「…………」
遠足のしおり。
榊浦美優から行き先を告げられた後、帰りのSHRで渡された冊子だ。
自室の机の上に広げたしおりには、ハッキリと行き先が『榊浦精神科学研究所』と書かれている。
それを何度も見返して……ふーっと溜め息を吐いた。
「いやこれ、どう考えても怪しいよなぁ……」
この研究所は非関係者が絶対に中に立ち入れない事で有名だ。
マスコミが正規の手段、非合法な手段を用いて何度も中に入ろうと試みたがすべて失敗に終わっている。その為に研究所の外の情報は大量にあるにも関わらず、中がどうなっているかは全く分からない。
入れるのは浮遊人格統合技術の研究チーム、研究協力企業の役員、後は榊浦親子の認めた人物のみ。
研究所に必要な物の搬入ですら、研究所の外に一旦物を置き、それから無人機械で中に運ぶという徹底ぶり。
そんな厳重に秘匿された場所に、普通の高校の2学年が遠足?
どう考えてもなんかあるだろ。露骨すぎて逆に吃驚する。
「滅茶苦茶行きたくないけど……。でもなぁ、これがもし夜桜さんを狙った物だとしたら……」
夜桜さんとバクダンなら大体は何とか出来るだろうが、例外という物はある。
もし人格犯罪対処部隊クラスの人物が夜桜さんに襲撃を仕掛けたら流石に厳しいだろう。ダークナイトがおかしいだけで、あの3人は全員強い。
「…………はぁ~……」
深い疲れの混じったため息が口から漏れた。……最近、面倒事ばかりで嫌になってくる。
俺は殺人鬼の人格が中にいるけど、平穏に暮らしたい……。
いや、人並みの人生を生きるのが精一杯のスペックしか持っていない一般男子高校生なのだ。
決して降りかかる事件を鼻で笑い飛ばしながら解決しまくる超スペックの持ち主ではない。怖い物は怖いし、痛いのも苦手だ。
しおりをもう一度見直し、『準備物』と書かれた欄を発見する。
行き先が怪しい研究所とはいえ一応遠足なのだから、そりゃあ準備も必要か。
「鞄、ペン、メモ帳……メモ帳?」
よくよくしおりを読み返すと、研究所内で感じた事をメモし、後に感想文を書けとの事らしい。社会見学か? いや遠足で研究所も中々おかしいけど。
まあ、部屋の何処かにメモ帳の余りがあった気がする。
机の上を探すが、見当たらない。3つある机の引き出しを上から順に開いていき、一番最後の引き出しを開いた時。
「―――あっ」
目当てのメモ帳―――その上に、1枚の懐かしい写真が乗っていた。
メモ帳と一緒にその写真を取り出し、手に持って見つめる。
「なっつかし~……。これ撮ったの、確か10歳の頃だっけ?」
それは昔、スマホで撮影した物をネットで依頼して現像した写真だ。
夜の黒と夕日の寿が混じり合う紫色の空、眼下に広がる無数の明かりが灯った街をバックに、10歳の俺がたった1人で笑いながら写っている写真。一体どこに行ったのかと思っていたが……こんな分かりやすい所にあったのか。
「…………」
この写真を撮った場所は、夜桜さんを見つけたあの山の上の神社だ。
浮遊人格統合技術の注射を受けて一ヵ月ほど……俺が殺人鬼達全員にハンガーやサイコシンパスというあだ名をつけた日の写真である。
椅子から立ち上がり、ベッドの下にある引き出しを開ける。
ずっと前に100円ショップで買った木の写真立てを取り出し、その中に写真を入れ、机の上に置いた。
数秒だけ写真立てを眺めた後、大きくあくびをする。
「とりあえず、さっさとマトモに歩けるくらいには体治すか……」
その為には体力を消耗させず、とにかく眠って眠りまくるしかない。
まだ午後8時にも関わらず布団の中にくるまり、瞼を閉じ、10分もしないうちに寝息を立て始めた。
『……懐かしいな』
月明りだけが差し込む、俊介の部屋の中。
ヘッズハンターが机の上に乗った写真立てを指でさすりながら、静かに呟く。
『この頃は全員尖ってたもんな。なぁ、キュウビ?』
『チッ。それを言うなら貴様も大概尖ってたじゃろうが、ヘッズハンター』
いつの間にか、俊介の部屋には半透明の殺人鬼達が全員揃っていた。
全員がその写真立てを見て、少し苦々しそうな顔をしている。
『もし今あの頃に戻れたとしたら、私は今すぐ自分を殴り殺すでしょうね』
『……そこまではしないが、まぁ、自分を諫めはするかもな』
エンジェルとガスマスクがそう言葉を続ける。
―――今でこそ殺人鬼達は皆、俊介に信頼を寄せて力を貸している。
だが忘れてはいけない。
彼らはみな……元の世界で史上最悪と呼ばれた殺人鬼なのだ。
俊介がちょうど10歳になってすぐ受けた浮遊人格統合技術の注射により、彼らが俊介の中に入ってきた時。
その時はまだ―――元の世界での殺人鬼としての狂気を、彼らは完全に残していたのだった。
