カリナさんが休学に入った日かその翌日か。
恐らくわたくしの様子は平時と違ったのでしょう。それ自体は驚くに値しません。
しかし彼の気遣いは──率直に申しまして予想外でした。
「免許なしでも手伝えることはあんじゃねーのか」
わざわざわたくしが一人のタイミングを狙って、前置きもなく核心を抉る一言。本当に鋭くていらっしゃる。
「それを極力無くすのが、わたくしの目指す強さです。……が、そうですわね」
それは荒々しくも確かに、気遣いの言葉でした。嬉しく有り難いものです。
感情としても──戦力としても。
「空振りに終わっても構いませんのね?」
「何がどーなっても文句は言わねえ」
…………疲れているようですわね、頭の中で『いま何でもするって!?』と聞き返す妄言を吐くカリナさんの幻が……こほん。
「一般論ですが、事態によっては
さすがに学校を休ませるわけには参りませんので、ご助力を頂くとすれば休日だけ。そこでことが起こる保証は全くございませんが。
彼はひとつ頷いて、今度は場所を問うてきました。わたくしは首を横に振ります。
「お教えできるはずがないではありませんか。土日に何か起こるかもというのも失言でした、
「…………」
我ながら慣れない口調で、そのことは自覚しておりますから、どうかそのような変なものを見る目をしないで下さい。
伝えたいことはお分かりでしょう? 青山さんを釣った時に轟さんが仰っていた言葉です。
「いけませんわ、轟さんのご指導にあたるエンデヴァー氏を心配などしたらお叱りを受けてしまいますわね」
エンデヴァー氏と轟さんを心配する必要はございません。
つまりお二人が同時に空けた場所──轟家が現場になるだろうと。
もちろんそのような機密、わたくしは一度たりとも口にしておりませんが。
ヒーロー科に通う彼が身体を鍛えるのは至極真っ当な話であり、一般の通行が許されている公道でのランニングに問題があろうはずも無い。
もちろん“個性”は使わず走っていた。免許も仮免許も持っていない学生に過ぎないのだから。
現場にいた仮免ヒーロー・エリクシルが
公安から百につけられた数名のサポート要員──非戦闘員で、監視と連絡が主任務──も、
“意図せぬ誤操作”か“奇妙な偶然”(ということになる)だろう。
彼はただ人命救助の正義感に則り、火災の現場に全力で駆けて来ただけ。そして追い詰められて震える一般人と倒れ伏すヒーローを見た。
そして救助目的であっても、ヴィランと遭遇してしまった以上は。“個性”で攻撃された以上は。
自身と一般人を守るため、ないし逃げるために“個性”を使うことは、緊急避難として認められている。
始めからそのつもりだった?
何処にそんな証拠が?
そのような
二人とも物証は残していない──金曜日に百が提供した
冷たちとの間に割り込もうとする新たな人影に、荼毘は即座に【蒼炎】を浴びせた。
もたもたしている暇は無い。読まれていたならば更にわらわらと集まってくるおそれがある。
しかしその炎は届かない。更に力を込めて二度三度と繰り返しても、その度に──
「ク・ソ・がぁぁああ!!」
──【蒼炎】は【爆破】に散らされる。
凶悪な面構えの子供──爆豪勝己を燃やすことは叶わず、熱い風圧を浴びせられたのはむしろ荼毘の方だ。
密かに、しかし深く表情が歪む。
「塀を壊して避難を!」
そこに加わるエリクシル。
構えたノズルは消炎剤を細かなバブルにして撒くためのもので、事前に【創造】+〔
どうにか【蒼炎】を受け止めたものの、泡に過ぎず爆圧などを伴わないのでは荼毘の歩みを止められない──
「こんなモン、でッ゛!?」
──ようにしか見えなかった、が。荼毘の身体は意思に反して硬直した。
ほんの一瞬ではあった。すぐに泡から身を引くこともできた。
『電撃……? いや、そんなわけ』
しかし理解できない。
スタンガンのような痛み。地面とも接している泡で? 帯電し続けられるはずは無いが、だとしたら電源はどこだ? そんな混乱も荼毘の脚を留まらせる。
創ったのは百であり、造ったのは炎熱と使い手を止めるため。
薬液に混入している生体組織は
とはいえ【蒼炎】の火力に衰えはない。抗するには全開で泡を出すしかないので遠からず薬剤が尽きるだろう。
しかし彼女が合流した時点で、すでに爆豪は荼毘に背を向けていた。
見た目こそ質実とした
爆豪はそれを知っていたわけではないが、駆け抜けてきた正門はすっかり炎上していたのに左右の塀はしっかり残っていた。ただの木材でないことは察して、だから出し惜しみはしない。
正面から【蒼炎】を吹き散らした結果、早くも痛みを訴える掌に鞭打って、
強固な塀もたまらず崩れ去り、ついに避難経路が拓けた。
爆豪はより余裕の無さそうな──やや朦朧としている冬美の方を背に乗せ、冷の腕も強く引いて立ち上がる。
最近になって身体を鍛え始めたとはいえ、冷は脚の震えを抑えられずにいた。死の気配、娘を喪う恐怖、
しかし覚悟は揺らがない。ナンバーワンヒーローの妻たらんと定めた気概は本物だ。ヒーローや学生が気兼ねしがちな要素は分かっている。
「私が痛がっても構わないで」
「上等だ思っくそ掴まっとけェ!!」
爆豪が僅かに腰を落とした。脚力だけでなく【爆破】も使おうと(さすがに冷とは逆の腕だけだが)後方へ向ける。
彼の力強い“個性”を──
