道理の通らないことをした。
“させられた”側面もなくはないが、片棒を担いだことに違いはない。
愛娘の学校生活を奪うなんて。
しかもろくな説明もなしに。
『──とんでもない契約内容だね……』
いわゆる秘密保持契約に近いものを読んでカリナはそう言った。心の底から同意だ。
あんな内容では──サインして秘密を知ってしまったらその先の依頼が義務に変わるだなんて──法的有効性も怪しい限り。仮に裁判になれば司法は
サインすればカリナは休学する羽目になる。そのことを前もって知らせずに判断を強いた。
無関係の高校生を休学させなきゃいけないような特殊な患者さんは、この病院にいないことになっているから。
だけどカリナは察しが良い──いや、数理的だ。パズルを解くように意を読む。僕は一際読みやすいピースだろう。
こんなことをする以上は断れないのだ、とか。カリナ以外には頼めない事情が、とか。
言い訳がましくてとても口に出来ないことをこの子は察してしまう。
だからサインをすることは分かっていた。嘆かわしいことに。
そして緑谷くんのことを知れば、なんのかんの言いつつ力を尽くすはずだ。誇らしいことに。
それにしても、マーサさんにすら説明できないのは実にしんどい。
娘の休学だよ? 相談するのが筋に決まってるじゃないか。
それでも、ああ、それでも。
秘密が漏れた時、緑谷くんのご家族に降りかかる危難はあまりに大きい。しかもその力がヴィランに渡りかねないとなれば尚更。
なぜ渡した?
なぜ名前も顔も隠させずに普通に生活させた?
いや、過ぎたことは言っても仕方ないか。
切り替えよう。僕は警察や公安じゃないんだから。
そして父親であると同時に医者なのだから。
今は緑谷くんのこと。そしてカリナを一日も早く学校に戻すことだ。
「──うさん。お父さんってば」
「ん、サイン書けたかい?」
「はい、漏れがないか指さし確認よろしくね」
上の空になってしまった親を、娘が気遣ってくれた。敵わないなぁ。
──カリナに緑谷くんと【OFA】の全てを話した。
(USJで果てた持ち主のことは誤認させつつ)【AFO】という“個性”のことも。
教えておけば、僕には無い発想で彼を救える可能性もあるから。
「じゃあ中学生になってから“個性”が目覚めたっていうのは」
「方便だね。実際にはその時点で先代──オールマイトから引き継がれたわけだ」
「…………」
難しい顔で考え込んでしまうのも分かる。
カリナは“技能”を身体に馴染ませるだけで一ヶ月を費やすのだ──しかもそれは【自己再誕】と二人分の因子があってのこと。
髪の毛一本飲み込んだだけで無個性の人間が取り込めるなんて──
「【精力ギンギン】とかじゃなかったんだ。てっきり二次性徴仲間だと思ってたよ」
──うん、重い空気を軽くしようとおどけてくれてるんだよね? そうだよね?
「そういえばカリナ、体育祭の時に言ってた因子の偏りが見えるという話、周りには?」
「話してない。百は察してると思うけど」
なら根津くんにも言わなくて正解だったか。
カリナを選んだ理由は、医療知識・患者との関係・秘密に慣れていることの三つだけじゃない。今の彼がカリナからどう見えるかは大きな手がかりだ。
「──“黒い繭”?」
「そんな風な見た目だね。【高速発動】の感覚が無くても驚くとは思う。いいかい、開けるよ?」
「了解」
契約書にサインした部屋から更に幾つかのセキュリティを抜けて、とうとうガラス越しに“繭”が視えるところまで連れてくると、カリナは──即座に目を逸らした。
「…………なにあれ……?」
「繭の中の様子が?」
「多分……そうなんだと思うけど。
これ、見た目だけじゃなくて
【自己再誕】は元々他人の“個性”に対する鑑別眼みたいな感覚を持っている。USJ以降その感覚に変化があった。
ただそれは本当に薄ーく淡ーい感覚で。“個性”を使ってない時は尚のこと分かりにくい。
体育祭で大勢の生徒が“個性”を使いまくってる様子を見比べてやっと、気のせいじゃないと確信できた位だ。
つまり『身体の一部が光るみたいに』といってもその光はすっごく弱い──これまで見た例は全部そうだった。
「人の形をした、
「な──心拍や呼吸は!?」
「たぶん、多分してる、けど……お父さん、これ食事は? 水分は?」
「昨日の夕方から摂っていない。飲食への依存度が低い“個性”もなくはないけど……」
「見間違いじゃなければ痩せ細ってるような……ううん、身長は明らかに伸びてる」
