―――小学校。
俊介の家から歩いて15分ほどの場所にある、アパートや一戸建てが乱立する住宅街に囲まれているその学校。
浮遊人格統合技術の注射を受けさせる子供の数を増やす為、国が少子高齢化対策に大きく力を入れた結果、一昔前よりも出生数が増加している。
小学校の生徒数は平均約300人……。それよりも遥かに増加した500人の生徒数を収容するために、現校舎に併設するように新校舎が建設されたばかりだ。
俊介はその新校舎の方に入り、自身の教室へと向かう。
運の良い事に、ちょうど3時間目と4時間目の休憩時間だったらしい。大遅刻からの登校にも関わらず、誰にも注目されることなく自分の椅子へと着席する事が出来た。
『…………』
コックは誰とも話そうとしない俊介の様子を見ながら、教室後方の壁に背を預ける。
するとすぐに、黒板の上の見慣れない四角い物……コックの世界ではまだ一般的に普及していなかった機械という存在、スピーカーから授業開始のチャイム音が鳴り響いた。
その音を機に、教師が教室の中に入ってくる。
「……えー。この時間は『道徳』をやっていきたいと思います」
道徳。
一瞬どんな授業かと考えたが、生徒達が開き始めた教科書を覗き見るに、人間としての善い考え方や倫理観を養う授業のようだ。
そして教師によって朗読され始めたのは、特筆する所もない、何処にでもあるような童話。
お爺さんとお婆さんを傷つけた悪い狸を、通りすがりのウサギが懲らしめるという話だ。
「とても有名な話なので知っている人は多いと思います。……では、この話で一貫して書かれているテーマは何だと思いますか?」
生徒達は真面目に考える者が三割、面倒臭そうにしている者が七割と言った感じだ。
まあ、仕方ないだろう。内容を既に知っている低年齢向けの童話など、小学四年生にとっては眠気を誘って仕方ないほどに退屈なのだ。
教師は教卓の上の名簿を一瞬見た後、一番先に目に付いた人物の名前を言う。
「じゃあ……日高君! 教えてくれるかな?」
「えっあっ、はい」
俊介が指名され、ゆっくりと立ち上がる。
恐らく遅刻の印が名簿に付けられていたのが目に付いたのだろう。
緊張からか多少息を荒くしているものの、呼吸を深くして気持ちを落ち着け、ハッキリと言った。
「悪い事は、返ってくる?……だと思います」
「はい! その通りです。ありがとうございました、日高君」
俊介は少し照れ臭そうに椅子に座り直した。
彼が着席したのを見届けた後、教師が教室を見回しながら話す。
「狸がお爺さんとお婆さんを傷つけ、その2人に頼まれたウサギが狸を懲らしめた……。悪い事は返ってくる、これを『因果応報』と言います」
教師がカリカリと黒板に
「この言葉はとても簡単に言うと、この話の狸のように悪い事をしたら悪い事が返ってくる。そういう言葉ですね」
静かな教室へ彼が諭すように話しかけ続ける。
「皆さんは今小学生で、これから中学生、高校生、大人へと成長して行くと思います。
『因果応報』……。悪い事をしたら悪い事が帰ってくる、これだけ聞くと怖い言葉に思えるかもしれません。
ですがこれは、逆に、良い事をすればそれだけ良い事が返ってくるという事でもあります。
皆さんも普段から良い事をするように心がけて置いてください。そうすればきっと、いつか良い事が返ってくるでしょう」
―――と。
教師がそこまで言い終わった瞬間、授業終了を告げるチャイムの音が鳴り響いた。
4時間目が終わり、次には給食の時間が来る。生徒達が続々と給食の準備をする中、緊張が祟ったのか尿意を催した俊介が廊下に出る。
「トイレトイレ……」
そう呟きながら教室後方の扉を開ける。
すると、扉を開けたすぐ右側。教室内からは死角となる所に幽鬼の如く佇む、半透明の黒いコートの男が居た。
彼は俊介の顔へゆっくりと視線を落とし、静かに言う。
『……まぁ、まずはそこを退いたらどうだ。扉の前で立ってると迷惑だからな』
明らかに怪しい男からぐうの音も出ない正論が飛び出すギャップ。俊介は困惑しながらも扉の前から移動する。
