やっぱ呪術界ってクソだわ   作:TE勢残党

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持論として、狂人と遭遇した時に感じる恐怖は死体を見つけた時のそれと同じだと思います。
死体があると「人を殺しうるもの」がそこにあると連想して恐怖するのと同じように、狂人がいると「人を壊しうるもの」がそこにあると連想して恐怖するんでしょう。つまり人間の認知上は「狂う」と「死ぬ」は同じ判定という考えです。
ホラージャンルが狂気も取り扱いがちなのは、感じる恐怖が同質のものだからじゃないですかね。


#61 邪神(下)

 結界の外に取り残された2人が、打開策について議論している時。

 

 結界最深部、「仮称:ひさるき様」の根城の中に、井口楓と庵歌姫はいた。

 

(外傷はなし。リュックは回収できたから装備も無事)

 

 偶然も手伝い、ギリギリの所で術式効果――恐らくは、催眠や精神操作の類――から逃れ正気に戻った楓。

 

(歌姫先生は……)

 

「今って何時……ああもう、スマホ脱衣所に置いてきちゃったじゃない」

 

 しかし歌姫は変わらず呆けたままで、否、あからさまに呆けていることが分かればまだいいのだが、普段通りの態度と口ぶりのまま「ひさるき様の所に戻らないと」と繰り返していた。

 

 まるで大事な会議をほっぽり出して来たかのようなテンションで、「歌姫先生ならこう言うだろうな」という発言をする歌姫が、楓にはたまらなく不気味に思える。そもそも今、上着に手をかけた時点で正気に戻れた楓と違い、歌姫は全裸なのだ。

 

 敵地で、なんならさっきまで化け物に犯されかけていたというのに。手で局部を隠す素振りすらない彼女は、普段通りであること自体が強烈な違和感を発していた。

 

 呪術においても重要なファクターとなる「自分の意思」。そうでなくとも、自分が自分であると証明するのに不可欠な要素だ。それが破壊されるでも乗っ取られるでもなく、ただほんの少し誘導を加えられるだけでこんなにも信用ならなくなるのか。

 

 それは死体を見た時と同じ、「自分が自分ではなくなる」ことに対する根源的な恐怖。

 

「……歌姫先生、この鏡をのぞいてください」

 

「どうしたのこんな時に……これでいいの?」

 

 しかし楓はそれを振り払い、務めて平静を装って歌姫に鏡の呪具を見せた。

 

 あの化け物に関する部分以外はまったく平然としている歌姫を刺激しないため、騒げばそれだけ見つかるリスクが高まるため、そしてこの有様に平静を乱されることそれ自体が、この結界に付与されている術式の効きをよくする可能性があるためだ。

 

 楓はたまたま正気に戻ることができたが、それは結界に付与された術式効果が失われたという意味ではないことを考慮していた。

 

 それでも、やはり楓は平常の判断力を維持できては居なかったのだろう。

 

「……? よくわからないけど、そろそろいい? 早く戻らないとマズいのはあんたもでしょ」

 

 彼女が「戻ってこられた」のは、元来の重装備による抵抗力の高さと、この結界内に蔓延する薬物の効果を遮断できたことが大きい。鏡の呪具は最後の一押しであって、完成した精神支配を正面から打ち破れるほどではない。

 

「やっぱり駄目か……っ!?」

 

 そしてもう一点。

 

 この判断に至るまでの数分の間に楓は、歌姫に向かって精神支配の術式がかけられていることを説明し、説得を試みている。

 

「まさか」

 

 ――呪いというのは、術式対象が「呪いをかけられている」と自覚する、すなわち呪いの存在と効果を受け入れることによって飛躍的にその威力を増す。

 

 ネガティブなことに言及し続けていると、それが言霊として力を持ち、いずれ実現してしまう。

 

 どちらも非術師の間ですら語られる「呪い」の鉄則であり、事実「術式の開示」によってその効力が有意に増すことは呪術師の間で経験的に知られている。

 

 病は気からというが、呪術においては特にそれが顕著なのだ。

 

 その事実をこの結界の主が知悉しているとした時、楓はもう一つ最悪を想定しなければならなかった。

 

 楓に限らず、何かの拍子に正気に戻った人間が術中の他人を説得しようとした時。かける言葉は「あなたは洗脳されている」「術式によって精神を誘導されている」といったものになるはずだ。

 

 

 ――一度は術中にハマった人間による説得と説明が

 

 術式の開示としてみなされるとしたら?

