■数日前
覚醒してすぐ、自分が誘拐されたのだと気付いた。最後の記憶は……車で移動中だったか。今は椅子に拘束され目も塞がれている。
──少し意外だ。
驚くほどではないが。
ヒーロー公安委員会の会長という立場は確かに一般人のそれではないけれど、直接ヴィランを捕縛するヒーローほどには逆恨みを買いにくい。
あえて狙われるとしたら何らかの情報を欲してのことだろうが……トップでも知らないことは多い。全てのヒーローが正直に何もかも報告してくるなんて、そんな夢想は信じていない。
──いいえ、ヴィランは信じているのかもね。だから拐われたのかしら……。
「起きているな」
おや、気取られてしまった。起きている人間に完全な寝たフリはほぼ不可能なので仕方がない。
「あら。レディの寝顔を眺めていたの?」
「……自分の立場を分かっていないのか」
「分かっているつもりよ。話は単純。貴方は知りたいことがあり、私はそれを話したくない」
「……その通りだな」
男は苛立ちつつも激高はしていない。私の言った通り彼らに私は殺せないから──いいえ、殺せるにせよまだ殺したくないから。
「それで拷問のメニューは何かしら。痛くないものだといいわね」
「拷問などしないさ」
ざわりと肌が粟立つ。“個性”……いいえ“能幹筺”。どちらにせよ情報を抜かれる。
「ヒーロー公安委員会の秘密を──今、
実に
どんなに清廉潔白な組織でも秘部の一つや二つはあるわけで、相手からすれば必ず何かを得られる。沈黙を禁じるか真実を強いるか、そういった“個性”があるならば尚のこと。
そしてならばこそ、できるだけの対策はしている。馴染ませた気力を絞り出せ。
「
「──は?」
「“言えない”。これが私の答えよ──治崎廻」
強引な自己暗示のようなものだ。『あのことは話せない』。以前から繰り返し繰り返し、真実になるまで自らに言い聞かせただけ。
“個性”によるものではないし、態度でそう装っているほど鉄壁でもない。期待通りに作用したことに軽い驚きさえある。
だから精神的な優位を保つ。この位は余裕だという──目隠しされたまま名前を言い当てるなどの振る舞いで、少しでも焦ってくれれば儲けもの。何かの弾みで殺されるとしても、それは秘密を守りきった
「貴様、“個性”を偽っていたか」
「回答を拒めた件なら違うわ。私の“個性”にそんな効果は無い」
「だが【聞き覚え】──『一度聞いた人間の声を決して忘れない個性』なんてものではないだろう」
「そういう副作用もあるから嘘ではないけれど?」
話を右に左に掻き回す。するとまた“個性”で喋らされる感覚。
「偽りなく“個性”を答えろ」
「【
「条件は」
「発言した者が近くにいること、それが音として私の耳に届くこと──」
治崎は細かく質問を重ねた。
隠せないし隠す意味も薄い。
「──つまり、嘘発見や読心としてはどこまでも受動的な“個性”よ。質問を投げても相手が黙ってしまえば何も分からないのだもの」
治崎はひとまず納得したらしい。
納得する……のか。存外に素直ね。それともその筺を重用している証かしら。
経験においてならこのヴィランを上回れるのかも知れない。まだ
【嘘聴き】
それによれば今、治崎は面倒には感じていても敗北感までは抱いていないようだ。
──泳がせるか。煽るか。悩むまでもない。
ことがここに至れば
その
「ふ、ふふ……あぁ、少し安心したわ」
「なんだと?」
「あなた、部下にはそれほど慕われていなかったみたいねぇ?」
「ぁ?」
怒り。この方向で良い。嘲笑う。
「だって、私のことを“個性”も含めて良く知る人間があなたの傍にいたんだもの。なのに聞かされていなかったわけでしょう?」
治崎は忌々しげに真実を吐かせた。それが私に促された行為だと分かっていても、煽られることに慣れていないのだろう。
「死穢八斎會では
「……なるほど、
「えぇ。私は【
「…………」
幼かったあの子に、薄汚い真実との向き合い方を教えたのは私だ。つまり彼が道を外れたのも……きっと私のせいなのだろう。
──だから私は小綺麗な嘘に殉じなければならない。
ただ、どうやら私は失敗した。
「ハ。自意識過剰だぞ婆さん」
