(げっ……あのバッジ、それにあの顔は……!)
俊介は空から歩き降りてきた男を見て、静かに後ずさりする。
胸に輝く、重なる二重螺旋の金バッジは紛れもない人格犯罪対処部隊の証。
そして細い金縁のハーフリム眼鏡を掛けたあの顔。
間違いない。
夜桜さんをバイクに乗せて海まで行った時に追いかけて来た、キュウビと同じような魔法を使う人対だ。
俊介は自分の格好と状況を鑑みる。
顔を隠す物を何も持っていなかったので、咄嗟に上の服を脱いで顔を覆ったため上半身が裸。
口と鼻しか隠せておらず、目元は丸出し。そして変なベルト持ち。明らかな不審者だ。
最後に、自分がやってないとは言え、近くには下半身が吹っ飛んだ死体まである。
……うん。
誤魔化すの無理だわ、これ。
「そこの君、上半身裸の顔を隠した君だ。何か申し開きはありますか? 一応武装していなかったので、攻撃はしませんでしたが」
白戸が兵士達を握る土の手を解除しつつ、非常に警戒した目で俊介を睨んだ。
もしこのまま白戸の言葉に従って警察にホイホイついて行けば、ダークナイトで人対を叩きのめしたりなんかと色々な余罪が一気に飛び出して、一発お縄だ。
未来革命機関。
元々ヤバい組織だとは思っていたが、先ほどの殺人を厭わないバミューダスって奴は『上級兵士』だと言っていた。兵士という位だから、他にも何人か同じ身分の奴がいるのは間違いない。
そしてあんな厳つい錨を振り回す危険な男と同じような奴が複数いるとなると、夜桜さんの状況もまた俺が想定しているよりもヤバい状況下にあるかもしれない。
いち早く夜桜さんを未来革命機関から取り返すためにも、ここで捕まる訳にはいかないが……。
果たして俺にこの人をどうにか出来るのか?
ハンガーに小声で問いかける。
「ハンガー。何とかできそうか……?」
『…………倒すのは無理だと思ってくれ。相性が悪い』
「そうか。逃げるのは?」
『出来るだろうが……難しいな。それともう一つ、夜桜の部屋を探るのは無理だと思ってくれ』
それは……そうだろう。
人対が来た以上、屋敷の中にノコノコ戻って部屋を捜索する訳にもいかない。たとえニンジャ達が先に探してくれているとしても、だ。
俊介が無言で身構えたまま、白戸の方を見ていると。
彼は眼鏡を一度外し、懐から出した眼鏡拭きで軽く掃除した後、再びかけ直す。
そして呆れ混じりの声で俊介に言い放った。
「全く……困るんですよ、今は色々と立て込んでいるんです。外国の軍事施設から
言葉の尾に怒りが滲んでいく。
額に青筋が浮かんでいるのも見える。何があったかは知らないが相当ストレスが溜まっているらしい。
腕を組み、足先でダンダンと地面を踏むほどの苛つきを見せる白戸だったが、次第に足の動きが緩慢になっていく。
そして額に浮かべていた青筋を消し、不気味なほど明るい笑顔でこちらに言葉を投げかけた。
「……失礼。ええ、貴方が大人しく投降するなら怪我はさせません。事情聴取させてもらい、何もなければすぐにお帰りいただけます。……しかし抵抗するのであれば、こちらとしても相応の対応をさせていただきます」
『俊介、体の交代はすんなよ。隙を見せたら全身グチャリだ』
白戸は腕を解き、優し気にこちらに手を差し出す。
しかしハンガーは先ほどまでの嘘のような興奮を消し、瞳を細めながら白戸を睨む。
数秒の静寂。
――――そして、次の瞬間。
白戸が笑みを消し、両手の平を勢いよく叩いた。
「天に根差す大氷樹」
ハンガーがその場から一足で背後に3メートル程飛びのく。
しかし間に合わない。
俊介達が射程圏外まで回避するよりも速く、天を貫くほどに高い直径10メートル程の氷の大樹が発生した。
辺りの気温は急激に氷点下を下回り、空中に煌めく氷の欠片が降り注ぐ。
「いッつ……!」
『すまん俊介!! 避け切れなかったッ!!』
その氷樹から少し離れた場所で俊介が苦悶の声を上げる。
