小説を書くの、想像以上に大変でした。まさかこんなに詰まるなんて思いもしませんでした……。さすがに次はもうちょっと早く投稿したいと思いますが。
あと今更ですが完結までに原作5巻までの内容がときどき出てくると思います。まだ読んでない人は、買おう!
~前回から間が空いたのでこれまでのあらすじ~
分裂した後藤ひとりを元に戻すために承認欲求を満たすことが必要らしい。
後藤ひとりや喜多郁代と相談のうえ、前島透は彼女の承認欲求を満たすための弾いてみた動画や路上ライブの手伝いをすることにした。
#3-1 前島透は後悔した
あくびを噛み殺しながら、玄関脇の植木鉢にたっぷりと水をやる。新緑よりも少し色濃い緑に水滴が弾かれて、肥料混じりの土にぽたりぽたりと染み込んでいった。この子は三月ごろに黄色い花が咲く品種だが、よく日に当てないと開花する花の数が減る。そのことを知らず前回はキレイに咲かせられなかったため、今年度は日の当たるここに植木鉢を移動した。
空は白ばんできているがまだ朝日は出ていない。遠く西の空では未だに星が淡く、まばらに瞬いている。ぼーっと空を眺めながら、後藤さんが家に来てから四度目の朝かー、となんとなく思った。
喜多さんともう一人の後藤さんが来た日の翌日、つまり二日前に二人へ協力を仰いで、うちに居候する後藤さん用の日用品や着替えを用意してもらった。その辺りの品……特に女性用のものに関する知識は皆無なので本当に助かった。
そうして前島家で生活する体制が整った後藤さんは、何もなかったら防音室にこもってほぼ一日中ギターを弾くかパソコンで動画編集などをして過ごしている。流石に家に籠もってばかりではと思うので、そのうちご飯に使う食材などのおつかいを頼んで外出の機会を設けるつもりだ。
水やりを終えて屋内に戻る。キッチンに移動して手を洗い、朝食の準備を始めた。
前島家はキッチンからリビングが見渡せる構造になっている。リビングの掃き出し窓越しに朝の柔らかな陽光が射し込んでいた。
換気扇を動かして棚から大皿を二枚取り出し、フライパンに食用油を入れてIHの電源を入れる。冷蔵庫から卵とベーコン、冷凍野菜のブロッコリーを取り出す。
一人の時は朝はバナナ一本やブロック状のバランス栄養食品で済ませることも多かった。しかし後藤さんにそんなものばかり食べさせるのは申し訳無さすぎる。このため毎朝早く起きて朝食を準備するのが俺の新しい日課になっていた。ちなみに学校がある日の昼食は、事前に用意した常備菜やレトルト食品、冷凍食品などと炊いておいたご飯で済ませてもらっている。
「あっ、お、おはようございます……」
フライパンの右半分でベーコンとブロッコリーを熱し、左半分に卵を入れてかき混ぜスクランブルエッグにしていたところで後藤さんがリビングに入ってきた。先日貸した黒ジャージがそのまま彼女の部屋着になっている。
「おはよう、後藤さん」
もうすぐできるから待ってて、と喋る。
「あっはい」と返事した後藤さんはリビングのソファに座って窓の外に視線を向けた。朝の陽射しに寝起きの顔を照らされ、眩しそうにした彼女は手の甲で光を遮り目元に影を落とした。
後藤さんは毎朝二時間かけて登校しているためか朝が早かった。
彼女は起きたらまず洗面所で洗顔や髪のブラッシングなどを行う。ちなみに日用品購入の日に「最低限これくらいは必要よ!」という喜多さんに押し切られて普段は使わないヘアケア用品やスキンケア用品を持たされたらしい。
(ちゃんと使わないと申し訳ないけど、どういう手順でどんな風に使えばいいかが全然わからない……)という苦々しい表情でそれらの品を見つめている後藤さんを昨日見かけた。今のところ、それらの品に手がつけられた様子はない。