「あら失礼な坊やね」
「“言うまでもなかった”だけさ。あいつはちゃんと『使い方』を遺してくれた」
<嘘>──いいえ、ギリギリ嘘ではない誤魔化し。ということは。
「それは本当にあの子が遺したのかしら。無理やり吐かせたか、そもそもあなたが考えたとか──」
「どちらでも同じさ」
<
あの子は他人の真実を暴くことをあんなに怖がっていた。効率的な暴き方を考えるなんて出来ないだろうに。
でも、そう、実質的には治崎の言う通り。
どちらでも同じだ。その質問は極めて効果的に、私の抵抗を回避してしまう。
「今、ヒーロー公安委員会が世間に知られたくない秘密──
「っ──」
あのこと
それが私にかけた自己暗示だから。
■
地獄のデモンストレーションが終わると、治崎の手には白く細長い筺があった。それはちょうど人の前腕
荼毘が袖を捲って右腕を差し出し、治崎も当然のようにそこに触れた。
今度は派手な出血などなく、まるでフィクションじみて、だからこそ良く見えてしまった。体内に“能幹筺”が埋め込まれ、代わりに本来の橈骨が抜き取られたのが。
荼毘は痛みに顔を顰めたものの、手術は一瞬。表情はすぐに和らいだ。
──
《良かったなぁ夏くん、母さんとの再会だァ!!》
バギン、と。ほんの試しだろうに、床から生えた氷筍は大きさも鋭さも焦凍のそれと遜色無い。その結果に荼毘はますます軽やかにステップを踏む。
床に膝をついてはいたものの、まだ折れてはいなかったエンデヴァーの心が……なおも軋む。
息子は余りにも踏み越えた。明らかに人の道を外れた。
──だがそれは、紛れもなく俺の願いから始まっているじゃないか、と。
そんなナンバーワンをも置き去りに、画面は──冷の告発を映していたものではなく、ジャックされた画面の全体が──無慈悲に切り替わる。
新たに映し出されたのはヒーロー公安委員会の会長。
《──十三年前のことよ──》
話の内容──公安委員会は秘密裏に独自の戦力を有しており、社会の平穏を脅かす者ならヴィランだけでなく時にはヒーローにまでその
また、黒幕がヒーロー公安委員会というのは……フィクションにしてもぱっとしない。
ヒーロー公安委員会という組織はただの行政機関である。支部は全国に跨り、一般人も名前は知っているが……『悪役に相応しい強大な組織か』と問われたら頷き難い。
むしろ弱い。
個人事業主に近く
例えば資格試験。
ヒーロー側は各自の弟子などが落第すると『ちゃんと評価したのか』『厳しすぎではないか』などと言ってくる。一方でどんな厳しい試験を課そうが、警察や一般市民は『あんな半人前に免許を出すな』『もっと厳しくしろ』と文句を垂れるのだ。
何をしても褒められることはなく、文句ばかりぶつけられる最弱の立場である。
だからそんな裏仕事のことはフィクションとしてすら考えられなかったわけだが……組織のトップによる自白となればその重さは段違い。
《
具体名まで余さず添えられ、説得力はますます強まる。
現会長がメモなどを見ることもなく諳んじた日付や名前はいずれも正確*なもので、ただし当時の報道では行方不明や事故死などとされていたもの。
《もちろん前会長とナガンだけでは不可能……情報操作などに直接関わったのは二〇人弱、だと思うわ。私も正確には掴めなかったし、職員のほぼ全員は本当に何も知らないの》
当然ネットは大荒れだった。
先ほどの荼毘=轟燈矢の件では誰もが言葉を失いSNSさえ静まっていたが、今はその反動のようにあらゆる声が入り乱れている。
組織全てがグルだという憶測、本当に知らないと弁明する職員、全部ヴィランが創ったフェイク動画だと言い出す者、それならエンデヴァーの言葉はなんだったのか……などなど、混沌としか表しようがない。
その中でなおも固唾を飲んでいたのは、かつてレディ・ナガンのファンだった者たち。中でも彼女のタルタロス行きに未だ納得していない熱心な一部は、その逆転無罪などを夢見ていたのかも知れない──が。
《ナガンが前会長を殺したのは間違いない。自殺を図る人間ではなかったから、あれは命令ではなく彼女の殺意ということになる》
その瞬間に在った映像の切れ目に誰が気付けよう。
