「…………」
学校が終わり、自宅に戻ってからも、俺は頭を悩ませていた。
何に頭を悩ませているのか?
それは今日、たまたま曲がり角でぶつかった女子生徒の鞄が不自然に濡れていた事に対してだ。
道端で水撒きをしているのに巻き込まれたと言われれば、そりゃまあ、そこまでなのだが。
『な~に悩んどるんじゃ、俊介?』
キュウビが顔を覗き込んでくる。
……こんな何でもないことを相談するのは少し憚られるような気もしたが、一人でうだうだ悩んでいたってしょうがない。キュウビの方に顔を向け、悩みを話す。
事のあらましを全て聞き終わったキュウビは、特に悩む様子もなく、あっさりと答えた。
『うん。ま、『
「いじめ……?」
『間違いないじゃろう。わらわもよく、腐った豚の血をぶっかけとったし。大体雰囲気で分かる』
激ヤバ女め。
でもまぁ、いじめか…………。俺の通ってる学校で…………。
『しかし仮にいじめだとして、一体何の問題があるのじゃ?』
「…………」
『今朝関わりを持ったばかりの女に、わざわざ手助けする義理もあるまい。自分でどうにかできぬのならば、死ぬるのが世の道理よ』
いじめって自分でどうこう出来る問題か?
とは思いはしたものの……まさにキュウビの言う通りなのだ。
ただ同じ学校に通っているというだけで、あのぶつかった女子生徒とは何の関わりもない。夜桜さんのようにこちらが一方的な好意を抱いている訳でもない。
確かにいじめは悪いことだ。だからと言って無条件に助けるほど、俺はヒーローじゃない。むしろ関わり合いを避けるただの一般人なのだ。
自殺でもされたら寝覚めは悪くなるが、一ヵ月もすれば何も感じなくなるだろう。
望むのは平穏な生活。
わざわざ面倒事に突っ込むことはない。
ま、あそこで
「あっ」
バッと起き上がる。
手でさするのは、つい先日付けられた頬の傷。変な男が持ってたアーミーナイフで付けられた傷だ。
あの時はドールが暴走しかけて時間がなかったため、つい血の付いたナイフを回収するのを忘れたまま逃げてしまっていたのだ。
まあそれだけなら、問題ないことはないが、リカバリー可能な範囲だ。
今まで殺人鬼達が突然暴れ出して、色々巻き込まれた事は何度もある。その時に、血液はないとしても、多分髪の毛とかそんな物は落としていってしまっている。
そして血液や髪の毛からはDNAが取れ、それで個人を特定するDNA鑑定が出来るらしい。
だが俺は最終兵器『仮病』を使いまくり、病院で血液採取する機会なんかは全部サボりまくって、今の今まで
俺のDNAは今も、正体不明の変な事をする奴として、警察のデータベースに保存されているんじゃないだろうか。
それだけなら、これからの生活に気を付ければさして問題はない。
俺という個人が特定できる生活圏内で、DNAが発見されない限りは。
「…………ちょっと、ちょっとな? 確認程度な?」
冷や汗を手に滲ませながらスマホを開き、インターネットで『DNA鑑定』と検索する。
まさかそんな。
ちょっとあの子の鞄を持ったくらいで、DNAが出るような、そんな馬鹿な事があるわけないよな? 世界の科学はそこまで進歩していないはずだ。進歩していないでくれ。
警察が公表する、科学捜査についての小難しいことが書いてあるサイトを開く。
それの一番最初の辺りに、どでかくこう書かれていた。
『物体に付着した微小な手の皮膚から、DNAが採取できます』
――――終わった。
――――というか、ぶつかった時点で髪の毛とかが付着した可能性があるから、鞄関係なく終わってた。
この瞬間に突然、俺のDNA情報を警察が処分するなんてミラクルが起きるはずない。未来永劫保存されるだろう。
そしてもし、このままいじめが横行し、あの女子生徒が自殺したらどうなるだろう?
①警察が彼女の事を調べまくる。
②付着した髪の毛とか手の皮膚とかから、俺のDNAを採取。
③簀巻きにした男のナイフから取ったDNAと合致。
④流石に生活圏内の高校まで特定されたら逃げられない。俺、逮捕。
俺の人生を牢屋まで直行させる奇跡の四連コンボだ。
まあ彼女が一年ぐらい先に自殺したとかなら、俺のDNAを採取される可能性は低いだろう。けどもし明日に自殺でもされたら、俺の人生は丸ごと吹っ飛ぶ。
「ぐぉぉぉおお…………どうすんだよもぉぉおおおお…………」
頭を悩ませるが、やる事なんてわかり切っている。
明日自殺すれば俺は終わるけど、1年後なら多分大丈夫! なんて、不確定な物に人生を委ねる訳にはいかない。
どうにかして彼女に対するいじめを止めて、自殺なんて最悪な結末を迎えさせないようにしないと。
牢屋の中で一生を過ごしたくはない。
「キュウビ」
『ん? なんじゃ俊介』
「もしお前がいじめをするとしたら……一体、どんな場所でする?」
―――――――――――
翌日。
善は急げとよく言ったものだ。無償の善なる行いなんて偽善まがいの物はさっさとやって、さっさと終わらすに限る。俺の場合は偽善じゃなくて人生懸かってるけどな!