 

 

「ねぇ、本当に大丈夫なの?」

 

 ぐにゃり、と視界が歪む。

 

 精神的ショックによるものと誤認しそうになったが、自分のものではない呪力が頭の中に入ってこようとしているのを、今回は見逃さなかった。

 

「――ッ!!」

 

 慌ててリュックの中から護符を取り出し、呪力を込めて念じる。

 

 自分に対する呪力での干渉を防いでくれる強力な呪具だが、使い捨てで能動的に使用しないと防げない使いどころの難しいものだ。

 

 やがて頭の中の違和感が去ったのを見計らって目を開けると、両手で持っていた護符が真っ黒に変色していた。

 

 楓は自分の直感が正しかったと悟り、顔を青くする。

 

(気づくのが少し遅れていたら、強化された暗示の効果で引き戻されてた……!)

 

 つまり、この結界のからくりはこうだ。

 

 まず、女性限定の生得領域に対象を引きずり込み、おそらく数分程度の時間をかけて精神に誘導を加える。

 

 誘導の内容は、「ひさるき様」……この結界の主に身体を捧げ、子供を産むことを「自分の仕事であり、名誉あるお役目」と思い込むこと。未確認だが、「ひさるき様」に直接触れたり、実際に行為を済ませたりすれば、暗示は不可逆的な程に進行する可能性が高い。

 

 そしてこの効果から我に返った者が、結界内でまだ術中にいる者を説得しようとしたり、術式効果について言及したりすると、それが「術式の開示」と似た効果を及ぼして逆に暗示が強化され、一度は効果をはねのけた説得者にも再び強化された暗示が襲い掛かる。

 

 恐ろしい、と楓は思った。

 

 地獄と形容して相違ない「世界」を生み出しておきながら、術式効果に一切の殺傷力が付与されていない。どころか、行っていることは2級呪霊ですら実現できそうなほど単純な暗示だけ。浮いたリソースで隠密性の強化と、結界の維持。結果ここまで術式内容の考察が進んでなお、実力の底が見えていない。

 

 術式自体の出力は最小限に、得られる効果を最大化する。言うは易しだが、一体何年自分の術式と向き合ったら「これ」が仕上がるのか、楓にはわからなかった。

 

 生得領域を展開できる呪霊や、領域展開を使いこなす術者はこれまでにもいた。

 

 だが、そのほとんどは目に見える火力や性能に特化したものばかりだ。術師として高みに居ればいるほど、都会で戦闘経験を多く積み上げていくことになり、対戦ゲーム等で言うところの「メタが回っている」環境内で、似たような方向性の強さが並ぶようになる。

 

 それゆえ、この結界のようなある種芸術的ですらある技巧を目にすることはない。修めたところで使い物になるかもわからない一つの技能を何十年もかけて鍛える暇があったら、手札を増やしていった方が良いからだ。

 

 今まで見てきたどんな術式よりも練り上げられている。何より、結界と術式が全く戦闘向きでないために、戦うとなったらどのくらい強いのか全く分からない。

 

 この時点で楓は自力での祓除を半ば諦めた。

 

 最善は脱出。

 

 本来ならばこういう場合、味方の救援を期待して時間稼ぎに徹するのがセオリーだ。領域の中で下手な動きをすれば即死につながるため、動きたくても動けなくなる場合が絶対多数である。

 

 だがこの術式。時間とともに侵食が進まないとは、楓にはどうしても思えなかった。

 

 時間は向こうの味方。となれば、自力での脱出を目指すしかない。

 

 それも、無力化された歌姫を連れたままである。気絶させて運ぶには楓は非力すぎ、呪力による身体強化を使えばせっかく隠している現在位置がバレる。結局のところ、現状は絶体絶命であった。

 

 ここまで脳内を整理しようやく多少の余裕を取り戻した楓は、隣にいるはずの歌姫が、この理屈で行くと暗示が強化されてしまっているはずの彼女がさっきから一言も発していないのに気付いた。

 

「……や、ヤバい。すぐ戻らなきゃ……お役目から逃げ出したなんてことになったら何て言われるか……!!」

 