教室内からコックも出て来て、黒コートの男の姿に少し目を見開いていた。
『あら。さっきの……何の用かしら?』
コックが少し鋭い視線と共に、男に問う。
彼はその言葉に苦悩するような表情を浮かばせたまま、ふーっと深い息を吐いた。
そして、俊介の方に軽く頭を下げる。
『その……何だ。さっきはすまなかった、と思ってな。色々あって気が立ってたんだ……』
「あ……いや、その。大丈夫です」
つい1時間ほど前、他の面々と共に黒コートの彼が俊介に向けた辛辣な言葉と態度。
今思い返せば、小学生相手に向けていい物ではなかったと思い返し、謝罪に来たようだった。
『俺の名前は―――いや、いいか』
「? どうしてですか?」
俊介は周囲の様子を伺いながら、そう小声で言う。
男は俊介と、いつの間にか教室から出て来ていたコックの方を向いて静かに言い放った。
『さっきの授業は聞いてたろ? 悪人には悪い事が返ってくるって奴さ。
もしここに
『…………』
それは一見。俊介に語り掛けているように見えて、その実。
彼の背後に居る、自分と同じ人殺し……それも生半可な人殺しではない、最悪の殺人鬼の一人であるコックに向けて言っていた。
『危険な奴、物事とは関わらない。それが大切なんだ』
「……それって、つまり……」
だが、男のその言い方は流石に露骨すぎたようだ。
俊介は前後を挟む半透明の人間2人が善良な人間ではなく、むしろ悪辣な人間……話に出たような『
『俊介ちゃん。私達、ちょっと離れてるわね』
コックは少し顔を逸らしながら、壁にもたれかかる黒コートの男の肩を掴み、廊下の奥へ歩いて行く。
その様子を見て俊介は、何か言おうとしたものの、言葉を口に出す事が出来なかった。
『この辺りでいいかしら』
コックがそう呟いたのは俊介の教室のある階から1つ上がった所にある廊下の突き当りだった。
一番近くの部屋は家庭科室で、特別な授業がない限り生徒も人もいない。雑音が混じらず会話をするには最適の場所だ。
『一応言っとくが、何かするつもりなら容赦しないからな』
『するわけないわよ。そもそも貴方、私よりどう見たって強いでしょう』
コックの言葉に、黒コートの男がふんと鼻を鳴らす。
両方とも殺人鬼である事に変わりはないが、その身体能力には大きな差がある。コックは目の前の男に手も足も出ないことが感覚的に理解できていたのだ。
『……まぁ、何となくは分かっていたわ。私も貴方も、いや、あの時あそこにいた全員……』
『
『貴方は何人なのかしら?』
『最後に見たニュースじゃあ……700人とか言ってた気がするな。その2日後に死んだから、大体そんくらいだろ』
700人を殺した。
20歳も超えていない青年がそんな事を言えば、普通ならホラ話だと笑い捨てられる。
だがコックはそれを真実だと信じた。
数は少ないが……自分もまた、常識では考えられない数の人間を殺していたからだ。
『私は……138人よ』
『正確だな。そこまで殺せば、段々感覚が麻痺してくるもんだが』
『殺して終わりじゃなかったから。……全員捌いて食べたのよ』
何処で殺したのか。
何で殺したのか。
どの部位が一番硬かったのか。
一番血が噴き出したのは何処か。
まな板の上で捌き、調理し、食卓に並べ、子供達の胃袋の中へ届ける。
人一人に対しそれだけの手間を掛けたからこそ、コックは殺した人間の数や特徴を正確に覚えているのだ。
『……自分では食わなかったのか?』
『ええ』
『そうか。……お前の世界では、人殺しは、理由があれば許されるような行為だったのか?』
その言葉に、コックが首を横に振って答える。
『どんな理由があっても許されない、悪い事よ。人殺しが悪い事じゃない訳がないわ』
『……そうか。じゃあ尚更、自分で分かってんだろ? 俺達は、あの俊介って子に
心に突き刺さるような言葉。
コックが思わず目を逸らす。
生前、彼は子供好きであった。
それが高じて孤児院の料理係となり、いつしか子供達からコックと呼ばれるようになった。
しかしコックの生涯は、孤児院の子供達に背後から刺されることで終わった。
