シエの日の電波ジャックが社会にもたらしたのは、大筋で近属の狙い通りの変化だ。大まかに言えば『ヒーローの信頼失墜』と『ヴィランの活性化』、そして『市民の武装化・疑心暗鬼化』。
“異能”を隠してなどいられなくなる。“異能”を振るうことと身を守ることがイコールになる。
ただし全てをコントロールできたわけもなく、意図せざる変化も起きていた。正確には
十二日の午後、病院の外にいる同志から事情を聞いた近属は不快感を露にする。
「そんなことをして何になる……!? 単なる嫌がらせではないか!」
彼の認識は正しい。
それは近属の敵対者が人為的に起こしたもので、しかし具体的なダメージにはならない。ただ心が痛むだけ。
治崎と荼毘なら気にも留めるまい。気まぐれや偶然でこんなことを起こすかも知れない。
だが
「正義も信念もない屑め……!」
誰がやったのか。これも近属の考えで正しい。
キュリオス──というより気月千歳による、恐らくは個人的な憂さ晴らし。
腹立たしくはあるが……手際の良さは流石と言う他ない。
■十二日 午後三時頃
校内設備はかなり自動化されているので、会議室の準備といっても指示をした後はロボットを見守る時間が長い。参加人数の上限がはっきりしないので複数の部屋をリモートで繋ぐ設定をしたり大量の飲み物を用意したりと雑多なことを済ませたが、お茶子らは少しだけ時間を持て余した。
「んー……とりあえず会議後に備えて体力温存、かな?」
もちろん偵察に有利な“個性”があればそちらに加わるところだが、お茶子に音響系の適性は無いし──
「オレも空からの間諜に回れれば……力が欲しい!」
「たはは、まぁまぁ」
──いくら歯噛みしても常闇が飛ぶことはホークスが許さない。
もう一人は違う。能力的には適性がある。
「では俺はそちらに行ってくる」
「うん、煙には入らんくても気ぃつけてな!」
「……待て、障子。やめておけ」
しかし常闇は彼を止めた。
コンディションが悪すぎると判断して。
そもそもなぜ二人が学校にいるのか、お茶子が聞いていたのはほんの触りだったらしい。
「え、あくまで念の為の自主避難じゃなかったん?」
「確かにオレは危険な目には遭っていない。家の周囲がどことなく不穏だった故の……まさしく“念の為”だ。
──オレは、な」
常闇自身は考え過ぎとも感じたが、家族の強い勧めと移動のリスクが低いこと(空を飛べるため)から雄英高校に移動した。
……それは決して考え過ぎなどではなかったのだ。学校に着いた時点の、血と埃に汚れた障子を思えば。
「こちらもそこまで心配は要らない。リカバリーガールの処置に感謝だな」
「……そうは言うても、障子くん」
確かに今は外傷など無い。ジャージに着替えてもいる。しかし……。
「リカバリーガールも心の傷までは癒やせまい。まして襲ってきたのは……その……」
「うん。変な話、ヴィランに襲われた方がマシみたいなとこあるやろ」
「……否定はしない」
流言や恐怖に*踊らされ、ただ“異形型”というだけで障子を襲った暴徒らは、顔も名前も知っている“ご近所さん”だった──いや、そればかりか。
一部からは頑固ジジイと嫌われ、障子もかつては怖がっていたが、いじめっ子たちにカミナリを落としてくれた恩人でもある。
今日は排斥を叫んでいた。見守りではなく監視だったのだと。
また別の女性も喚いた。
優しい人だと思っていた。壁を感じたことなどなかった。
けれどそんな接し方も恐怖の裏返しで、演技だったと言う。
世間一般よりも“異形型”への風当たりが強い地域にあって、白眼視を受けることも多かった障子。そんな彼を幼少期からあたたかく見守ってくれた数少ない者達。
今日は違っていた。良く似た別人と言われた方が納得できるほどに。
「真に受けん方がええて。こんな状況で、不安のせいで『言わされ』とるだけやもん」