彼の右足の脛の辺りの皮膚がズボンごと凍らされ、べっとりと剥がれてしまっていた。ハンガーは一度着地した後、右足で再度背後に飛んで体全体が氷に包まれるのは回避したものの、伸ばし切った右足が少しだけ氷に捕まってしまったのだ。
ハンガーはギリギリと歯を噛みしめて音を鳴らす。これがもし俊介の体でなく自分自身の体ならば迷いなく白戸を殺しに行っていただろう。
「む……今のを避けますか」
白戸は完璧に決まったと思った技を避けられた事で、少しだけ相手に興味を持つ。
右手に燃え盛る業火を集め、氷樹の背後にいるであろう俊介を狙って氷樹ごと炎のレーザーで貫いた。
「どわッ!!」
『チッ……さっきの錨野郎よりも数段はええッ!』
氷樹の一番太い幹の根本を余裕で蒸発させる極太の炎のレーザー。それを飛んで回避するハンガーだが、余りに速すぎて回避がワンテンポ遅れてしまう。そのせいで顔を覆い隠す服に火が引火してしまった。
急いで火を消すが、服の一部が燃えて鼻筋が大きく露出してしまった。これ以上引火すれば顔が公になってしまうだろう。
白戸は根本が吹き飛ばされ徐々に倒れる氷樹を意に介すことなく、俊介に歩みを進めながら手を合わせる。
「
瞬間。
周囲一帯を埋め尽くす、直径三十センチほどの比較的大きなシャボン玉。
俊介達もそれに覆われてしまい思わず足を止める。ハンガーはこれに触れると何かヤバいことが起きると勘が走ったのだ。
尤も。
触れずとも何かが起きるのがこの技の味噌である、と思いながら白戸は右手の指をパチンと鳴らした。
――――ドドドドドドドッッ!!
泡沫の雨。それはいずれ消え去る泡のように万物を消し去る雨。
早い話、一瞬でその辺りに無数に飛び散って超威力で爆発するシャボン玉である。
「ッつ……!」
俊介は口の端から痛みを我慢する苦悶の声を出しつつも、何とか爆発の中から脱出する。
顔を覆う服はハンガーが全力で守ったおかげで何とか無事だ。爆発は熱よりも衝撃波の強さに念頭を置いたものだったらしく、何とか引火する事を防げたのだ。
おかげで俊介の上半身は至る所から血が流れ、かなり無残な事になってしまっているが。
「おやおや。今のもほぼ軽傷だけで済ませるとは、相当腕のいい人格が宿っているようですね」
『この野郎……ッ!』
白戸は本当に感心したような声を出す。
その言葉にハンガーは首に血管を浮かばせるほどの怒りを覚えた。
そもそも、ハンガーは首を吊ることに自身の技術を特化させている。
彼女がその技の本領を発揮するのはある程度の長さの縄を持ち、ある程度の狭さの屋内にいる時である。しかし今は1メートル弱のベルトを持ち、だだっ広い屋外で戦っている。
そんな土台から不利な状況。その上、俊介の全身ではなく両手足だけを借りているというデバフまで掛かった状態では流石に戦況が悪すぎた。
ハンガーも己の力ではここから逃げる事すら厳しいのは分かっている。
しかし俊介が己の力不足でこれ以上傷つくのは舌を噛み切らんほどに耐えがたい。
なので。
俊介と2人きりでいる、というこの状況を邪魔する輩がいても、思わずありがたいと思ってしまうのだった。
『――――大丈夫か、2人とも』
傷だらけで荒く呼吸をする俊介のすぐ傍に、半透明の黒コートの男が降り立った。
俊介は彼の姿を見て、目をギョッと見開く。
「へっ、
それはこの世界に幼馴染がいるかもしれないという情報を聞き、精神が衰弱していたヘッズハンターの姿であった。
ハンガーはヘッズハンターの方に視線を向けないまま、憎まれ口を叩く。
『……てめェ、精神がイカレかけてなかったか?』
『まあな、けど一先ずは落ち着いたさ。……俺が両足を操る、ハンガー』
『ああ』
彼女から俊介の両足の主導権を受け取るヘッズハンター。
俊介はお互いが主導権を譲渡したのを確認した後、前方にいる白戸に気を配りながらヘッズハンターに目的を伝えた。
「あの人を倒す必要はない、今はここから逃げる事だけ考えてくれ!」
『……未来革命機関の情報を、夜桜の私室に探しに行くんじゃなかったか?』
「そうだったけど、今はもう無理だ! 撤退優先!」