半熟になったスクランブルエッグと火が通ったベーコン、ブロッコリーを二枚の大皿に分ける。まとめて焼いたためベーコンとブロッコリーには卵が少し付いていた。大皿の空いているスペースに炊飯器からご飯をよそう。マグカップにインスタント味噌汁を入れて、ポットから熱湯を入れてかき混ぜる。
ご飯ができたことを察してこちらに来た後藤さんに彼女の分のお皿とマグカップを渡す。そのままテーブルに付いて手を合わせて「いっ「いただきます」」と口にして一緒に朝食を食べ始めた。
食事を初めてしばらく。お箸が料理をつまむ際に食器をつつくカチ、カチ、という断続的な音だけが食卓に響く。
ここ数日の食事では俺も後藤さんもいつも無言だ。その静寂に耐えかねてか後藤さんはいつもご飯を食べてる時に視線が左右に揺れて落ち着かない様子である。確か原作には後藤家の食卓で美智代さんとふたりちゃんが楽しそうに会話しているシーンがあった。普段がそういう食卓なので、人と食事している時に会話がないと落ち着かなくなるのかもしれない。
そう考えて、何か話しかけた方が良いかと無意識に口を開いた。
「えっと、今日のご飯はどう? 口に合うかな?」
「え? あっはい、今日もおいしいです」
「あ、えーっと、うん、それならよかった」
「あっはい」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
……や、やってしまったああ! どう話を展開するか何も考えず衝動的に話しかけた結果すぐに会話が終わってしまった!!
あっ後藤さんの顔が青ざめて脂汗がにじんできている。(なんで今日に限って急にご飯の感想を……? もしかして何か味付けを変えてて、それで口に合うか聞いたとか? だ、だとしたらマズい! 「今日もおいしい」って言っちゃったけど、「昨日と味が変わらないよ」ってデリカシーがない返事になってしまっている!! せっかく味付けを変えて会話のきっかけにしようとしてくれているのにスルーしちゃった! で、でも一体何の味付けを変えたの……? ま、全くわからない。子供舌で繊細な味の違いを認知できない私の舌が憎い! こ、こうなったら直接聞くしか……!?)といったことを考えていそうな表情を彼女は浮かべた。
「あっごめんなさい、何の味付けを変えたんですか?」
「あ、えっと、昨日と同じ味付けです……」
「えっ? あっ……はい……」
そういうと後藤さんが背負う空気がズーンと重くなった。湿度が上がってジメジメした気がする。
コミュ障って与えられた一の情報から存在しない情報を三くらい想像して、それを事実だと思い込んで段階を一つ二つ飛ばして会話しちゃうよね。俺もそうだからわかるよ……。
雑に話を振ってすぐに会話を打ち切らせてしまった罪悪感でご飯の味がしなくなった。後藤さんの目は死んでいた。
そうして無事に……無事に? 朝ご飯を終えて使った食器を洗い終わった。
後藤さんはリビングのソファに座りタブレットで動画サイトを見ている。承認欲求が満たされた時のニヘーととろけた笑みを浮かべていた。朝ご飯のあとは、昨日上げた弾いてみた動画の再生数やコメントなどを確認して悦に浸るのが彼女の日課になっている。
ちなみに後藤さんが今持っているタブレットにこっちの後藤さん用のロインアカウントを作って、先日うちに集まった四人のグループを作成している。うちにいる後藤さんはスマホを持っていないため他の人との連絡手段がなかった。流石にそれはどうかと思ったので、俺のタブレットを貸してロインを入れて喜多さんやもう一人の後藤さんと連絡を取れるようにしてある。動画の広告収入のおかげでタブレットやパソコン、DTMソフトなどの機材は充実しているのだ。