「同意だ。何年も付き合いのある相手なのだろう」
「あぁ、幼い頃からの……。そうだな、言わされただけだと……信じたいが、な」
どちらが本音かなど分からない。障子にはもちろん本人たちにさえ。数日後には、あるいは今すでに、激しく後悔している可能性も充分にある。
しかし口にした瞬間は恐らく本心だった。そう誘導されていたとしても、あの目を直接見ればそうとしか……。
ともあれ障子は行くと言ってきかない。【複製腕】の性能的に役に立つべき時だと。
お茶子と常闇はそれに反対する。音に関するヒーローは他にも──それこそ
揉めるような気配を察して、廊下に出ていた透と緑谷も話に加わる。
(オールマイトを交えた三者面談は容易に結論など出ようもなく、今も大人同士は話し合いを続けている。出久はとりあえず母の了解なく戦場に出ないと約束したものの、『手脚の長さが感覚と違ってて気持ち悪いから補整したい』とごく軽い組み手を行っていた)
「──てなことらしいんよ、二人も止めたってや」
「いや麗日、心配してくれているのは充分……」
伝わっているから大丈夫だと固辞する障子に、緑谷は懸命に言葉をかけた。拙くはあっても真摯な言葉。
しかし障子の胸には響かない。今は条件が悪い。
「だから無理せず──障子くん? さっきからどうか……」
「いや、いやすまん緑谷。お前が大真面目なのは分かっているんだが」
どうにか堪えてはいるものの……
見た目も声も本当に大違いなので、意識を引っ張られるのは無理からぬことだが。
障子の気分が多少でも和んだのは良いことだ。そのことが彼のやる気を向上させなければ。
「くっく──はぁ、少し笑って元気が出たよ。じゃあ行ってくる」
「デクくん逆効果やん!」
「これ僕のせいなの!?」
そんなやり取りさえ障子を和ませていた。……そのことを察して、透はわざと偉そうな態度を取る。悪い方にでも空気を変えないと障子は止まりそうもない。
「好きにしたらいいけど、行くならやることやってからでしょー?」
「……やることとは?」
止まってくれた。それはいい。問題はこの先を特に考えていないことだが……意図せず、透の中の被身子的な側面が疼き出す。
「善意の裏にも悪意はあるよ──それを
「はがく…………」
問い返そうとした声は尻すぼみ。透の嫌味には確かな温度と湿度があった。
「口に出した方が良いと思う。私は言えなかったけど」
中学まで“異形型”と見なされていた透もある程度は共通の体験を持つ。
もちろん『隠さぬ悪意をぶつけられたこと』は障子の方がずっと多い──というかほとんどの地域でそんな扱いは非常識だから、透も常闇もごく少数の例外として記憶している。……ゼロではないし、忘れられもしないが。
一方『当人は隠しているつもりの悪意を
──そのことを誰にも言えずにいた。
自覚は無いものの、透が最初に惹かれたのは『悪性を隠さぬ被身子とそれを愛でる二人』だったのかも知れない。
「“心配ない”、“どうってことない”って勇気や力にもなるけどさ。騙す? っていうのかな、間違って、ん〜……上書き?」
「なんとなくは分かる。だが葉隠、俺があの人達に否定的なことを言ったとして、それでどうなる」
今ではすっかり染まってしまった。救われてしまった。傲慢になった。
「覚えておけるよ。言っても仕方ないからってなぁなぁに済ませちゃうと忘れやすいんだ。
その人達も障子くんへの優しさをドヤったりしなかったんじゃない?」
「確かに……そんな相手もいないだろうな」
「してたら流されずに済んだかもね、分かんないけど」
「そういうことも……あるのだろうが。だから、それなら俺は言うべきじゃないだろ」
障子はほぼ本心を晒しながら言葉を濁す。
恨みなど忘れた方がマシではないのか──これが真っ向から問い返される。
「
もし障子が今日の傷を忘れたら?
