■十二日・昼頃
融合を試み始めてからというもの、治崎はずっと吐き気をこらえていた。
身体的なものではない。精神的な、強い嫌悪感から来るものだ。
気持ち悪い。
コイツらは病気だ。
理解したくもない。
「なぁ博士、おかしいよな。理屈に合わない」
「…………」
傍らでは(カリナの予想通り)太郎が観察を続けている。
返事はしないが内心では同感だ。【OFA】は不可解で異常で──気持ち悪いとも、少しは。
与一との短い会話でも『この状態はそう長く続かない』と伝えた通り、そして治崎の言った通り、理屈に合っていない。
通常の“個性”が
後者は言わばソフトウェアであり、これは
(主に)二代目の魂はその力関係に抗っている。本当に意味が分からない。かなり早い段階で【煙幕】は治崎の手に落ちていたが、六代目が弱いのではなくこれが自然な帰結なのである。
「だが、見ての通りだ。着実に進んではいる」
「……そのようですね」
緑谷の“繭”があった位置に浮かぶ靄の塊のようなもの。半日ほど前には治崎の片腕を肩口まで飲み込んでいたが……今は肘が露になっている。全体的に縮んでいるのだ。その分だけ支配権も移ったと考えられる。
治崎の半身には脳無も取り込まれつつあり、その経過は
「日付が変わる前には、といったところか」
「…………」
正確な予測などできようはずもないが、太郎の目分量ではもっと早くに済む。
『そうなれば僕は殺されるだろう。それまでにヒーローが来るかは……分からないな』
外から見た状況は不詳だが、患者と職員が人質に取られたことは分かる。ヒーローの苦手とするシチュエーションだ。
かといって諦めることもないのだろうが。
だから太郎は──、
「──いただきます」
「助けが来るとでも期待しているのか?」
──手を付けずにいた食事を腹に入れることにした。
食事を運んできたロボットのカメラは常に太郎を捉えている。監視などあってもなくても逃げられはしないだろうに。
治崎が近付くなと警告したから他のヴィランは周りにいないが、建物の外には巡回ぐらいいるだろう。
太郎が独力で脱出できる目は無い。だがせめて、いざという瞬間に空腹で動けないなどとならないよう、しっかりと食べるのだ──それが今、太郎にとって最善の『できること』だから。
■同日・午後七時
◆
入院患者を避難させるにあたって再優先とされたのが、この集中治療区画だ。加療中なのは大人と子供を合わせて二〇人弱。本来なら動かすわけにはいかないが……そうも言っていられない。
難易度を踏まえて、ここを担当するチームには
集中治療区画に入ってすぐ、個室手前のロビーにて。
リューキュウが運んできた大荷物が降ろされる。一見するとただ金属製の円柱のようだが──
「これらは避難用の器具だ。可能な限り患者の安全を高めたい、ご協力願えるだろうか」
──ジーニストが留め具を外すと、ぴたりと畳まれていた構造が開く。縦に長いパニエ*のような形をとり、内側には厚手のクッションが圧縮されていた。
骨組みを開いてクッションの一部を取出して隙間を作り、そこへ患者を入れて──必要なら輸液パックやボンベごと──外側からも手厚く包み込む。
「この方は腰です、でも下腹部を圧迫しないように──」
「承知した」
「顎が動く隙間があっちゃダメ。首から下は平気だからとにかく上をびったびたに固めて」
「これではどうだろうか!」
医師と看護師の助言──ほぼ命令だがありがたいことだ──を受けて【ファイバーマスター】や【盾】で移送時のリスクを下げたら、後はリューキュウなどの仕事だ。搬出はもちろん慎重に、かつ素早く。
そんな風に比較的きびきびと進められたのは……全体の八割ほどだった。
残る二割の原因はヴィランではない。患者の容態も(関係はあるが)メインではない。阻んだのは主に担当のスタッフである。
彼らが抵抗したところでヒーローを物理的に退けられるわけではなく、数人はその部屋に立ち入った。