ニヤニヤしながらタブレットをたぷたぷと弄る彼女に声をかける。
「俺も昨日見たけど弾いてみた動画、だいぶいい調子で伸びているね」
「えっあっはい! お陰さまで……」
ビクッと体を小さく揺らしつつも、すぐにふへへとした笑顔に戻った。
『RockYouMonster』名義で上げた動画は、後藤さんのギターソロが四本、後藤さんと俺のセッションが一本だ。いずれの動画も彼女に選曲してもらっている。後藤さんと弾くのは楽しいこともあってもう少しセッションしたかったが、家事に学校に路上ライブの準備にとなかなか時間が取れなかった。このため投稿できたセッションの動画は結局一本止まりだった。
いずれの動画も作ったばかりのアカウントにしては好調に伸びている。喜多さんと俺のアカウントで動画を拡散して人の目に触れさせたこともあるが、後藤さんのギターの実力が抜きん出ているのが理由だろう。
「うん、動画は順調だしそろそろ路上ライブしてみない?」
後藤さんの体がビシッと固まった。硬直した笑顔のままギギギ、とこちらに顔を向けてくる。
「あっすみませんよく聞こえなくて。もう一回お願いします」
「うん、動画は順調だしそろそろ路上ライブしてみない?」
彼女は涙目になった。
「……も、もう一回お願いします」
「……悪いけど、何回聞いても変わらないと思うよ」
彼女は小刻みに震え出した。
目を思い切りつむって歯を食いしばって何かを言おうとする。かと思えば口を真一文字に強く引き結んで顔をうつむかせる。一瞬後にはしかめっ面のままゆっくりと天を仰いだ。
しばらくそうしてひとり百面相をしていた後藤さんだったが、やがて観念したように口を開いて「が、がんばりましゅ……」と、今にも泣き出しそうな声で返事をした。
「えっ……と。かなりキツそうだし、もう少し動画投稿してからでもいいけど……大丈夫?」
「あっ……だ、大丈夫ですっ」
後藤さんは俯きつつも、両手を合わせて胸の前で握りしめて言葉を続ける。
「た、ただでさえ前島くんや喜多さんに助けてもらってるし、そ、それに路上ライブは前島くんにも手伝ってもらえるから……だから、が、頑張ろうと思いますっ……」
彼女はそう言ってチラリと上目遣い気味にこちらを見る。前髪の隙間から見える碧眼は震えつつも力強い光を持っていた。
俺は眩しいものを見るかのように目を細めて、彼女が安心できるようにとなるべく優しく笑顔を浮かべて返事をする。
「ん、わかった。それなら一緒に頑張ろう」
「あっ、はい!」
「それにやってみたら案外なんとかなるかもしれないしね。動画の中じゃセッションしたやつが一番受けが良かったし」
「あっ……た、確かに」
そう言うと後藤さんの顔色が少し良くなった。
ついでに、路上ライブが頑張れるように楽しみを増やそうと考える。俺が作るご飯ばかりっていうのも味気ないだろうし、外食とかいいかもしれない。
「そうだ、初めての路上ライブ記念ってことで無事終わったら外でご飯を食べて帰らない? 何か食べたいものとかあるかな?」
「えっあっ、えっと……は、ハンバーグとか食べたいかも、です」
「うん、それなら今日の夕ご飯はファミレスにでも行こうか」
路上ライブしようと考えていた場所の近くにファミレスがあったからそこに行けばいいだろう。
その言葉を聞いた後藤さんの目が見開きワナワナと体が震え始める。
(どっ……同級生の男子と一緒にファミレスでご飯!? そ、そんな陽キャイベントが私に!? そんなお楽しみが待ってるって知ったら……私、一晩で法隆寺建てられちゃうよ!!)
