蕭々と、雨がエリダナのアスファルトを濡らす。吐瀉物と不潔な浮浪者の匂いで満ちた空気の中を一人の男が歩んでいた。
丈の長い防弾防刃コートに、腰に下げた刃渡り三尺ばかりの魔杖刀。東洋系の顔立ちの男は、エリダナにありふれている場末の攻性咒式士よろしく暗い目と胡乱な空気を纏っている。けれども、男の歩みを遮ろうとする者は何処にもいなかった。殺伐とした空気に慣れた路地裏の住人達は、伊達や酔狂で男が魔杖刀を手にしているわけではないと一目で見抜いたからだ。
やがて、男は目当てのものを見つけたのか鋼鉄製の扉の前で足を止めた。
「どけ、」
人によっては傍若無人と受け取る端的な一言に、たむろしていたチンピラ共が蜘蛛の子を散らすように道を開ける。
「失礼します、電気会社のものですが……」
先程とは打って変わって丁寧な口調の男は、最後まで用意しておいたセリフを最後まで言い終えることなく、不自然な挙動で跳躍した。刹那遅れて化学鋼性系咒式で鋼鉄の扉が変形。槍の鋭さをもつ触手となって運悪く居合わせたチンピラ数人を巻き込みながら向かいのビルに着弾、内臓と血飛沫を撒き散らす。追い打ちの爆裂が鋼鉄の断片を撒き散らし、さらに被害を拡大させる。
「や、やったか?」
部屋の中から出て来たのは痩せ犬のように細った中年の男だ。手にした魔杖短剣は元は高級品だったのだろうが整備不良の錆が目立つ、落ちぶれた持ち主そのものだった。
「吧ァ!!」
コートが翻り、垂直の断頭台となって魔杖刀が落下する。大気の裂ける幻視すら促す斬撃は受けた魔杖短剣ごと中年の男を切り崩す。追撃の後ろ回し蹴りが細い体を部屋の中に叩き返した。
背中からコンクリ壁に叩きつけられた中年の男は頭を壁に縫い付けられた標本の蜥蜴のようだ。空気を求める口からは内臓破裂の血が零れ落ちていた。
「……その魔杖剣とコート。コン=タオローか!」
「姓と名はその順が逆だ」
一歩、タオローが男を追い詰める。
「一応確認する。ツエオ=マータグ、罪状は殺人と強盗だな」
「ち、ちくしょう!」
進退窮まった三メルトル四方の部屋のすみで、男は腰だめに短剣を構え死力を尽くして突進する。
する予定だった。
「遅い……」
しかし、痩せ細そった筋繊維を僅かに動かしたところでタオローの斬撃が男の首を両断する。血栓の圧力で床に転がった中年の頭はどこか恨めし気に宙を睨んでいた。
三年ぶりに訪れたエリダナはタオローの記憶とまるで違う街になっていた。古くからの伝統を残す、央華の田舎にある家との差にすこし溜息をつく。三年前に並んだ店は軒並み潰れており、どこか異界に取り残されたような気分でタオローは雑踏を歩んでいた。人の騒がしさに嫌気を憶えながら角を曲がると、見覚えのある看板のポロック揚げの屋台があった。強化された咒式士の嗅覚が懐かしい油の匂いを脳細胞に蘇らせる。
「一袋いいか?」
「はいよ」
けれども、店員の顔と声は見知ったおやじの物とは違う若い男のものだった。娘は誰にもやらん、俺の味は一子相伝だと破滅したことを言い張っていたあの頑固おやじが婿を迎えたのだろうか。
「おやじさんは元気か?」
「はい?……ええ、元気ですが」
困惑した表情の店員にタオローは自分の失敗を悟る。
「いや、ありがとう。失礼した」
代金を払ってポロック揚げの入った袋を受け取るとタオローはさっさとその場を後にした。背後では先程すれ違った赤毛眼鏡の咒式士の声と店員の声が、賑やかに騒ぎを立てていた。見知ったはずの街の変化に寂しさを覚えながら公立の公園を目指すことにする。
