「これは……すごいですね」
武井豊は、久方ぶりにまだデビューもしてない馬の素質に震えていた。
武井がその厩舎とオーナーの依頼を受けたのは、吉沢オーナーが惚れ込んだ牝馬に興味があったからだ。
この世界、ただ技術があるだけではG1レースには勝てない。
見合った素質馬を見つけ、時にはこちらから騎乗を頼む
こともあるのだ。
「武井騎手に是非うちのブルーモルフォに乗って欲しい」
そう言われたなら、それに見合った結果を出さなければならないと、武井は気を引き締めた。
高額で落札された馬が走らないのはよくある話だ。
でも何故か噂で知ってるブルーモルフォは、違う予感がした。
ベテランである山田厩務員に連れられて、ゆっくりとその馬が歩きだした。
見事……いや美事としか言いようがない青鹿毛の馬体。
すらりとした脚はまだそう走ってないためか綺麗だ。
蠱惑的な黒の瞳はじっとこちらを見つめている。どうやら初めて見る自分を観察しているようだ。
「賢い子なんですよ、たまに人間の言葉がわかってるんじゃないか?と疑うくらい。」
「とても、綺麗な子ですね」
「えぇ、厩舎をでるときに、中に入ってる馬たちが見惚れてるのがわかるくらいですよ。馬っ気を出す子もいます。」
「魔性の女なんだなぁ……」
撫でてやると気持ち良さそうに目を細める。
あちらからも顔を預けてきたので警戒は解かれたようだ。
「少し走ってもいいですか?どういう走りをするか実際に跨がって感じたいんです」
了承を貰い、コースに入ると、一気にブルーモルフォの雰囲気が変わったように思えた。
「(集中力があるタイプか……?それはありがたい)」
軽く走って、馬の様子を今度は自分が観察する。
指示にもきちんと応える。
気を散らさない。
コーナーリングもデビュー前にも関わらず綺麗だ。
「(よし、本気になって走らすか)」
次はどの程度のスピードが出せるか、だ。
合図を出し、一気に姿勢を低くすると。
「うっわ…………!」
ベテランである自分が思わず声をあげてしまうほどの速度と……加速力。
ディープのように空を翔ぶ感覚ではない、どちらかと言えば……舞う。
「(ディープも四肢が地面に着地する時間が短かったが……これはそれ以上や)」
ブルーモルフォ。
日本語に直すと青い蝶。
確かにこれは蝶だ。
優美に華麗に空を舞う蝶。
「しかも全然まだまだいけるって顔してるなぁ……」
ブルーモルフォとしてはまだまだ序の口、軽い準備体操なのだろう。
涼しげな顔をする彼女に思わず苦笑する。
合図を出し、ゆっくり速度を落とさせると、調教師と厩務員のもとへ戻った。
「武井さん、うちのモルフォはどうですか」
「本当にすごいですよ……これなら牝馬三冠を無敗でとることだって夢じゃないです」
素直な称賛だった。
この馬はすごい、どんどん伸びるぞと思った。
「逆に私の方から騎乗のお願いをしたいくらいですよ」
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あっぶねえ……人を乗らせて走るのって一部の人以外なかなかないから怖かったわー。
騎手である武井さんが帰り、私も厩舎へ戻ってるときに一人反省会をした。
緊張していたからかそんなにスピードは出せなかったと思う。
というかあれ速度上げろの合図だよね?
不安になってきた……。
「今日は人間との顔合わせか?ブルーモルフォ」
「あ、先輩」
先輩は、かなり名のある馬らしく、種牡馬として活躍されてる。
だが種付けシーズンが終わり、かなり珍しいことだが帰省中らしい。
なんでかは私も知らないけど……どうやら私に会いに来たとおっしゃっていた。
私の写真を持っていた人間に駄々をこねて……いやなにしとんのや。
「あいつらは痛いことするからな、気を付けろよ」
「はい、ありがとうございます」
顔が非常によろしい先輩は牝馬からモテモテであり、よくうっとりとした視線を向けられている。
本馬もさも当然といったふうな態度なので、流石モテ男と言いたい。
「そういやもう少しでデビューか、応援してる。」
「はい、先輩のようなG1ホースになるために頑張ります」
「言うじゃねえか」
ニヤッと笑った先輩は相変わらずカッコいい。
「多分俺は明日帰ることになるだろうから、そこまで言うならちょっとお願いがある」
「何でしょう?」
「もしも……もしもだな。機会があったなら、俺の忘れ物を拾って欲しい」
「忘れ物……」
先輩の忘れ物、とは何だろうか。
「俺は現役のときにここを出てな、遠い国のレースに出たんだ。」
「坂がきつくてな、体調もよくなかったから負けた。ブルーモルフォには、そのレースに勝って欲しい。まあ、出るかどうかわからないが……」
「そのレースの名前、覚えていますか?」
「そうだな、確か……」
「キングジョージ、と人間からは呼ばれていた」
…………イギリス王ですか?????