「ふ、ふひっ……ふへへっ!」
と急に後藤さんが笑い出したかと思ったら、彼女の背後から唐突にぶわっと黒いモヤが広がり世界が書き換えられる。前島家のリビングを塗り潰したそれは碁盤状に整然と区画された都――平城京を投影した。
そのかつての首都でひときわ目立つのは、根本から幾本ものレーザービームを夜空に向けて放っている五重塔だ。その屋根の上で彩り豊かな十二単を身にまとった後藤さんがギターを掻き鳴らし、「ロッキュー!」とメロイックサインを掲げて声を上げる。
そのパフォーマンスに平城京に住む人々も「「「いとをかしー!!」」」と盛り上がっていた。
ついに後藤さんも心象風景を具現化できるようになったかあ、などと思いながら目をつむって頭を振る。目を開いて無事に前島家のリビングに意識を戻した俺は、妄想に耽る後藤さんをしり目にロインで喜多さんともう一人の後藤さんに路上ライブをやることを連絡した。
路上ライブする予定の日は二人とも結束バンドのスタジオ練習があるから見に行けないとのこと。がんばって、と応援のスタンプを送られた。
「もちろん頑張るよ」
頑張らないといけないだろう。自分にも後藤さんの分裂した原因の一端があるのだから。
まだ登校まで時間がある。俺は路上ライブで弾く曲を練習するために防音室に向かった。
後藤さんと先日相談して、路上ライブでは後藤さんが投稿した弾いてみた動画の曲をメインにやることにしている。後藤さんがチヤホヤされるための路上ライブだし、後藤さんが演奏したい曲をやるべきだと考えたからだ。
ここ数日である程度は熟してきたし週末までには人に聴かせられるくらいにはできるだろうと考えつつ、防音室のドアを締めた。
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時間はすぐに過ぎて、路上ライブ当日。
駅前広場は淡いオレンジ色に染まっていた。広場の白い石畳の上で、夕日と街路樹のコントラストが揺れている。
駅前ということもあって色んな人の往来がある。少し見渡しただけでも、買い物バッグを下げてせかせか歩く女性に、ゆったりと道行くスーツの人や、談笑しながら歩いてる学生たち等が目に入った。
行き来する人たちのうち何人かはこちらを目にして、二メートルほど前で足を止めてくれていた。陽が当たってキラキラ輝く顔を向けられて、彼らの期待に応えられるような演奏が出来るだろうかと不安になる。目を背けるように下を向いて機材弄りを再開した。
樹木の影が落ちている場所で俺と後藤さんは楽器のチューニングや機材のセッティングを行っていた。後藤さんに視線を向けると、聴衆を背にアンプを弄っている姿が目に入る。彼女の肌は元から白いが、身を包んでいる黒パーカーとの対比もあってその顔は蒼白とも言えるほどに色を失っているように見えた。
俺と後藤さんはこれから初めての路上ライブに挑む。先日喜多さんともう一人の後藤さんが家に来た時に話したように、路上ライブでチヤホヤされて後藤さんの承認欲求を満たすためだ。
二度目の人生ともなれば大体のことは経験済みで、何かをするにあたって強い緊張を覚えたことは今までなかった。しかし今は体のあらゆる部位がガチガチに固くなっている。
機材の調整を終えて、手汗がにじんでいることに気づく。気持ち悪さを覚えて手のひらをズボンにこすり付けるが、またすぐに手汗がしみ出てしまう。路上ライブの準備を初めてからすでに片手の指じゃ足りない回数は手汗を拭っている。
ベースを弾いて歌うことなんて十年以上さんざんやってきているはずなのに、なんで今更こんなに緊張しているのか自分でもわからなかった。
結局、緊張の原因がわからないままライブの準備が終わってしまった。
「後藤さん、準備は出来た?」
「えっあっ……は、はい……」
声をかけられた後藤さんはビクッと体を震わせる。黒パーカーのフードを目深に被って俺の右側、一歩引いた位置に立つ。聴衆でなくその足元に向いた瞳は、怯えの色に染まっていた。
その様子を見て深呼吸を一つする。(俺まで不安になってる場合じゃないだろ!?)と気合を入れ直す。
原作の『廣井きくり』と同じように、後藤さんの演奏を支えればきっと大丈夫。家では彼女のギターについていけたんだから大丈夫だ、と自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
覚悟を決めて前を見据える。笑顔を取り繕い、事前に考えていたセリフ通りに声を上げる。
「ロ↑っ!!! ……路上ライブやりまーす! さ、最近流行りの曲をやるので皆さんが知ってる曲もあると思います。よければ聴いていってください!」
緊張のあまり最初の"ろ"が裏返ってしまった。観客の方から小さなクスクス笑いが聞こえて、風の前の塵のように覚悟が儚く散っていく。
顔がカーっと熱くなり羞恥のあまり前を向いていられなくなって、思わず後藤さんの方に顔を向けた。黒パーカーに包まれた背は大きく弧を描き、前髪の隙間から覗いた瞳は星がない夜空を連想させる。その目には手元のギターしか映っていなかった。
後で思い返して、このとき彼女に何か一声でもかけられたらよかったと思う。しかしミスして焦ってしまったせいで俺にも他人を気にかけるほどの余裕がなかった。
早く演奏を始めなければと、急かされるようにノートパソコンを操作してドラムの打ち込み音源を再生する。
再生ボタンを押した直後、ふと俺の中にひとかけらだけ残った冷静な部分が脳裏で呟いた。
――そういえば不特定多数の前で生演奏するの、前世を含めても初めてじゃないか?