『それならあの武装した転がってる兵士……未来革命機関の奴だろ? 連れ去って情報を吐かせればいい』
そう言って、ヘッズハンターは地面に転がっている両腕の折れた兵士達を指さした。
確かに彼らは未来革命機関の一員だが、人対を前にして誘拐するだけの余裕があるものなのか。流石にリスキーすぎるだろう、と俊介は考える。
だが、俊介は薄く息を吐きながらヘッズハンターに聞き返す。
「……出来るのか?」
『出来るさ。信じろ』
「…………」
一瞬、考え込む。
――――そして。
「誘拐するならあそこの女の兵士だ。8人の中で一番マトモそうな目をしてた、他よりも話が通じやすそうだ」
『了解。ハンガー、一瞬だけすぐ近くまで寄るから絶対に捕まえろ。ベルトで拘束してな』
『なんだってお前と協力作戦を……チッ。まあいい』
俊介が指したのは白戸の背後に転がっている女兵士。
先ほどの爆発に巻き込まれなかったのか、白戸がわざと兵士たちを巻き込まないようにしたのか、両腕が折れただけで転がっている彼女。
それを誘拐して逃亡することに目標は変更された。
「……なんだ? ……まあ、いいでしょう」
白戸は一瞬、相手の雰囲気が変化したような印象を受ける。
しかしそれを深く考え込むことなく、もう一度右手に業火を溜め、炎のレーザーを俊介に向けて放った。
ハンガーの回避速度では完璧には避けられなかった先ほどと同じレーザー。
それを。
ヘッズハンターはたった一足強く踏み込んだだけで、数メートル余裕があるほどに大きく回避した。
「ッ!?」
白戸は先ほどまでとは明らかに違う動きに驚愕する。
こんなスピードがあるなら隠している訳もなく、今明かす理由もない。まるで別の誰かが乗り移ったような速度だ。
……別の誰か?
…………別の、人格。
そこまで思いつけば。
つい先日、ダークナイトに人対の3人丸ごと一撃で撃破された苦い思い出を持つ白戸にとって、相手の正体が何かを看破するのは容易かった。
「……貴様ァ、
先ほどまでの冷静ぶった顔を大きく歪め、白戸は勢いよく手を合わせた。
その瞬間、地面から一秒と経過せず10メートルほどの鋼鉄の針が生えたが、ヘッズハンターはそれすらも難なく回避する。
『ハンガー、そろそろ近寄るから集中しとけよ』
『舐めんなッ!』
ハンガーの平均速度は時速45キロ。最大瞬間速度は時速60キロ近くに及ぶ。
これは人間の限界にほぼ近い値であり、これを捉えられる者は殆どいないだろう。
しかし。
ヘッズハンターの平均速度は時速80キロであり、最大瞬間速度は時速100キロを超える。
普通に走るだけで車を追い越せる。まさに人間の限界を超えた速度。
それが人外の身体能力と埒外の勘を誇る殺人鬼、ヘッズハンターであった。
……尤も、彼にはまだ
『よっ』
軽い掛け声と共に、白戸の攻撃を軽やかに回避するヘッズハンター。
先ほどまでハンガーが苦戦していたのが嘘のようだ。
「ちィィッ……! 舐めるなッ!!」
白戸が上体を下げ、地面に思い切り手を当てた。
その瞬間、先ほどの炎のレーザーが地中から俊介を狙って噴き出す。地面から生やした針よりもよっぽど素早いそれだが、やはりヘッズハンターには掠りもしない。
俊介は困惑しながら問いかける。
「今の完全に見えてなかったろ。ど、どうやって避けてんだ……?」
『来そうだなって思った所から移動したら、なんか回避してる。極論それだ』
『ふざけんなボケ。どんな勘してんだ』
ハンガーが口汚く悪態を吐く。
そしてヘッズハンターが白戸をおちょくる様に攻撃を回避しつつ、件の女兵士の元に近寄っていく。
一般道を走る車など目ではない速度で近づくヘッズハンター。
両腕を駆るハンガーは手に握る短いベルトに全神経を集中させ――――
――――1秒にも満たない時間で、女兵士の両腕を胴体に拘束した。
突然の衝撃で気絶から目が覚めた女兵士。
しかし拘束されているため身動きが取れず、俊介の手の中から逃れることは出来ない。
『捕ったぞ! どうだ!』
「よし逃げろ逃げろ逃げろ!!」