「急ごう。まずは水分と栄養だ」
「了解」
最初見た時、ほとんど“繭”の輪郭が分からなかった。中の人が眩しすぎて。片目にだけ遮断ゴーグルをつけてようやく視認できた。
ちなみに性欲は全っ然湧かない。
消毒やらを済ませながら大急ぎでブリーフィングを受けて、鞄を一つ受け取ったら同じ部屋に踏み入った。
「緑谷くん! 聴こえてる?」
何度か呼びかけても反応なし。ガラスとマイク越しにお父さんとやり取りしつつ距離を詰める──お。
お父さんよりはマシだけど校長先生よりも反応が強いらしい。
あっはは、私のことがお嫌いか。
申し訳無さ三割、予想通り五割、今はぶっちゃけどうでもいい二割。うるさい水を飲め飯を食え。
「はいはい暴れないの。痛いこととかしないから。多分」
強引に距離を詰めたら離れる速度が上がったけど、私はお父さんみたいに大人しくないし逃げられるほど広い部屋でもない。
むんずと掴むのは簡単なことだった。すぐ離れることになったけど。
『カリナ!?』
「オーライ、当たってないから平気」
パァンと鋭く弾けたのは床のリノリウムが打ち据えられた音。私はノーダメージ。
無遠慮な異物を遠ざけようと暴れ出したことで、繭に見えてたものの正体が垣間見える。
その縄の内側は色の濃い煙で満たされていて見通せない。緑谷くんは更にこのモヤの中ってことらしい。
「さて、どうかな?」
お父さんの驚きっぷりからして縄が暴れだすのは初めてみたいだから、とりあえず霧が露出したところにペットボトル突っ込んできたんだけど、どうだろ。吐き出されるかな?
『あれ? 今の一瞬で置いて来たのかい?』
「ご期待にお応えして」
『思ってたのとはちょっと違うんだけどなぁ……おや』
「おー?」
スポーツドリンク的な飲み物のペットボトルは、霧の表面でゆっくりと廻っている。縄が繭の表面に戻って防御態勢を取っても吐き出されることはない。
やがて……まるで危険物ではないと確かめていたかのように、内部に沈んでいった。中で飲んでくれるだろうか? これで上手くいくようなら『強引に距離を詰める→縄が暴れる→“繭”に隙間ができて霧が露出する→そこに飲食物を突っ込む』流れが成立する。
うーん実に脳筋。お父さんには真似させられないところが大減点。
「ちょっと離れて様子みるね。中の身体はこれまでのところ全然動いてない」
『縄を鞭みたいに手で振るったわけではない? 結構な勢いだったけど』
「そんな大きな動きはしてなかった。指くらいなら見落としたも知れないけど」
鞭、ねぇ。確かにスピードは結構あったけど、なんだか闇雲に振るわれた印象だ。打ち据えようとしたのか巻き取ろうとしたのか半端というか。
「周りが見えてないのかもね。“繭”の真下のゼリー飲料とかは置きっぱなしなんでしょ?」
『うん、今朝からだけどね。ロボットアームでゆっくり置いて、少し距離は取られたけどそれだけだった』
「見えてたらもう少し……お」
『うん?』
話していたら内部のシルエットに変化があった。手足は使ってないけど、小さな動きが繰り返されている。
「喉が動いてる、と思う」
『おぉ』
たぶん見間違いではなかったんだろう。少ししたら空のペットボトルがコトンと吐き出されたから。
ただしフタは開けられてない。ボトルの胴を捩じ切って開けたらしい。理性は感じられないなぁ……?
「固形物も試す? 緑谷くんのアレルギーとか好物とか分かるなら」
『さっき渡した鞄に入ってる』
「はーい。…………」
鞄から出てきたのはでっかいお握りだった。ラップの内側には、薄焼き卵を型抜きした堂々たるシルエット。頭に生えた二本のアンテナからしてオールマイトなんだろう。
どう見ても手作り。……たぶん、親御さんの。
病棟によるけど、入院患者にこの手の差し入れは認めてない所が多い。食中毒とか予防しきれないから、申し訳ないと謝りながら棄てちゃうこともある。
でもお父さんはこれを受け取った。
ご家族にはどこまで話せてるんだろうな……。
「大きいから小分けにはするけど。意地でも突っ込んでくるね」
『頼んだよ、怪我はしないようにね』
三日ほどが過ぎた。
とりあえず栄養状態は力業でなんとか保たせている。
でも肝心の“繭”の解除は……
端的に言うと何がしたいのか分からない。
まず、原則的に本人を守ろうとするはずの超常中枢が飢え死に寸前の行動を取るのも驚き。
少数ながらそういう中枢もある。でもそれなら突っ込まれた水やおにぎりを口に運ぶのは矛盾している。
これをどう解釈したら良いのか?