ただ、俺はいじめの解決なんてした事がない。小学生くらいならぶん殴って教師にチクって終わりだが、高校生のいじめにもなると陰湿度が桁違いとネットに書いていた。
だからまずは情報集めだ。
いつどこでいじめられていて、誰がいじめているのか、それを調べないと解決しようもない。
『俊介~? その、例の女子生徒かは分かんねーけど……なんかやってそうな場所は見てきたぜ』
「ありがとうハンガー。それで、用意した縄だけど……ホントに虎縄で大丈夫か? もっと良い奴も買えたぞ?」
『上等上等。俺が向こうで使ってたのに比べりゃ、よっぽど頑丈だ』
俺とハンガーは放課後の旧校舎に来ていた。正確には旧校舎の屋上だ。
新校舎が10年ほど前に出来てから、この旧校舎は使われなくなったらしい。入り口は施錠されているが、校舎をグルっと回った裏の方の窓から侵入できるそうで、一部の生徒の溜まり場になっているのが現状であった。
そしてキュウビによると、いじめなんて物は大抵の場合、人目に付きにくい所でやるらしい。
『ま、わらわは公然とやっておったがの! すました顔の女を人前で蹴り飛ばした後、わらわの虜にして靴を舐めさせるのが面白いんじゃ!』
クソ女め。
……ともかくだ。
この旧校舎に集まる一部の生徒というのは、まあ、かなりガラが悪い。そのせいで一般生徒はここに近づかない。
そして教師も、旧校舎の事は見て見ぬふりをしているのか、外からチラッと見るだけで中まで巡回しに来ない。
まさに人目に付きにくい、いじめをするのには格好の場所という訳だ。
ハンガーに両腕の主導権を渡し、屋上の少し頼りない手すりに虎縄を引っ掛け、体にも縄を巻く。そして縄を掴んだまま何もない背後に体重をかけ、そのままハンガーに尋ねる。
「それで、その変な奴らが集まってる場所はどこなんだ?」
『こっから少し下がった所だ。窓もあるからよく見えると思うぜ』
半透明のハンガーが、先にいじめの現場らしき物を見つけてきてくれたのだ。こういう時、俺以外に見えない半透明の姿というのは便利だと思う。
そしてなぜ、俺が実際に見に行く準備をしているのか? ハンガーに現場の状況を聞けばいいじゃないか? という疑問も起きるだろう。
まあ、ハンガーが普通の人間ならそれでも良かった。だが彼女は異世界の殺人鬼だ。
この前のダークナイトの件みたいに、お互いの認識の差でとんでもないすれ違いが起きたらとても困る。そのため、少し危険を冒してでも、俺が実際に見に行くことを決めたのだ。
『ゆっくり行くから、足踏ん張ってろよ俊介!』
旧校舎の壁を足で踏みしめつつ、ロープを少しずつ離して降りていく。
まるで特殊部隊になった気分だ。
一応人目に付きにくい場所で、校舎の壁の色と似た服を着ているが、誰かに見られたら堪ったモノではない。思ったよりも太ももがキツいし、さっさと終わらせたい。
目的の窓まで辿り着いた。
体勢を変え、地面と水平になり、左目だけで中を覗き込めるようにする。
そうしてそーっと、中の人物達にバレない様に、窓の淵から目をはみ出させた。
中には女子生徒が5人、集まっている。……ってここ、女子トイレじゃねえか。
「―――何考えてんだよ!!」
金髪の女子生徒の、甲高い声が響く。
彼女がそんな声と共に殴ったのは、つい先日、俺がぶつかってしまった女子生徒だった。
「いい加減、転校しろよ!! お前がいるとマジで迷惑なんだよ!!」
他の女子生徒も、一斉に彼女の事を痛めつけ始める。
結構容赦のない攻撃だ。顔を傷つけてはいないが、服で隠れている所に青あざが大量に出来るくらいの威力はある。
『なんか切羽詰まった顔してんな~。ま、俺も人を殴るのはそんな好きじゃねえけどさ。手ぇ痛くなるし』
ハンガーが俺の背中に張り付きながら、そんな事を言った。半透明の幽霊みたいな物だから重さは感じないけど、それでいいのか。
でも確かに、いじめって実際に見たことないけど、あんな辛そうな顔でするものなのか?
キュウビは人を痛めつける話で心底楽しそうな顔をしてたけど、アレは比較対象としては不適当だ。
「うっ、ううっ……」
「泣いてんじゃねッ――――!!」
黒髪の女子生徒が嗚咽を始める。
それにイラついたのか、金髪の彼女が思い切り手を振り上げて――――。
「――――お前たち、何してるんだ!!」
突然、女子トイレの扉が壊れそうな勢いで開いた。
開けたのは俺と同じ制服を着た男子生徒。なんとなく見覚えのある顔だ、恐らく同じ学年だろう。
黒髪の生真面目そうな男子生徒が入ってきた瞬間、金髪の彼女たちは一斉に顔をしかめた。
「人を寄ってたかって殴って、何を考えてる!! ……大丈夫か?」
「う、うん……」
彼が殴られすぎて立てなくなった黒髪の彼女に近づき、肩と腕を持って立ち上がらせる。
そうして、キッ!と虐めっ子の方を一睨みしてから、女子トイレを出ようと歩き始めた。
(……なんだよ。俺が何かしなくても、ちゃんと助けてくれる人がいるじゃん)
そう思い、若干の敬意をこめて、彼が女子トイレを出ていくまで見送ろうとした時。
突然、あの男子生徒が濁り切った眼をこちらに向け、窓の外にいる俺と目を合わせてきた。
背中に悪寒が走り、一気に背中をのけぞらせ、窓から頭を離す。
(ッ!? バレた……?! でも、なんだあの目は……!!)
『……へェ~…………』
ハンガーが少し、微笑みながら声を漏らした。
そして、静かな声で俺に言う。
『俊介。もしこれ以上首を突っ込むなら、気を付けた方がいいぜ。
俺は人間関係の事なんて大して分かんねえけど……。
――――ちょっと
その言葉が本当だと感じたのは、存外、すぐ後の事であった。