彼は少し楽になるかも知れない。同時に何が起こるだろう。もしくは……誰が苦しむだろう。
「そしたらその人達、
「っ、おい葉隠!」
常闇が声を荒げたのも当然だ。加害者が反省し頭を下げるという、来るかも分からない未来のために──その謝罪を心で受け止めるために
ヒーローだからそんなことにまで耐えろというのか──なんて、そんな一般論に透は触れていない。
「え、ごめん
「む……」
「……」
むしろ好きにしろと言っている。ただしちゃんと選べと。
“恩人”“優しい人”と語った相手と、いつかやり直せる目/芽を残すのか残さないのか。
「……今は。今は──恐ろしい」
「ん、いつか仲直りできるといいね。
今は目の前に気をつけて、行ってらっしゃい」
結局障子は偵察班の手伝いに行ってしまった。止めることには失敗した形だ。
緑谷と常闇は物言いたげである。“今は恐ろしい”という言葉を引き出したことは、和解の芽を残したとも呪いの種を埋めたとも、どちらにも転びうるじゃないかと。
それを口にしないのは──言うだけ無駄に思えたから。
『透、まるで……』
その開き直りが誰の影響かは明らかで、お茶子はほんのりと嫉妬を覚えたりもしたが。
今の非常時には合理的だとすんなり納得できてしまうのも、以前のお茶子からすれば『染まった』結果なのかも知れない。
治崎はなんとしても止めなければならない。どんなに困難だとしても。
これを乗り越える為の作戦会議に先立って、一つ大きな懸念があった。
エンデヴァーは参戦できるのだろうか。
しかしそれが一段落した後……最後のスタジオにまで乗り込んだ者たちが目撃したのは、崩れるように座り込んでしまうエンデヴァーの姿。
──そんな姿は誰も見たことがなかった。ましてさほど厳しい戦闘があったでもない。
轟炎司がもう立ち直れないとしても、それを不思議がる者は皆無だ。むしろ納得できる。それだけ冷の存在は大きかった。
大事をとってホークスが送り届けた後(轟邸の塀などは既に補修され重点的に警護されている)冷のいない家庭内でどんな会話が交わされただろう。例えばあの息子は“エンデヴァー”を支えられるだろうか?
そう憂う者たちは忘れている。
轟冷には──炎司も焦凍も驚かされたが──立派な娘がいることを。
■十一月十二日 夕刻
「ぎりぎりになって済まない。エンデヴァー、ショート、到着した」
「おぉ! 来てくれたんだねエンデ……ヴフッ」
出迎えたオールマイトの反応を無視し、息子を伴った第一位は会議室をのしのしと進む。その顔面は周囲の目を集め静まらせた。相澤が捕縛布で止めていなければMs.ジョークの「パンダヴァー」という呟きが更に事態を悪化させていただろう。
まだ人のいない最前列に座ってくれたことは周りにもありがたい。後ろにいたらどうしても振り返って見てしまうだろうから(逆に壇上で喋ることになる根津やカリナには回避不能である)。
殴られた痕があった。二発も。どちらも平手ではなく拳であり、青く鬱血している。
冬美も手を痛めたため保健室で*治療中だ。
彼女のおかげでエンデヴァーは気持ちを切り替え、目の前の戦いに集中──
「会議まで三分ある。いい加減聞かせろ焦凍、なぜ冬美が峰田と結婚などと言い出すのだいつから付き合っていた俺は聞いとらんぞ」
「今それどころじゃねえっつってんだろ、しつけえ」
「家族の一大事だ! お前も妙にあの男を信頼しとるようだが」
「そういう信頼はゼロだ。冬姉だって本気じゃねえし」
「間違いないだろうな」
「親父が“このまま腑抜けてたり、どこかで死んだり”したら本気で嫁に行きかねねえけど」
「冬美ぃぃー!!」
──戦いに集中……しているかはともかく、戦わざるを得ない気合いは注入されたらしい。
まずは無言の
炎司は怒るでもなく泣き言を返したが。
橙矢を甘やかす愚をつく挑発的な叱咤。苛立ちを露にしかけた炎司へすかさず追撃の
人殺しにしないで、
冬美は常識的な一般人で、弱いところは普通に弱い。
……それでも、ランキング一位のヒーローを叱りつけることはできたのだ。
炎司は確信している。あれは口先だけの脅しなどではない。
橙矢を止める。止めねばならぬ。
「おいクソ親父。メイン目標分かってんだろうな」
「馬鹿な気遣いをするな。両方俺がやる」
「……駄目だコイツちゃんと見てねえと……」
焦凍はますます不安になった。
こんな風に実感したくはなかったが、仮免を取っておいて良かったと思うしかないか。
やがて、刻限。
あるかも分からない銀弾探しの時間だ。