(あっ緊張の原因それかあ……)と思ったころには既にドラムスティックのカウントが響いていて。
その音に追い立てられるように、汗が滲んだ指先で弦を震わせた。
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ジャアーン、というギターの余韻が辺りに響く。
夕日が地平線に接して影が大きくなり、俺たちが今いる場所もすっかり暗くなっていた。人々の往来はあるが、その喧噪もなんだか遠い。演奏を始める前に感じていた視線の重圧からはすでに解放されている。
当然だろう。だって今、目の前に立ち止まっている人はいないのだから。
そう――観客ゼロ人である。
演奏でミスが重なる度に、音楽ゲームのライフみたいにジワジワと人が去っていった。
原因はわかってる。緊張して全然いつも通りの演奏が出来なかったからだ。
後藤さんは音はちゃんと出せていたが突っ走っていた。普段どおりなら俺はそれについて行けたはずだが、緊張で体がガチガチに硬くなってしまいベースもボーカルもギターに合わせられなかった。結果、合奏しているとは言えないほど音が重ならない演奏になってしまったのだ。
予定していた曲目が終わり、二人揃って俯いたまま機材を片付ける。そのままどちらからともなく、駅前広場の隅のベンチに二人並んで腰掛けた。どよんどとした湿った空気に辺りが包まれる。
駅の大きな影が落ちて、日向が遠いこのベンチはなんだか寂しげだ。周囲の喧騒のみが響いて二人の間に会話はない。しばらくそうしていたが、沈黙に耐えかねてか思わず内心をこぼしてしまった。
「俺って普段は消極的なのに、時々変な行動力を発揮して深く考えず動いて派手に失敗するんだよな……」
(あっ、私と一緒だ……)
「思い返したら身内以外の前で演奏したことなかったし、みんなの前で発表するのとか本当は苦手なのによく考えず路上ライブを手伝うって言ってしまって……」
ああ、前世の大学で卒論や修論を発表した時のことを思い出すな……。緊張のあまりうまく発表できず、教授からの質問にもちゃんと答えられなかった。
台本と想定質問とその回答を用意したし発表練習もした。なのに本番になって壇上でみんなの視線を受けると、脳みその芯の方が痺れて上手く思考できなくなるんだ。
質問に対して要点を簡潔に答えればいいだけなのに、相手の知識量を考慮しないで一から十まで説明しようとして長々と喋る。延々と口を動かすうちに何を聞かれたのかすら忘れて結論として言うべきことがわからなくなる。話をどう着地させるか悩んで何も言葉が出なくなる。
わからないのに答えなければいけないって状況にテンパって意識が少し遠くなって……目は見えるのに視界に何も入らなくて、自分の回答待ちで静かなはずなのに自分の呼吸と鼓動の音が耳の奥でゴウゴウと響いてやかましい。
答えられないことを察した教授に「えー、この質問は大丈夫です。代わりの質問なんですが……」と仕切り直してもらう。しかし先の質問で限界を迎えていた心身に新しい質問を受け止めるだけの余裕はもうなくなっていた。
「基礎的な質問で申し訳ないのですが」
「聞き逃したのかもしれませんがそもそもこの研究をやった理由は」
「この研究の結論として何が言いたいんでしょうか」
ああああああああああ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!