 その歌姫は先ほどまでの「迷惑そうにしているがそれなりに話を聞く余裕がありそう」な様子と打って変わり、顔を真っ青にしてガタガタと震えている。その震えが寒さから来るものでないのは明白だった。

 

「歌姫先生……!」

 

 状況は悪化するばかり。幸いなのは、逃げ込んだこの袋小路のような地下室が、まだ発見されていないことか。

 

 通常であれば術者の体内も同然である領域内で身を隠すなどという芸当は不可能だ。この領域が通常と異なり多くの縛りの上で運用されていることと、楓の持つ呪具による隠蔽効果が合わさって生み出された均衡である。

 

 当然、歌姫に勝手に動かれでもすれば、逃走や時間稼ぎどころではなくなってしまう。

 

(遮蔽の呪具は……あと30分くらいは持つ。この分なら……)

 

 楓は次の一手を迫られた。

 

「そう、ですね。行きましょう」

 

 来た道を戻るという体で移動し、道に迷ったフリをして結界からの脱出を図る。

 

 そう覚悟を決め、歌姫を先導して歩き始める。

 

 無我夢中で走ってきた手前、そもそも現在の正確な位置自体分かっていない。これほどの結界術を使う相手と考慮すると、内部空間がどれほど広いかは検討もつかなかった。

 

 湿った地下空間を歩く間、歌姫の動向に気を配りつつ、周囲への警戒も怠らない。

 

 文字にすれば簡単だが、バレれば今度こそ裸で「ひさるき様」に差し出されるという緊張の中でそれを行うのは精神に尋常でなく負荷がかかる。

 

 一歩一歩、一秒一秒が極限まで圧縮された体感の中を、それでも歯を食いしばって歩く。

 

 そもそも、現代における領域展開とは「必中必殺」が代名詞。対策なしに領域の中に取り込まれて未だに無事でいること自体、奇跡のようなものだ。

 

 まだ何も失っていない。まだ、行動の余地がある。

 

 そう言い聞かせ、歩みを進める。

 

 その意思が通じたのか、進んだ先に人や呪霊の姿はなかった。

 

 「そこ」は途中から石レンガが途絶えて天然の岩盤がむき出しになっており、幅広の道が途中で途切れ、大穴となって深く続いている。ほかにいくつかの道が、ここに合流しているようだった。

 

 どこからか水の音が聞こえる。流れるような音ではなく、水滴の落ちるような静かで断続的な音だ。

 

 だが、一番の特徴はそれらではなく――

 

「……っ!!?」

 

 鼻を衝くような、強烈な異臭。

 

 腐敗臭とも死臭ともつかない強烈な臭気が、穴の奥に向かって続いていた。

 

「ね、ねえ。本当にこっちで合ってるの!?」

 

 歌姫はそのことに対し反応を示さない。ふと思い立って、楓はひとつ聞いてみた。

 

「なんか変なにおいしませんか?」

 

「え? ああ、そうね。でもここ、"ゴミ捨て場"だし、こんなもんじゃないかしら」

 

 楓も歌姫も、間違いなくここには初めて訪れた。やはり、何らかの知識を追加で刷り込まれているようだ。

 

 それが侵食度の進行を示すものか、楓には判断が付かなかったが、しかしわかることもある。

 

 楓の持つ呪具の数々が、この穴の先に向かって強烈な反応を示しているのだ。

 

 間違いなくここには何かある、そう考え、臭気をこらえて穴をのぞき込んでみる。

 

 

 

 ――ある程度、厄介な代物が出てくることは想定していたが。

 

 穴の向こうで、かすかに蠢く肉塊のようなものを見た時、最初は虫か何かが湧いているのだと思った。

 

 それは半分合っていて、半分間違っていた。

 

 そこにあったのは、大量の肉塊ではあった。腐敗し、おびただしい数の虫が這いまわっているのも正しい。

 

 楓は夜目が利く。術式効果でもない、ちょっとした特技だ。だから分かってしまった。

 

 

 

 それは、胎児だ。

 

 

 

 大穴を半ばほどまで埋め尽くすほどの。

 

 信じがたい数の異形の胎児が。

 

 半ば腐敗しながら、こちらにむかって手のようなものを伸ばして蠢き――

 

 

 それを理解したところで、楓の記憶は途絶えている。

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