公園にベンチで子供向けにデザインされた時計塔を見る。タオローを呼び出した古い友人のとの待ち合わせにはまだ時間があった。あの時とは違う晴天の下でポロック揚げを齧りながら、呼び出しの理由を反芻した。
「…それにしても、エリダナにこんな晴れた日があったとはな、」
少なくともタオローの記憶にあるエリダナは何時も雨が降っていた。こんな気分のいい晴天の日はなかったはずだ。
「追い詰められていた、と言うことだな」
普段しない自己分析に口元を歪ませて、最後ののポロック揚げを飲み込む。そうして先程から察知していた巨大な気の持ち主に声を掛ける。
「何の真似だ?」
食事中は押し殺されていた殺気がタオローの声で膨れ上がりあたり一帯の空気が凍り付いた。ベンチの上で日光浴をしていた猫が悲鳴を上げて逃げていく。
「流石だ」
背後にいたのは見覚えのないドラッケン族の戦士だった。巨大な屠龍刀も、勇者の雄々しさと美姫の麗しさを兼ね備えた美貌も、一目見たら忘れることがない要素だがまったく覚えがない。
「誰だ?」
問い掛けるコン=タオローの言葉にドラッケン族の男が応じる。
「我が名はギギナ・ジャーディ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフ、と言っても知らないだろうが」
「何か…用か?」
だから何かとタオローは再び問い掛ける。友人との約束もある身としては、ここで面倒事に巻き込まれるのは避けたかった。
「貴様に決闘を申し込む。三年前の私では相手にもならなかっただろうが、今は違う」
嬉々とした声でドラッケンは告げる。同時に白磁の右手は徐々に徐々に剣の柄へと上昇していく。二人の間の空気が痛いほどに緊張し、収縮する。二人の間合いは一〇メルトルほども開いているが咒式剣士にとっては一瞬で詰められる程度の距離だ。つまり間合いは既に決死圏へと突入している。
「止めてくれ、友人との約束がある」
言ってタオローも殺気を返した。ここで戦う気はないが、無抵抗と言うわけでもない。裏社会を生き抜く上で、殺気を納めた交渉など存在しないが故に習慣となった威圧が無意識に行われる。
殺気で空気分子が固定されたような感覚。強敵との死闘を前にしたそれにギギナが喜悦の笑みが浮かぶ。
「おいギギナ!お前の場所を問わない猟奇殺人の癖は、ドラッケン族全体のの性癖なのか?だとしたら人類の明るい未来のために死んだほうがいいぞ」
間に入った若い男の声が衝突し、拮抗した殺気の平衡が音を立てて崩れ落ちた。ギギナと名乗ったドラッケン族の男の顔に吐き捨てるような表情が宿る。
「年中発情している眼鏡置き場に言われたくはないが、貴様の間抜け面に興が醒めた。またいつか合えば戦おう。コン=タオローに剣と月の祝福を」
言い捨ててギギナは身を翻す。
「ああ、永遠に合わないことを祈る」
去って行くドラッケン族を見送って、安堵の息を吐き出したコン=タオローは中腰になっていた腰をベンチに下ろした。
目を時計に戻すと約束の時刻まで、既に一時間を切っていた。街の地形が変わっている可能性も考慮に入れてそろそろ移動した方がいいだろう。さて、あの厄介な友人が何を持ち込むのかタオローにはまるで見当が着かないが遅れるわけにもいかない。
「行くか」
何が起きるかは判らない。ただ、身に付けた戴天流剣法だけはこの身を決して裏切ることは無い。
我は此の一刀掛ける修羅。妹を救えなかった俺には最早、剣しか残されていないのだから。
過去への感傷を置いてコン=タオローは公園を後にした。
友人は一応、虎爪拳士ホアン・マオリエの予定です。際どいラインを狙うのが流儀なのです。