現時点では、それぞれの“個性”が『分断・孤立しちゃってるんじゃないか』という仮説が濃厚だ。
例えば“繭”の外殻にあたる【
『全体が一つの意思に統一されて動いてる』と考えるのは幾ら考えても無理がありそう。
多重人格──とは色々と違うか。船頭多くして、みたいな状態。
今のところ四代目以前は不明で、どれかが身体改造に類するものと予想される。その一つは緑谷くんが死んでも構わないかのようなスタンスで非常に危険だ。
まるで人質を取られているような危うさ。
「……これ、引き出すの危ないよね……?」
「……条件が厳しいのは確かだけど。安全と考えられる試行錯誤はまだまだあるんだ、積み上げていこう」
……歯がゆい。
八木先生は頻繁に病院に顔を出してくれる。【OFA】に関する情報提供だったり単に私たちの労いだったり。罪悪感みたいなものもあるんだろう。
連日にわたって朝から晩まで病院で暗中模索してると気が滅入るのは確かで、だから『気晴らしになるかと』って雑誌とか差し入れてくれるのは嬉しいよ。医学雑誌っていうチョイスは微妙なとこだけど、普通の本屋さんには滅多に置いてないやつだから何かのついでではなくわざわざ手に入れてくれたんだろうと思う。
「八木先生、この特集記事って読みました?」
「いや、中身までは。でもヒーローの“個性”をここまで深掘りして公開するのは珍しいと思ってさ」
「まぁそうですね。そもそもここまで調べないんで」
「……兵怜少女?」
「ごめんなさい、ふふ──っく、可っ笑しい。この写真、ほらこれうちの父です」
「!?」
うん、この記事に書いてあること、全部この病院で調べたんだよね。差し入れられても新情報は無いんです。
「え、インゲニウムここに入院してたのかい!?」
「あー非公開でしたっけ。そうなんですよ〜……あらまぁ天晴さん、肝心のところをぼかしてますね」
「ご、ごめんね気付かなくて!? でも気分が変えられたなら何よりだよ」
私は随分と暗い顔をしていたらしい。あー、ストレスケアが追いついてないなぁ。
「じゃあちょっとコレ、聞かなかったことにして欲しい雑談なんですけどね?」
ただ今お昼休憩中。緑谷くんの件を知らない人は一切立ち入りを許されてないセキュアスペースなので、笑い話にしてしまおう。
インゲニウムこと飯田天晴さん。
優秀なヒーローだし、能力とは別の人格面でも文句のつけようがない──私なんかとは違って──ヒーローらしいヒーロー。天哉くんも私もサイドキックの皆さんも、沢山の人が彼を尊敬している。
「でも病棟の医師や看護師からは、とっても評判が悪かったんです」
「えぇ? 意外だな。想像つかないけどストレスで周りに当たり散らした、とかかい」
「いえ、普段通り暑苦しいくらいパワフルで明るかったです。まぁそれが過剰だったというか」
「苦手な人はいるだろうけど、それだけで……?」
もちろんそれだけではない。
「理学療法士の言うことを無視して、オーバーワークによる入院延長を三回も食らったので」
「あぁ……うわぁ……ゴメンナサイ……」
「ええ、お察しの通りヒーローやサイドキックなら一度目のやらかしは珍しくないんですけどね」
だから一度目はやんわりとお願いする程度。でも二度目はそんなに無いし、かなーりキツく叱るんだよ? 三度目なんか私は初めて聞いた。
「で、まぁ父がキレまして。『時間もエネルギーも有り余っているなら、学術研究に貢献してくださいますね?』って」
この経緯は流石に多少ぼかして喋ったようだ。
「はは、嘘は言ってないね……」
「ですねー。あ、別に怒ってるとかじゃないですよ?」
その部分を除くと、天晴さんは普通ならプライバシーとして伏せそうな内容もフルオープンにしていて、記事を読みながら「こんなことまで?」とツッコミを入れてしまう。
「そんなに明け透けなのかい?」
「これとか、ちょっとギョッとしません?」
指し示した部分に、目論見通り八木先生は目を丸くした。
「“背骨が三本あった”……!?」
「もちろん本来の背骨は一本だけですけど。肩から腰の間を繋いで瞬間的に硬化・軟化する──それでいて肺や腸の動きを邪魔することのない
