旧校舎での一件。
あの男子生徒の濁り切った眼が忘れられず、俺は、いじめに関しての調査を続けることにした。
あのいじめられていた黒髪の女子生徒の名は『
虐めっ子の……一番最初に殴っていた、恐らくグループの主犯格であろう金髪女子生徒の名が『
そして件の男子生徒の名が『
いじめられっ子の本橋はどうやら、小学6年生の頃にこの辺りに引っ越してきたようだ。
そして、家が隣同士になった星野と仲良くなり、ずっと一緒にいるらしい。
それと、気になる情報が一つ。
本橋が一年生の頃、細木とはまた別の、当時三年生の女子生徒が彼女を虐めていたという。
だがその虐めていた女子生徒は、学校卒業直後にプッツリと消息を絶ったそうだ。
その後を引き継ぐように、細木が本橋を虐めだしたらしい。
学校の名簿を見たり、裏サイトの学校掲示板を探ったにしては、なかなか情報を集められた方だと思う。最後の情報は掲示板から得たため信ぴょう性が低いが、まあないよりはマシだ。
A4用紙にそれらの情報を書きまとめ、頭を悩ませる。
盛大におかしいだろ! と思うような突っ込みどころはない。気になるとすれば、消息を絶ったという情報だが………。
机の上にある紙を覗き、顎を抑えるサイコシンパスが言う。
『…………ふむ。全員、私が聞き出せば早いのでは?』
「それは最終手段……いや、絶対ナシだ。なしなし」
全く見知らぬ悪人相手ならともかく、同じ高校の人間を声中毒にするのは不味すぎる。
そんな俺の言葉に呼応するように、ベッドの上で寝っ転がっていたキュウビがバッと起き上がって声を荒げた。
『そうじゃそうじゃ! 貴様の出る幕なんかないんじゃ、中に引っ込んどれ!!』
『キュウビ……。それはお前も同じことだろう。今の状況でお前に一体何ができる? 言ってみろ』
『やかましい!!』
ギャーギャーと、背後で取っ組み合いになりながら騒ぎ出す2人。
サイコシンパスはそこら辺の小学生相手に腕相撲で負けそうなくらい弱いので、キュウビに一瞬でマウントを取られ、ボコボコに殴られていた。
……うるせえ。
喧嘩するのが目に見えてたから、キュウビとサイコシンパスは引き合わせたくなかったんだ。サイコシンパスが中に居るか、キュウビがさっさと中に戻るかすればこうはならなかったのだが。
溜め息と共に音楽をガンガン鳴らしたイヤホンをして、2人の声をシャットアウトし、頭の中で考えを纏め始める。
星野という男が見せた、あの濁り切った眼。
あんな目をすることが出来る奴は絶対に正気ではない。断言できる。うちの殺人鬼が偶に見せる物と酷似しているからだ。
(何かしらの犯罪者の人格持ちか……?
でもそんな危険な人格持ちなら、国に管理されているはず……あっ)
そういやド級の殺人鬼の人格持ちが野放しにされている事を忘れていた。
低い確率だが、危険な人格の持ち主がなんの管理もなく生きている事は、あり得ない訳ではないのだ。
(……でも、となると、おかしくね?)