放映された現会長の言葉は一部が取り除かれている──『前会長が民間人まで手に掛けるよう命じ、ナガンはそれを拒んだ』という経緯が。
つまり流れた動画では動機が一切語られなかったということ。しかしそれで充分だったのだ。
殺した。
それもヒーローが。
意図的に。
ごく少数は『ナガンが殺しまでしたのは誰かを守るために決まっている』などと訴えたが目立つことなく押し流された。
前会長の指示とて何かしらを守っていたという憶測は殺人肯定や薄汚い利権に結び付けられた。
一般市民の視点では『そうしなければ核が爆発する』なんて状況での殺しとも考えうるのに、行き急ぐ判決は保留されず──
ヒーロー側のイメージを守ろうとした者は少なくない。しかし軒並み惨敗した。
敵の攻勢は計画的に組まれている。ただ公安の不祥事が暴露されただけでなく、『流れ』に沿った配置なのだ。
ナンバーワンの譲位。新たな希望。そこからの急転直下。
酷い秘密を隠していた、すなわち『信じていたのに裏切られた』。
つい先ほどエンデヴァーに。そして今度は公安にも。共通項がハウリングを引き起こし、不安が不安を再生産する。
もはや仕掛けた側にも止める術のない濁流だ。
飛び交い混戦するパニックの中では、轟冷も公安が殺し、前会長もエンデヴァーが殺したかのよう。複雑な事実は単純な
轟燈矢の件は公安も知っていて隠したのではないか(ヒーローとしての不正などならともかく、家庭内の育児方針にまで目は配っていない)。
ナガンの件をエンデヴァーも知っていたのではないか(こんな融通の利かない人間に裏の仕事を頼めるわけがない。初手から前会長を警察に突き出して終わりである)。
……複雑でなくとも、ヒーロー側を擁護するような事実は無いものとしてしまう。
それほどの暴圧で
ヒーローの代表とも言うべきナンバーワンと、全ヒーローが例外なく関わる公的機関。
この両者が真っ黒であるなら、それは全員黒ということに……なりかねない、流れではあるのだが。
──全ヒーローを悪とするような物言いが、確かに噴き上がりはした。しかしそのまま全体を支配するには至らなかった。
世論そのものが示す自然な抵抗とでも言うべきか。ヒーローを信じる者も信じない者も、その大半は
大量のネットニュースやSNSを見渡し、そうした自然な揺り戻しを観察しながら……近属は無言で頷く。
事態をより速くより悪化させる情報工作も準備はしてあったが、これまでのところ動かすまでもなく“善良な一般市民”が自ら雪崩を打ってくれた。
最後の防波堤、ヒーローを信じていたい好感については──まだ爆弾が控えている。
治崎の声が問いかける。
《しかし分からんな。なぜ未だに隠してる?* 黒幕の前会長は死に、アンタが関与してないなら、むしろ内部告発でもして
現会長は大きく顔を歪めた。聡明な彼女はこの“
言いたくない、言えない。しかしこんな突発的な思念では──というか普通はどれほど時間をかけようが──抗えないから超常と呼ばれるのだ。
“真実”が引きずり出される。
より正確に言えば、引き出された言葉の一部だけが電波に乗せられ──
《
──
これこそ『エンデヴァーの失墜』に続く五番目、『公安委員会の驕慢』。
公安委員会は自らの唾棄すべき隠蔽を、あろうことか
濁流を押し留める最後の
公安委員会への『怒り』はそこに確かな亀裂を入れたが、決壊まではしなかった。まだどうにか持ち堪えている。
──今はまだ、
ところで“今はまだ”と言えば、シエの日に大規模電波ジャックが行われている現時点において、会長は生きている。
本来なら動画を撮った時点で用済みなわけで、わざわざ監禁場所に画面を用意させたことも含め、単に治崎からの嫌がらせだ。
分かっていても観ないという選択肢は無いが。
深い溜め息。世間がこれをどう受け止めるかは予測できる。
しかし
あれほどに気を張って『それだけは言えない』と隠し通した最悪の秘密さえ──全てではないにせよ、暴かれだしたのだ。
あの男は嘲笑っている。『無駄な足掻きだ』と。
◇第五の喇叭
御使いが喇叭を吹くと、地の底から飛び立った
人々は信じるべきものを見失い、不信と猜疑という