しかし……そこまでだった。並んだ
「お願いします、どうかご協力を! 我々では
ただ単純に、あまりにも。
小さい。細い。脆い。
子育ての経験があろうと──むしろあればなおのこと──怖くて触れられなくなる。
比喩や誇張ではなく、本当にちょっとしたことで消えてしまう命なのだ。密閉形の保育器から外に出すことすら危うい。
「えぇそうでしょう、だから動かせない。話し合いなんて時間の無駄ですよ」
NICU側の師長は取り付く島もない。そして彼らの協力なくしてヒーローだけで移送を強行するのは余りにも危険だ。
それでも今ここで方針転換など不可能である。
「っ──お願いします、どうか!」
スタッフの協力を得る。考えうる限りの対策を施す。そして運び出す。他の患者と同じように。
膠着した状況を変えたのはヒーローではなく医師だった。担当の患者を送り出したのでこちらへ──避難の進んでいないところへ回ってきたのだ。
「手伝わないならさっさと逃げなさい」
そのままずんずんと踏み入り、保育器に提げられた簡易カルテを手早く確認。ヒーローから受け取った小型避難具を念入りに消毒していく。
「な……先生、何を!」
「何って逃がすんでしょうが。ここに置いてくつもり?」
「そんなわけないでしょう!?」
師長は烈しく抗議するが、男の手は止まらない。消毒した器具を一度畳んでから保育器に差し入れ、内側で展開。直接は触れないはずの金属部も掌の体温でしっかりと温めたら、慎重に慎重に中へ移した。
それから小さく息を吐く。
「しかし君が残ったところでヴィラン相手ではこの子達を守れないだろう」
「な、そ──」
極論だ。
けれどそれはある意味でお互い様である。
NICU側の態度は『ヴィランを全員とっ捕まえれば逃げなくて済むじゃないか』と言わんばかりで、それができるならヒーロー側も苦労は無いのだから。
「だからって──!!」
他の患者を逃がす度、手の空いたスタッフがこちらへ流れてくる。ラグビーボールを二周り大きくした程度の、片腕で抱えられてしまうサイズの保護器に、一人また一人と移されてゆく子供たち。
その内部が保育器よりも危険な環境なのは間違いない。客観的にそう言い切れる。
「安全を、この子らの安全を思えば!」
悲鳴じみた叫びはほとんど無視された。
NICUスタッフからも黙っていられず固定方法を指示し始める者が出始めて、なおも抗議と非協力を続ける師長らはいつの間にやら少数派だ。
「……それはその通りですがね」
憐れむように応えたのは最初に踏み込んだ医師。疲れからくる脂汗を拭いながら師長と向き合う。
「最善の最善を提供できなくても、今
「…………あの子達に何かあったら誰が責任を取れるっていうんです」
師長を追い詰めているものは愛情に他ならない。親が子に向けるような庇護だ。
医療従事者としては患者との距離感を間違えているが、さてそうさせているのは何だろうか……と推測してみた。そして医師は、内心で申し訳なく思いながら──、
「そんな責任は誰にも取れません。残念ですが諦めてください、
──ヒーローに悪役を押し付けた。
師長は……ついに、大きな
振り上げた拳を降ろす機としておくしかない。
それを境に不承不承ながら避難に同意し、逆方向への口喧しさを発揮し始める。的確に安全に寄与するものではあったが。
今の言葉で態度を変えた辺り、
もちろん周りには多数のヒーローが慌ただしく働いていた。聴こえなかったはずもない。
(元より
『自分たちがそんな風に思われていたとは』
これまで人々はヒーローの
だからこそ突然の暴露にショックは大きい。見たくなかったことを突き付けられるのは中々のストレスだ。
──全く同じ理屈でヒーロー達の心にもさざ波が立つ。
『自分たちも市民からの
まだ十二日。例の暴露の翌日──誰しもが動揺の尾を引き、冷静さを失い易い。
そんな中では、ICUの様子などまだしも理知的な方であった。