからは考えられないほど素早い腕の動き。怪しげな男が目を見開いて驚く。
『俊介、このまま全力でこいつに近づいていろ』
すぐ傍に居たのは―――黒いコートを翻し厳しい目つきをしている、ヘッズハンターだった。
どうやら危険を察知して咄嗟に出てきてくれたようだ。人格を切り替えるのには少しかかるが、体の一部を渡すだけなら時間は要らない。その事に気付いてか、俺に大声で呼びかけたようだ。
『ダークナイトの遊ばせには困ったもんだ――――な!』
掴んでいる手首を弾き、男の顎をアッパーで跳ね上げる。
人の顔面を殴る気持ち悪い感触が手に伝わるが、ヘッズハンターはお構いなしに、怪しげな男を攻撃し続けた。
「ッ、く、クソ!!」
――――ババババババババババババッッッ!!!
男も負けじと、ナイフで応戦し始める。
だが向こうは両手でこっちは片手、しかも下半身が一般男子高校生の俺なのに、ヘッズハンターの方が素人目でも分かるくらいに圧倒していた。
「きッ、貴様ァ!! 何だそのちぐはぐな強さはッッ!!」
仕方ねえだろ下半身は男子高校生だぞ!!
ヘッズハンターがナイフを弾き飛ばし、人体の弱点である正中線の数か所に深く拳を打ち込んだ。うめき声と共に男が足をもつれさせ、数歩後ろに下がる。
決まったか? と思った瞬間。
懐のホルスターに隠すようにしまっていた拳銃を抜き放ち、俺の頭に狙いを定めた。……って、マジかよ!!
『俊介、左腕を渡してやるんだ』
静かに響くヘッズハンターの声。
誰に――!? と考える暇もなく、左腕の主導権を空けた瞬間、誰かがスッと入り込んだ。
左腕がグンッ!と持ち上がり、指が激痛と共に意味不明な挙動を始める。
そして、男が握っていた拳銃を自身の太ももに向け、そのまま引き金を引いた。
――――バンッ!!!
「っぐぁァいッ!?」
噴き出る鮮血と共に困惑した様子の男が倒れ込む。
それを冷めた目で見下ろしたヘッズハンターが、俊介に右腕の主導権を返し、姿を消した。もう動く必要はないと判断したのだろう。
『お兄ちゃん。大丈夫?』
「ああ、ありがとう……どっ、ドール」
左腕の主導権を握っていたのは、ゴスロリ少女のドールだった。
ただなんだか、いつもより顔が怖いというか、身震いするような雰囲気を放っていて、言葉が少しどもってしまう。
『ねぇねぇお兄ちゃん。その頬の傷……痛いよね?』
「えっ?」
自分の頬を右手で触る。アドレナリンのおかげか全く痛みを感じていなかったものの、割と心配になる量の血が流れ出ている事に気付いた。
「いやでも、今はそんなに痛くは……」
『痛いよね?』
「痛いです」
そう答えた瞬間、ドールが男の腕を操作し、拳銃で彼の頬の肉ごと耳を吹っ飛ばした。
そこで思い出す。
こんなに可憐で守ってあげたくなるような姿をしていても―――ドールは、異世界で史上最悪と謳われるほどの殺人鬼なのだと。
―――ドール。殺害人数およそ80人。
爵位を持つ貴族の五女として生まれた彼女。
親からは他の貴族と関係を結ぶ政略結婚のための駒としか見られておらず、兄と姉からは死んだ側室の娘と疎まれ、家族からの愛情を一片も受けた事がなかった。
寂しくて仕方のなかった彼女は、自室の中に人形を仕立て、それを理想の兄と妄想して過ごすようになった。
人形を操って一人芝居を行い、精神をギリギリで保っていた彼女。
だが屋敷の中で、ドールが気味の悪い人形に話しかけ続けていると噂になり始めた。彼女の父はおかしな噂が屋敷の外にまで広まるのを危惧し、彼女の部屋に訪れ、人形を捨てようとする。
理想の兄を捨てられまいと抵抗した彼女は、父を操り、窓から転落させる。
父は首の骨を折って即死した。
実の父を殺しても何も感じなかった彼女は、一体自分にとって何が大切なのかを理解する。
屋敷で働く使用人と血の繋がった家族を操り、自ら首の骨を折らせ、殺害した。
そうして空っぽになった
だがそのまま屋敷の外へと飛び出すことはなく、兄を抱いたまま自室に戻り、眠りにつく。腕の中に居る兄と夢の中で過ごすために。
そうして、ドールは人とは思えない……まるで人形のような美しさを保ったまま、餓死したのだった。
ベッドの中で眠って、暗い場所を歩いていたら、突然目の前が光り出して。
光が収まった時にはもう、お兄ちゃんがそこに居た。
『お兄ちゃんと私はね、ずっと一緒に居るの』
誘えば一緒に何処かへ出かけて、遊んでくれるお兄ちゃん。
一生懸命に何かをしている時もあるけど、近くに行けばニコッと笑ってくれるお兄ちゃん。
絶対に手放さない。
傷つける人間は許さない。
目の前の、お兄ちゃんの頬に傷をつけた男。
どうせ生きていても何の価値もないし、殺しちゃってもいいよね。
腕を操り、手で頭を掴ませる。
屋敷のメイドと血が繋がっただけの人間を殺した時と一緒、顎と頭頂部を持って時計回りに一気に回すだけだ。
指を動かそうとした瞬間、左腕の主導権が無理やり奪われた。
お兄ちゃんの方に顔を向ける。
「ドール、やめてくれ」
『……どうして?』
「いくら何でも、殺しちゃ駄目だ……」
…………。
『お兄ちゃんがそう言うなら仕方ないよね! わかった!』
優しいなぁお兄ちゃんは。
そんな所も含めていっぱい好きだよ……お兄ちゃん。
でも、その優しさを私だけに向けるようにするには、どうすればいいのかな?