人を食べさせていたのだ、それを知った子供達が自分を殺す程の恨みを持っても理解はできるし文句はない。いつかは起こる事だと覚悟もしていた。
そう、覚悟は出来ていたはずなのだ。
だが……いざそうなると、上手く納得できないのが現実だった。覚悟が出来た
子供好きのコックは、俊介を無意識のうちに孤児院の子供達の代わりにしようとした。甲斐甲斐しく世話を焼こうとした。
しかし俊介にはきちんとした親がいる。
家も、学び舎も、温かいご飯もある。
ほんの少しの間しか一緒に居なかったが、最初から。
俊介には自分が必要なかったのだと分かったのであった。
『……分かってたのよ、最初から。どんな理由があってももう子供とは関わるべきじゃない、貴方たちのように何処かへ行くべきだった……ってね』
2人はそれぞれの世界で史上最悪の殺人鬼とまで言われた存在だ。
一体どんな理由があろうと、大量に人を殺したし、そのせいで何処か倫理観や常識がおかしくなっているのも事実。
そんな存在が無垢な子供と関わり続ければ、どれだけ歪んだ成長を遂げるか分かったものではない。
故に関わらない。それが殺人鬼でありながらもある程度の良心を持った2人が導き出した結論であった。
幸い、ある程度の距離までは離れられるわけだし、透明な壁のある近くまで離れれば関わる事もないだろう。
それでも無理だと言うのならば……自分の首をかっ切るだけだ。何度も死ぬ感覚を味わうのは気持ち悪いが、出来ないという訳でもない。
『暫くはここで休むか……』
『そうね』
密かな決意を固める両者。
―――そんな、2人の会話を密かに盗み聞きする怪しげな男が1人。
奇々怪々、原理不明の方法で外壁に張り付くその黒装束の男は、壁にガラス製のコップを当てて中の会話を聞いていた。
『忍法・盗聴……!』
無論、小学校の建物の壁に使われるような分厚いコンクリートを壁に耳を当てた程度で聞き取れるわけはなく、事前に仕込んだ盗聴器で中の会話を聞いているだけだ。
コップは雰囲気づくりである。
『ふむ……。拙者の忍スピリッツが、ここで場を面白く引っ掻き回せと叫んでいるでござる。はてさて、どうしたものか』
この黒装束の腐れ忍者には良心が欠片もない。
徹頭徹尾自分が楽しければOKという、中の2人とは比較にもならないクソ外道である。
故に、子供の俊介に自分達悪人が関わると悪影響とかの細かいことは毛頭考えていない。
『……ん?』
ふいに、別の所から仕掛けた盗聴器から妙な声が聞こえ始めた。
少し離れた所ゆえに電波が届きづらいのか、声に雑音が混じってよく聞き取れない。仕方なく外壁に四肢をくっつけながら移動し、妙な声のする盗聴器の場所まで移動する。
場所は校舎裏。校門から遠く、道路からはコンクリートの塀で見えず、大した物もないので人はあまり来ない。
人目に付かせたくない行為をするなら最適の場所である。
そんな日の光すらマトモに届かない校舎裏で。
「ふーっ……ふーっ……」
血に濡れた小学生の男の子が肩を荒くしながら、目を血走らせている。
そんな彼の周りには、同じく血に濡れた小学生が4人ほど転がっていた。
『わお』
肩を荒くしている小学生の血は、恐らく返り血。
この血の持ち主は地面に転がっている小学生4人だろう。そして子供の体でこれだけの出血量、さっさと処置しないと確実に死ぬ。
「うぐぅぁぁあああああ!!!」
血濡れの小学生は一番近くの窓ガラスを突き破り、校内へと無理矢理入って行った。
途端に、校内に仕掛けた盗聴器から続々と悲鳴が聞こえ始めるようになる。小学生、小学生、小学生……その合間に男の教師の野太い呻き声も混じり始めた。
『……拙者が何かするまでもなかったでござるか……』
突然狂暴化した小学生。
原因は一体何なのかと考えながら、彼に続くように校内へと侵入した。
黒コートの男→ヘッズハンター
コック→クッキング
黒装束の腐れ忍者→ニンジャ
名前付ける前の話だから、名前使えなくて超書きづらい
整合性をちょっと無視してでも分かりやすさ重視で名前を使うべきか悩む