『全力で走るぞ、舌噛むなよ俊介!!』
女性兵士さえ回収すればもう用事はない。
ヘッズハンターは背後から迫る白戸の攻撃を振り返りもせずに回避し、夜桜邸の敷地を覆う高い塀を一歩で飛び越えた。
「待てッ!」
白戸は攻撃を続けようと俊介の逃げた方向に手を向ける。
が……数秒経った後、ゆっくりとその手を降ろした。
「フーッ。ま……仕方ありませんね。そうです、逃げられては仕方がありません……」
こめかみに浮かぶ青筋を指でさすりつつ、深く呼吸をして怒りを排出する。
怒りは冷静さを奪う……勝利に必要なのは常に冷静な心だ。
それに、収穫がゼロという訳ではない。
そこら辺に転がる武装した兵士。この屋敷を何故襲撃したか……じっくりと話を聞く必要がある。だがまあ恐らくは、海外の軍事施設から
国認定の人格持ちを誘拐した組織がその人格持ちの家を襲撃する。常識で考えればあり得ない話だが、白戸の常識とはこの世界の常識であって、異世界で生きてきた奴らの常識ではないのだ。異なる考え方というのはいつも理解するのが難しい。
それにもっと気になるのは、怪人二十面相だ。
今回も逃げられてしまったが……かなり大きな情報があった。
それは、なぜか奴は『夜桜紗由莉』によく関わっているという事。それも確実に。
前々回。
奴は何故かバイクで夜桜紗由莉を誘拐していた。結局は奴の人格の力で逃げ切られてしまったが。そして結局夜桜紗由莉は何の怪我もなく帰って来た。
前回。
廃工場で夜桜紗由莉が襲われており、それを人対全員で撃退しようとした所、あえなく負けてしまった。……苦い記憶だ。
まあ、この二回だけならまだ言い訳は付く。
例えば怪人二十面相が夜桜紗由莉に好意を持っており、力ずくで手籠めにしようとしたとか。拉致監禁でもしてよからぬ情欲をぶつけようとしたとか。
しかし、今回はどうだ。
正直、今回の夜桜紗由莉の誘拐にはまた怪人二十面相が関わっているのではないかと思っていた。未来革命機関に怪人二十面相が手を貸しているのではないかと考えていたのだ。
だが実際の所、未来革命機関と怪人二十面相は敵対していた。
これは一体どういう事か。
怪人は夜桜紗由莉が絡むことに首を突っ込んでいる。それは間違いない。
しかし何かをする……という訳でもない。前々回も前回も夜桜紗由莉を誘拐させたり襲おうとしていたりはしたものの、実際に大きな怪我をさせているという事はない。
……そういえば。
怪人は夜桜紗由莉の通う高校……その旧校舎でも出現していたはずだ。
「…………」
恐らく。
怪人と夜桜紗由莉は何度も接触する程に近しい、いや、かなり親しい人物。
怪人は恐らく学生か、そう見られる程若い人物。
でなければ、教師に見つかるリスクを犯してまで高校に侵入し、星野を叩きのめす理由がない。その気になれば奴が家にいる時にも出来たはず。
怪人は不自然なまでに夜桜紗由莉に執着を持っている。そして時に、人対を敵に回しても厭わないという風な不可解な行動を取る。
怪人は学生か若い男。まだ社会をよく知らない子供。
夜桜紗由莉は美しい女性。事実高校内ではマドンナ扱いされる程の美貌。
そして怪人は、不可解なまでに夜桜に執着を持っている……。
…………もしかすると。
怪人二十面相は、
「……なるほど。色々と面白い事態になってきましたねぇ」
妄想。勘。それらに近しい推理。
だが白戸の中では、この推理が思いのほかしっくりと来ていた。
それこそ。
勝手に学校の中に忍び込み、夜桜紗由莉が所属するクラスの教室にある全ての学習机に付着する指紋と毛髪を調べると。
怪人二十面相と一致する物が出てくるんじゃないかと、そう考えてしまうくらいには。
「とりあえず兵士達を拘束して、夜桜紗由莉の父親に色々と話を聞きましょうか。家が両断されたことに対する事情聴取も兼ねて、ね」
そう言いつつ、白戸は寝転がった兵士達を土の手で再び拘束し始める。
しかし、そこで。
「……ん」
先ほどまでそこにいたはずの。
錨を持ったスーツ姿の男が居ない事に気が付いた。