──冷は知っている。
騎馬戦で
……口の悪さにも何度か苦言を呈していたが、おかげで今怯えずに済んでいるとも言えよう。
だから冬美の腕も巻き込むように強くしがみついた。振り落とされでもしたら迷惑をかけてしまう。
──そして荼毘も。
(カリナらを筆頭に隠されているものは別として、オープンな内容は)一年A組の全員分を把握している。そして爆豪には隠すような要素が少ない。
荼毘とは逆に、身体が熱されるほど爆豪にはプラスに働く、ということを。
爆豪のセンスが抜群で、一般人二人を抱えても“個性”で転んだりはしないだろう、ということも。
荼毘は知っていて、だから伏せ札を切る。
実は既に幾度も使っていたが──もう隠してはいられないと諦めて。
未歳根博士による『超常生理学総覧』には本当に様々な例が載っている。
また複数の解剖図解などから『超常器官に
太郎は実験に生きた人間を用いたことがない。少なくとも被験者に注射針以上の傷や痛みを残すような検証は論外として遠ざけてきた。だから断言はできないものの、彼の仮説は概ね正しい。
脳という臓器の進化史を端的に──学術的ではないがそれなりに伝わり易く──表す喩えとして、こんなものがある。
| 比喩 | (ヒトの脳における) 解剖学的部位 | 主な機能 (とされるもの) |
|---|---|---|
| ヒト脳 | 大脳新皮質 | 理性 |
| 哺乳類脳 | 大脳皮質 | 感情 |
| 爬虫類脳 | 大脳辺縁系 | 本能 |
| 魚類脳 | 小脳 | 知覚・運動 |
下にいくほど古くに出来上がった組織構造。
そして更に古いのが──昆虫に代表される節足動物だ。
| 節足動物脳 | 脊髄反射・内臓の働き |
|---|
“脳”どころか“神経節”*と呼ばれるほど
ここが、多くの“個性”において
──そして、そうであるならば。
パキリ、と。
建屋を焔が舐め始めた中では異質な音であり、異質な
百の視界を照らしていた蒼い光が失せ、代わりに泡が白く遮る──いや、白すぎる。
更に泡全体が横へ、大きな板で押し退けられるようにズラされてしまう。
事実、荼毘が触れているのは薄く強固に
「爆ご──っくぅ!」
身体が冷えたことで動き易くなった荼毘は、【蒼炎】を放つと同時に百に前蹴りを浴びせて距離を詰める。
爆豪は反応した。反応はできていた。
しかし先程と同じ対処では百のことも【爆破】と【蒼炎】が灼いてしまう。咄嗟に腕を下げてアッパーのように炎熱をぶち上げ、同時に腰を落として二人(主に背中の冬美)にも避けさせる。
身体は止めていない。しかし一瞬だけ、眼球を熱から守らんとする反射は抑えきれなかったか。
「寝てろ」
「!?ッガ、ァ──」
推進に使うはずだった後ろ手は踏み付けられ、掌を凍らされた。冬美たちを支える前腕は咄嗟に使えない。しゃがみこんだ姿勢では蹴りも難しく、荼毘の膝に顎をかち上げられる。
荼毘が二人に手をかけてしまった。
『この距離では──!』
ノズルのスイッチ切り替えにより、無毒な消火剤のみの高圧放水が行われるが──
「ぬりぃよ」
「っくぅぅぅ!!」
──障害物なし、かつ体温による制限の無い【蒼炎】にはあまりに無力だった。きわどい所で距離を取ったとはいけ、“日焼け止め”が無ければ大火傷を負っている。
脳を揺すられ倒れ伏す爆豪、離され決め手の無い百。
しかしようやく複数のヒーローが到着した。遠巻きながら完全な包囲体制──なにしろエンデヴァー事務所から逃げ果せた危険人物だ。
二つの門はいずれも炎上中だが、大きな正門は駆け抜けられるし裏門側は爆豪が抜け道を空けた。
その両方を塞げば避難の妨げだった塀はヴィランを閉じ込める檻に早変わり。
ただし、ヒーローはヒーロー。
先制攻撃は難しいシチュエーションだ。
「二人を離せ!」
口々に警告や説得が行われるが、もちろん荼毘は従わない。
むしろ冷たちを盾にするために引き立て、倒れた爆豪や裏門から離れるように──
荒い扱いで意識がはっきりした冬美が暴れようとするも叶わず、冷に視線で窘められた。
──機会を待つのよ。
──分かった。
そんなアイコンタクトに長男は加わらない。
間近で行われた以上、嫌でも気付きはしたが。
既にこの件は広域に知らされ、警察とヒーローの優先対応案件になっている。
まず現場に求められたのは時間稼ぎだった。
『雄英からスナイプが、それにホークスも急行しています。逃げ場はありません焦らないように』
どこか眠たげな声音だが決然とした呼びかけ。ヒーローたちが共通して使う帯域に流れた公安からの無線。
それは百の耳にも届いている。
『!?
この数日で何度か言葉を交わした相手だ。内容的にも不審はない。
問題はそれが聴こえたこと自体である。
耳に入れていた小型イヤホンは、とうに熱で壊れてしまったものと思い込んでいたのだ。爆豪が来る少し前から
しかし目良の声は聴こえた。
ということは……?
慌てて目を走らせれば、正門側に二人と裏門側に一人、揃いの黒服は立っていた。黒服にサングラスをかけて、ヒーロー達よりは離れた位置に控えているから、周りはそれを公安の職員と思い込んでいる。
しかし、
それらは全て、
本作でのオバホと荼毘の強化要素、想像はつきやすくなったと思いますが次話でより具体的に言及します。度し難いのはお覚悟ください。