――――――――――――
――――7年前。
日高家が住まう市の施設の一室にて。
「俊介! 俊介!! 大丈夫!?」
「これは……蘇生に失敗したか? 運がないな」
左手に指輪を付けた母親らしき女性が、突然倒れた小学生ほどの男児に近寄り、体を抱きかかえながら叫んでいた。
注射器を持った眼鏡の男は冷静に呟きながら、傍にあったパソコンにカタカタとデータを打ち込む。
大事な息子が倒れたというのに、肝心の目の前の男は心配の声すら出さない。
彼女は怒り狂った表情で男に掴みかかった。
「これはどうなってるんですか!! 俊介は、俊介が!!」
「申し訳ありませんが、処置のしようがありません。この書類に記入をお願いします」
男が差し出した書類を見て、母親は怒りが頭の限界にまで達した。
その書類には大きく―――『
「そちらにサインして頂ければ、後日国から三千万ほどの見舞い金が届きますので」
「―――ふざけるな、このクソ野郎!!」
彼女は男の頬を思いきり、右の拳で殴りつけた。彼は座っていた椅子から転げ落ち、地面に這いつくばる。
その後、必死に俊介と呼んでいた男児の体を抱えて部屋から出ていった。
「あっ、待ってください! これを書かないと―――
――――チッ。思いっきり顔面殴りやがって、クソババアが。……まあ息子が死んだって自分で納得出来たら、勝手に死亡届出すだろ。さー次々」
男は母親が声が聞こえぬほど遠くに走り去ったのを見届け、悪態を吐く。
誰にも聞こえていないと思われたその声を―――しっかりと聞き届けていたのは、13人の半透明の人影。
翼を背中から生やした全体的に白い大女が、彼の頭を右手で握りつぶそうとして、空を切る。
何も掴めなかった自身の右手を数秒見つめた後、自分と同じく半透明の12人の方を向いた。
『…………おい、誰かこの意味不明な状況の事情知ってんのか。話すなら殺さないでやる』
『黙れ変態イカレ女。そのうるさい口ごと頭を斬り落とすぞ』
『あぁ?』
白い大女が、壁に背を預けていた黒いコートの青年の前に移動する。
それを見た2メートルの黒い鎧が、興奮したように動き出そうとして。
『――――!?』
突然、半透明の13人全員が不可視の硬い壁に吹っ飛ばされた。
それは後々、俊介が100メートルの射程範囲の壁と呼ぶもの。母親が車に俊介を乗せて急に移動し始めた事で、不可視の壁が一気に動いたようだ。
だがそんな事情を異世界に訪れたばかりの殺人鬼達が知る由もない。
『なになに!? 何なの!? 助けてお兄ちゃん!!』
『チッ……よく分からねえけど、さっきの子供が関係してるっぽいな……!』
黒髪の人形を抱えた少女と青い髪の作業服を着た少年が戸惑いながらも、不可視の壁に巻き込まれる。
『ギャーッハッハッハッフ!!!』
『何だあいつは……化け物か……?!』
大声で笑いながら、空中に足場を作って素早く飛翔する黒い鎧。その様子を見ていた魅惑的な声を持つ男性は、思いっきり壁に巻き込まれた。
他の殺人鬼も各々様々な反応を見せながら、次第に壁に巻き込まれる。
途中信号で車が止まり、壁が止まったりもしたが、すぐに再び動き始めた。最初の一回以外、最後まで壁に触れずに移動し続けたのは空を飛ぶ黒い鎧だけだった。
『…………っ、ああ!! んだよさっきのは!! 腹立つぜ……全部燃やしちまいたいくらいによ!!』
『はん。愚鈍な間抜けが騒ぐ声を聞くと、こっちの脳みそまでおかしくなりそうじゃ』
『んだと……? てめェ喧嘩売ってんのか、コラ』
『喧嘩とは対等な人間同士で発生するものじゃろう? 貴様とわらわが戦っても一方的な蹂躙にしかならぬぞ? 分かったらさっさと首を掻き切って自害しろ、それが嫌ならわらわが直々に毒を口に流し込んでくれよう』
赤い髪の女と金髪に扇子を構えた女が睨み合う。
それをきっかけに、先程不可視の壁に巻き込まれ続けた苛立ちもあるのか、殺人鬼の一部が暴れ始めようとした時。
殺人鬼達の耳に、女性の甲高い声が届いた。
「ああ、俊介! 大丈夫?! 何処か痛いところはない!? ……そう、無事で本当によかった……!!」
13人は一斉に声のした方を向き、すぐさま移動する。
そこには一軒家の前に止めた車の側で泣きじゃくる女性と、その女性の腕の中で苦しそうにしている男児。
間違いない。
さっきおかしな部屋で意識を取り戻した時、そこにいた女性と男児だ。
それに腕の中にいる男の子の方は、自分達を怯えた目で見つめてきている。
『…………』
殺人鬼達はこの意味不明な状況を理解するために、その男児――――日高俊介の元へと向かった。
Q.殺人鬼のみんな全体的に性格おかしくない?
A.尖ってます。