お兄ちゃんの周りの人間がみんないなくなれば……私だけを見るようになるのかな。
もっと私を見てね、お兄ちゃん。
でないと……寂しくて、暴れちゃうかも♪
―――――――
「…………」
いくら人が集まって歓声を上げていたからって、屋上で拳銃を二発も撃ったのは不味かった。
榊浦親子の凱旋は即刻中止、ビルには警察が駆けつけた。
俺は動けなくなった怪しげな男を簀巻きにし、他のビルの屋上を伝ってその場から逃げた。
スナイパーライフルと拳銃を所持してるような奴だ、まさかこっちに疑いが向くことも……多分ないだろう。
『(*´꒳`*)』
ダークナイトが腹に顔文字を刻んでいる。
無事に家まで逃げ帰れたからまだいいものの、こいつのせいで今日はとんだ一日になった。割と本気でキレそうだ。
「お前……」
時折ダークナイトの暇つぶしに付き合い、トラブルも起きることはあるが、今日のはいくらなんでもやりすぎだ。
声を荒らげそうになった時、ふと、ヘッズハンターが言っていた言葉をなぜか思い出す。
『ダークナイトの
……遊ばせ? 遊ばせってなんだ。普通そんな言い方するか?
ヘッズハンターが間違っているといえばそれまでだが……。
ベッドの下の引き出しから、ひらがな五十音表を取り出す。
それをダークナイトに見せたまま、話し掛けた。
「なあ、もしかしてだけどさ……今日って、俺に遊ばせてたのか?」
彼が手を動かし、ひらがなを指さす。
『う ん』
「……あれのどこが遊びだって?」
『ひ と な ぐ る 。 た の し い 。 ち が う ?』
…………。
デカいため息が漏れる。
つまりは……多分、こうだ。
ダークナイトは暇だったので俺と出かけ、その時にビルの屋上に楽しそうな物を見つけた。
しかし親が幼子にご飯を分けて食べる様を眺めるように、俺に楽しい事を譲り、それを眺めて満足した……そんな所じゃないだろうか。
多分、大通りで無理やり体を奪おうとしたのも、『楽しい事があるのに遠慮して嫌がってるふりをしてる。しょうがないから体を変わって連れて行こう』くらいの感覚なのだろう。
問題は、俺には人を殴ることがちっとも楽しめない所だが。
「なぁダークナイト。俺、本当に人を殺すのは好きじゃないし、殴るのも好きじゃないんだ」
『―――グギャ』
彼からおかしな声が漏れた。恐らくビックリしたのだろう。
プルプルと震えた指でひらがなを指さす。
『ほ ん と ?』
「本当に好きじゃない」
『ご め ん な さ い』
ダークナイトの全身がカタカタ震えだす。
今日一日の大騒動の根本の原因は、お互いの認識のすり合わせ不足だったようだ。
人を殺すのは好きじゃないと前に伝えた事はあるが、だからと言って殴るのは好きとはならんだろ。
と思いはするものの、それは俺の常識だ。異世界、それも殺人鬼のダークナイトにとってそれは当たり前ではないのだろう。
彼が善意でやった物だと分かると、なんだか怒る気力もなくなった。
ベッドに座り、震えるダークナイトに手をふらふらと振る。
「まぁ……もう怒ってないよ。今度はまた別のことしような」
そう言うと、ダークナイトは再び五十音表のひらがなを指さした。
『つ ぎ は 、 も っ と た の し い こ と す る』
ダークナイトと会うの月一じゃなくて年一くらいにならないかな。
結構本気でそう思った一瞬であった。