「それが二本あったから背骨が“三本”?」
「はい。レントゲンにも僅かに映ったので、骨細胞から分化した超常器官なんでしょう」
八木先生はほえーと感心している……けど、私は改めて不思議でならなくなる。
「だから【AFO】や【OFA】みたいな後天的な“個性”の移動はありえないって思われてるんです。ていうか未だに不思議です、何がどうなってるやら」
「──? ごめん兵怜少女、私には“だから”が上手く繋がらないんだが」
「えっと、天晴さんの【エンジン】を奪うなり継承したりするには、その背骨みたいな器官も込みで移動しなきゃいけません」
でなきゃ両腕の推進力で身体が捩じ切れかねないからね。天哉くんも腰や股関節の周りに似たような器官はあると思われる。
八木先生は迷いながらも真剣に考えて……それから訝しんだ。
「それはアレじゃないのかい、個性因子……という言葉は違うようだけど、『人の身体をそのように形作らせる元』みたいなものがあるんだよね?」
「私たちは超常中枢って呼んでます」
「それを移すのではダメなのかい。もちろん移せればの話だが、その背骨のようなものも出来上がるんじゃ」
「上手いこと元の位置にハマれば良いんですが、そうとも限らないので……」
「む?」
つい最近みんなにも(透の『“個性”は一人一つじゃないのか』発言の流れで)話したけど、その辺はかなり偶然任せ。
実際、(とても良く似ているので親御さんから遺伝したであろう)『排気筒を生やす』超常器官は、兄は腕に・弟は脚に作用している。『超常の骨』も別の部位に作用してて……これがたまたま上手く行ってる例しか見えないせいで、自然とそう働くものだって思われがちなだけ。
……心臓や胃に排気筒が生えることだってある。恐らくは産まれて来られないけど。
「あぁ…………」
「先生?」
「いや、そのね……今教えてくれたようなこと、私もきちんと整理はできていなかったが。それを分からぬまま愚行に走った
……“個性”を武器や兵器と見做すヴィランも、海外ではしばしば現れるらしい。理論立てることもせずに適当な薬や手術で“個性”を移したり組み合わせたりする──できると錯覚する──ような連中が。
オールマイトはアメリカでも活躍してたから、実体験として涙も渇く位に見てきたのだろう。軽々しく触れていい話題じゃなかったな。
「……気分の悪い話ですみません」
「兵怜少女が謝ることではないさ。しかしそう聞くと、緑谷少年のことは改めて心配になるが」
「そう、ですね。できる限りのことはしてるつもりですが」
一番変化が激しかったのは初日で、今は少し落ち着いている。
外から刺激しない限り“繭”はとても静かなので、高性能マイクで拾えてる音は中にいる緑谷くんの呼吸音や心音と考えられる。骨折や内出血があれば恐らく検知できる、はず……。
雑談している内に時間になった。
調査に向かう八木先生を見送ったら部屋に戻り、お父さんを仮眠室に叩き込んで(事情は知らないお母さんとの約束)、緑谷くんをモニタリングするために腰を据える。
席の周りはお父さんのメモ書きだらけ。
何をしたらどうなったか。どうならなかったか。そこから推測される可能性。
ある仮説を真として、ならどうすれば助け出せるのか。実施したらどんなリスクがあり、それをどう軽減するのか。
暴走状態からの救出は“個性”一人分だって簡単なことじゃない。それが
全部の可能性を考慮してたら仮説の一つも立たないから、自然と最初の一つに着目することになる。
【
その前提に実態を明らかにしたくて……いや、だからって“個性”を移植する方法とか考えてメモるのはちょっと危険な方にズレてる気がするけど。
お父さんもしょげてるんだよなぁ。【先物代謝】は生理機能にしか作用しないし。
ろくに愛妻と会えない寂しさばかりは、超常でだって如何ともしがたい難題なのである。
……心が病んでる時の方が思い付き易いってのはあると思うけどね──こういう、非情で非道で非人間的な発想は。
次話:轟くん家の地獄。