仮に星野が、犯罪者の人格持ちだとしよう。
奴には人格が完全に切り替わる際の一瞬の硬直がなかった。入って来てから出ていくまで、絶対に同じ人格だったはずだ。
つまり、あの濁った眼をした犯罪者の人格が、虐められっ子の本橋を助け出してそのまま出て行ったという事になる。
……意味が分からん。なんでわざわざ、トイレに入る前に危険な人格に変わる必要があるんだ。
俺はあんまり気にしないけど、夜桜さんの言葉では人格の切り替えはかなり危険な行為らしい。用心のためと言っても、リターンとリスクが合っていなさすぎる。
…………う~ん。
イヤホンを外し、机に突っ伏しながら頭のもやもやを声に乗せて発する。
「わかんね~~~!!」
『うおっ』
「ん?」
誰かが驚いた声が聞こえ、その方向を向くと。
そこには気まずそうな顔をしている、ヘッズハンターが立っていた。
『その……。中から、大体の事のあらましは見ていた。……ちょっと、良いか?』
親指で、部屋の扉の方を指さす。
その後に、喧嘩をしているキュウビとサイコシンパスに目を向けた。少し場所を変えて話したいという事だろうか? 断る理由もないので、ヘッズハンターが部屋の外に出ていくのを追う。
家の外にまで出て、まだしばらく歩く。
そうして、家からギリギリ100メートルの場所にある公園に辿り着いた。元々人が居る事も少ない上、夜も近づいて来たからか、無邪気に遊ぶ子供の姿もない。
『よっ』
ヘッズハンターが軽い掛け声と共に、2メートル程の高さがあるジャングルジムの頂点に飛び乗った。身体能力が高すぎる。
童心に帰ったつもりで、誰かに見られないことを祈りながら、同じようにジャングルジムの頂点まで登った。
公園の周りを覆う木々の隙間から、赤い夕陽が沈んでいくのを、静かに眺める。
一体何の用事だろうか。ヘッズハンターがこんな風に呼び出してくるのは初めてだ。
半透明の彼が気まずそうに頭をかき、ふーっと息を吐いてから、ぽつぽつと言葉を発し始めた。
『その、だな。今俊介が関わっている、虐めの件だけどな』
「……うん」
『俺はこれ以上……関わらないでやって欲しい、と、思っている』
「えっ?」
いきなり何を言い出すんだ。
と思ってヘッズハンターの方を見たが、彼も自分自身で無茶苦茶な事を言っているのが分かっているのか、顔を俯けていた。
『……そういえば、話したことなかったよな。俺が初めて人を殺した理由』
確かに、ヘッズハンターからそういう話を聞いたことはなかった。
殺人鬼達には、自分が元の世界で何をしていたか話す奴もいるし、話さない奴もいる。話したくないのなら聞かないでおこうと、俺もわざと首を突っ込まなかったのだ。
だが彼が話したいと言うのならば。
コクリと頷き、話の続きを促すと、彼はそれに誘われるように言葉を紡いだ。
『俺には同い年の幼馴染の女の子が居てな。
ずーっと一緒だったんだが……ちょうど、俊介と同じ年で、彼女は虐めを受けるようになった。
なぜなのか、理由は今でも分からないが……学校一の不良グループからのたちの悪い虐めでな。段々エスカレートしていって、教師ですらも見て見ぬフリをしていたよ。俺も怖くて、少し彼女から距離を取っていた。
そして……ある日、彼女は俺の家に訪れ、助けを求めて来たんだ』
そこまで話したところで、ヘッズハンターが額を手で押さえた。
何か言葉を掛けようとしたが、彼が覚悟を決めたような表情で、すぐに話を続ける。
『俺は……その不良グループにビビって、玄関の扉を閉めて逃げた。
そしたら…………次の日、彼女は自宅で
俺に相談してきた、そのすぐ前に、不良グループの男共から性的な乱暴を受けたらしくてな。『限界です』……って、滲んだ文字で遺書に書いてあった』
思い出すのも辛そうな顔をするヘッズハンター。
今の話の流れから分からないほど、俺も鈍感じゃない。彼が初めて殺した人間というのは……。
「……まさか、その不良グループを」
『ああ。
思わず生唾を飲んでしまう。
ヘッズハンターの言う『バラバラ』とは比喩表現ではなく、正に言葉通りの意味なのだろう。
一見すれば何でもない、そこら辺に居そうなほど精神的に落ち着いている彼も、立派な殺人鬼なのだ。
『―――俺はビビって、彼女を助けられなかった。
……けどさ。あの星野って男は……違った。
俊介の考える通り、アレはマトモな人間の眼じゃない。
明らかに犯罪者……もしかすると、俺達と同じ
…………でもッ!