「あっ、泡に溶けて消えてしまいたい……!」
「あ、まっ前島くん!? ほ、ホントに脳天から水色にシュワシュワ泡立って空気に溶けていっちゃってますけど!? 新手の大気汚染!?」
吸い込む空気がまるで冷たい海水のように重くなった。そのまま暗い海の底に意識が沈んでいくような感覚になる。
「お前なんかが出しゃばるからこうなるんだ」と暗闇で俺の中のネガティブな部分が俺を責める声がした。
「ごめん、手伝うなんて言わない方が良かったかもしれない……お、俺はダメダメの実のダメ人間だ……」
「――だ、ダメダメなんかじゃないですっ……!」
その声に自分の内側に向いていた意識を引き戻された。こんなに強い口調でこの子に声をかけられるなんて初めてで、頭の中が空になる。さっきまで感じていた息苦しさもどこかに消えていた。
声がした方に顔を向ける。後藤さんの青い瞳がまっすぐこちらを見つめていた。視線が合ったらすっと左下に目が泳いだけれど。
「あ、えっと……その」
たどたどしくも後藤さんはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ひ、一人で路上ライブすることになって、ホントはすごく怖かったんです。勇気が出なくて、私なんかに出来るわけ、ないと思って……だ、だけど前島くんに手伝うって言ってもらえて。き、きっと、私一人だけだったら路上ライブなんて、出来なかったと思います」
そこまで言って彼女は一つ息を吸った。ためらいがちに少しずつ、震えながらだけど、正面から俺と視線を合わせる。
「け、結果はダメだったかもだけど……前島くんがいてくれたから、私でも路上ライブできたんです。だ、だから、前島くんはダメダメじゃないと、思います」
一瞬、何を言われたのかわからなくてきょとんとしてしまう。
だけど間を置かずにそのまっすぐな言葉の意味を理解して、嬉しかったのに照れくさくなって思わずそっぽを向いてしまった。
「……えっと、うん。ありがとう」
盛大に失敗してしまって、俺なんかが路上ライブを手伝うなんて言わなければよかったと後悔したけれど。
後藤さんにダメなんかじゃないと言ってもらえて、逆に俺の方が彼女に助けられた気がした。
少しの間、二人に沈黙が降りる。ここ何日か二人でご飯を食べている時のそれと違って、一日の終わりのようにどこか落ち着く時間だった。
やがて広場の街灯に明かりがつき始める。もうそんな時間かと考えて、そろそろ夕ご飯に行こうかと後藤さんに声をかけようとした。
「ぼっち、お疲れ様」
「あっはい、ありがとうございま……ズェああア!??」
しかし俺より先に誰かが後藤さんを労う。不意に声をかけられた後藤さんは反射的にお礼を言うも、途中で驚きの悲鳴を上げた。
そこには、喜多さんにアー写を見せてもらった時に俺と同じベーシストだと紹介された女子がいた。街灯を背に立っているため、陰がかかったその表情は少しわかりにくい。
「……驚いた、やっぱりぼっちだったんだ。ロインを見た感じ、今日の結束バンドのスタ練にもぼっちがいるみたいだったけど」
「あっ、な、なんでここに……?」
その人を目にして俺も驚いて一瞬息が止まる。彼女が言う通り今日は結束バンドのスタジオ練習があるはずで、バンドメンバーのこの人がここにいるわけないからだ。
「今日は古着を見て回りたかったから。すぐそこにアメ横があるでしょ? いい古着屋がたくさんあるんだ」
近くにアメ横があるのは知っていたけど、そんなに古着屋があることは知らなかったな……。いや古着屋は置いておいて、つまりこの人は結束バンドのスタジオ練習をサボったのだ。そういえばマンガやアニメでもそういう人だった。
「それに、ここは割りと路上ライブやってるからね」
そう言って彼女はこちらに顔を向けた。確かにネットで路上ライブのおすすめスポットを探して良さそうな場所を選んだ。
……まさかこの場所が、路上ライブはともかく近くに古着屋が多いという、この人が現れうる要素を持つとは思わなかったけれど。
「こんにちは。ぼっちとバンド組んでる山田リョウです」
「話がしたいんだけど、この後いい?」
半眼でこちらを見つめる彼女からは感情が読み取れない。思わず後ろめたいことがバレたみたいな居心地の悪さを覚える。
「あっちにあるファミレスでいいよ」
彼女はそう言って路上ライブ後に行く予定だったファミレスの方を指し示す。
楽しみにしていた夕食なのに、まるで論文発表前みたいに緊張してしまっていた。なぜなら、きっと山田さんにこの状況を説明しなければならないから。
後藤さんが分裂したなんて、どう説明すれば信じてもらえるんだよ……。