小さなころから一緒に居る、幼馴染を、虐めから助けたんだ。
例えどんな奴だったって……。
それだけで俺は、あの星野って奴を、『
殺人鬼・ヘッズハンターの独白。
それは、多くの人間を殺した犯罪者とは思えないほど、ごくごく普通の男の吐露だった。
「星野が良い奴だから……これ以上、俺に虐めの件に関わるなってこと?」
『無茶苦茶な事を言ってるのは分かってる!
でも……俺が進めなかった未来が、すぐそこにあるんだ。
星野を手助けしろとは言わない。
せめて、関わらないで、そっとしてやって欲しいんだ……』
彼の言葉には、もっと隠された意味があるような気がした。
自分は殺人鬼だから関わっちゃいけないという遠慮とか、あったかもしれない幸せな別の未来を見ていると辛いとか。全て俺の勝手な想像だけど……そう外れてもいないだろう。
だがヘッズハンターの言う通り、星野が危険な人格持ちの疑いが高いとはいえ、俺の目の前で殴られていた本橋を助け出したのは事実。
星野の善性に任せて、これ以上関わらない選択を取ることも出来る。
――――だけど。
「悪いけど……嫌だ」
『!! 何でだ……ッ?!』
ヘッズハンターが目を見開き、驚いた顔をこちらに向ける。自分の心からの願いがきっぱりと否定されたからか、その視線には怒りも若干籠っている。
相手は落ち着いているとはいえ、殺人鬼。数年も一緒に居るが、恐ろしいと感じる時はある。
だが、ヘッズハンターの願いを飲むわけにはいかない。
背中にビッショリと汗をかきながら、彼の眼をしっかりと見た。
「関わらない選択をするのは簡単だけど……
だったら、俺は……納得の行くところまで調べ切ってから、関わらない選択をしたいんだ。
まだ時間はある。即断即決も良いけど、ギリギリまで粘って決める方が……後悔もないだろ?」
『…………』
俺のありのままの気持ちを、ヘッズハンターに伝えた。
殺人鬼達と暮らしていると、否が応でも面倒事に巻き込まれることがある。その時に、後の自分がなるべく後悔しないような選択をする事は、俺の精神を保つための一種のポリシーになっていた。
このポリシーばかりは、いくら彼の願いといえども曲げられない。
関わらない選択を取ってもいいが、それは確実に『今』じゃない。
『…………ふっ』
ヘッズハンターが顔を俯かせ、鼻で笑った。
そのあと、自分の両手で顔を隠し、ごろんとジャングルジムの上で寝転がる。
『俊介は、またすぐに逃げようとした俺よりも、ずっと強いんだな……』
「え? 何?」
彼が口を手で隠しながら、何かをぼそぼそと呟いた。
何を言ったのか聞き取るために顔を近づけようとするが、それを避けるように、彼はバッと起き上がる。
『何でもない。……ありがとう。やっぱりすごいな、俊介は』
「?? え、あ、うん……。
結局、まだ虐めの件には関わるってことでいいのか……?」
『ああ。
それと、俺にも是非協力させてくれ。他の奴らに比べると、出来ることは少ないけど……』
何を言う。
殺人鬼の中で一番落ち着いているヘッズハンターが協力してくれるだけで、どれだけ俺の精神衛生が保たれる事か。
偵察もよし、相談相手にもよし、うるさい殺人鬼を何処かへ放り出すもよし。とんでもなく頼りになる。
「じゃあ、さっそく明日から調査を始めよう」
『分かった』
俺とヘッズハンターは、お互いに握手をした。
……互いに触れられないから、握手の真似をしただけだけど。
心の中ではガッツのある熱い握手をした気分になったから、良しとしよう。